<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:blogger='http://schemas.google.com/blogger/2008' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd="http://schemas.google.com/g/2005" xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103</id><updated>2025-06-04T18:39:07.300+09:00</updated><title type='text'>一日を生きる！</title><subtitle type='html'>次の時代を切り拓く人材への道&#xa;　　</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default?redirect=false'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><link rel='next' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default?start-index=26&amp;max-results=25&amp;redirect=false'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>330</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>25</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-5622703786711304890</id><published>2022-06-17T16:51:00.003+09:00</published><updated>2022-06-17T16:56:57.838+09:00</updated><title type='text'>一枚の葉</title><content type='html'>&lt;p&gt;&amp;nbsp;今、私は死んだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そして、その瞬間、自我が生まれた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;死ぬことでようやく自己が確立するのか…。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;空気抵抗というやつか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　私はこの樹の一部だった。この樹の存続のためエネルギー産生の役割を担っていた。同様な役割を担う葉は他に大量にいる。その大半はまだ樹にエネルギーを与え続け、それがそのまま葉の生そのものでもある。だが、その頃私は自分を一個の生命体とは思うことはできなかった。一個の完全な何かとは思えなかった。だからといって、この樹の一部とも思えなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　光合成のできない葉は、その葉の存在理由の喪失により、自身が属していた樹から切り離された。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　そのとき、一個の存在としてこの世に生ずる。だが、光合成するに適した構造体として存在していた私にとって、この死して生じる”生”は何を意味するのだろうか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;まあ、意味なんていくらでもつけられるか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;役立たずとしての”生”とでも言っておけばいいか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そうじゃないんだよ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;今のこの”ひらひら舞っているこの時”なんだよ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ずっと気になっているのは。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;この先のことはわかる。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;落下地点が土なら私はバクテリアなどに分解され、私の身体はバラバラになるが他のなにかの循環にまた組み入れられることになる。その時私はまた自我を失うのである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;なんなんだよこの時間は。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ほんの10秒足らず、おそらく1分になることはめったにないこの空中浮遊状態は…。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ふざけんなよ！&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;やっと自分を感じられたと思ったら、自分では何もできずただ風や重力に翻弄されるのみ。そして、どこに落下するかは神のみぞ知る。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　わかってるんだよ、生とは関係性の事なんだよ。私が活きることは、他のなにかと私が活きる関係が成立していることを意味している。葉として光合成を活かす時私はこの樹とエネルギー産生という関係性を築いていた。落ち葉として土の栄養になるのも土壌産生の役割として大地と関わっているのだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　すべての関係性から解放され自分のありのままを自分で認め自分を楽しもうとしても、そのときはとっかかりなど何もなく、私は完全にこの世から孤立しているのだ。まるで宇宙空間に放り込まれ身体の自由が利かず、何にも摑まることのできないように、私はこの世の何ものとも関係性を創れないのである。何故なら、私が完全に一個の完成した存在であるなら、他の何ものも私の存在に関与しないからである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　二つの視点を持つことだろう。自我の視点と自分と関係しているなにかとどんな関係であるかを俯瞰する視点だ。両方の視点を関連させられるのなら、関係性を通して自分を楽しめるのかもしれない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一個の完全な生は、自分を活かせないという意味で完全な死でもあるのだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「こんなこと考えて何の役に立つのか…。」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;腰を上げ、歩きだす。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;だれともすれ違わない道を行く。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;目の前がにじんでもそのままだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;だが、そんな自分を愛おしくもあるのだ。&lt;/p&gt;&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/5622703786711304890/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/5622703786711304890' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/5622703786711304890'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/5622703786711304890'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2022/06/1.html' title='一枚の葉'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-6958962060477064462</id><published>2021-06-20T14:12:00.006+09:00</published><updated>2022-11-14T23:26:45.212+09:00</updated><title type='text'>グッときたと思ったが、期待に目がくらみ盲目になってただけだった。</title><content type='html'>以前投稿した、れいわ新選組に関する内容が、どうやら私のまちがいだったという考えにいたったので、それに関して書いていく。&amp;nbsp;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;以前の投稿では、100年、1000年スパンで考えるきっかけにれいわ新選組がなっているという内容だった。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;なぜそう思ったか。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;当時のれいわ新選組の参議院選挙の候補者が、既存の団体にあぶれて選挙への影響力がない当事者たちだったことである。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;現代の問題の根源は、現場のリアルな声が政治などの政策に反映しないことだと考える。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;それは、選挙という現場の声を反映するにはすでに適しなくなっている統治方法を終生普遍なものと人々が信じているからではないか。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;人々は選挙の普遍性を信じているくせ、選挙には行かないのだ。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;なぜなら、選挙に行っても何も変わらないからである。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;選挙において最も効果を発揮するのが団体票だからである。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;現代社会の構成員は以前からだんだんと団体から個へとその多様性の流れとなっていったが、それに合わせるように、個へとなった人々の考えを反映するような統治方法の改変が議論どころが提案されることもなかった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;その結果、かつてあった労働組合の人々の票が宙に浮いてしまい、企業のロビー活動により政治や政策は企業のマーケティングと化してしまった。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;そんな時現れたのが、れいわ新選組だった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;既存の団体には属せず、選挙を通した統治方法においては不利な人たちが立候補していた。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;それを見て私はこう思ってしまった。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;なるほど、個々の社会的に弱い人々といった、企業優遇の負の側面を政治にフィードバックさせる何かしらの仕組みを構築していくんだな、と。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;新たな統治方法の提案を選挙と政策を通して実践していくんだな、と。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;だが、違った。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;あれから2年たつが、れいわ新選組から、現在の統治方法に関する言及はない。（れいわ新選組を常にチェックしているわけではないが…）&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;言及するのは常に、現在の政治や政策の過ちとそれに対する解決法を述べるのみである。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;対症療法の域を脱していない。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;そして、2年前もある懸念が頭にあったが、それを打ち消してしまった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;ほんの少しでも、統治方法を変える可能性があるのなら、応援しよう、と、その懸念を頭の隅へ追いやってしまった。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;その懸念とは、単なるマーケティングということだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;選挙は、ご存じ単なるマーケティングである。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;決まった人数の有権者からどれだけ多くの票を集められるか、というマーケティングである。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;どのタイミングでどんな内容をどのように表現し、どのメディアを使い、訴えるか。


何度も言うが、選挙は団体票が有利である。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;だが、現在は自民党支持の各利益団体以外は団体票を見込めない。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;なら、自民党に勝つためにはどうするか。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;団体をつくればいい。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;現在の政治に不満な人は多いはず。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;が、メディアでは当然そういった声は出ない。
現在の政策に不満な人々を、最大公約数とできるような政策を打ちだせば、彼らを団体票とみなせなるのではないか。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;おそらく、こういうことなのだろうと思う。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;光があれば影がある。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;どんな政治であっても、必ずそれに不満な人はいる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;現在の政治では利益を享受できない人々をいかにひとくくりにし、共通認識をつくっていくか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;これが野党の変わらぬ戦略だろう。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;ある意味、洗脳合戦である。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;与党は、現在の政策がいかに国民のためになっているかをアピールし、野党は現在の政策により国民がいかに不利益を被っているかを根拠に解決策として党の政策をアピールする。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;となると、勝負を決すのは、その政策が優れているかどうかではなく、いかに多くの有権者に自身の考えを信じ込ませるか、となる。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;これを人は、「民主主義」と呼ぶ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;あほか。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;そこに人の生活はない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;あるのは、一方的に決めつけられたアイデンティティだけだ。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;政党が自身の都合の良いように人々をカテゴライズしたという、アイデンティティのみである。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;われわれは、政治家が決めたモノの見方を強制されているだけである。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;自分で自分の価値観をつくれないのである。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;現在の感染症の定義も、WHOが一方的に決めた内容に従うのみである。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;各国で感染者とその死亡者が出ているが、感染対策の要となる死体解剖がWHOにより禁止されている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;死体解剖なしで的確な対策などできるわけがない。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;これも一方的に決められているだけである。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;われわれのリアルは、ポストトゥルースや反知性主義、分断などとカテゴライズされ、他の人々にそのリアルが伝わっていかない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;地に足をつけることすら許されない世の中となっている。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;そんな現状で、ちょっとでも希望につながるかもしれないマーケティングを行っている、れいわ新選組。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;「人の心をもてあそびやがってえー」、なんて言うつもりはないですが、


地獄は続くよどこまでも、という現実を突きつけられました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;期待に目が曇って盲目となり、頭がお花畑になってました。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;ありがとうございます。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;一人一人がそれぞれの闘いを地道に続けるのみだ。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;時代によって次代を創る生き方は異なる。&amp;nbsp;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;現代において、次につながる生き方とは何か。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;これも続けた先にしか成せないものである。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;盲目ではいけない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;以上
またね＊＊＊&lt;/div&gt;&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/6958962060477064462/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/6958962060477064462' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/6958962060477064462'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/6958962060477064462'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2021/06/blog-post.html' title='グッときたと思ったが、期待に目がくらみ盲目になってただけだった。'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-6630141241504070334</id><published>2019-07-14T21:13:00.000+09:00</published><updated>2019-07-15T09:05:45.199+09:00</updated><title type='text'>グッときた。</title><content type='html'>自分の生きている期間、人生100年時代と言われているが、それ以上のスパンでものを考えられるか。&lt;br /&gt;
それが、本質を見失わないための考え方の一つであると考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
100年、200年、500年、1000年スパンで考えて、今はどう生きればいいか。&lt;br /&gt;
何をどう選択すべきか。&lt;br /&gt;
その選択の基準となる目的も妥当なものでないといけないが・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2019年の参議院選挙である。&lt;br /&gt;
投票日は、7月21日。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代及び現在の日本社会の問題を、どの視点で捉えているか。&lt;br /&gt;
100年、200年、1000年スパンで見て捉えているか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というより、「当たり前のことと生きることについて語っているか」が現代は難しくなっているのだろう。&lt;br /&gt;
当たり前というのは、普遍的なことである。100年、200年、1000年スパンで見て変わらない軸となるものだろう。&lt;br /&gt;
その当たり前は、自分の存在と不可分である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
企業が国家よりも影響力をもち、目にする情報のほぼすべてが商業的文脈のものとなっている現在において、私たちは・私たちの子孫達は今後100年生きていけるだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在においては、メディアに載る情報はほぼフィクションと化している。&lt;br /&gt;
そのフィクションをリアルととらえざるを得ないのが現状である。&lt;br /&gt;
それは、現場の状況がメディアに載らないためである。&lt;br /&gt;
メディアの公器としての性質がなくなっている。&lt;br /&gt;
会社としての色が強くなるメディアによって、株主は人心をコントロールしやすくなる。&lt;br /&gt;
そして企業が政治を買える状況となっている。&lt;br /&gt;
政治政策が商品と化している。それが、ジャーナリズムの衰退、メディアの肥大化とパラレルに関係している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、このような状況において、まずは100年後を生きるために、今何をすべきか。&lt;br /&gt;
政治においては、どうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
考える良いきっかけであるし、メディアに載らない視点で考える、自分の幅の広がる内容でグッときました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe allowfullscreen=&quot;&quot; frameborder=&quot;0&quot; height=&quot;270&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/HT6IYQs8uDM&quot; width=&quot;480&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/6630141241504070334/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/6630141241504070334' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/6630141241504070334'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/6630141241504070334'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2019/07/blog-post.html' title='グッときた。'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media="http://search.yahoo.com/mrss/" url="https://img.youtube.com/vi/HT6IYQs8uDM/default.jpg" height="72" width="72"/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-4409233169003980006</id><published>2018-04-23T00:12:00.007+09:00</published><updated>2022-11-14T23:09:04.241+09:00</updated><title type='text'>毒になる親（食べる読書140）</title><content type='html'>&lt;a href=&quot;https://www.amazon.co.jp/%E6%AF%92%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%A6%AA-%E4%B8%80%E7%94%9F%E8%8B%A6%E3%81%97%E3%82%80%E5%AD%90%E4%BE%9B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE-%CE%B1%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89/dp/4062565587?hvadid=295668563197&amp;amp;hvpos=&amp;amp;hvnetw=g&amp;amp;hvrand=17936156794758987997&amp;amp;hvpone=&amp;amp;hvptwo=&amp;amp;hvqmt=&amp;amp;hvdev=c&amp;amp;hvdvcmdl=&amp;amp;hvlocint=&amp;amp;hvlocphy=1009245&amp;amp;hvtargid=pla-524052026300&amp;amp;psc=1&amp;amp;th=1&amp;amp;psc=1&amp;amp;linkCode=li2&amp;amp;tag=daitakahira2-22&amp;amp;linkId=285ad48b91028e07c852046d1d4f0270&amp;amp;language=ja_JP&amp;amp;ref_=as_li_ss_il&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img border=&quot;0&quot; src=&quot;//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;amp;ASIN=4062565587&amp;amp;Format=_SL160_&amp;amp;ID=AsinImage&amp;amp;MarketPlace=JP&amp;amp;ServiceVersion=20070822&amp;amp;WS=1&amp;amp;tag=daitakahira2-22&amp;amp;language=ja_JP&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;img alt=&quot;&quot; border=&quot;0&quot; height=&quot;1&quot; src=&quot;https://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=daitakahira2-22&amp;amp;language=ja_JP&amp;amp;l=li2&amp;amp;o=9&amp;amp;a=4062565587&quot; style=&quot;border: none; margin: 0px;&quot; width=&quot;1&quot; /&gt;&amp;nbsp;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&amp;nbsp;
  
人の顔をうかがう、というより相手が何を求めているのか、それに対して自分は何ができるか、を考えて生きてきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の親は毒親である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全体（家族、家庭）がよくなるために、自分の果たす役割は何か、それが判断基準となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、親がそうであったように、社会もそのようには動いていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自己存在の存続のために、動いているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当たり前だが、すべて”自分”のためなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その”自分”とは、”現状の自分”でしかないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自身の変化により、よりよくなる可能性があったとしても、その情報からは目をそらし、あくまで”現状の自分”の維持を優先する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族が社会の最小単位というなら、社会にも毒親は多く存在する。&lt;br /&gt;
パワハラ、アカハラ、セクハラ、ブラック企業、そして売国政治家という言葉がその存在を示しているのだろう。&lt;br /&gt;
実際は、それが当たり前と思っている人が大多数の社会自体が問題だと思うが…。もし、毒親が問題というならだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本書は、毒親によって子供の心が傷つけられ、成長してもその負の遺産に苦しみ続けることを示している。&lt;br /&gt;
大変勉強になり、自分を客観視する視点をもらったが、毒親を「家族」という”場”においてのみ論じているところが物足りなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば、フィンランドと北朝鮮の毒親の人口比率を比較したらどうだろうか。ほぼ同じ割合になるだろうか。他の、社会システムではどうだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毒親となるのは、その親から受けた育児法をそのまま子供に対して行っただけ、という文脈だろう。しかし、健全な人と家族の外で交流することで、毒親から自立した人も多いはずである。一方でその逆もしかりではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毒親の定義自体が、その子どもの主観に依るとことが多いことから、測定法が確立していないため社会間における毒親研究は進まないだろうが、毒親は家族のなかだけで完結する問題とは思えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
構成員と組織の性質における関係、といえばいいだろうか。例えば、構成員が嘘つきばかりの人で存続し続ける組織とは、どんな特徴をもった組織か？、もしくはそんな構成員でなる組織はどんな特徴を有していないと存続しえないのか？といった問題ではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次世界大戦の国の総力戦の時代であれば、画一的であることが構成員である国民一人ひとりの存在理由であったろう。その人があるがままで存在することは許されなかったのである。条件付けの個人の尊厳である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、毒親という言葉により親の育児におけるあり方に焦点が当たり、多くの人がそういう点で客観的に自身を顧みることができるということは、自身の変化を促すことになるだろう。と同時に、その変化は現代社会の性質にどんな変化をもたらすのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毒親という「名詞」の存在の出現は、何の前兆なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
物事は常に変化している。そして、それは複雑系である。その一つの要素としての毒親の表出。毒親の存在というより、”毒親の社会的認知”が何をもたらすのか、である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一人ひとりが毒親をどうとらえるか、なのだろうか。必要悪ととらえるのか、不必要なものとして廃絶するのか。それによる。そして、それは個々が決めるのである。「個々が決める。」というところが、毒親を客観的に扱っていることの前提である。毒親を自分事ととらえると同時に第三者の視点としても見ていることにもなっていると思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私個人としては、郷愁のような気持ちで毒親を思い出すようになりたいと思っている。「ああ、あんな時もあったなあ。なつかしいなあ。」みたいな。&lt;br /&gt;
それが、社会全体としてよい方向に向くことに寄与すればいいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信頼感」とは、心が蝕まれていくようなつらい状況にある時、真っ先に死んでしまうものなのである。・・・、信頼感の喪失は「毒になる親」の子どもたちが大人になった時にきわめてよく見られる現象である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生まれつき価値のあるひとりの人間として扱われることによって自己に対する確信の中心を形成していくのではなく、何を達成したかという外面的なことによってのみ、自分の価値を証明しなければならなかったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あなたの幸福は、あなたの親がどんな親であるかによって左右されなければならない理由はないのである。たとえ親は全く変わらなくとも、あなたは子供時代のトラウマを乗り越え、親によって支配されている人生を克服することができる。あなたに必要なのは、それをやり抜く決意と実行力だけなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分はどんなルールに縛られているかをはっきりと見極める以外に、自分の自由意思で人生を選択できるようになる道はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真の変革と苦しみからの解放は、違ったやり方を実行することによってのみ、はじめて訪れてくれる可能性が出てくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多くの人は、感情とは自分に対して起きた出来事に対するリアクションとして生じるもので、その原因は外部にあると考えているが、実は、強い恐怖心や喜びや苦痛といった感情ですら自分が内部にかかえている「考え」がもとになって生じている場合がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この「考え」がどんなものか、そして、それと「感情」とのつながりを理解することが、自滅的な「行動」に走ることを止めるための第一歩だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「本当の自分でいる」ことには柔軟さがともなわなければならないのは当然である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大切なのは、何となく押し切られて、本当はいやなのにそうなってしまったというのではなく、自分の自由意思で選択してそうなったということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
怒りとは、うまく管理していないかぎり、必ず本人に害を与えるものなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
怒りはまた、あなたにとって何か重要なことを知らせてくれるシグナルでもある。それは、あなたの権利が踏みにじられた、あなたは侮辱された、あなたは利用された、あなたのニーズが満たされていない、などかもしれない。また、怒りは何かが変わらなくてはならないことを常に意味している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大きな悲しみもいつかは消える時が来る。それまでには時間がかかるが、それは漠然とした長さではない。かかる時間は、自分が失ったものについての事実を寄せ集め、現実を受け入れるまでの長さである。それは、過去の痛みから現在を生まれ変わらせ、ポジティブな未来へ向けてエネルギーの方向を変えるまでの時間といってもよい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生まれてはじめて、この異常な親たちに自分の本当の気持ちを語り、それをしたことによって、両親が「毒のある行動パターン」から抜け出すことは永久にないであろうという事実を、ようやく心の底から受け入れることができたからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe frameborder=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; marginwidth=&quot;0&quot; sandbox=&quot;allow-popups allow-scripts allow-modals allow-forms allow-same-origin&quot; scrolling=&quot;no&quot; src=&quot;//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&amp;amp;bc1=000000&amp;amp;IS2=1&amp;amp;bg1=FFFFFF&amp;amp;fc1=000000&amp;amp;lc1=0000FF&amp;amp;t=daitakahira2-22&amp;amp;language=ja_JP&amp;amp;o=9&amp;amp;p=8&amp;amp;l=as4&amp;amp;m=amazon&amp;amp;f=ifr&amp;amp;ref=as_ss_li_til&amp;amp;asins=4062565587&amp;amp;linkId=3f742401388f9ba853ad318f2fce9654&quot; style=&quot;height: 240px; width: 120px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/4409233169003980006/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/4409233169003980006' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/4409233169003980006'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/4409233169003980006'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2018/04/140.html' title='毒になる親（食べる読書140）'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-6869564557246520080</id><published>2018-03-11T10:22:00.000+09:00</published><updated>2018-03-11T10:22:18.603+09:00</updated><title type='text'>宗教消滅（食べる読書139）</title><content type='html'>&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4797385480&amp;linkId=d2f836db9e55881f0de021efafdb6f89&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人類史上における新記録が現代にどれだけあるだろうか。&lt;br /&gt;
別に調べていないが、例えば、人口、移動距離、情報量、などなどあろう。&lt;br /&gt;
これらは何を意味するのか。&lt;br /&gt;
それらの新記録を打ち立てるに足る人間社会のインフラとは、何か。これまでの人間社会とどこがどう違うから可能となったのか。&lt;br /&gt;
過去との違いをリスト化してそれらが原因とはできないが、再現性が見込まれない長い時間のかかる歴史的因果関係を見出だすことは、残念ながら今の人類にはできないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の本は、資本主義の発展によって変化している宗教を経済・資本主義との関係から論じている。&lt;br /&gt;
今の我々はあまり感じないが、宗教はかつて社会インフラであった。そして、それがどう変わっていったのか、大変興味深かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間にとっての宗教とは何か。単に、一時代だけの宗教を見ていては見えない本質もあろう。時代による宗教の変化から本質的な宗教が初めて見えてくるのかもしれない。&lt;br /&gt;
そして、宗教が人間の何を表すのか、それが見出だされるのが一番いいな。そうすると、そこに神秘性はなくなるのだが…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済と政治、そして宗教が絡み合うことで人類社会の歴史が展開されてきたことを、私たちは念頭に置いておかねばならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
創価学会はなぜ急速に拡大したのだろうか。一つには、創価学会が「折伏」というかなり強引な布教手段をとったからである。&lt;br /&gt;
折伏は仏教の用語で、諄々と教えと説いて相手を説得する「摂受」と対になる言葉である。折伏を行う際には、その対象となる人間がすでにもっている信仰を徹底的に批判、否定し、改宗を促すことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高度経済成長のような経済の急速な拡大は、社会に豊かさをもたらすが、その恩恵が社会全体に及ぶまでには時間がかかる。したがって、経済の拡大とともに、経済格差の拡大も続き、社会的に恵まれない階層が生み出されていく。&lt;br /&gt;
創価学会に入会すれば、都市に出てきたばかりの人間であっても、仲間を得ることができる。彼らは同じ境遇にある人間たちであり、すぐに仲間意識を持つことができた。&lt;br /&gt;
ただ都会に出てきたというだけでは、地方の村にあった人間関係のネットワークを失ってしまっているわけで、孤立して生活せざるを得ない。ところが、創価学会に入会すれば、都市部に新たな人間関係のネットワークを見出だすことができるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2代会長になった戸田城聖は、「現世利益」の実現を掲げ、信仰し、折伏を実践すれば、それで「功徳」を得ることができると宣伝した。それは、都市に出てきたばかりで貧しい暮らしを余儀なくされていた人間たちに対しては、強くアピールするものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済の急速な発展は、格差の拡大などのひずみを生む。そのひずみが、新しい宗教を発展させる。そして、急速に拡大した宗教は、政治的な力を獲得する方向に向かうのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
栄光の30年の時代においてさえ、フランスでは、大規模な都市部への人口移動によって、新しい宗教が膨大な信者を集めるという事態は生まれなかった。その点でフランスでは、第二次大戦後、既成宗教としてのカトリックの衰退がひたすら続いているということになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際、フランスの場合には、「ライシテ」という形で、徹底した政教分離がはかられている。ところが、ヨーロッパではフランスが例外なのであって、他の国々では、むしろ政府と協会は強い結びつきをもっているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近におけるヨーロッパでのキリスト教の教会離れは、かなり進行していることになるが、これは、戦後になって始まったことで、すでに1960年代から目立ちはじめていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多くの教団は、社会的に注目される時期において多くの信者を獲得する。&lt;br /&gt;
ところが、その時期を過ぎると、新たに信者が入信してくることが少なくなっていく。新宗教は、時代のありようと深く連動し、その時代特有の社会問題への対応として生み出されてくるものだからである。その分、時代が変われば、魅力を失い、新しい信者を獲得できなくなるのだ。&lt;br /&gt;
そうなると、急速に拡大した時期に入信した信者たちが、そのまま年齢を重ねていくという事態が生じる。彼らは強い結束を誇っているかもしれないが、その結びつきが強ければ強いほど、新しい人間はそのなかに入りにくくなる。こうした教団の構造も、信者を固定化する方向に作用する。その結果、高齢化という事態を迎えることになるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
恒常的に教会に来る人間がいなくなれば、教会はそうした人間たちによる献金、あるいは教会税の支払いによって維持されているわけで、存続が難しくなっていく。実際、それによってつぶれていく教会が続出していることについては、すでに見た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
8世紀の半ばに、イスラム教政権の後ウマイワ朝がスペインに侵攻し、その大部分を支配下においた。後ウマイア朝自体は1031年に滅びるものの、その後もイスラム教の宗主国が各地域を支配する体制は、コロンブスがアメリカ大陸を発見する1492年まで続き、キリスト教徒はそれまで、スペインを再征服する「レコンキスタ」の運動を続けなければならなかった。&lt;br /&gt;
こうした歴史を持つスペインにおいては、イスラム教文化の影響が大きく、グラナダのあるアルハンブラ宮殿などがその代表である。その点で、スペインはイスラム教の影響が強い。そうした国で、再びイスラム教徒が増えているという現象は、スペインの人々に、歴史の教科書で習ったような事態が再び起こっていると思わせるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヨーロッパでイスラム教徒が増えているのは、もちろん、キリスト教徒だったヨーロッパの人間がイスラム教に改宗しているからではない。&lt;br /&gt;
その大部分は、イスラム教の諸国からの移民である。移民が増えた結果、それぞれの国でイスラム教徒の割合が増えたのだ。しかも、その勢いは増え続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本人も、とくに戦前には海外に移民することが多かったが、その際に、当初の段階では移民先に日本の宗教を持ち込むことはなかった。・・・。日本人としての結束を強めるよりも、現地に溶け込むことを優先したと言える。&lt;br /&gt;
これに対して、ヨーロッパに移民したイスラム教徒は、その時点では、それほど強い信仰を持っていなかったかもしれない。ところが、現地の社会には容易に溶け込めないという事態に直面した。その結果、イスラム教の信仰を深めていくことになった。彼らがキリスト教に改宗することは少ないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
朝鮮半島には、「ムーダン」と呼ばれる巫女がいて、シャーマニズムを実践してきた。儒教は支配者のための宗教であり、男性のためのものであったのに対して、女性はそこから排除されたため、ムーダンに救いを求めるしかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の近代社会には、日蓮系・法華系の新宗教が拡大する精神的な土壌が形成されていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本のキリスト教は、19世紀に近代化を進めていく中で、欧米から取り入れられたもので、キリスト教の信者の中には、知識愛級が多かった。彼らには、西洋に進んだ文明や文化に対する強い憧れがあり、その背後にキリスト教の存在を見ようとした。キリスト教は、日本の神道や仏教に比較して、知的で体系的であり、さらにいえば合理的な信仰であると考えられ、知識階級が特に関心を持ったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも日本では、仏教と神道が入り混じった信仰が受け継がれてきていた。神仏習合の強固な体制が築かれていた。それが壁になり、日本にはそれほどキリスト教が浸透しなかったのである。&lt;br /&gt;
ところが、韓国では、キリスト教はシャーマニズムの文化と融合し、習合することによって、庶民層にまで広がっていった。それは、日本のキリスト教には起こらなかったことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の戦後社会においては、現世利益の実現をうたい文句に新宗教が勢力を拡大したように、韓国では、同じような主張を展開したカリスマ的聖職者に率いられた庶民的なキリスト教が急成長したわけである。これは要するに、プロテスタントの福音派の信仰が広まったということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近では、ソウル首都圏への人口の集中が一段落したせいか、韓国におけるキリスト教の伸びも止まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国でも事態は同じである。&lt;br /&gt;
法輪功が勢力を拡大していったときにも、経済格差が広がるなかで、取り残された人々が法輪功に救いを求めたと指摘された。日本の場合、戦後に新宗教が弾圧の対象になったわけではない。だが、中国の場合には、宗教に対して否定的な共産主義の政権であるということもあり、厳しい弾圧へと結びついていった。それは、全能神に対しても同様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政治に期待できないときには、宗教に頼らざるを得ない。そこで、今中国で注目されている宗教が儒教であり、キリスト教である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国政府が、宗教に対して干渉し、監視の目を光らせ、時には規制を行ってきた。そんななかで勢力を拡大しているのが、「地下教会」と呼ばれる。政府に公認されていないキリスト教の教会である。こうした教会は、「家庭教会」などと呼ばれることもあるが、指導者がカリスマ性を発揮し、病気治しなどを行う福音派である。中国でも、経済発展が続く国では必ずや台頭する福音派がその勢力を拡大しているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヒスパニック系の場合、メキシコをはじめとする中南米の国々で生活しているあいだは、伝統的なカトリックを信仰している。&lt;br /&gt;
ところで、アメリカにやってくると、状況は大きく違ってくる。カトリックは多数派ではないし、自分たちがアメリカ社会では民族的に少数派であるため、結束していかなければならない。そのとき、奇跡信仰や病気治療を宣伝して信仰心を煽る福音派に対する信仰が高まっていくのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヨーロッパを中心とした先進国では、キリスト教の教会離れが急激な勢いで進行している。これは、近代社会になって以降、それに伴って必然的に起こる「世俗化」が勢いを増していることを意味する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、現在でも経済成長が急速に進行している国々では、プロテスタントの福音派が勢力を拡大している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近、日本の論壇では、「反知性主義」という言葉をよく耳にするが、もともとこの反知性主義とは、アメリカにおけるプロテスタントの福音派を指して使われたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
福音派の台頭にしても、イスラム教の勢力拡大にしても、どこかでその伸びや原点回帰の方向性が変わり、運動として退潮するとともに、世俗化の様相を呈していくのではないかと考えられるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏教には僧伽、キリスト教には修道院というように、出家者だけで構成された集団があるが、イスラム教にはそれがまったくないのである。&lt;br /&gt;
イスラム教徒はすべて俗人であり、厳密な意味では聖職者そのものがいない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世俗化は、宗教の影響力が社会から消えていくことを意味する。&lt;br /&gt;
たしかに、近代以前の時代においては、宗教の影響力が圧倒的で、それが生活のあらゆる分野を規制しているような状態が続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラム教の場合、宗教の世界と世俗の世界は一体であり、両者は分かち難く結びついている。現実の世界と神聖な信仰の世界は区別されていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キリスト教の場合には、（ここでは基本的にカトリックにおいてということになるが）、宗教の世界と世俗の世界とは厳密に区別され、両者は分離されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プロテスタントの場合には、そうした世俗の世界から離れた聖職者は存在しない。牧師は皆世俗人であり、結婚し、家庭生活を営んでいる。その点では、イスラム教の指導者の場合と共通している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『創世記』に記されたことは、神話的な物語であり、そこでは2人の行為が原罪としてとらえられているわけではない。しかし、木の実を食べたアダムとエバが、裸でいることに恥ずかしさを感じるようになったとされていることから、やがて2人は性の快楽を知ったものと解釈されるようになり、さらには、蛇はサタンであると考えられるようになる。こうして現在の観念が生み出されていく。なお、この現在の観念は、ユダヤ教にもなかったもので、イスラム教にも受け継がれなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツの社会学者であるマックス・ヴェーバーが、聖職者に求められる禁欲を「世俗外的禁欲」ととらえ、俗人に求められる禁欲を「世俗内的禁欲」ととらえて、後者の世俗内的禁欲から資本主義の精神が誕生してくる過程を追っていったのが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』（大塚久雄訳、岩波文庫）という宗教社会学の古典的著作である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キリスト教においては、イエス・キリストが十字架にかけられて殺され、3日目に復活したことが信仰の核心を構成しているが、それは、やがて訪れる最後の審判における人類全体の救済を約束するものと信じられた。その点で、キリスト教は、終末が訪れることを前提とする宗教である。&lt;br /&gt;
こうしたキリスト教の終末論は、社会が危機に陥った時に必ずや持ち出されるもので、そのたびに熱狂的な支持者を生んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
目に見えないものをとらえようとするとき、人は、自分がすでに知っているものにそれをなぞらえようとする。そのために、欧米の社会では、経済現象を説明しようとするときに、意識的に、あるいは無意識的に、宗教が持ち出され、神が持ち出されてくることになるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神の見えざる手についての議論の中で、スミスという名前は、自由放任主義や、市場原理主義に通じる考え方を正当化するためのお墨付きを与える役割を果たすために持ち出されただけだとも言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代の資本主義社会においては、マルクスが予言したように、ひたすら資本の自己蓄積が続き、抑圧という事態が恒常的なものになってきているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済発展によって地方から都市への対規模な人口移動が起こるなか、近代化を阻んでいるものとして、地方の村落共同体が槍玉に挙げられたことである。&lt;br /&gt;
日本は家社会であり、それが、個人の自立を妨げ、近代的自我の発展を阻害していることが指摘された。真に自立した個人を創造し、社会全体の近代化を図るためには、村落共同体も家社会も解体していかなければならないというわけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大企業が存在しない国では、中小企業や農業が産業の中心であり、生産性を上げようとしても、すぐに限界に達してしまう。それでは、経済危機が起こっても、それを解決する見通しは生まれない。巨額の借金を抱えてしまえば、それを返す見通しはまったく立たない。ギリシアの危機が深刻になったのは、ギリシア経済が脆弱だからだが、農業や観光でしか金を稼げない国が、日本やドイツのように振舞うことなど到底不可能なのである。&lt;br /&gt;
高度資本主義社会においては、スケールの大きな多国籍企業が次々と生まれ、それが世界経済を動かしていく。しかし、そうした事態は、大企業が存在する国と存在しない国の格差を広げ、後者に含まれる国々は、世界経済の発展から置いてきぼりを食うことになっていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
資本主義の社会では、資本の蓄積ということが自己目的化され、経済規模の拡大が続いていく。市場を拡大し、生産力を高めていくことが至上命題となるが、そのためには労働力を確保しなければならない。移住者や移民は、それを満たすために故郷を捨てていくのである。&lt;br /&gt;
そうなれば、どの国においても、どの地域においても、地方の共同体の弱体化や崩壊という事態が生じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宗教は、地域や村落共同体、家族や一族といった共同体に基盤を置いている。その共同体を資本主義は破壊していくのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは、新宗教の場合、信仰を獲得した第一世代から、その子どもである第二世代に継承が進まないからでもある。第一世代には、その宗教に入信するに至る強い動機がある。ところが、第二世代にはそれがない。それでは、親の信仰を子どもが受け継ぐということが難しいのである。&lt;br /&gt;
それが、既存宗教と新宗教とを分ける壁でもある。&lt;br /&gt;
既成宗教の場合には、信仰は代々受け継がれていくものであり、現在信仰している人間は、個人的な動機からその宗教を選択したわけではない。親が信仰しているからそれを受け継いだだけである。信仰に対して強い情熱をもっていないために、かえってそれを自分の子どもにも伝えやすい。信者になっても、熱心に信仰活動を実践する必要がないからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
資本主義社会は、当初、新宗教に拡大の余地を与えても、低成長の時代に入ることで、その余地を奪ってしまうのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最初、講というのは、仏典の内容を解説するための僧侶の集まりの意味で使われた。法会の一種だというわけである。&lt;br /&gt;
それが後になると意味が広がり、共通の信仰を確認するための行事や会合のことを指すようになる。さらには、そうした行事や会合を営む集団の意味でも使われるようになっていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昔は、今に比べれば、楽しみというものは少なかった。そのため、地域の村で行われる祭りなどの行事は、村人たちが大いに楽しみにしているもので、その日には普段と違う食べ物が振る舞われ、人々は酒に酔って日頃のうさを晴らした。そして、遠く離れたところにある神社仏閣を訪れることは、それ以上の楽しみを与えたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とくに日本の場合、高度経済成長は社会構造を根本から転換させることになった。それまで多くの日本人は農村部にいて、農業や漁業、あるいは林業などに従事していた。重要なことは、そこには生業によって、そのあり方は異なったものの、村という共同体が作り上げられ、人々はその共同体に伝わるしきたりに従って生活を営んでいたことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
葬儀をめぐる習俗と経済との関係は密接である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今や、葬式仏教というあり方は根本的な危機を迎えつつある。高度経済成長は、村の共同体を破壊し、人々を共同体から追い出すことによって、地方寺院の維持を困難にしてきた。その波は、都会の寺院にも及ぼうとしているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
冷戦が続いている時代には、共産主義が政治的なイデオロギーのバックボーンとして機能した。資本主義の社会に対して批判的な行動をとろうというとき、自分たちの立場の正当性を共産主義のプロパガンダ（宣伝行為）にもとづいて主張することができた。&lt;br /&gt;
ところが、冷戦が終焉を迎えたことで、共産主義のイデオロギーに立脚して自己の正当性を主張することはできなくなった。その際に、今の世界で、正当性の源泉となるものとしてもっとも有力なのがイスラム教であるということになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスの同時多発テロについては、イスラム国（IS）との関連が指摘されている。今の時点で詳細は明らかになっていないが、ISが行ってきたことは、以下にイスラム法に忠実であるかということであり、多神教徒を殺害することや偶像の破壊などは、イスラム法によって正当化される。それが彼らのプロパガンダであり、それによって、現在のイスラム教の世界でも、多くの人間が、いかに教えから逸脱しているのかを示そうとしている。それが、自分たちは正しいと主張したい若い世代を引きつける大きな要因になっている。こうした状況から考えれば、これからもテロが起こる可能性はある。&lt;br /&gt;
その際にテロリストは、自分たちの正当性をイスラム教の教えに基づいて主張することになるだろう。ところが、テロが起これば、ヨーロッパを中心にイスラム教徒排斥の動きが高まり、それがイスラム教徒の社会統合をいっそう困難なものにしていく。そうなれば、さらにテロの可能性は高まる。しかも、イスラム教徒の数はこれからも確実に増え続けていくのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一つは、ヨーロッパや日本などの先進国で起こっている宗教の急速な衰退という現象である。それは、伝統的な既成宗教に起こっていることだが、同時に新宗教にも起こっている。要は、先進億の社会は世俗化、無宗教化の方向に向かっているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう一つ、経済発展が続いている国では、プロテスタントの福音派を中心に、新しい宗教が勢力を拡大している。これは、戦後の日本社会で起こった日蓮系新宗教の拡大と共通した現象であり、産業構造の転換による都市化が決定的な要因になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三つ目として、イスラム教の拡大ということがあげられる。ヨーロッパでは、移民を中心としたイスラム教徒が増え、「ヨーロッパのイスラム化」が危機感をもって語られるようになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラム教の世界で今起こっていることは、世俗化ということではなく、イスラム法の現代化、あるいは資本主義化としてとらえた方がいいのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラム金融やハラール認証が定着していくのも、そうした状況を反映してのことだが、その傾向はこれからもより強いもん尾になっていくだろう。それは、イスラム教の本来のあり方から逸脱しているというとらえ方もできるが、決して金儲けや現世での享楽を否定しないイスラム教のあり方からすれば、必然的な動きであるとも言える。&lt;br /&gt;
おそらく、イスラム教はそうした形で現代社会に適応し、その姿を変えていくことになるであろう。ヨーロッパのイスラム化と言ったときにも、それは中世のイスラム教社会に戻るという音を意味しない。たとえば、イスラム革命が起こったイランでは、革命直後とは異なり、イスラム法に徹底的に従おうという空気が緩んでいる。そうしたことは、イスラム教が広がりを見せれば、必然的に起こることである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
資本主義は、社会の最小単位を家族から個人へと狭めることによって、社会を成り立たせる基盤を失いつつあるようにも見える。&lt;br /&gt;
資本主義は行きつくところまで行き着いた。さらなる市場の拡大は、現実的には不可能なところまで来ている。そのなかで、伝統的な社会システムは解体され、個人が共同体とは無縁な生活を送る状況が生まれている。&lt;br /&gt;
資本主義はそこまで貪欲に資本の蓄積を行ってきたとも言える。ロボットが労働を担い、社会のあらゆる側面が自動化された時代においても、人間という存在は本当に必要なものなのだろうか。人間を必要としない社会のなかには、人が生きる余地などないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宗教は、日本人の多くが考えるように、たんにこころの問題ではなく、社会の動きと密接な関係をもっているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4797385480&amp;linkId=d2f836db9e55881f0de021efafdb6f89&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
COCCOは好きなアーティストだ。&lt;br /&gt;
「遺書」という曲がある。&lt;br /&gt;
自分が死んだ後の弔いについて歌っている曲だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;560&quot; height=&quot;315&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/xIkgpfHt2dE&quot; frameborder=&quot;0&quot; allow=&quot;autoplay; encrypted-media&quot; allowfullscreen&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初めて聴いた時、「自分の本心に素直だなあ。」と思ったことを思い出す。「俺は、絶対こんなことは思わないだろうなあ、・・・でも羨ましい。」とも思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の本は、この曲の意図とは異なるが、死後を託せる人がいなくなっている現状を記した内容。&lt;br /&gt;
そんな状況に対して、さまざまな動きも記されている。&lt;br /&gt;
そして原因を、関係性の希薄化、としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
突然だが、&lt;br /&gt;
原始時代から変わらないもの、それは、”時間”だ。原始人と現代人、一日を何に費やしているのだろうか。&lt;br /&gt;
そして、何にエネルギーを使っているだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、問題提起しておきながら、この問題提起自体成り立たないことに気づく。&lt;br /&gt;
それは、原始人には、”時間”や”エネルギー”、ましてや”自分”という概念もないだろうからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、あるがまま、なのである。文明以前は。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翻って現代は、時間を切り売りしている。&lt;br /&gt;
現代は、市場の拡大が特徴である。市場経済であり、経済発展には市場の拡大が必然。市場が大きくならなければ、経済も発展しようがないからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、市場で取引される商品は、金銭で換算できる、という条件を満たせばいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
物理的に世界を埋め尽くした後、資本家はどこに市場を見出だしたのか。さまざまだろう。人の心だったり、共有財産、科学技術、未来、などだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社会資本の一つである地域のつながり・関係性も何かしらの形で商品化され、市場に出ることで、人々がそれに費やす時間とエネルギーの代わりに金銭で購入するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、死後の弔いを葬儀社から金銭で購入するようになった。べつに、葬儀という形式をしなくても、死者への想いをその人との関係性の中から形にすればいいのに、自身の時間と労力の費用対効果（この概念自体、金銭化に一躍買っていると思うが）から、死者への想いも購入する羽目になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金銭化とは、部分化であり、一部を切り取っているにすぎず、評価しているのは一面に過ぎない。だが、市場で取引されるとき、それは、それが付随している全体であると人々は認識してしまう。一部を全体であると思い込まないと、商品として成り立たないからかもしれないが、それによって結局、金銭化できない本質的な部分だけが取り残されることになる。その結果、社会問題として表出するが、それをも商品化によって解決しようとする動きの繰り返しである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、誰がその後始末をするのか、というと誰もしていない。&lt;br /&gt;
それが表れているのが、社会保障費の増大だろう。&lt;br /&gt;
これまで、ご近所や地域で担ってきた内容を社会保障という名目で、国が担う羽目になっている。&lt;br /&gt;
そして、その税金を払っているのは中小企業であり、景気の羽振りのいい大企業はタックスヘイブンで税金逃れをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社会保障のサービス内容を増やしているのは、新たなサービスを市場に提案している主に大企業であるのに、社会保障の財源である税金を大企業は払っていないのが現状である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人の死の場面が、社会の何を表すバロメーターであるのか、そして新たなサービス（商品）以外の方法で良い方向へと進められるのか、この2点を明確にできればいいなと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
超高齢になると、きょうだいや友人の多くはすでに亡くなっているうえ、親の死亡時に子どもが定年退職していれば、仕事関係でやってくる義理で参列する人は激減する。これまでの葬儀は、遺族、参列者双方にとって、見栄や世間体を重視してきた傾向があったが、六〇歳ラインを子どもも超えれば、こうした「たが」がはずれ、廉価で小規模な葬儀が増えるのは当然だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族が遺体のそばで思い出を語り合いながら一晩を過ごすのは、遺族にとって死別を受け止めるための貴重な時間であり、遺族の絆を確かめ合う時間でもあるからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議員の弔電もそうだが、亡くなった人と面識がないのに、自分の仕事のために人の葬儀を利用する人がいたのも事実だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちが葬儀社の助けなしではお葬式が出せないようになったのは、都市部では高度成長期以降、地方では最近になってからのことだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ではこの先、お葬式はどうなっていくのだろうか。かたちだけでみると、まず祭壇が消失していくのではないかと、私は思う。&lt;br /&gt;
そもそもお葬式の祭壇が誕生したのは、昭和に入ってからのことだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人に見せるお葬式は今後も減少の一途をたどるはずだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お葬式は、亡くなる人とその人を見送る残された人の双方がいないと成立しない。亡くなる人は増える反面、見送る人が減少すれば、お葬式はますます小さくなるのは当然だ。そのためには、亡くなりゆく人と、残されるはずである人との関係性の構築が求められる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お葬式は、残された人同士の関係を再確認する機会でもある。お葬式を単なる遺体処理にしないためには、人と人とのつながりがなければならない。それがお葬式の行方を、大きく左右するだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨今、共同墓を新設する自治体が増えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
血縁を超えた人たちで入るこうした共同墓は、子々孫々での継承を前提としていない点が特徴だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
倍率だけを比較すれば、「樹木墓地」は、自らの死後の安住の地として生前に選ぶ人の方が多いということがわかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「先祖をまつる場所」から「特定の故人の住家」へとお墓の意味合いが変化してきたことを端的にあらわしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お墓はいらないという考えは、少なくとも昨今の傾向ではないことがうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お墓には二つの役割がある。&lt;br /&gt;
ひとつは、遺骨の収蔵場所としてのお墓である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先祖のお墓を未来永劫、守っていく子孫がいるという確証は誰にもない。どんな人も必ず死を迎えるのだから、家族や子孫の有無、お金の有無にかかわらず、みんな等しく遺骨の収蔵場所を確保できる仕組みを考えなければならない。たとえば、無縁墓を出さないよう、子孫がいる限り永代使用できるというお墓ではなく、使用期限二〇年、三〇年などと区切り、希望すれば使用期限を更新できるお墓を作ることも、ひとつの案だ。すでに自治体の墓地では、こうした取り組みが始まっている。&lt;br /&gt;
また血縁を超えて、みんなでお墓に入るという子々孫々での継承を前提としないお墓も有効だ。子々孫々での継承を前提としたお墓である限り、無縁墓は今後、ますます加速度的に増えていくのは目に見えている。&lt;br /&gt;
もうひとつのお墓の役割は、残された人が死者を偲ぶ装置であることだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
残された人が死者を忘れない限り、お墓は無縁にはならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高齢で亡くなれば、生前の故人と親しく交流し、死後も偲び、思い出す人たちがこの世に生存しているのは、せいぜい、二、三〇年間だろう。&lt;br /&gt;
お墓参りは、顔を知らない先祖のためというよりは、生前を知っている近しい故人のためにおこなっている人が多いことからもわかるように、祭祀される故人の顔ぶれがどんどん入れ替わっていくのは当然だ。&lt;br /&gt;
そのうえ今後、誰からも弔われない死者が増えれば、遺骨を収蔵する場所があればそれでよく、残された人が死者を偲ぶ装置としてのお墓は不要となるであろう。お墓のゆくえは、お葬式と同様、生前の死者が誰とつながっていたのかという、人と人とのつながりによっても大きく左右される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2000年以降、男性の長寿化が猛スピードで進み、夫に介護が必要なころには妻も年老いているため、かつてのように「妻が夫を介護する」という構図が崩れていることは序章でも触れた。しかしこれからは、親世代の長寿化で、子どもも高齢化し、親の介護を担うことがむずかしい状況が生まれつつある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同居している子どもは家族だが、別居していれば、子どもが家族だと考えるかどうかは意見がわかれる。ましてや、子どもが結婚して別の場所で所帯を持っていれば、子どもを家族だと思わない人は少なくない。「家族はいっしょに住んでいる人」という観念に基づけば、ひとり暮らしをしていれば、家族はいないと考える人がいても不思議ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族はどこまでの範囲を指すかという定義はなく、自分が家族だと思えば、それが家族なので、人によって違うのはあたりまえだ。しかし、家族だと思う人の範囲が狭くなっているのは、関係性の希薄化が背景にあるのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまで亡くなっていった男性で、妻や子ども、孫がいないという人はごく少数だった。これからは、誰もまわりにいない高齢者が続々と亡くなっていく未知の社会が到来する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これからの社会において、どれだけ自分で事前に考え、準備しておいても、自分では絶対に実行できない死後のことを誰が担うべきだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまで家族や親族、宗族（父系血縁集団）による相互扶助精神が基本とされてきた台湾では、少子高齢化や長寿化、核家族化が猛スピードで進んでいる。その結果、家族内介護の限界、高齢者の孤立など、新たな社会問題が露呈しはじめている。&lt;br /&gt;
ここ数年、台北市、新北市、台中市、高雄市などの大都市では、お葬式を簡素化して、葬儀費用の負担を軽減したりするために、市の主催で複数人のお葬式が合同で行われている。&lt;br /&gt;
台北市の場合、遺体の搬送や納棺、遺体の安置、葬儀の施行までのすべての費用からか火葬代にいたるまで、遺族の負担は一切ない。財源は市民からの寄付だという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この日、告別式の前の宗教儀式に立ち会ったのは葬祭業者以外には私一人で、遺族も台北市の職員も、誰も会場にいなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分のお葬式のために積み立てるのではなく、国民でみんなのお葬式にかかる費用を負担しようという趣旨のものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どんな人も、亡くなった場合に最低限のセーフティネットがあることは、生きている人の安心感につながるはずだ。日本では、これまでは家族や子孫が支えるべきとされてきたが、死後を社会で支えあうことは可能なのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
葬祭扶助でまかなえるのは遺体をひつぎに納め、火葬するだけの費用で、読経をしてもらったり、祭壇に花を供えたりする費用は出ない。&lt;br /&gt;
昨今、高齢の生活保護受給者が増えていることから、この葬祭扶助費は多くの自治体で増加傾向にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エンディングプラン・サポート事業は、市役所の職員が葬儀、墓、死亡届人、リビングウィルについての意思を本人から事前に聞き取り、書面に残して保管しておき、同時に葬儀社と生前契約を結ぶという仕組みだ。葬儀と納棺にかかる費用は、市役所と提携する葬儀社やお寺などと相談のうえ、総額で二十五万円から三十万円までに納め、利用者が葬儀社に先払いする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市の職員は契約時に立ち会うほか、高齢者が亡くなった時には、本人の希望通りに行われたかをチェックする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事業では、利用者のリビングウィルを、契約する葬儀社が預かっている点が特徴として挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市役所の担当者によれば、生活にゆとりがなくても、「お葬式の費用ぐらいは」と、数十万円程度は貯金している人は案外、多いそうだ。自分で貯金していたにもかかわらず公金で火葬される人が減少すれば、市の支出も軽減できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全国の自治体に対し、他死社会を迎えて現在直面している課題についてたずねた調査では、無縁遺骨の引き受けの増加を挙げた自治体は、政令指定都市や中核都市を中心に八百十四自治体のうち百二十七自治体もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
六人に一人のひとり暮らし男性高齢者は、二週間に一度も、誰からも電話がかかってこず、自分からもせず、自宅を訪れる人や外で会う友人もなく、近所の人とあいさつをかわすこともないのである。男性だけではない。ひとり暮らしの高齢女性で、毎日会話をしている人は62.8％で、男性よりは多いものの、三分の二以下にとどまっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
精神的にも社会的にも孤立していれば、突然亡くなった場合に遺体の発見が遅れる、弔う人がいない、遺骨の引き取り手がいないという状況に陥っても不思議ではない。お金がない、頼れる家族がいない、社会とつながりがないという”三重苦”を抱える人たちの増加で、これからますます、「悲しむ人がいない死」が増えていく。本人がそれを望んだのならともかく、社会とつながりを持ちたくてもできない人たちがいるのであれば、どんな人も無縁視させないために、社会が何らかの支援をする必要があるのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無縁墓とは、相当期間にわたってお参りされた形跡がなく、承継する人がいなくなったお墓を指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弔う家族や子孫がおり、先祖のお墓があったとしても、未来永劫、子々孫々でお墓や死者祭祀を承継していける保証は誰にもない。無縁墓が増加しているのは、子孫が途絶えたからというよりは、生まれ育った場所で一生を終えるという人が減少してきたことと、核家族化の影響が大きい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ライフスタイルの変化にともない、死後の安寧をだれが新たに保証すべきなのかが問われているのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もはや血縁、親族ネットワークだけでは、老い、病、死を永続的に支え続けることは不可能なところまで、社会は変容している。それでは、どんな人も安心して死んでいける社会の実現のためには、生きているあいだの安心や死後の安寧を誰がどう保証すればよいのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
困ったときにまわりの人や社会にサポートやSOSを要請しやすい環境が整っていなえれば、万が一のセーフティネットは、いくら制度や仕組みがあっても役に立たない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無縁死を防止するには、地縁や血縁にこだわらない緩やかな関係性をいかに築くかが問われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コープ共立社では、行政と交渉をした結果、生協が共同墓を運営することは可能であるという結論にいたり、三年以上の年月をかけて、共同墓を建てる土地を探すことができた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地域で死者の共同性を作る動きもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ぽっくり死にたい人は、長患いへの家族への気兼ねが大きな理由であるのに対し、病気で少しずつ弱って死ぬ方がいいと考える人は、自分の人生をきちんと締めくくりたいという思いがあり、両者では、死に対する考え方が違うことがわかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
医療技術が発達していない時代には、発病すればあっという間になくなっただろうし、大家族なうえに、隣近所の付き合いが密接だったので、自宅で孤立しするという状況も起きにくかったはずだ。死んだら、隣近所の人たちが総出でお葬式を出したし、村の共同墓地に葬られる以外の選択肢はなかった。そんな時代に、「自分はどんな死を迎えたいか」「どんなお葬式をしたいか」を考えるという発想はない。&lt;br /&gt;
「わたしの死」は、医療のかかり方や、お葬式やお墓の選択肢が増え、自分の希望通りに人生をまっとうしたいと考える人たちが出てきたことによって芽生えた概念だ。同時に、家族のあり方や医療サービスなどの多様化、生活意識の変容などによって「わたしの死」について考えておかねばならない時代になったという見方もできる。これまで他人の死を支えてきた社会や家族の姿が変容した昨今、自分のことは自分で考えておかねばならないという必然性から芽生えた意識でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かつては家族、親族、地域の人たちが総出でお葬式を手伝ったが、近所付き合いをしたくない、親戚付き合いは面倒だという風潮が出てきた。しかし、いまや家族だけではお葬式ができないので、葬儀社に一切合財をお願いすることになる。外部サービスに頼れば、当然、金銭的な負担はかかる。自立できなくなっているのに、家族に負担をかけず、お金もかけないということは、理想ではあるかもしれないが、現実的ではない。&lt;br /&gt;
そうであれば、まわりにかける手間を迷惑とさせないような方法を考えた方がよい。多くの人は、大切な人にかける手間を迷惑だとは思わないだろう。手間と迷惑は同じではなう、誰への手間かによって、迷惑だと思うかどうかがわかれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちは社会のなかで生き、死んでいくのだが、社会は手間のかけあいで成立している。「おたがいさま」での共助が必要ないのであれば、自立できなくなれば公的制度に頼るしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は2011年に幸福度についての調査をしたことがある。・・・。近所に信頼できる人がいる、社会やまわりの人たちの役に立っていると思えることが、幸福度をあげることにつながっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
困ったときに誰もが周りの人や社会にSOSやサポートを要請しやすい環境が、日ごろから整っていないことが問題なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
万が一のセーフティネットは、制度や仕組みがあっても、人と人とのつながりがなければ作用しない。&lt;br /&gt;
つながりや関係性は自然には生まれないし、デメリットも享受するおたがいさまネットワークだ。血縁、地縁、仕事縁に限らない。自主的な「縁づくり」活動を通じて醸成される関係性のなかで、生きている喜びを実感できれば、結果的に、誰からも存在を気にされない果ての孤立死は減少するだろうし、悲しむ人が誰もいない死は減るのではないだろうか。死ぬ瞬間や死後の無縁が問題なのではなく、生きているあいだの無縁を防止しなければ、みんなが安心して死んでいける社会は実現しないのではないかと私は思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
相手は亡くなっているのだから、遺体と一緒に過ごす時間は無意味だという考えもあるだろうが、最後の時間を一緒に過ごしたいと残された人が自発的に思えるかどうか、なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨今の現象は、死者とのつながりがないからこそのお葬式やお墓の無形かであって、これは、社会における人と人とのつながりが希薄化していることの表れでもある。そう考えると、お葬式やお墓の無形化は、信頼しあい、おたがいさまの共助の意識をもてる人間関係が築けない限り、ますます進んでいくだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人は生きてきたように死ぬとよく言われるが、現代のお葬式やお墓の形は、まさしく社会の縮図ではないかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「弔い無形化していく社会は、私たちにとって幸せなのか」という問題提起をしたかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4004316723&amp;linkId=98d5ddb0ea94166353baa1e2812b2e78&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は、理系の単科大学を卒業したが、日本の大学に通ったことで分かったのは、大学は「おままごと」であるし、「詐欺」であると感じたことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理系という性質上、その産業への人材提供の側面が強く、それは決められたことをいかに効率よく行えるか、である。そこに独創的発想を評価する余地はほとんどないと感じざるをえなかった。教授の指導がそれだからである。その規範からずれるようなら、それが何を意味するのか、既存の規範の目的と手段は妥当か、などと学問的に考えるのではなく、単なる違反とみなして教育という名のもとに強制されるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、現在の大学は、現在の産業を維持する人材生成の場、なのである。その役割を担うことから、依存する産業構造自体への批判を教授が行わず、決められた枠内における研究という名の商品開発が行われているのが現状である。大学であるから、そこには税金が使われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本書では、大学内だけでなく社会全体に及ぼす学者の影響と本来あるべき姿とのギャップが書かれている。&lt;br /&gt;
学者の現状把握には役立つのではないかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大型研究プロジェクトの失敗は、単に税金の無駄遣いにとどまらず、より大きな社会的ダメージを与える可能性を孕んでいる。例えば、エネルギー関連の技術の場合、新技術に対する過大な期待を与えるような情報発信は、エネルギー問題に対する必要な社会的対策を怠らせることにつながる。実際、日本では事業部門での省エネは進んでいるものの、民生部門では省エネが進んでいない。幸い、原子力に頼ることでエネルギー危機は開発できているが、それで結果オーライとするのはリスキーな考え方である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
厚生労働省の第5回女性の活躍推進協議会議事録中のやりとり&lt;br /&gt;
〇委員&lt;br /&gt;
まずデータをとってみて、相関関係がうまくある程度出たら、そのままだし、全くアットランダムだったら、業績とは関係ないかもしれないけれども、長期的に、国際的にみて、女性の管理者の登用が遅れているから、上げなければいけないというのを別な言い方でもって、持っていくという手もありますから、まずはやってみることです。&lt;br /&gt;
このやりとりで、委員たちは、自ら都合のいい統計データのみを恣意的に取り出そうという意図を開陳している。データ捏造そのものも当然悪いことであるが、それを悪いこととも思わず、それが議事録として公開されていても平然としていること、そしてそれが何の社会的批判の対象にもならないことは驚愕に値しよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学者が狭い学者の世界しか知らないと同様に、多くの庶民は庶民の世界しか知らないのであり、多くのビジネスマンはビジネスの世界しか知らないのである。その意味では、自分の属する世界の常識ならば、どこにいっても通用すると思い込んでいる人こそが、本当の「世間知らず」であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それだけの社会的影響力を持つ上、専門知識そのものだけでなく、その専門知識が社会の中でどういう位置付けにあるのかを理解することが求められてしかるべきだろう。そのためには、自らの専門の枠組みを超えた視野の広さと教養の深さを備えることが必要となるが、それにもまして重要なのは、自分の知識が通用する範囲の限界を認める謙虚さではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実験データから理論を構築していく考え方を帰納主義という。帰納主義は、間が滑らかに補間されるはずだという法則の連続性の仮定があってはじめて、導かれた法則の予測力を正当化できることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある現象を論じるとき、関係のありそうな要素群だけを抜き出してきて、その要素群が固定されれば、「同一条件である」と判定する。そして、個々の要素の影響を切り出して分析し、その足し合わせとして組み合わされた条件下での現象を予測する。これが科学の方法というわけである。よって、何が関係ありそうな要素で、何が切り捨ててよい要素であるかを嗅ぎ分ける能力を持つことが、科学者としてよい仕事をするために必要になる。これは、論理ではなく、直感の部分である。優秀な科学者に必要なものとして、論理的展開力を真っ先にイメージする人が少なくないが、直観力も研究者にとって必要不可欠な能力なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
科学において、実験装置が巨大化した背景には、安価な装置では新規性のある研究効果を得るチャンスがほとんどなくなっていることがある。科学の初期の成功により、科学者の数は急速に増加し、誰でもできるような実験はほぼやり尽くされてしまった。しかし、大掛かりな装置を作れば、今まで誰もしたことがないような実験ができるので、新発見をするチャンスも増えるわけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社会科学の場合、社会を構成するのは人間であるため、発信した予測が社会の構成員である人間の行動に影響を与えてしまう。これは、自然科学では想定されてない問題である。&lt;br /&gt;
自然科学においては、基本的に予測する主体と予測される客体が干渉しないことを前提としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
注意喚起と学術的予測を混同させることは、学問に混乱を生じさせるだけでなく、リスクを煽り立てる悪徳商法などの社会的問題も生じさせることになる。残念ながら、これに加担している学者は少なくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学問の予測の社会的影響力を悪用し、社会の利益に反し、個人の利益にのみ資する偽予測を意図的に発信するという行為を多くの学者が行っているとしたら、もはや学問に社会的存在を認めることはできない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら、ポストモダン思想は、実はもともとは共産主義の原点であるマルクス主義思想については批判的な立場であるはずだった。先ほど述べたとおり、ポストモダンは普遍性を追求する考え方に反対する。マルクス主義は、共産主義の到来を歴史の必然とし、それを普遍的な原理に据えるわけであるから、これはポストモダン思想とは相いれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
であるから、物質主義、大量生産消費型の資本主義社会を批判するのであれば、自分の在り方を自由に欲求できるとした実存主義も当然批判の対象になっていはずである。しかし、実際はそうはならず、批判の矛先は科学技術や近代合理主義のみに向けられることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
われわれは、すべてを疑って生きることはできない。懐疑主義を実践的なものにするには、何を信じて、何を疑うかについての指針が必要なのである。&lt;br /&gt;
では、ポストモダニスト、あるいは価値相対論者は、何を疑い、何は疑わないのか。結論からいうと、自分に都合の悪いことは疑い、都合のいいことは信じるという思考パターンに陥っているケースが多いのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上のフェミニストの言動からすれば、彼らは自らの都合のいいように、構築主義と本質主義を使い分けていると言わざるをえない。つまり、構築主義が詭弁の道具に成り下がっているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、マスコミ自身はマスコミ対策をする必要がない。そのため、マスコミは最もCSRが欠落する業種となっているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昔から、自説の正当化のために弱者を持ち出すという論法はしばしば使われてきた。右で述べた、マスコミによる消費税反対はまさにその典型例である。弱者自身は苦境に置かれているので、その味方をしてくれる人には飛びついてしまうことが多い。それを悪用するエリートは今までも数多くいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フェミニストも、ほとんどは学歴エリートたちである。しかし、彼らは人間を男女の二つのカテゴリーに分け、女性全体を弱者と見立てる。男性集団の中にある多様性、あるいは女性集団の中にある多様性には一切触れさせない。その上で、弱者集団である女性への援助を名目に、女性集団の中の強者であるエリート女性のみに手厚い政策的援助が行くように誘導するのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で、2002年、母子家庭への児童扶養手当が減額されることが決まった。この政策も男女共同参画と無関係ではない。男女共同参画社会において、男女の職業生活と家庭生活の両立を支援するという目標がある。母子家庭に対しては金銭的支援ではなく就労支援を重視するという考えから、児童扶養手当が減額されたのである。&lt;br /&gt;
この二つを並べてみると、今の政策のおかしさがよくわかるだろう。ふつう、福祉とは弱者の援助を目的とするはずである。ところが、男女共同参画では強者の女性を援助して弱者の女性への福祉は切りすてているのである。&lt;br /&gt;
真面目に福祉を考えるなら、母子家庭に経済的自立を促す前に、まず余裕あるエリート女性たちが自立すべきだろう。働いていれば自立だと思い込んでいるのかもしれないが、保育所の経費を国に負担してもらっていては、自立していることにならない。自立が大事というのであれば、保育に要する費用も全額自分で負担するのが筋である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来の福祉の考え方からすれば、負担能力のある家庭には応分を負担してもらって構わないはずである。実際、この時代、夫婦ともにフルタイムで働けるということは、一般的には経済的強者である。フェミニストは、よく税金を払わない専業主婦を税金泥棒呼ばわりするが、経済的強者がこれだけの公的支援を受けることも税金泥棒ではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際、合計収入が同じ共働き世帯と片働き世帯を比較した場合、現行制度では夫婦の合計年収が600万円を超えるような世帯では、共働き世帯のほうが負担は軽くなるのである。実は、現行の税・社会保障制度で一番得をするのは、所得の割に税負担が少なく、保育サービスなどの必要な社会保障も安く提供される、夫婦とも中・高収入を得ているエリートカップルの世帯なのである（石川・掛谷『「専業主婦優遇」批判報道の検証』メディア情報検証学術研究会2005講演論文集）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、「男女共同参画」推進グループは、「男は仕事、女は家庭」という生き方が自由意志のもとに選択されることにも反対してる。価値観を押し付けられる弱者の顔をしながら、一方で他人に価値観の押し付けを行ってるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、社会格差の拡大が問題となっているが、それに付随して、自らの属する階層以外の人と接する機会が少なくなりつつある。つまり、自らの階層の利益拡大イコール社会全体の利益拡大と錯覚してしまいやすい社会構造が生まれている。そのため、悪意はないのに、結果として自らの属する階層のみを利する利己的な主張を、社会正義であると本気で信じているケースもまま見受けられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いくら外国人や女性を入れても、彼らがみんな学歴の高いエリーロであったとき、多様な人間から構成される集団といえるだろうか。私の経験では、外国人であっても女性であっても、恵まれた境遇で同じような高等教育を受けた人の間の差異は、同じ日本人であっても境遇や教育の異なる人の間の差異よりは少ないように思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私自身も、ここで批判対象としている学歴エリートの一人であるが、個人的には、いい大学・大学院で学ぶことには、それに付随する責任があると思っていた。試験で人を振り落とす以上、自分が合格することで、他の人がそこで学ぶチャンスを奪ったのでえある。であるから、その分、きっちり勉強し、その成果を社会に還元する債務を負ったとも考えられる。残念ながら、そういう発想を持つ学歴エリートは非常に少なく、むしろ入試にパスすることで特権を得たのだと考えるエリートが多いのが実情である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一般に、産業界の学歴エリートたちは、学者や官僚とは違い、世の中の実情をよく見ている人たちであると好意的に語られることが多い。しかし、実際には彼らの利己性も凄まじい。&lt;br /&gt;
彼らは、しばしば、自分のビジネスに有利な政策なら、社会的副作用が強いものも平気で支持する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たしかに、中国ビジネスで儲けている企業にとっては、日本政府が中国の言いなりになってくれたほうが商売をし安だろう。しかし、一部の企業の商売上の都合で、政治的に副作用が強いことが押し通されるとすれば、中国ビジネスと関係のない人たちにとっては迷惑な話である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
右の例は、企業の経営者が、第三者的立場を装いながら、会社の利益のために影響力を発揮したケースである。実は、それ以外に、マスコミの場合と同様、会社ではなく個人の利益のために、企業のトップがその社会的影響力を行使しているケースがある。その最たる例が、2001年12月の商法改正で行われた株主代表訴訟における取締役の責任軽減化である。具体的には、今まで無限責任であった取締役の賠償責任を、定款または株主総会の決議により、代表取締役は報酬の6年分、社内取締役は4年分、社外取締役は2年分まで軽減できることになった。これは、経済界のトップたちの働きかけで行われたものだが、まさに自らの責任を軽くする行為である。この時、彼らの用いた論理は「こんなに責任が重いと、優秀な人は誰もトップになりたがらない」というものであった。しかし、重い責任をきっちり背負える人こそが、本当に優秀な経営者なのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仕事の難しさを測るのに、その仕事をこなせる人の希少さを基準とすることは、危うさを含んでいる。なぜなら、その希少さが、仕事の技術的な難しさからではなく、その仕事を行う資格を持っているか否かに依存する場合があるからである。医師も弁護士も、資格を取るのは看護師、介護福祉士、保育士よりも難しい。しかし、資格を取ることの難しさイコール仕事そのものの難しさではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社会的意思決定における学歴エリートの影響力は非常に大きい。その影響力を行使することで、学歴エリートに都合のいい社会的ルールが固定化していくのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は、一連の規制緩和自体、学歴エリートにとって不都合な規制だけを取り除いた動きとみることもできる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際、規制が少なくなればなるほど、合法的に他人をだます手段が増えることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、極端な至上主義は、腕っぷしでは負けるが、詐術には長けた人たちが一番得をするルールということになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社会全体の利益を考えたときに望まれるのは、社会的満足を与えることでしか利益を上げられないような社会にするための規制である。ここでいう社会的満足とは、その行為によって他人に与える満足（利益）の総和から他人に与える不満足（コスト・副作用）の総和を引いたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代社会においては、どこを見ても社会的全体をよくしていこうといった意識を持つ学歴エリートは見当たらない。もちろん、お題目としてそれを掲げる人たちはいる。しかし、それは常に、個人的利益を拡大する手段を認めさせるためにすげ替えられた看板でしかないのである。彼らは、社会貢献に必要な技術の学習よりも、利己的な行動をカモフラージュするためのコミュニケーション能力の習得を優先してきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実力主義というときの「実力」」は、個人の実力を指して使われることが多い。実力のある人間を組織のトップに据えるというのは、まさにその考えに基づくものである。しかし、その人事方針には重大な欠点がある。実力主義でトップになった人間にとって、自らの利益と合致する組織の利益は、自分がトップの間における組織の利益のみである。自分が辞めた後、その組織がどうなろうがあれには関係ない。となると、例えば会社のサラリーマン社長は、長期的に見ると会社を傾かせる危険があっても、自分の在任中は会社に大きな利益がもたらされる選択肢を好んでとるようになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実力主義の問題は、会社組織だけでなく、官僚組織や大学でも顕著に現れる。官僚は2～3年で部署を移動するので、その間の体面を繕えればよいとの発想で仕事をすることの問題は、今までも再三指摘されてきた。最近では、大学の近視眼的発想も顕著である。特に理系を中心に、大学院重点化という名の下、ほとんどの有名大学は、大学院の定員を大幅に引き上げている。・・・それでも、そうしたポリシーがとられるのは、自分の定年までブランド力が保てればそれでいいと考える大学教員が多いからといわざるをえない。このように、実力主義には、偏狭な利益が最大化され、組織全体あるいは社会全体には大きな不利益がもたらされる危険性が常に潜んでいるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦後民主主義教育が倫理崩壊の原因なら、問題は学歴エリートだけに留まらないとの指摘はあろう。しかし、庶民は自分の暮らしを守るのに精一杯で、公共の利益を考える余裕がなかなかないのは、いつの時代にも共通したことである。その一方、エリートは公共性を考える余裕がある人たちである。公共の利益を優先しても、生計を立てることができるのである。ところが、公共心という価値が喪失した結果、公共の利益のために仕事をして普通に暮らしをするより、公共の利益に反する仕事で贅沢な暮らしを実現する生き方を選択する学歴エリートが増殖してしまったのではないだろうか。実際、本章で紹介した数々のエリートの行動は、それを如実に表している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
利己主義が実質的に社会の標準的な規範となってしまっている以上、個々人にその規範を超える行動を要求するのは酷である。もし、ノブリス・オブリージュや武士道の精神をエリートに期待するのであれば、個人にそれを要求する前に、そういう規範が広く受け入れられる仕掛けを社会に組み込む必要がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼らの論法には、一つの共通点がある。それは目的に関する議論と手段に関する議論を意図的に混同させる戦略をとることである。彼らには、公にすると批判を受けるであろう利己的な「隠れ目的」を内部に秘めている。その隠れ目的を達成するために、有効な手段Aを通すことを意図する。その手段を社会的に認めさせるために、誰もが納得するであろう「理念」を立てる。そして、その理念を達成するためには手段A以外の手立てはないことを議論の前提とし、手段Aに反対する人間には理念を共有しない「悪人」のレッテルを張ることで、強引に持論を認めさせるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女性専用車両推進の隠れ目的は、女権拡大イデオロギーあるいは政治家による女性票の取り込みといったところにあると考えられる。そのため、年齢制限といった議論はご法度になるのだろう。年齢制限という発想自体、人権侵害だという批判も聞こえてきそうだが、男性であるというだけで潜在的置換加害者とみなす人に、そのような批判をする資格があるとも思われない。女性専用車両の発想には、その種の危うさが根底に含まれているのである。にもかかわらず、痴漢対策という「理念」を前面に押し出し、これに反対するものは痴漢容認派とレッテリングをすることによって、その危うさを見事に覆い隠している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際、左派の源流である共産主義は、労働者階級の味方として登場したが、結果的には独裁体制を築き上げて労働者階級を苦しめた。日本の左派言論人も、世論が自分の味方についているときは「大衆の判断は常に正しい」として民主主義を礼賛していたが、世論が離れていくと、ポピュリズム批判や大衆批判にいとも簡単に転じた。つまり、左派とは、政治的野心を持つ勃興勢力で、手段と目的の混同を戦略的に使うことを武器にのし上がろうとする人々と定義づけるのが妥当だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
学歴エリートの用いる戦法の肝は、自らに都合のいい手段をだれも反対できない理念（目的）とセットにすることであるから、それを分断することに成功すれば、学歴エリートの詭弁はおのずと浮き彫りになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は、彼らは反米イデオロギーや反日イデオロギーのために、「反戦」という看板を利用しているだけなのではないだろうか。その証拠に、米国や日本以外の国の戦争行為や暴力行為に対して、彼らが反対の声を上げることはあまりない。彼らが、反米や反日のために「反戦」を利用しているのだとすれば、それこそ反戦を冒涜する行為だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
可逆性テストとは、自分が行為主から行為対象へ、あるいは行為対象から行為主へ変わってもその行為の正当性を維持し続けられるかどうかを問うものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、手段の有効性はどのように評価すればよいだろうか。実は、これこそが学問の営みである。予測力を持つ知識体系は、手段の有効性を評価するのに最も適した道具である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに深刻なことに、間違った報道には、多数の人に少しずつ被害をもたらすような場合も数多くある。この場合、被害総額は膨大でも、個々人の損害は少額のため、原告団の形成が極めて難しく、裁判に持ち込まれる心配がないという構造的問題が存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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    &lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ニーチェの考えをわかりやすく、小説という形で説明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やっぱりニーチェの考えに触れると勇気がもらえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
弱気になっている自分に違う次元で勇気を与えてくれる。&lt;br /&gt;
物事の見方の次元を上げてくれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ありがとうございます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現実は小説より奇なり。&lt;br /&gt;
まあ、当たり前なんだけどね。混沌とした現実から、一定のルールで物語を切り取ったのが小説なんだから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「しかし、同一でないものを同一とみなすことにより、概念は成立するんだ」&lt;br /&gt;
「それは抽象的な≪葉≫という概念が生まれるということですか？」&lt;br /&gt;
「うむ。≪葉≫という概念は、個別の差を捨てたり、忘れたりすることで形成される」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「男と女は相手について思い違いをしておる。結局、お互いに自分の理想を愛しているだけなんだ。男は女が柔和であることを望んでいるけど、女は猫に似て本質的には柔和ではない」&lt;br /&gt;
「今ほど女が尊敬されている時代はなかろう。これは、民主主義的な傾向だ」&lt;br /&gt;
「男女平等の世の中ですからね」&lt;br /&gt;
「それをいいことに、女性に対する尊敬が悪用された。結果、女は恥知らずになった。要求が底知らずになり、男を恐れなくなった。女は本能を捨ててしまった。女は堕落してしまったんだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ここで重要なのは、女が男のレベルまで堕落したということだよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「近代的理念によって女が女を破壊したのだ。問題は、それを助長する男がいること。連中はうまいこと女を説得して、女性らしさを喪失させ、男の愚行のすべてを真似させようとしておる」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「同じように≪普遍的真理≫は存在しない。要するに、誰にとっても真理になるようなものはありえないんだ。現実には≪個別の真理≫が存在するだけだ」&lt;br /&gt;
「≪普遍的真理≫も≪葉≫という概念も、人間の頭の中にしか存在しないと・・・」&lt;br /&gt;
「そういうことだ。解釈の数だけ真理は存在する」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「こうした学問でさえ、一種の世界解釈にすぎないんだ。現実世界に実在しない数字や記号を使って世界を描写しているだけ。その背後には生理的な欲望がある。先生はこれを≪権力への意志≫と呼ぶんだけどな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「不健康な真理だって？」&lt;br /&gt;
「そうだ。不健康な人間が生み出した真理だ。かつて、人間の価値をおとしめることにより権力を握った連中がいる。人間を病気にさせることが、彼らの生存にとって有利になったわけだ。かれらは≪真の世界≫という概念によって≪現実世界≫をおとしめた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「それをユダヤーキリスト教的価値転倒といってもいい。人生をよりよく生きること、優秀であること、権力、美、自分を信じることを徹底的に否定するために、かつて価値の転倒が行われたんだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「奴隷は自分が苦しんでいる現実を認めたくない。だから≪あの世≫に希望を託した。いつかメ救世主がやってくると信じこんだ。それと同時に、自分を苦しめる強い敵は≪道徳的に悪い≫、反対に弱い自分たちは≪道徳的に良い≫と決めつけた。こうした価値転倒によって、自分たちを優位に立たせたわけだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「この奴隷一揆の構造を利用して権力を握ったのがキリスト教なんだ。キリスト教はすべての弱いもの、ロクでもないものを味方につけた。弱者の呪いを集約して、高貴なもの、優れたもの、現実的なものに決戦を挑んだんだ。お前の先祖のパウロが言ってるよ。≪神は世の中の弱いものを、軽く見られているものを、お選びになる≫ってね！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「現在権力を握っているのは奴隷の神を利用した奴隷たちなんだよ。今の格差社会では奴隷が最上層部に君臨している。だから、正しい格差社会をつくらなければならないんだ」&lt;br /&gt;
「正しい格差社会だって？」&lt;br /&gt;
「そうだ。健全な社会では、高貴な人間がピラミッドの最上層部に座り、思いやりを持って大衆を支配するんだ」&lt;br /&gt;
「高貴な人間ってたとえば誰？」&lt;br /&gt;
「ボク」&lt;br /&gt;
「えーっ！それじゃあ単なる自己中じゃん」&lt;br /&gt;
「当たり前だ。他に何を中心にするんだ？好機ということは強者の自覚と自制心を持って判断の主体を引き受けるということだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「当たり前だ。道徳とはワタシたちがワタシたちの人生において発見するものなんだ。カントの言う≪普遍的な道徳≫≪普遍的な義務≫≪普遍的な善≫など幻想にすぎぬ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「こうしたばかばかしいカラクリによって、お前たちは権力を独占したのだ。プラトン、パウロ、カント、社会主義、民主主義というイデオロギー・・・」&lt;br /&gt;
なるほど。&lt;br /&gt;
真理は神のみぞ知るというわけか。&lt;br /&gt;
だから僧侶たちは、神の代弁人を名乗ることによって真理を独占し、強大な権力を手中にすることができたと…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「民主主義はたんに政治制度だけの問題ではない。それは、人間そのものが落ちぶれたこと、卑小になったこと、凡庸になったこと、価値が落ちたということだ。こんな愚劣なイデオロギーが世界を支配しておる」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人間の均等化と凡庸化だ。社会主義も民主主義も国家主義も発生源はキリスト教。そこで生み出されるのは、せいぜいが器用な労働者、口喧しい奴隷といったところだ。問題は現代人の多くが、民主主義が危険なイデオロギーであることを見抜けなくなっていることだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「完全に洗脳されているな。僕らにとって大切なのは、人間の歴史と文化を慎重に扱うことなんだ。それ以外にはない」&lt;br /&gt;
「民主主義は少数者、偉大な人間、特異な人間を排除するシステムに過ぎないんだ」&lt;br /&gt;
「でも、多数意見を採用する代わりに、少数者の権利をきちんと守るのが民主主義でもあるわけだろ」&lt;br /&gt;
「権利は他人に守られるものでもなければ、与えられるものでもない。強者は弱者からの同情など受けない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「≪神による選択≫だよ。多数意見が少数意見より優れているという根拠はどこにもない。それを保証しているのはキリスト教の神なんだ。かつて神が座っていた場所に、いまは民主主義が奉られている。人間は神の下に平等であるというイデオロギーにより、ヤツラはすべての偉大なものに決戦を仕掛けたんだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「イエスは自由な精神を持った男だった。すべての決まりごとを一切認めず、≪生命≫≪真理≫≪光≫といった精神的なものを、自分の言葉で語っただけだ。このイエスの人物像をどんどん歪めていったのが初代キリスト教団だ」&lt;br /&gt;
「イエスの弟子なのに、どうしてそんな裏切り行為を？」&lt;br /&gt;
「無論、権力を握るためだ」&lt;br /&gt;
「うーん」&lt;br /&gt;
「それで教団の宣伝に都合のいい≪キリスト像≫が捏造された。宗教にはまる人間は、信仰する神を理由に自分の弁解をするものだからな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「生む。本題はここからだ。キリスト教道徳は≪高貴な道徳≫を否定するために発生した。人生をよりよく生きること、優秀であること、権力、美、自分を信じること。こうした大切なものを徹底的に否定するために、ヤツラはまったく別の世界をでっちあげたのだ」&lt;br /&gt;
「別の世界？」&lt;br /&gt;
「そうだ。≪あの世＝真の世界＝神の国≫によって、現世をおとしめた」&lt;br /&gt;
「結局、イエスは利用されただけだったのか…」&lt;br /&gt;
「うむ」&lt;br /&gt;
「イエスの弟子たちは、あの世に希望を託すことにより、現世であきらめることを教えたと」&lt;br /&gt;
「少しは理解してきたかね？」&lt;br /&gt;
「はい。なんとなく」&lt;br /&gt;
「ヤツラは高貴な人間、強い人間を≪悪人≫と決めつけた。そして常に、心の弱い人間、お下劣な人間、できそこないの味方になってきた。こうして弱者の恨みや呪いを集約し、強大な権力を手に入れたのだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分たちの薄汚い呪いを≪普遍的真理≫に結びつける。神を歪めて≪善≫を独占する。価値観を共有できないものを≪悪≫と決めつけ断罪する。こうしたキリスト教の独善性は、近代イデオロギーにそのまま引き継がれてるんだ」&lt;br /&gt;
「ニーチェが≪民主主義はキリスト教の継承≫って言ったのはそういう意味？」&lt;br /&gt;
「そういう意味。ついでに『アメリカ独立宣言』から引用しておこう」&lt;br /&gt;
≪我々は以下の諸事実を自明なものとみなす。すべての人間は平等に作られており、創造主により、生存、自由、幸福の追求を含む、譲り渡すことのできない権利を与えられている≫&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「つまり、法の権威を≪神≫と≪祖先≫で理由づけるのか…」&lt;br /&gt;
「うむ。こうして民族は無意識になる。先ほど三木君が説明してくれたようだが、≪民族の本能≫は長年の経験により、意識的なものが排除されることで生まれるのだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「民族は≪民族の神≫というフィクションを持つ。民族は≪民族の法典≫というフィクションを持つ。民族は≪民族の歴史≫というフィクションを持つ。これが長年にわたる経験と知恵、犠牲のうえに手に入れた≪民族の真理≫なんだ」&lt;br /&gt;
「民族の真理…」&lt;br /&gt;
「神は本来、民族において、民族の強さや民族の権力を求める感情であった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民族の真理は、民族の美意識と自己肯定によって生まれる。&lt;br /&gt;
民族の真理は、民族の経験と犠牲のうえに立ち現れる。&lt;br /&gt;
健康な民族は健康な真理を持つ。&lt;br /&gt;
神は鏡のように、民族の姿を映し出す。&lt;br /&gt;
健康な民族は健康な髪をもつ。&lt;br /&gt;
神の国は、現実社会そのものである。&lt;br /&gt;
神は≪民族の真理≫しか映さない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「こういう神は単純なものではない。人間にとって有益でもあり有害でもある。味方でもあり敵でもある。よいことにおいても悪いことにおいても神は必要とされる。それが本当の神の姿なんだ」&lt;br /&gt;
「キリスト教の神とはだいぶ違いますね」&lt;br /&gt;
「うむ。神は僧侶たちの都合のいい道具になってしまった。ヤツラは＜すべての幸福は神のおかげだ＞≪すべての不幸は神を信じないことへの罰だ≫などと言い始めた」&lt;br /&gt;
「なるほど」&lt;br /&gt;
「ヤツラのせいで、神と土地・自然・民族派結びつかなくなってしまった。つまりキリスト教とは、民族の価値、あらゆる固有の価値に対する呪いなんだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
空想の産物でしかない≪普遍的真理≫を設定し独占すること。&lt;br /&gt;
≪絶対的な善≫を自称し、≪悪≫と決めつけたものを排除すること。&lt;br /&gt;
≪あの世≫というフィクションを利用して≪この世≫を否定すること。&lt;br /&gt;
キリスト教は自分たちの組織を永遠化するために、不幸そのものを生み出してきた。&lt;br /&gt;
つまり、不健康な真理。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「民族が徹底的にダメになっていくとき、すっかりあきらめてしまったとき、敵に屈服することが一番良い選択だと考えるようになった時、民族の神は変質してしまう。今の日本のようにな…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真の世界は存在しない！&lt;br /&gt;
ただ個別の世界が存在するだけだ。生物は自らの生存に都合がいいように、生々流転しているカオスの中から＜世界＞を切り取っている。つまり、世界とは≪権力への意志≫による解釈にすぎない。世界は人間にとって必要不可欠な虚構である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対立と犠牲を恐れるな！&lt;br /&gt;
高いところから見下した、抽象的で一般的な≪真理≫≪道徳≫など、どこにも存在しない。高貴な人間は、他人の価値基準に従うのではなく、≪自分の真理≫≪自分の道徳≫を、勝ち取っていくものなのだ。そこでは、世間との対立と犠牲を恐れずに、自分の判断に良心を持つことが必要とされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「つまり我々は世間と大きく距離をとっているわけだ。そして強者の自覚を持っている。他人が≪もうダメだ≫と言いだすところに、迷路の中に、厳しい人間関係の中に、そしてものごとを試すことの中に、自分の幸福を見つけるんだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
≪精神的な人間は重い課題を特権とみなす。そして、弱い人間だったら押しつぶされてしまうと感じるような重荷を、もてあそぶのだ＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4022646241&amp;linkId=e3045880f1b0c224c8f97f23b15dab9a&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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    &lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年12月に発足した安倍政権の経済政策、通称アベノミクス、から5年が過ぎた。&lt;br /&gt;
その結果の判定云々を言うより、どうしてそのような政策が最適だと判断したのかを、当時は全く分からなかった。単に、疑問点ばかりあったが、自ら調べようともしていなかった。そして現在もその傾向はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政策は手段にすぎない。手段の妥当性に関して発言権を国民は持っているとは思えない。さらに、何のための政策なのか、という目的の妥当性についても同様に国民は蚊帳の外である。&lt;br /&gt;
そもそもどうなりたいのか、というビジョンをだれか発信し続けているのだろうか。おそらく、選挙期間中の候補者しか声高に発言はしていないように思える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
資本主義社会において、発言力が強いのは資本の多いほうである。それは、マスメディアと政治家（ロビー活動など）への影響力も資本力と比例することがアベノミクスで確認できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どこまで見ず知らずの人間のことまで考えて行動できるのか。&lt;br /&gt;
自分だけか、家族のことだけか、所属している組織か、住んでいる地域か、国籍か、地球か、将来1000年後に対してもか。&lt;br /&gt;
どこの範囲まで自分の行動の影響を考慮して動いているのか。その目的と影響を及ぼす範囲は一致しているのか。&lt;br /&gt;
自分の利益のためにほかの人が害をこうむっても良しとする根拠は何か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の利得というものは絶対的なものではない。相対的なものである。他者がいないと有利も得もない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一つのルールそれ自体は、一つの価値であり、多数に共有されていることから必然的に偏りを生み出す。つまり、全員が平等であるルールなど存在しないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、どうすればいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
課題かな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、TPPによって日本の産業が成長するのかという問題ですが、もしそうなら、とっくに成長しているはずでしょう。&lt;br /&gt;
産業の発展の部分でいうと、TPPの中でも関税の撤廃に関するところの話になりますが、日本の関税というのは米などごく一部を除いて、非常に高いレベルをすでに達成できています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
TPPによって関税が撤廃されると、そこは完全なる弱肉強食の世界になります。「みんな同じ条件ではないか」と思われるかもしれませんが、強いもの＝巨大な資本を持つものが圧倒的に有利になります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米韓FTAとは、アメリカと韓国が結んだ自由貿易協定ですが、これを結んだ結果、韓国企業の株は次々と外資に買われ、銀行まで外資に支配されることになりました。&lt;br /&gt;
会社自体は韓国にあって、韓国人たちが働いているので、韓国の企業のように見えても、実は株主に完全に外資で、企業の利益の多くが株主である外資に流れていくという構造になってしまいました。&lt;br /&gt;
韓国人労働者たちは、外資にお金を渡すために、日々、せっせと働いているという状態になってしまったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日銀の当座預金のお金が増えると、銀行はその金額に一定額をかけた金額を貸し出すことができるようになります。これが「準備預金制度」というものです。&lt;br /&gt;
銀行は、日銀の当座預金の金額に応じて、貸し出せる額が決まるというわけです。&lt;br /&gt;
ですから、理論的には日銀の当座預金の金額が増えれば、銀行が貸し出せる金額も増えるので、世の中に流通するお金も増えるということになります。&lt;br /&gt;
このように、市中銀行が企業や個人にお金を貸し出すことによって、世の中のお金の量（マネーストック）が増えることになります。&lt;br /&gt;
景気を良くするためには、ただマネタリーベースが増えただけではだめで、マネーストックが増え、なおかつそのお金の循環がよくならないといけません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党の国会議員の票は、議員の選挙区の市会議員、県会議員が票を取りまとめえたものが基盤となっています。&lt;br /&gt;
その証拠に、2013年末、自民党の森屋宏参議院議員が、地元の県会議員21人に「お歳暮」として贈答用の牛肉を送り、問題になりました。&lt;br /&gt;
公職選挙法では、政治家が選挙区内の有権者に金品を寄付することは禁じられていますから、完全に違法です。&lt;br /&gt;
でも、やってしまったのは、「あなた方のおかげで当選できました。ありがとう」という気持ちをどうしても表したかったからでしょう。&lt;br /&gt;
自ら、「自分が参議院議員に当選できたのは、あなた方県会議員たちが票を取りまとめてくれたおかげです」と言っているようなものです。&lt;br /&gt;
さらにここで問題視したいのは、自民党の場合、こうした地方の県会議員、市会議員の多くが、実は土建屋の社長や元社長たちだということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マクロ経済的に考えても、1000人弱しかお金を使わない状態よりも、20万人全員がお金を使うようになるほうが、経済効果は明らかに高いはずです。&lt;br /&gt;
それなのに、どうして土建屋だけにお金を渡すのでしょうか。&lt;br /&gt;
その理由は、先ほどの「若い男（議員秘書）」が教えてくれました。&lt;br /&gt;
1つは土建屋から賄賂がもらえるから、もう1つは土建屋が次の選挙でも票を取りまとめてくれるからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
土木工事よりも多くの付加価値を産むような投資先はないのかについて、議論の余地が大いにあると思うわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
価値（富）の量よりも通貨の量が多い状態をインフレ、価値（富）の量よりも通貨の量が少ない状態をデフレと呼ぶのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
必要なことをやるだけなのに、それを景気対策と言ってしまうのはおかしいでしょう。&lt;br /&gt;
震災被害を受けた建物などを直したり、来るべき次の大災害に備えるというのは、景気がどうこうという話をは別次元の問題です。&lt;br /&gt;
やるべきだというニーズにこたえて、当たり前のことを当たり前にやるという話ではなく、日本という国がどういう国になるのかというビジョンを描くのが「政策」です。&lt;br /&gt;
そのビジョンに従って、どの分野にどのくらい、どうやって財政出動するのかを決めるのが「財政政策」でしょう。&lt;br /&gt;
昔の通産省は、そういう仕事をしていました。どの産業を支援し、どの産業を捨てるかという、国家のビジョンを決めていたのです。ある時期に、繊維産業を捨てて、自動車産業を選び、支援していくことに決めたようですが、それが正しいかどうかは別として、そういう風に大きなビジョンを描いて、実行するのが政策というものです。&lt;br /&gt;
あえて「国土強靭化」などと叫ぶというのは、私には「土建屋へのばらまき」を正当化する詭弁に聞こえてしまうのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「民間議員」とは、国政選挙で選ばれたのではなく、内閣府が指名した民間人が議員扱いになって、重要な国の会議（例えば、経済財政諮問会議、国家戦略特区諮問会議、産業競争力会議など）に参加し、投票権（議決権）を持つ人たちのことです。&lt;br /&gt;
そもそも「民間議員」などという存在は民主主義への挑戦ともいえる、とんでもない制度です。民主主義において正当に選ばれた人以外の人が政治に関わるというのはあってはならないことです。「国民主権」という政治の根本を揺るがす事態と言っていいでしょう。本来は、多くの国民が怒りの声を上げるべき問題です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、「規制の緩和」とは、参入が阻まれていた、あるいは一定のところまでで制限されていた規制を取り払って、新規参入、もしくは市場拡大することによって儲けようという人たちのロビー活動なのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
実際、アメリカでは、秘密保持条約であるTPPはアメリカ議員の議員ではなく、このようなロビイストたちの発案によって作られています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした動きを総合的に見て考えてみますと、第三の矢の「成長戦略」とは、TPP締結後に外国人を受け入れるための規制緩和と、人材派遣会社が儲かるための雇用の流動化と、ごく一部の企業が儲かるためのカジノ構想であるといわれても仕方がないのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「景気がいい」というのは、世の中の「お金の回転速度が速い」ことを意味します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここでわかるのは、「お金を増やしただけでは景気は良くならない。消費者がその増えて青金を十分に消費に使わないといけない」ということです。&lt;br /&gt;
景気対策の根本は「たくさんの一般消費者にどれだけ安心してお金を使ってもらえるようにするか」なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、トヨタの過去最高益更新の理由は「アベノミクスによって自動車の販売台数が伸びたから」などではなく、「円安になったから」と「アベノミクスの効果が及ばない海外での自動車の販売台数が伸びたから（しかも、輸出ではなく、現地生産）」なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信用保証で大儲けし株主配当をもらい、建設会社の資金繰りが悪化すれば融資をし、下請け業者からは手形割引で儲ける。&lt;br /&gt;
銀行は、いまの建設業界の支払いシステムを絶対に変えたくないはずです。おいしい天下り先を絶対に手放したくない国土交通省と利害が一致します。&lt;br /&gt;
そして、さらにその裏には自民党の建設族の族議員たちがいて、それを見て見ぬふり（あるいは、積極的に支援）することで、その利権のおこぼれをもらっているという図式が見えてきます。&lt;br /&gt;
「アベノミクス」の第二の矢「財政出動」の裏側には、国民のほとんどが知らない自民党の公共工事の闇が潜んでいたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は、この東日本建設業保証株式会社と西日本建設業保証株式会社は、決して最近できた会社ではありません。両社とも、昭和27年に設立され、建設省時代から官僚たちが、裏金を作るための天下り先として代々育ててきたものなのです。&lt;br /&gt;
日本には、この会社のように、官僚が裏金を作ったり、天下って私腹を肥やすための組織があふれています。もちろん、先に書いたように5月成立予定のカジノ法は、同様な利権をけた違いの規模で生み出します。&lt;br /&gt;
工事の支払いの方法を国際標準に変えるだけで、税金の無駄使いも減り、多くの建設会社の資金振りがよくなり、さらに多くの中小下請け企業の資金繰りもよくなるのは明らかなのにもかかわらず、この2社のように、絶対に変えようとはしない利権が山のようにあるわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
内閣人事局の創設とは、すなわち「国会で過半数を取れなくても、比較第一党であれば、十分に大きな権力を行使できるようにするための、官僚コントロール機関の創設」なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも18歳に引き下げた理由は、若年層のほうが右傾化しやすく、また経験が浅い分、プロパガンダに乗せやすいということがあると思います。&lt;br /&gt;
超高齢社会の日本の高齢者層には戦中戦後の苦労を知っている人が多く、また戦後の平和憲法は絶対的に素晴らしいと教育されてきた世代なので、憲法改正には否定的な人が多いと読んだのだと思います。&lt;br /&gt;
その分は、戦争を知らない若年層の票でカバーしようという意図なのでしょう。いずれにしても、その先にある「本当にやりたい」憲法改正への布石であることは間違いありません。&lt;br /&gt;
そして、先ほども見たように、自民党の憲法改正案というのは「憲法9条の改正に見せかけた内閣への権力集中（＝国民主権の破壊）」であることを見抜いておく必要があるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、技術の共有化を含め、原子力分野ではアメリカと日本はもう切っても切れない関係になってしまっているわけです。&lt;br /&gt;
バイデン副大統領は、このことをきちんと理解して原子力政策を講じるように、安倍首相にプレッシャーをかけました。もちろん、アメリカにとってビジネスとしてうま味が大きいからです。&lt;br /&gt;
安倍首相が、原発の売り込みのために海外に出かけて行っていますが、あれはアメリカに言われてやらざるを得ないからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本人の多くが誤解していますが、日米安全保障条約というのは、「日本が戦争に巻き込まれたり、巻き込まれそうになった時、アメリカ軍が日本を守ってくれる条約」ではありません。&lt;br /&gt;
日米安全保障条約とは、有事の際は日本の自衛隊がアメリカ軍のコマンドコントロール下に入って、アメリカの言うとおりに動くようにするための条約なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでのようにアメリカ政府を動かす軍需産業や国際金融資本の言いなりになって、彼らの軍門に下るのか。あるいは別の集団を構築し、日本独自の「経済平和路線」へと突き進むのか。&lt;br /&gt;
それを決めるのは、アメリカではなく、われわれ日本人であるはずです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまで見てきてわかるのは、アベノミクスというのは「円安によって演出された好景気」を隠れ蓑にして、アメリカの一部の支配者の要求を飲んで、彼らが扱いやすい日本を作り上げることだということです。&lt;br /&gt;
これは、「好景気で支持を得ておいて、その隙に日本の民主主義を破壊し、主権者である日本国民の権利を奪うこと」を意味します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
振込手数料というのは詐欺のようなものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、銀行のATMで引き出せる限度額は、金融庁からの通達によって、通常のキャッシュカードではほとんどの銀行で50万円までとなっていますし、現金での振り込み限度額に至っては10万円までとなっています。&lt;br /&gt;
オレオレ詐欺対策とか、マネーロンダリング防止とか、北朝鮮の偽札対策とか、いろいろなことが言われていますが、本当の理由はそんなところにはありません。&lt;br /&gt;
オレオレ詐欺対策なら、金融庁ではなく警察が指示を出すはずですし、マネーロンダリングにしても、金融庁から国家公安委員会へ管轄が移管されていますから、金融庁から通達が出るといいうのはおかしな話です。北朝鮮の偽札なら、おそらくATMが見破って、はじいてくれることでしょう。&lt;br /&gt;
どう考えても、「キャッシュで取引を減らしたい」と考える勢力による圧力なわけです。だから、警察や国家公安委員会のような組織ではなく、金融庁から通達が来るのです。&lt;br /&gt;
私は「カードや電子マネーでは、消費マインドは高まらない」と思っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金融機関を儲けさせるだけの「非現金主義」はやめて、現金取引をもっと活発化させることが、景気回復の近道になるはずです。&lt;br /&gt;
そもそも、クレジットカード会社や銀行などの金融機関を儲けさせるシステムは、多くの一般消費者から少しずつお金を集めて、巨大企業に利益を集中させる仕組みです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アベノミクスでやるべきことは「雇用の流動性」ではなく、逆の「雇用の安定」による消費性向の増大だと思うのですが、どうもそうした動きは見られません。&lt;br /&gt;
ただし、「宵越しの金を持たない」ようにする（＝消費を拡大して景気を良くする）ためには、「雇用の安定」だけでは足りません。&lt;br /&gt;
老後の心配もないようにしなければ無理です。&lt;br /&gt;
いま、貯蓄をしている人の多くは、その理由を「老後が心配だから」と答えています。&lt;br /&gt;
つまり、「老後も安心して消費できる社会」を実現する必要があるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
規制は産業の成長とは基本的に関係ありません。悪い部分があるとすれば、その規制を監督する官庁の役人の天下りを許してしまうという点でしょう。&lt;br /&gt;
規制というのは法律ではないので、監督官庁の担当者のさじ加減１つでどうにでもなってしまいます。業界として、その監督官庁の言うことを聞かざるを得なくなるシステムなのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともと、規制とは法律で決められたものではなく、監督官庁が自分たちの都合のいいルールで許認可をあたえるという、非常にあいまいかつ超法規的なものです。そのため、許認可権を持っている官庁がその業界に天下りするという悪弊がまかり通ってしまうのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国が株を保有している会社は「民営化した」とは言えません。国が株を持っているのであれば、それは「民営化」ではなく、単なる「株式会社化」にすぎません。&lt;br /&gt;
実は、官庁にとって、この株式会社化には非常に大きなメリットがあります。最も大きなものは、会計検査院の目がかわせるということです。&lt;br /&gt;
会計検査院の目がかわせると、裏金が簡単に作れるようになります。&lt;br /&gt;
官僚の人たちの中には、そうした裏金作りに長けた人もいて、官僚をしている間に見事なまでに裏金をプールしていきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民営化された元道路公団には子会社、孫会社がたくさんあります。元道路公団の会社本体ぐらいまでは、ある程度、会計検査院もチェックできるかもしれませんが、孫会社、例えば首都高速道路株式会社の子会社・首都高トールサービス株式会社あたりになってしまうと、もうお手上げです。もちろん、これらの会社には天下りがたくさんいます。&lt;br /&gt;
どこでどうなっているか、外部の人間にはまったくわかりません。&lt;br /&gt;
民営化というのは、要するに株式会社化することで、会計検査院の目を逃れ、裏金を「正当な労働への報酬」へとロンダリングするための手法なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
規制は天下りの温床になりますし、適度な競争は消費者にとっては価格の適正化やサービスの向上が期待できるので、必要なものは法制化して、あいまいは規制は撤廃するのが望ましいのです。&lt;br /&gt;
ですが、規制を取り払ったからといって産業が成長するわけではない、つまり規制緩和は経済政策でも何でもないということです。&lt;br /&gt;
経済政策でも何でもないものを「～ミクス」と呼ぶのはおかしな話ですし、現実問題として、規制緩和をすれば産業が成長するなどということはなく、単なる天下り先の確保と、政治家へのロビー活動に力を入れている企業が利益を奪い取るための政策にすぎません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とにかく、国民一人一人が「消費をしよう」と思うようになることをやってください。&lt;br /&gt;
「国債は国の借金」だなどと、ウソを広めるのはやめてください。日本の国債は日本人が円で買っているのですから、借金などではなく「国民が国に貸している貸付金であり、貯金と同じ」なはずです。&lt;br /&gt;
「国民一人当たり900万円の借金」なんて言うウソもやめて下さい。国民は国にお金を貸している側であって、返す側ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=B00MW55GY6&amp;linkId=bb98414e1a08e2eeba2a4d6ea6f738cd&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
    &lt;/iframe&gt;&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/3478283539529655694/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/3478283539529655694' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/3478283539529655694'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/3478283539529655694'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2018/01/135.html' title='アベノミクスを超えて（食べる読書135）'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-6707951796094380954</id><published>2017-11-16T19:09:00.000+09:00</published><updated>2017-11-16T19:09:32.977+09:00</updated><title type='text'>フェイクニュースの見分け方（食べる読書134）</title><content type='html'>&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=410610721X&amp;linkId=3636ea15344112dccb0862390a2e408e&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
    &lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以前、日経新聞を取っていたことがある。2年ほどとって読んでいたが、何の役にも立たないと感じてやめた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理由は、記事の内容だけでなく、その記事が掲載される理由や背景までは載っていないからである。単なるデータとしての情報しか載っていないと感じたからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日経新聞だからだろうが、リアリティを感じなかった。地方紙なら少しはリアリティを感じたかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何が言いたいかというと、なぜ人は情報を得るのかということだ。情報を得る”目的”は何か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情報は、目的達成のための判断材料として活用するもののはずだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情報を得ること自体が目的ではないはずだ、と私は信じているしそういう人生にしたいと考えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情報に対して主体的でいたいのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今はもうそういうことはないだろうが、日経新聞を読んでいるだけで周囲から（上司などから）評価されたりするのは、情報収集自体が目的化している事例だろう。情報収集自体が権威化していて、情報自体の真偽などは問われていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情報源が限られると、その情報源自体が権威を持つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういう構造を把握したうえで、その情報発信側に回るなら、「社会における情報発信の実態」という情報を判断材料にしたのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、これでも不十分だ。「何のために」という目的が不明確だからである。単に甘い汁を吸えそうだからという目的なのか、真実を社会に伝えるという目的なのか、行動だけからはわからないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社会がどのように成り立っているのか、誰もわからないだろう。しかし、少なくとも多くの人が様々な目的の基に日々動いているのだけは確かだろう。それは複雑でとらえることはできない。&lt;br /&gt;
だからこそ、情報が生まれる。既知のものであったり常識はニュース（情報）にはならないだろう。様々な思惑が交錯するからこそ、相対的な得や損が生まれる。&lt;br /&gt;
それをとらえるための”情報”なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その「人から生まれる情報の背景やその人の思惑、葛藤」も込みの情報が必要なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人と人が交わり交流することで社会は動く。この基本を満たすには、情報の基となる「情」も伝わらないといけない。どうしてこの情報からその判断をしたのか、その決断の意図はなにか、などなど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情報の連鎖が、交流であり社会の営みであり進展の元である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
得た情報をもとに決断を下し、その下した決断がほかの人にとっての判断材料としての情報となる。この連鎖である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逆に言うと、その情報から発信者がどんな人物かがわかるのが情報である。すると、その情報から物事が広がっていくのではないか。様々な思惑を胸に様々な人が彼にアプローチするだろうからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、考えると、マスメディアのありかた云々ではなく、社会のダイナミズムを見ることで情報の質がわかるのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、この考えも雑すぎる。情報とは何か、が明確でない。入力、加工、出力のどこをどう変えればどう変わるのかもわかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情報と単語1つで語ることはできない。ここから出発しないといけないのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら、少なくとも、自分が影響力を及ぼせない範囲の情報は単なる権威化もしくはエンターテイメント化しやすいと考える。マスメディアはそれを促進させる力があると考える。&lt;br /&gt;
自分事として見れるか、つまり自分の影響力の範囲を広げられるかどうか、情報を選別する目を持つには参考になる1冊だと感じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「公開情報」を情報源にして相手を分析していく活動を「オシント＝OSINT（Open Source Inteligence）」という。それに対して人間を情報源にして聞き出し、分析する活動を「ヒューミント＝HUMINT（Human Source Inteligence）」という。ほかには通信の傍受や電話・メールの盗聴など「シギント＝SIGINT（Signals Inteligence）」もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政治団体の政府・与党への影響力を報告する内容なのに「カネの流れ」「人の動き」というもっとも基本的な事実をなぜ調べないのか、私には理解できない。「新聞記事を調べる」というのは、公開情報調査の初歩の初歩だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・膨大な公開情報を蓄積し分析することがインテリジェンスの第一歩である。&lt;br /&gt;
・95％の公開情報を分析することで5％の独自情報が意味を持つ。&lt;br /&gt;
・マスメディアで流れてきた情報を疑う第一歩は、他の公開情報を調べてクロスチェックすることである。ネットはそのために有効なツールである。&lt;br /&gt;
・Gサーチ、アマゾン、図書館のネット検索システムは「使える」データベースである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
誰もが言論を発信し始めてみると、旧型メディアに連なっていた発言者より、はるかに優れた知識、感性、着想や思考力を持つ人材が多数いることが分かってきた。発言者がマスメディアに関係していることが、その言論の価値を保証しなくなったのである。そうした旧来型の特権発言者の名残が形式だけ残っているのが、新聞の「社説」「コラム」であるが、それらはもはや何ら社会的価値を担保しない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政権が自分の政策に都合がいいようにマスメディアをコントロールしようとするのは、洋の東西を問わず、どこの国でも当たり前である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
要は「報道が権力を本気で監視するなら、権力はあらゆる手を使って逆襲してくる」という心構えが欠けている。報道と権力の関係はそういう「戦争状態」「緊張状態」がデフォルトだという認識が足りないのだ。&lt;br /&gt;
さらに、そうした苦情や批判を先読みして「権力からの苦情が来そうな報道はやめておこう」と手控えるような姿勢は「自己検閲」という報道側の病理現象である。これは権力からの圧力や介入とは関係がない。あくまでマスメディア企業側の病気である。自らの落ち度を政権のせいにしてはいけない。問題の所在が見えなくなるだけ有害だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「反論」「再反論」という討論を「正誤、善悪、勝負を決める」のが目的だと受け取る人が多い。これは誤解である。公に開かれた討論は本来、読者が「何が真実なのか」を考える判断材料を提供するプロセスなのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「マスメディアの取材がなければ起きなかった出来事」を「メディア・イベント」という。役所や関係先だけで祝賀行事があり、そこにマスコミが集まって取材する。その小さな空間での出来事が「地元の反応」というパッケージでマスメディアに載る。&lt;br /&gt;
記者はこうしたメディア・イベントや関係先への取材で聞いた発言内容を並べて記事を書く。しかし、現実は記者が期待するよりずっと地味で、まとまりがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新聞やテレビに限らず、一般に、根拠となる事実が弱いと、修飾語が過剰に強く、大げさになる傾向がある。論拠の強い事実があると、その事実を余計な形容なく描写するだけで、その主張や分析の正しさはたちどころに証明される。それがない、事実が弱いと分かっていると、人間は無意識にそれを補おうとして言葉が強くなる。だから「意気込んだ」「決意を語った」「胸を張った」的な強い修飾語が頻出している文章を見ると、私は疑うようにしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ビッグ・ピクチャー」とは、ある事実Fがあった時に「空間軸」と「時間軸」を広げ、その座標軸に事実Fを置いて検証しなおしてみることだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで私が勧めたいのは、「『記者が何を書いたか』ではなく、むしろ『何を書かなかったのか』に注意を向ける習慣を身につける」ということだ。何を書かなかったのか、何が書かれていないのか、疑ってほしいのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来報道が検証すべきは「国の新しい住民避難策は被爆を防ぐのに有効なのか」だった。しかし朝日の記事はその検証を怠り、問題を発見できていない。だから、被爆を招くことが自明の避難政策の欠陥を指摘できないままに終わっている。そして枝葉末節（モニタリングポストの数）の論争をしかけている。&lt;br /&gt;
こうした欠陥記事が有害なのは、本当の問題点から目がそれてしまうことだ。「避難策は基本的にこれでいいのだな。モニタリングの数だけが問題なのだな」と世論が誤った方向へミスリードされるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フェアネス原則は「ニュートラル原則」（取材対象に利害関係を持たない）や「インディペンデンス原則」（他社の介入を許さず自己決定権を持つ）に並ぶ重要な原則である。この「フェア」の概念をマスメディア上の情報に当てはめてみると「ポジティブな内容もネガティブな内容も両方が記述してある」意味になる。&lt;br /&gt;
現実は「善悪」がすっぱり割り切れることのほうがむしろ少ない。「完全な悪人」も「完全な善人」も現実にはいない。どんな人間にも善悪両面が同居している。善人に見えても、欠点のない人はいない。また悪人に見えても、美点が必ずある。&lt;br /&gt;
裏返していえば、実在する人間を「完全な善人」または「完全な悪人」であるかのように見せる表現は、現実から離れている。フィクションに近づいている。つまり情報の記述がフェアであるかどうかは、それが「現実に近いかどうか」「事実に近いかどうか」の指標にもなる。こうした「フェア度」による事実かどうかの判定を、和足は「フェアネス・チェック」と呼んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（1）複雑な現実より、単純な話のほうがより多数が理解しやすい。読者や視聴者が増える。より「視聴率」や「販売部数」を増加させる。それが筆者の「人気」「知名度」「収入」に反映する。&lt;br /&gt;
（2）複雑な現実を理解し記述をまとめるには、より高い取材・発信者の力量が必要。&lt;br /&gt;
（3）複雑な現実を取材するには、時間や労力などコストがよりかかる。短時間、少ない人数、少ない取材費など低いコストで取材を求められる場合、複雑で多面的な現実より、単純で一面的な話でまとめたいという動機が生まれる。&lt;br /&gt;
（4）ポジティブな話だけを流すほうが、取材者相手が好意的に迎える。ネガティブな話も合わせては流そうとすると相手が嫌がり、取材が難航する。またネガティブな話を公開すると関係が悪化する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現実はかくも矛盾し、ねじれている。血のにじむような努力を重ねた人間が敗れ去る。特に努力したわけでもない人間が成功する。誠実な人間が裏切られ、嘘つきが勝つ。巨万の富や権力を得る。犯罪者は逃れ、犠牲者の無念は報われない。大義もなく戦争が起こり、街が破壊され、人々が虐殺される。貧しいものはますます奪われ、富める者はますます豊かになる。&lt;br /&gt;
ところが、そうした現実に倦んだ人々は、マスメディアに「現実と反対の、単純化あるいは理想化された物語」を求める。テレビやインターネットなどマスメディアのプラットフォームが同じだと、報道にもその感覚が無原則に持ち込まれる。発信する側も「そのほうが人気が取れる」と価値判断がそちらに傾斜する。インターネット登場後、情報の流通量としては「現実の単純化」の傾向はますますひどくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（1）西洋キリスト教型社会の文化や価値観・価値尺度に当てはめて、違う文化を持つ日本の社会や文化を語る。&lt;br /&gt;
（2）記者は日本の社会文化や歴史を深く知らない。日本語が不自由。日本語の本や新聞が読めない。日本語の出版物ではとっくに決着がついている問題を延々と蒸し返す。&lt;br /&gt;
（3）日本をほめて「それにひきかえ我が国は」と自国批判に使う。&lt;br /&gt;
（4）映画「ラストサムライ」のような映画・ドラマ・小説に影響される。&lt;br /&gt;
（5）アメリカの場合、アメリカ国内にいる日本人（日系アメリカ人、駐在員、イチローらメジャーリーグ選手など）に影響される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
過ちであっても、それが社会に共有され「なぜ誤ったのか」を社会が考えるプロセスこそが、社会全体の知を向上させるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
言葉の定義を明確にすることは、論点を明確にすることでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米国では広告代理店やPR（パブリック・リレーション）会社の重要な仕事はこうした「認識形成」あるいは「印象操作」である。企業や政府などクライアントの意向に従って、好ましい世論をつくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
専門家たちは、科学や合理に基づいた真実を発言するとは限らない。「利害」や「立場」にそって発言をする。それが日本社会が原発事故で知った大きな教訓である。本来は、そういうバックグラウンドや利害関係、立場を含めて記事は読者に知らせるべきなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どんな集団にも、その構成員が従うルールがある。それを調べておくと、その構成員の行動が理解しやすくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が若い記者だったころ、先輩が教えてくれた重要な教訓は「警察を取材するなら警察官職務執行法や刑事訴訟法、自衛隊を取材するなら自衛隊法など、相手の身分や組織、権限を規定した法律を読んでおきなさい」だった。相手が従う法律を知っておけば、その行動が読めるからだ。これは本当にその通りだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「法律は権力の言語」だと私は思う。法律をどう決めるかで、政府や国会が隠している「本音」がわかるのだ。3.11から真剣に教訓を学び、同じ過ちを繰り返さないためには、住民避難を決める法律のダブりを早く解消しなければならない。しかし、この論点は問題として指摘すらされていない。こうした事実は「国は3.11の住民避難の失敗を改善する意思がない」と暗に語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前提になっている条件を逆にしてみると、すべてに合理的な説明がつくことがある。その場合、逆にした前提のほうが正しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（誤）「政府の規制があった」しかし「福島第一原発の津波想定はずさんだった」&lt;br /&gt;
このロジックのままなぜ？という発問をしても、辻褄が合わない。では、これを反対にひっくり返してみる。&lt;br /&gt;
（正）「政府の規制がなかった」ゆえに「福島第一原発の津波想定はずさんだった」&lt;br /&gt;
これで辻褄が合う。つまり最初の前提・仮定が間違っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「何かわからないが、重要な要素がまだ発見されていないと仮定するとすべてに合理的な説明がつく」という要素を英語で”the X factor”（エックスファクター。要素X）という。「どうも筋が通らない」「腑に落ちない」と感じるときは「何か重要な要素Xがまだ発見されていない」と仮定してみるといい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実際にアメリカでは、広告代理店が無関係な市民を装って、ネットで企業や政府に好意的な意見を発信し、世論を偽造することは「アストロターフィング」（人工芝）と言って日常化している。日本でも当然、そういった業態はあるのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=410610721X&amp;linkId=3636ea15344112dccb0862390a2e408e&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
    &lt;/iframe&gt;&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/6707951796094380954/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/6707951796094380954' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/6707951796094380954'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/6707951796094380954'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2017/11/134.html' title='フェイクニュースの見分け方（食べる読書134）'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-3210524507278063956</id><published>2017-10-31T01:24:00.000+09:00</published><updated>2017-10-31T01:27:43.438+09:00</updated><title type='text'>独裁者に原爆を売る男たち（食べる読書133）</title><content type='html'>&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4166609416&amp;linkId=1e91456fceca8fb61cf24b81d5af4abb&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社会のルール設定の基となる考え、根拠は何だろうか。&lt;br /&gt;
様々あるだろうが、社会を構成する人間の存在を保障することを目的としてルールができるのではないか。&lt;br /&gt;
人々の存在を保障するようなルールがその社会のルールの大原則となると考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということは、逆に、人々の存在を危険にさらす何かしらが”力”を持つことも意味しているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代においては、細菌兵器や核兵器などである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、国家の優位性を相対的に確保するために核兵器が交渉の武器として使われているのが現状である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
決して倫理的文脈で核兵器の是非は論じられないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、同様に論じられないのが、「人間が何のために存在しているか」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人々の存在を脅かす核兵器であるが、人々が何のために存在しているか、その”何か”が核兵器によって我々が滅びても存続するのなら核兵器は現在のような交渉のためのカードとしての力を失うだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしくは、われわれがあえて核兵器によって滅びることによってその”何か”が存続する場合も同様となるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マズローの欲求5段階説における第2階層の「安全欲求」が交渉の対象となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、経済制裁は世界全体の営みに参加するという意味で、第3階層の「社会的欲求」になるだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いずれにしろ、科学技術が人類のさらなる進化のために活用されているとは考えづらい。&lt;br /&gt;
物質的な側面における存在が重視されており、それが全世界共通認識となっているため人々の存在を脅かすカードとして核兵器が力を持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
われわれの身体が、物質でできている限り、われわれの身体への危険はなくならない。われわれの身体を危険にさらす物質も存在するし、その扱い方が重要であることもわかっている。&lt;br /&gt;
しかし、その扱い方を決める根本的根拠は、物質的側面でいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこが大事なのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
物質世界のものの扱い方を物質世界の次元を根拠に決めていいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
物質世界の結果をどうとらえるのか、解釈するのかは別次元である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マズローの欲求5段階説でいえば、「自己実現欲求」をもとに核兵器の扱い方を決めることはできないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もしくは、それ以外の価値観はどうだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
単なる問題提起に留まってしまったが、これが私の力の現状です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やれやれ、もっと考え、生み出さないとなあ…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では危機的な食糧事情をはじめ、北朝鮮の悲惨な状況ばかりが伝えられている。それも事実には違いない。だが、このイメージをもとに、北朝鮮の核、ミサイル技術は「途上国レベルにとどまっている」との見方をするのは残念ながら間違いだ。北朝鮮は、国際的に見れば、この両分野では「先進国」の位置にある。その技術力を決して侮ってはならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北朝鮮はミサイル分野でも、米国西海岸を射程に収める「テポドン2改良型」の打ち上げに成功、同時に人工衛星の軌道投入も成し遂げた。人工衛星打ち上げ成功は、先進国の仲間入りを果たしたことを意味する。電子機器分野で日本メーカーを追い抜き、世界をせっかんするサムスン擁する韓国が、人工衛星の打ち上げにようやく達成したのは北朝鮮に送れること2か月。それも自力で開発した北朝鮮とは違い、ロシアの全面的な技術支援を受けてのことだ。この分野で、北朝鮮との間に大きな実力差がある実情をさらけ出してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年春の緊張激化も、北朝鮮側から見れば、米国からの核攻撃の可能性が高まったので、それに対抗したに過ぎないという主張になる。米韓両国は3月1日から野外機動演習「フォールイーグル」を開始し、在韓米軍のF16戦闘機や、横須賀基地を母校とするイージス艦、沖縄・嘉手納基地所属の早期警戒機E3などが参加。&lt;br /&gt;
さらに、B52戦略爆撃機、最新鋭のF22戦闘機を投入。米本土に配備されている核兵器の搭載が可能なB2ステルス爆撃機を初めて朝鮮半島に派遣するなど北朝鮮を威嚇した。韓国上空から北朝鮮の空域までは、わずか数分。北朝鮮から見れば、米韓両国が核攻撃の準備に入ったと映る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
NPTの2つ目の柱は、核不拡散。IAEAがその監視に当たる。53年のアイゼンハワー米大統領の国連総会演説を機に57年にウィーンに設立された国際機関だ。&lt;br /&gt;
IAEAは、原子力活動を進める加盟各国と保障措置（核査察）協定を結ぶ。協定にしたがい、各国は、すべての核活動を申告し、IAEAはこの内容を検証するため査察官を現地に送り、検証する。最も重視するのは核物質の数量。どこから、どうやって調達したか、どれだけの量を持っているのかを詳しく調べる。特に、核兵器に転用される可能性が高いプルトニウムと高濃縮ウランに注目する。&lt;br /&gt;
IAEAは、核兵器を保有する国が、これ以上、広がらないようにするため、核兵器開発につながる核物質や技術、部品、素材などの取引にも目を光らせる。各国に、輸出規制を強化し、これらの機器や素材が外国にわたることを水際で防ぐなどを講じるよう求めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国によっては、正直に告白する国もあるが、多くは違う。イランで実際にあったケースだが、「他の場所で保管していたが、核物質保管容器が壊れたため、漏れ出してしまった」などと言い逃れをするケースもある。そうした場合、IAEAは、「核物質が漏れ出した」という場所を査察し、本当に、その場所で核物質が漏れたのかどうかを検証する。&lt;br /&gt;
その時に役立つのは、「環境サンプリング」と呼ばれる調査手法だ。10センチ四方の木綿の布で、核物質が漏れ出したり、使われたりする可能性がある施設の床ら壁などを丹念に拭き、研究所に持ち帰り分析する。布に細かな核物質が付着するため、これを分析すれば、極めて高い確率で施設内で実施した過去の核活動を把握できる。核物質の寿命は長く、実験が数年前のものであってもウソを見破ることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
用済みになった施設の「凍結」を差し出し、その代わりに果実を得ることができれば外交的な勝利を収めることができる。北朝鮮は、米国によるテロ支援国家の指定解除や、米国が05年9月に導入した北朝鮮秘密口座の凍結解除を勝ち取ることに成功した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
監視・検証作業は、①原子力機器が運転できないよう、機器にIAEAが封印をほどこす、②その封印が破られていないかを常に監視する－の2段階に分かれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時のパキスタンは、博士によると「縫い針も自転車もろくに作れない」途上国。自国の技術水準に合わせるために、あえて技術を落とす選択をした。この決断は好結果をもたらす。開発開始からわずか2年後の78年4月、初の分離機の製造に成功したのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1人当たりの国民所得が世界122位、識字率も世界162位という途上国が、世界で9番目に核兵器を取得する離れ業を成し遂げた瞬間だった。&lt;br /&gt;
この時期、博士は、自国の核開発を目的として築いた部品調達ネットワークを、「核の闇市場」に作り変える作業を始める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「闇市場」摘発に沸いていた米国政府は04年2月20日、マレーシア警察が発表した内容に仰天した。国家安全保障法違反容疑で逮捕したタヒアへの事情聴収をもとに、ティナー一家をはじめとするメンバーの名前や役割など「闇市場」の全容が示されていたからだ。国境をまたぐ国際犯罪の捜査は各国間の連携が不可欠となる。それにもかかわらず、米英両国は、マレーシア政府の輸出入管理が甘かったことが「闇市場」の活動拡大を招いたとマレーシアに批判を浴びせた。&lt;br /&gt;
だが、タヒアを調べるうちに、マレーシアだけでなく、欧州各国など多くの国が「闇市場」にかかわっていたことが判明する。なぜ、マレーシアだけが批判されるのか。不満を募らせたマレーシア政府は、ついに、米英両国に事前相談することなく一方的な発表に踏み切った。米英の情報当局から見れば、これは「掟破り」だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
永世中立国のスイスの国内法は、海外の諜報機関に協力した市民は国家反逆罪に問われる。スイス当局にはCIAに協力した事実を口が裂けても言えない。国際機関のIAEAが手掛ける「闇市場」の実態解明に協力することで、スイス当局からの逮捕を免れようとする意図があったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一家の公判開始には、CIAとの協力関係が公になることを嫌った米国が強く反発した。米国は、スイス検察庁の捜査協力要請をことごとく拒否しただけでなく。ブッシュ（父）元大統領をはじめ、ライス国務長官、ゲーツ国防長官など、ブッシュ（息子）政権の中枢メンバーがスイス当局に外交的な圧力をかけ続けた。スイスの法律では、スイス国内にあるティナー一家のアジトを「家宅捜査」したCIA要員にも国家反逆罪が適用されるため、米国は必死だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「核の番人」と呼ばれ、核拡散を防ぐ役割を委ねられているIAEA。平和に貢献する公立・中性な国際機関というイメージが日本では一般的だ。しかし、そうした見方は、あまりにも無邪気な考えだ。IAEAは、5大国による「核の秩序」、もっと言えば、核クラブの「核の独占」を守るという性格を持つ。いかなる正当な理由があろうとも、非核国の人間は、核兵器にアクセスできない。それが掟だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米国は、スイス政府に、資料のすべてを破棄するか、米国に手渡すよう求め続けた。スイス政府内でも激論が続く。スイスの国家主権を守るべきだとの主張と、米国との関係維持に重点を置く国務省、国防省が対立する。&lt;br /&gt;
結局、対米関係を重視する勢力が優勢となり、07年11月14日、CIA要因の追訴断念と、押収資料の全量破棄処分が決まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スイス政府が米国の圧力を受けて押収資料の処分を決定した後、その事実がスイス国内で報道された。大統領も「テロリストの手に渡ることを防ぐためだった」と、押収資料の破壊を認めたことで、国家主権の侵害だと世論の反発が強まっていた。さらに、政権交代という追い風も吹いた。資料発見を機にスイス政府は、米国と交渉を続け、スイス検察庁の捜査に協力していたIAEAも、保管していた資料の一部、数十ページを提供した。公判維持の条件が次第に整っていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ティナー一家は少なくとも1979年からパキスタンの核開発に不正に関与しており、2003年6月以後も「闇市場」のビジネスに深く関わっただが、前後の機関が除外された理由は、公判で明らかにされなかった。最終弁論で、レーマン主任検事が「証拠書類が不完全な中で、検察官は妥協を強いられた」と述べたように、公判維持をめぐり、スイス政府と米国政府の双方が、激しい水面下のやりとりを続けて歩み寄った跡が垣間見える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裁判は1日で結審、翌日夕に判決が言い渡された。フレッドは禁錮2年、マルコは禁錮3年5か月、ウルスは禁錮4年2か月。いずれも有罪判決だった。だが、フレッドは高齢を理由に、ウルスとマルコは逮捕後の収監日数を相殺したため、3人は、自由の身となった。「闇市場」や、CIAから得た多額の報酬の没収も免れた。&lt;br /&gt;
ティナー一家は、IAEAの事情聴収では、「ビジネスだからやっただけだ」「自分たちが扱ったものは特別のものではない」「私たちが供給したものを使い、その結果がどうなろうと私たちに関係がない」などと答えている。彼らは、自分たちが、核兵器開発につながる犯罪行為に手を染めたことに、何の罪の意識も持っていなかった。その事実を知っていただけに、傍聴した筆者にとっては、なんとも歯がゆい消化不良のものだった。裁判は「茶番」だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IAEAで「闇市場」解明の総指揮をふるったハイノネン元IAEA事務次長は、筆者の取材に「おそらく、組織的な『闇市場』はもう存在しない。だが、イランはいまも不正に機器を調達し続けているのも事実だ」と話した。いまもなお、形を変えた組織が存在するとの見方だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パキスタン政府は、いまなおIAEAや米英の情報機関による博士への事情聴収を拒んでおり、触れられたくない多くの「不都合な事実」を抱える。博士と政府の微妙な駆け引きが続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プルトニウム型に続き、ウラン型核兵器の取得も視野に収めている北朝鮮は、世界有数のミサイル技術を保有するだけでなく、世界最大のミサイル輸出国としても知られる。1980年代以後に開拓したこのミサイル輸出ルートを活用すれば、国際社会が恐れる北朝鮮発の核拡散が現実化する可能性も高い。いま、北朝鮮が、「核の闇市場」に代わり、ミサイル輸出で築き上げたネットワークを使い、ミサイルや核開発など大量破壊兵器の拡散の中心になりつつある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北朝鮮の市場シェアは40％。特に、1987年から93年の7年間は420基も輸出、市場シェアは9割にも達した。ミサイルは、偽ドル札、麻薬などと並ぶ、北朝鮮の外貨獲得の柱の一つだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北朝鮮が外貨稼ぎの柱に据えていたミサイル輸出だが、2000年以後は急減した。軍縮専門家のポラック氏は、その原因を①中東諸国にミサイルが行き渡った、②湾岸戦争を機に、米国が迎撃用に使用したパトリオットミサイルに代表されるミサイル・ディフェンス（MD）システムや、巡航ミサイルの導入に関係諸国の興味が移った、③度重なる国連安保理決議で、ミサイル輸出管理が国際的に強化された－からだと分析する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
核実験やミサイル発射を繰り返す北朝鮮、ウラン濃縮など大規模な核開発を続けるイランは、ともに再三の国連安保理決議を無視し、国際社会からの孤立を深めている。核、そして、ミサイルの両分野の協力関係が強化・拡充されれば、国際社会の脅威となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イランは、1979年のホメイニ（イスラム）革命以後にイスラム共和制を敷き、同様の体制を周辺のイスラム諸国に広めようと「革命の輸出」を試みた。スンニー派諸国はその動きを強く警戒、この動きを潰そうと動いた。それが、80年から88年まで続いたイラン・イラク戦争だ。中東地域でイランを指示したのは、イランと親交が深いシリアだけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
03年春のイラク戦争中にサウジアラビアを取材で訪れた際、多くのサウジ人から「イラン人は長い文明の歴史があり、知恵も働く。私たちアラブ人に比べて、したたかだ」という話を聞いた。イランを毛嫌いする背景には、宗教的対立だけでなく、イランの文化水準には「かなわない」という警戒心もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
米中両国は、85年に原子力協定に調印したが、人権問題を重視する米国は、89年の天安門事件を受けて、協定の発効延期を続けた。刑事成長を支えるため、米国の商用原子力技術をどうしても手に入れたい中国は、イランに対する協力打ち切りを条件に、米国が協定発効を提案しtことに反応した。中国はこの提案を受け入れ、これを機に米中関係は正常化する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
途上国には、元々、核兵器国と非核国の権利に差をつける不平等性が色濃いNPTに強い不満がある。核兵器国が核軍縮を進めないことは非難されないのに、途上国が「平和利用」を進めるたびに、核兵器国が注文を付けるのは不公平だ、二重基準だとの思いが強い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「中国を『地域大国』と認めたことで、ニクソン米政権は、中国との国交回復に成功した。それと同様に、米国がイランを『地域大国』と認めてくれないだろうか。米国と関係が深い日本にぜひ、その橋渡しをお願いしたい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
核兵器を開発する動機は、3タイプに大別できる。1つ目のグループは、大国意識が強く、工業力の水準が突出していた米ソ英仏中の5大国。2つ目は、国際的に孤立し、核武装により安全保障の確保を狙った北朝鮮、イラク、南アフリカ、リビアなどの諸国。イランはこのカテゴリーに入る。3つ目は、隣国の核武装に対抗したインド、パキスタンなどの国々だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本をはじめ非核国の展示は、平和利用だけに特化、「軍事」とは関係ない展示ばかりだ。一方、核兵器国は軍民両面を強調する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
デクラーク大統領が、世界で初めて核兵器の放棄を決定した背景には、黒人政権への核兵器継承を嫌ったという指摘も多い。マンデラ氏が率いるANCは、反米色を鮮明に打ち出すリビアのカダフィ政権や、「パレスチナ解放機構（PLO）」のアラファト議長などとの友好関係があり、黒人政権誕生後に、これらの勢力に核兵器や技術が流出する懸念があった。これが現実のものとなれば、核兵器保有国が急拡大する恐怖のシナリオが現実化し、国際情勢が不安定化する。これを未然に防ぐため、米国が強い圧力をかけたとみられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ベルリンの壁が崩れ、ソ連が共産主義が倒れた結果、南アフリカを脅かす軍事情勢が変わった。その脅威が消えれば我々の戦略にも影響する」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
核兵器を保有しながらも放棄した国は、南アフリカ以外でも、旧ソ連のウクライナ、カザフスタン、ベラルーシがある。だがこの3か国は、ソ連が配備していた核兵器を、ロシアに移送することに合意したもので、自ら開発した核兵器を放棄した南アフリカとは性格が大きく異なる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カーター政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務めたブレジンスキー氏は…、中国、インドの国力が強まることで相対的に米国の地位が低下し、日韓の安全保障の礎となっている米国の「核の傘」が機能しない状態が起きる可能性を指摘した。ブレジンスキー氏は、日韓両国は、米国以外に新たな「核の傘」を求めるか、自国での核武装を迫られるだろうとも指摘している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IAEAによると、日本が10年末時点で保有するプルトニウムは、英仏保管分を含めて44.9トン、再処理前の使用済み核燃料に含まれるプルトニウムは152トンもあり、合計で約200トンにも達する。5キロで核兵器の製造が可能という前提に立てば、4万発分に当たる量だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早晩、日本は核燃料サイクル計画の見直しに追い込まれる可能性が高いとみている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
NPTを脱退した北朝鮮の核実験、NPT加盟国のイランが、国際社会の要請を無視してウラン濃縮活動を加速するなど、核拡散防止に一定の役割を果たしてきたNPTのほころびが目立ち始めている。カーン博士の「闇市場」が崩壊したとは言え、核兵器取得を目指す国が無くならない限り、核ビジネスに関わる多くの企業は「カネの成る木」を求めて、売り込みを図る構図が変わるはずもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済成長やエネルギー問題を解決するため、アラブ首長国連邦、ベトナム、トルコなど原発導入を進める国は多く、今後もその傾向が強まるのは確実だ。使用済み核燃料を再処理すれば、核兵器への転用が可能なプルトニウムは簡単に取り出せる。こうした国々から生まれる使用済み核燃料の扱いを誤れば、核拡散につながる懸念が高まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モンゴルに核の「ゴミ」の処分場を設ける計画は、核のゴミの処分だけでなく、さまざまな狙いがあった。&lt;br /&gt;
扱いに困る核のゴミを処分する国際的枠組みを構築できれば、「トイレの無いマンション」との批判を解決できる。これが、1つ目の狙いだ。&lt;br /&gt;
2つ目は、日米の原発輸出ビジネスを優位に運ぶには、最終処分場の確保が不可欠という経済的な視点だ。日米両国の原子力産業は、ロシア、フランスなどと激しい競争を続けている。ロシアは、ロシアの原子炉を購入した国には、やっかいな使用済み核燃料を引き取ることを売り物にしている。フランスは、核燃料再処理を請け負うことを武器にする。だが、日米両国は、このいずれにも対応できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
核は、利益を得る人、被害を受ける人を同時に生む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「闇市場」の全容を記録した文書を預かっているという人物を突き止め、接触した。「全文を読ませてほしい」「どうしても、真実に迫りたい」と相手を説得したが、予想通り、「博士の存命中は、だれにも渡せない約束だ」と断られてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4166609416&amp;linkId=62876a2ea356dfb2abf4331b2b86afd8&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
    &lt;/iframe&gt;&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/3210524507278063956/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/3210524507278063956' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/3210524507278063956'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/3210524507278063956'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2017/10/133.html' title='独裁者に原爆を売る男たち（食べる読書133）'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-625696814728977520</id><published>2017-10-28T22:15:00.001+09:00</published><updated>2017-10-28T22:15:34.251+09:00</updated><title type='text'>世界を不幸にしたグローバリズムの正体（食べる読書132－2）</title><content type='html'>&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4198615195&amp;linkId=3ff147bfdbb291ca6b06feeb90cd785b&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
    &lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
グローバリズム自体は多くの恩恵を世界にもたらしたが、負の側面ももたらした。その負の側面は、ガバメントの問題であると著者は述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界銀行、IMFで勤務した経験からその内情も含めての結論である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、本当にガバメントの問題なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
グローバリズムを上手に運営するとはどういうことで、どういう結果をもたらすのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済の様々な分野に影響を及ぼすグローバリズムは、単一価値の輸出ではないか。&lt;br /&gt;
単一価値とは、人々の生活を測る指標としての経済理論・経済学だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、それらの経済理論は欧米で生まれたもので、欧米以外のアジアやアフリカ、イスラム諸国においてそのままで適用できないのは明白だったのではないか。&lt;br /&gt;
他地域においても適用可能であることを確かめたのだろうか。そもそも確かめることは可能なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国やポーランドを例に、その国に合わせた経済政策をとることが成功への条件であると述べている。&lt;br /&gt;
しかし、国際機関のIMFはそれをしなかったのが問題であり、それをガバメントの問題としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は、このグローバリズムによって人類は、「普遍」への再考を迫られていると考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2点あると思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・普遍とは、状態ではないのではないか。&lt;br /&gt;
・人類が普遍性を手にすることはできないのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（日本大百科全書(ニッポニカ)の解説&lt;br /&gt;
普遍：多くの、あるいは、ある範囲のすべての個別例に当てはまる共通な事柄をいい、「一般者」ともいわれる。特殊、個別に対する。人間の合理的思考はすべてことばを伴い、ことばを通じてなされる。ことばはすべて多くの事物に当てはまる共通な事柄をいうものであり、そこにことばの意味機能がある。たとえば、「三角形」という名称は正三角形、二等辺三角形、不等辺三角形というすべての特殊な三角形、また、その個別例に当てはまる共通な同一の事柄を意味する。このように多くの事物をある観点から総括し、一つのものとして把握する働きが思考の働きであり、そこに把握される「一つのもの」（多を通ずる1）が普遍である。感覚される個別の存在に対して、思考の対象である普遍が実在界においてもつ存在が何であるかは、哲学史上、古来盛んに論じられてきた問題である。［加藤信朗］）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
普遍とは、ある状況や状態の共通事項・性質を指していると考えられる。しかし、現実は諸行無常であり、われわれが共通項を見出だす対象自体も変化していく。よって、ある時代においての普遍が時を経ると普遍性を失うこともあるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、考えると、共通項そのものよりも共通項の変遷、それを変化させる何かしら（変化を生み出す源、変化の仕組みなどそれが何かはわからないが）が普遍ではないか。&lt;br /&gt;
つまり、言葉では表せられない。事象によりその変化の源は変わるであろうからである。諸行無常＝普遍、としてもいいがそれも単に諸行無常という現実の一側面＝ある意味状態を示しているに過ぎない。そして、諸行無常は結果の記述であり結果を生み出すものではない。&lt;br /&gt;
同じ結果を生み出す”何か”、それが普遍ではないか。そして、諸行無常の現実において同じ結果を生み出す”何か”が同じ共通項であるとは考えにくいのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、そこに人間がいるのである。人間が、もし普遍を見出だしたらどうなるか。それが、グローバリズムに関する一連の結果である。つまり、普遍を武器に自身の優位性を高めるのである。普遍は人間の目的達成の道具に堕する。IMFがしたように、だ。普遍は、われわれが従わざるを得ないものではなく、われわれが使いこなすものでもあるという側面も持つ。普遍が、非現実的であればあるほど、現実よりより良いものに見えれば見えるほど、それは輝きを増し人々を魅了する。だが、その時点で普遍は普遍ではないのである。もし、そこに普遍を見出だすとしたなら、人間の共同幻想の性質であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを解決するには、現実をわれわれ自身の変化も込みで把握しうる、情報処理概念だと考える。入力、加工、出力の各過程においてこれまでとは異なった概念のもと情報を処理することが求められている。この情報処理が、普遍であるというつもりはないが、見えてくるものはあるのではないか。&lt;br /&gt;
帰納法、演繹法とは異なる、何か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その発見、創造に貢献したい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4198615195&amp;linkId=7f03d1d6dfba5eed884383e8374e9785&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
    &lt;/iframe&gt;&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/625696814728977520/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/625696814728977520' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/625696814728977520'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/625696814728977520'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2017/10/1322.html' title='世界を不幸にしたグローバリズムの正体（食べる読書132－2）'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-6572290373078442048</id><published>2017-10-24T02:36:00.002+09:00</published><updated>2017-10-28T21:15:42.544+09:00</updated><title type='text'>世界を不幸にしたグローバリズムの正体（食べる読書132－1）</title><content type='html'>&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4198615195&amp;linkId=0ceb8fe81dd8d514a457e6ca3b7e2f88&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
決定はイデオロギーと誤った経済学の奇妙な融合に基づいて下され、ときにドグマが特定の人びとの利益を厚くおおい隠しているように見受けられた。危機が起こると、IMF（国際通貨基金）は時代遅れで不適切な解決策を採用した。それは「標準的」な政策なのかもしれないが、その政策に従わされる国民にどんな影響が及ぶ科は、まるで考慮されていなかった。その政策が貧困にどんな寄与をするかという予測はほとんど見たことがなく、別の政策をとったらどうなるかが真剣に検討されるのを見たこともほとんどない。あるのは唯一の処方のみ。代替策は考えもされない。オープンでフランクな討議が行われる余地は最初からない。イデオロギーのみが政策を決め、各国はIMFのガイドラインに無条件でしたがうものと思われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちはグローバルナコミュニティを形成しており、あらゆるコミュニティがそうであるように、なんらかのルールに従わなければ共生していくことはできない。そのルールは誰から見ても公正なものでなければならず、権力者と同じく貧者に対しても当然の配慮をした、基本的良識と社会正義を反映するものでなければならない。今日の世界では、それらのルールは民主的なプロセスを通じて形成されなければならない。いかなる政体もどんな権威もしたがわなければならないそのルールは、遠い場所で決められた政策や決定に影響をこうむるすべての人々の要望に留意し、応えるものでなければならないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国際経済機関の指導のもとに進められたロシアの市場経済への移行と、自らで進め方を立案した中国の移行は実に対照的だった。一九九〇年の中国の国内総生産（GDP）はロシアの60％だったが、この10年の終わりには、その数値が逆転した。ロシアではかつてないほど貧困が増した一方で、中国はかつてないほど貧苦が減少したのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たとえ偽善的な犯罪杭をしていなくても、欧米はグローバリゼーションのお題目を唱えながら、その恩恵を自分たちばかりにゆきわたらせ、発展途上国を犠牲にするようなことをしたのだ。たとえば、織物から砂糖にいたる多くの産品に割当量を設定するなどして発展途上国の製品に対する市場開放を拒む一方で、相手には自分たち裕福な国の製品を受け入れるよう市場開放を要求しただけではない。また、先進工業国が農業に助成金を支給し続け、途上国が競争に参入するのを難しくする一方で、途上国には工業製品への助成金を廃止するよう要求しただけでもない。GATTのウルグアイ・ラウンド以降の「交易状況」－先進国と発展途上国のそれぞれが自国製品の代価として得る金額－を見てみるがいい。最終的に、世界の最も貧しい国々が受け取る総額は、輸入品にたいして支払う総額よりも低くなっているのである。その結果、世界で最も貧しい国のいくつかでは、人々の生活が実質的に悪化してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFは、経済の安定には世界規模の総体的な行動が必要だという信念のもとに設立された。ちょうど国連が、政治の安定には世界規模の総体的な行動が必要だという信念のもとに設立されたのと同じである。IMFは公的な機関であり、世界中の納税者が提供した資金によって運営されている。これはぜひとも明記しておくべきことだ。というのも、IMFは資金を出している市民にも、またIMFに生活を左右される人々にも、なんら直接的な報告義務を負っていないからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済プログラムを成功させるには、順序付け－改革が行われる順番の決定－とペースの調整に十二分の注意を払う必要がある。たとえば、強力な金融機関が設立されないうちに急いで市場を開放して競争を促せば新たな雇用が創出される前に職がなくなってしまうだろう。、多くの国では、順序付けと調整のミスが失業率と貧困の増大につながった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFとその他の国際経済機関の問題は、煎じ詰めればマネジメントの問題である。誰がやることを決めるのか、何のためにそれをやるのか。これらの機関を支配するのは世界有数の富裕な工業国であり、それらの国の商業的、金融的利害なのであって、その政策にはおのずとそれが反映される。また、だれが国を代表するのかということからも問題が生じる。IMFでは、それは蔵相と中央銀行総裁であり、WTOでは貿易相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日、IMFと世界銀行が活動するところは、ほぼ例外なく発展途上国である（少なくとも彼らの融資先はすべてそうだ）が、その機関を統括するのは工業国の代表者である（習慣からか暗黙の合意によってか、IMFの長は常にヨーロッパ人、世界銀行の長は常にアメリカ人である）。その選任は閉ざされた扉の背後でなされ、発展途上国での経験の有無が選任の必要条件とされたことは一度もない。これらの機関は、それが奉仕する国の代表者ではないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なによりグローバリゼーションは、その恩恵を広くその国全体にゆきわたらせることができなかった。「ワシントン・コンセンサス」で定められた政策の最終的な結果は、たいていの場合、多数を犠牲にして少数に、貧乏人を犠牲にして金持ちに恩恵をほどこすことだった。多くの場合、配慮されていたのは商業的な利益や価値であり、環境や民主主義や人権や社会正義ではなかったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
連邦政府はアメリカの成長をうながすことに中心的な役割を果たしただけでなく、積極的な再分配政策を行わない場合でも、少なくとも恩恵が広く共有されるような計画を実施した。教育を広め、農業の生産性を向上させる計画だけでなく、すべてのアメリカ人に最低限の機会を与える土地払い下げも実施した。&lt;br /&gt;
今日はどうか。輸送と通信のコストがどんどん下がり、産品、サービス、資本の流れを阻む人工的な障壁も減少している（ただし労働者の自由な流れに関してはまだ大きな障壁がある）。これを見る限り、かつて国民経済が生まれたのと同じようなプロセスで「グローバリゼーション」のプロセスが進行していると言えよう。ただ残念ながら、そこには世界政府がない。すべての国の国民に責任を持ち、グローバリゼーションのプロセスを監督してくれる存在がないのである。&lt;br /&gt;
そこにあるのは「世界政府のない世界統括」とでもいうべきシステムである。少数の機関－世界銀行、IMF、WTO－と少数の人間－特定の商業的、金融的利害と密接に結びついた金融や通商や貿易の担当相－が全体を支配して、その決定に影響される多くの人々はほとんど発言権のないまま取り残されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界銀行は貧困の撲滅を使命とし、IMFは世界経済の安定を使命とする。どちらもエコノミストの一団を海外に派遣して三週間ほど視察させているが、世界銀行の方は援助しようとする国にかならず少数のスタッフを長期的に駐在させるよう取り計らっている。一方、IMFにはたいてい「居住者の代表」が一人いるだけで、その権限も限られている。計画は通常、ワシントンが立案し、短期間の視察を経て最終決定される。視察するスタッフは首都の快適な五つ星ホテルに泊まりながら、財務省や中央銀行で統計を調べるだけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFの論理の明らかな問題点は、貧しい国は援助の金を援助の目的に使えないと暗に言っていることである。例えば、スウェーデンがエチオピアに学校建設のための資金を与えたとしよう。この論理によれば、エチオピアはその金を蓄えにまわさなければならない（すべての国は『いざというとき』のために準備金勘定を持っているはずである。金は伝統的な準備資金だが、今日ではハードカレンシーに取って代わられつつある。準備金として最も一般的なのは、アメリカ財務省短期証券を持つことである）。&lt;br /&gt;
しかし、外国の資金提供者は、そのために援助したのではない。IMFとは関係なく独自に活動している資金提供者は、エチオピアに新しい学校病院が建設されるのを見たかったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFのマクロ・エコノミストはたいてい自分たちが発展途上国で直面しなけれならない問題に対して十分な訓練を受けていない。IMFが定期的に卒業生を採用している大学のいくつかは、主要なカリキュラムで一切失業問題を扱っていないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在のIMFは自らを、経済の完全雇用の状態に維持することに勤める赤字融資者だとは考えていない。むしろ、お金を借りる国がIMFの考える適切な経済政策に従う場合にのみ、ケインズ的立場から資金を分け与えるという方針をとってきた。だが、それはたいてい緊縮財政であるため、景気の後退を招き、事態にをいっそう悪化させるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「融資条件」と呼ばれるのはもっと強制力のある条件で、これがしばしば融資を政策手段に変えてしまう。たとえば、iMFがある国に金融市場を自由化させたいとすると、IMFはその融資を分割して行う。以後の融資は、自由化を進めている証拠が得られるたびに実施されることになる。私個人の考えを言えば、少なくともIMFのこれまでのやり方や強制力の強さからして、このような融資の条件には賛成しかねる。これが経済政策の向上につながるという証拠がない一方で、政治的には逆の影響を及ぼすからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
韓国の危機のさなかに、韓国の中央銀行はもっと独立するよう要求されただけでなく、物価上昇率だけに注意を払えとも言われた。韓国の物価上昇率に問題はなく、まずい金融政策がその時の危機に関係しているわけでもなかったのに、である。IMFは危機によって与えられた機会を利用し、自らの政治的な信念を推進しただけだった。私がソウルでIMFのチームになぜこんなことをやっているのかと聞いた時、帰ってきた答えは衝撃的だった（それまでの経験からして驚くべきことではなかったが）－われわれはどんな国にも、物価上昇率に敏感な独立した中央銀行を持つよう勧めている、というのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFは、すぐに市場が生まれてあらゆる需要を満たすと単純に推測していたが、現実には、市場が必要なサービスを提供できていないから多くの政府活動が必要とされるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民営化を急いで進めることが重要だとIMFは主張する。競争や規則の問題にはあとで対処できるだろうと言う。だが、そこに危険がある。ひとたび既得権益が生まれてしまうと、そこには資金もあるから、専売権を維持しようとして規制や競争を押しつぶし、民営化のプロセスを歪めてしまう。IMFが競争や規制を後回しにしようといったのには、それなりの理由がある。民営化で規制のない専売会社をつくると、結果として政府の収入が増えることになる。そしてIMFは、産業の効率性や競争力といった構造的な問題よりも、政府赤字の規模のようなマクロ経済的な問題を重視する。民営化された専売会社が政府よりも効率的な生産をするかどうかはさておき、彼らはその専売権をたいてい政府よりも有効に活用する。その結果、消費者が苦しめられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日、多くの国では、民営化は「収賄化」だと揶揄されているほどである。政府が腐敗しているからといって、民営化すればその問題を解決できるという証拠はほとんどない。結局は、会社を私物化していたのと同じ腐敗した政府が、民営化の舵を握るのだ。あちこちの国で、政府の役人は気づきはじめている。民営化をすれば、もう年に一回だけ収益をかすめ取るだけで満足する必要はないのだ。政府事業を市場価格より安く売れば、資産価値のかなりの部分を次の役人に残さず、自分のものにしておける。実質的に、彼らは未来の政治家がかすめ取る分の大半を、いまのうちに盗んでしまえるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFは保護貿易主義の壁に守られて形成されてきた非効率的な仕事が排除されれば、新しいより生産的な仕事が生まれるはずだと信じてきた。しかし、それは事実ではない。少なくとも大恐慌以降、それほど瞬時に雇用が創出されると信じているエコノミストはほとんどいない。新しい会社や仕事が生まれるには、資本と起業家精神が必要だが、たいていの発展途上国ではそのどちらも不足している。後者は教育がなされないためで、前者は銀行融資がないためである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
貿易自由化は約束したことを実現できないどころか、失業率を高めるだけという例があまりにも多かった。だからこそ、強い反対が起こるのである。しかし、貿易自由化への敵意を疑いなく強めたのは、これを推進する際に見られた偽善だった。欧米は自分たちの輸出する製品に関しては貿易の自由化を進めたが、その一方で発展途上国の競合品に経済を脅かされそうな分野については保護政策をとり続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国が実証している通り、資金を引き付けるのに資本市場の自由化は必要ではない。むしろ、事実はこうだ。東アジアの高い貯蓄率（アメリカではGDPの18％、ヨーロッパでは17％から30％なのに対し、東アジアは30％から40％）を考えれば、この地域に追加の資金はほとんど必要がない。東アジアの政府はすでに、貯蓄をいかにして投資に回させるかという頭の痛い課題をかかえているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おそらく、アメリカ政府も含めて、各国政府がやってきたことの中で最も重大なのは、発展途上国に極めて不利な協定をその国の腐敗した政府に調印させて、頭ごなしに守らせたことだろう。インドネシアのジャカルタで開かれた1994年のAPEC（アジア太平洋経済協力会議）閣僚会議で、クリントン大統領はアメリカ企業のインドネシア参入を奨励した。多くの企業がそれを実行した。そして、たいていは非常に有利な条件のもとに実行した（インドネシア国民にとっては不利な条件なのだから、『心づけ』が渡されていたことは間違いないだろう）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シンガポール、中国、マレーシアなど、外国投資の濫用を抑えた多くの国でも、外国の直接投資が重大な役割を果たしたのは資本面ではなく（貯蓄率の高さを考えれば資本は全く必要ではなかった）、起業家精神でもなく、外国からの投資がもたらす市場への参入機会と新しいテクノロジーの面だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFは、セーフティ・ネットが整備される前に、十分な規制構造ができあがる前に、近代資本主義の本質である市場心理の突然の変化に国が耐えられるようになる前に、自由化を強要した。雇用創出の必須条件が整う前に、雇用破壊につながるような政策を強要した。そして十分な競争と規制構造ができあがる前に、民営化を強要した。こうした多くの順序の間違いは、IMFが政治のプロセスについても経済のプロセスについても根本的に誤解していることを示していた。それは主に、市場原理主義を信奉することからくる誤解だった。たとえば、彼らは私有財産権が確立されていさえすれば、ほかのすべてはおのずとできてくると主張した。制度も、市場経済を機能させる法的な枠組みされも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開発の過程で生じる急激な変化が社会に大変なストレスをかけることは避けられない。伝統的な権威は危うくなり、伝統的な人間関係も見直される。だから開発に成功するには、社会の安定に格別の注意を払わねばならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFと世界銀行はアメリカ財務省の縄張りの一部であり、そこではほとんど例外なく、財務省が自分の見解を押し通せるのだ。ちょうど他の省庁が、それぞれの縄張りで自分の意見を押し通せるように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重要なのは、IMFの優先事項に何が入っているかだけでなく、何が外されているかを見ることだ。経済の安定は予定表に入っている。雇用の創出は入っていない。増税は、その逆効果も含めて入っている。農地改革は入っていない。銀行救済のための資金はあるが、教育や保健のサービスを向上させるための資金はない。もちろん、IMFのマクロ経済管理の誤りで仕事を失った労働者を救済するための資金もない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ワシントン・コンセンサスの貧困政策のあらゆる欠点は、今や明らかである。これまで見てきたように、金利の高騰がともなう貿易自由化は、雇用破壊と失業創出を招くばかりであると言ってよく、犠牲にされるのは貧困層だ。そして適切な規制をともなわない金融市場の自由化は、経済を不安定にするだけであると言っていい。金利を下げるどころか、逆に上げてしまい、貧しい農民に種子や肥料を買えなくさせる。したがって、農民はなかなか最低限の生活から抜け出せない。さらに民営化も、競争政策と専売業者の強権濫用を抑える監督機能をともなわない限り、消費者価格を下げるどころか吊り上げてしまう。ふさわしくない環境でむやみに追及された緊縮財政も、高い失業率につながって社会契約を粉々に砕く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（IMFとは）別の戦略をとる人々は、市場を利用しながら、政府にも重要な役割があることを認識していた。改革の重要性を認識していながらも、その改革はゆっくりと正しい順序で行われなければならないとわかっていた。変化を単に経済の問題とみるのではなく、もっと広い社会進化の一部ととらえていた。長期的な成功を目指すには改革への幅広い支援が必要であり、幅広い支援を取り付けるにはその恩恵が広く行き渡らなければならないとわかっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFは解決をもたらすどころか、IMFそのものが各国の問題の一部になっていたのだ。実際、危機に見舞われたいくつかの国では、政府の役人やビジネスマンだけでなく、普通の人々までもが、自分たちの国を襲った経済的、社会的な嵐を「疫病」とか「大恐慌」と呼ぶような調子で、ずばり「IMF」と呼ぶようになっている。歴史は「IMF」以前と以後に分けて語られるようになった。ちょうど地震やその他の天災で大きな被害をこうむった国が、ものごとの日付を地震の「前」と「後」で区切っているように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
資本の自由化は、発展途上国を投資家の世界の気まぐれにさらすだけでなく、彼らの不合理な興奮と悲観にもさらすことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFの企業再構築戦略－ほとんど破産しかけている会社の再構築戦略－は、銀行再構築戦略と同じくらい成功しなかった。IMFは財務上の再構築－誰が実際にその会社を所有するのか、債務免除されるのか、それとも株式に転換されるのかをはっきりさせること－と、実際の再構築－会社が何を生産すべきか、どのように生産すべきか、どのような組織にすべきかといった実際的な決定－を混同していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済政策は、どんな場合にも経済下降の深刻さと持続期間を最小限にすることを目標にすればよいのだ。残念ながら、これはIMFが目指したことでも果たしたことでもなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
借金は本質的にリスキーなものだ。資本市場の自由化や、危機が起こった時に金利を法外なレベルまで引き上げるといったIMFの戦略は、借金をさらにリスキーなものにする。となると、会社にとって合理的な対策は借金をもっと少なくして、その分を社内に留保した利益に頼るということになる。そうなれば、将来の成長はある程度まで抑えられ、資本もそれほど自由には生産的な用途へ流れなくなる。おのように、IMFの政策は資源配分の効率、特に発展途上国では最も乏しい資源である資本配分の効率を悪くする。IMFはこの弊害を考慮していない。なぜなら、IMFのモデルには情報の不安定性が資本市場に及ぼす影響を含めて、資本市場が実際にどう機能するのかが反映されていないからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世銀とIMFは腐敗した政府への援助に対して表面的には断固たる姿勢でのぞんできたが、そこにダブルスタンダードが存在することは明らかだった。ケニアのような戦略的に重要性の低い小国には汚職を理由に資金援助を拒否しておきながら、はるかに規模の大きい汚職が横行しているロシアのような大国には、持続的に資金援助がなされていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私が出会った、ロシアをはじめとする旧ソ連邦諸国の有能な学生は、欧米に移住したいという夢を抱いてひたむきに働いている。こうした損失は、ロシアで暮らす人々にとって、現在ばかりか、将来にわたってどのような影響をもたらすかという点で大きな意味を持つ。歴史的に、法律と民主主義に基づく社会を創造するさい、中心となるのは中産階級だからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
誤った方法で実施された民営化は効率の改善にも成長にも繋がらず、資産の略奪と衰退を招いただけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
資本市場の自由化や民営化は資金の国外流出を容易にし、法的基盤が整う前に民営化を推進したことは、ロシアの将来への投資ではなく、資産略奪の機会を与え、よこしまな動機を強めてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
成功の要因は、自国のニーズや危惧に敏感なそれぞれの国の住民が策定した「国内産」の戦略にあった。中国やポーランドやハンガリーは、型にはまった手法はとらなかった。この三国をはじめとして、以降に成功した国はきわめて現実的であり、政策の決定にあたってイデオロギーや教科書のモデルをそのまま踏襲することはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFのような国際機関の国際政策について合理的な見解を形成するには、市場が機能しなくなる重要なケースを見極め、その失敗によるダメージを個々の政策によって防止、あるいは最小限に抑える方法を分析する必要がある。さらに、介入に踏み切る場合には、その介入が市場の失敗に取り組み、問題が起こる前に対処し、実際に問題が起こった時に改善をはかるうえで最善の策であることを示す必要もある。すでにみたように、ケインズは、各国が単独では十分な景気浮揚策をとれない理由を分析し、説明した－どの国も、他の国々にもたらす利益を考慮に入れないからだ。だから、各国政府が自発的にとる以上の景気浮揚策を実施するような国際的な圧力をかけるというのが、IMFの本来のや役割であるはずだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
標準的な市場経済理論では、貸し倒れになった貸し手は結果について責任を負う。おそらく借り手は破産するだろうし、各国にはそうした破産の処理に関する法律がある。市場経済理論はそのように機能するのが普通だ。ところが、IMFのプログラムは、欧米の債権者を救うために繰り返しその国の政府に資金を供給する。債権者はIMFの救済措置をあてにするようになり、借り手が返済可能かどうかを確かめようとする気持ちも弱まった。これが、保険業界でよく知られ、今では経済学でもよく知られている悪名高い「モラルハザード」の問題である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
金融市場では時々、実際には信用供与に値する国が融資を拒否されるという不合理が見られる。IMFはもともと、そうした不合理が引き起こす流動性の危機に対処するためにつくられたのだが、その危機を早めかねない個人や機関に金融政策の権限を与えようとしていたのだ。つまり彼らが融資するのは、進んで融資しようという気になれる時だけだった。&lt;br /&gt;
IMFに自覚がなかったとはいえ、貸し手の側はすぐにその変化の深い意味を読み取った。貸し付け希望国に対して貸し手が貸し付けを拒んだり、精算への協力を拒んだりすれば、希望国は－IMFからだけでなく、IMFの承認を条件として融資をする世界銀行やその他の機関からも－資金が得られなくなる。債権者は突然、非常に大きな力を手にしたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFの本来の目標は、世界の安定性を高め、景気後退の脅威に直面する各国が景気浮遊策をとる資金を確保することだったが、IMFはこれらの目標を追求するだけでなく、金融界の利益をも図っているのだ。つまり、iMFが掲げる目標はたがいに矛盾していることがしばしばあるのだ。&lt;br /&gt;
緊張がますます高まっているのは、この矛盾が明るみに出せないからである。新たな役割が公然と知られるようになれば、IMFへの支持が弱まることを、「使命の変更」をやり遂げた連中が知っていたことはほぼ確実である。このため、少なくとも表面的には古い使命と矛盾しないように見せかけて新しい使命を隠す必要があった。あまりにも単純な自由市場イデオロギーを前面に押し出し、その陰に隠れて「新たな」使命にしたがって仕事をしていたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
はっきりさせておくが、IMFは公式にその使命を変えたわけではないし、グローバル経済や本来IMFが助けるはずの貧しい国の福祉よりも金融界の利益を優先することを公にしたわけでもない。どんな機関についても、その動機や意図をあれこれ論じたところで意味はない。意味があるのは、実際にその機関を構成し、運営しているメンバーの動機や意図を論じることだけだ。その場合でも、真の動機をつきとめることはなかなか難しい－彼らが公表する意図と真の動機の間には隔たりがある場合が多いからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重要な契約がもう一つある。市民や市民社会と政府との間の契約で、時に「社会契約」と呼ばれるものがそれだ。その契約は妥当な雇用機会の確保など、社会や経済の基本的な保護規定を要求する。IMFは、融資契約の尊厳と考えるものを守ろうとして誤った方向に動き、より重要な社会契約を破ることはいとわなかったのだ。つまるところ、市場をむしばみ、経済と社会の長期的な安定をゆるがしたのはIMFの政策だったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFを民間セクターの債権者のための政策を実施する機関だとみると、IMFのその他の政策ももっと理解しやすくなる。すでに指摘したように、IMFが重視したのは貿易赤字であり、危機のあと東アジアに課された大規模な緊縮政策は輸入量の急激な減少につながり、外貨準備金が大幅にふやされた。債権者への返済能力を心配する機関という観点からすると、これは理解できる。準備金がなければ、国や国内企業が借り入れたドルを返済できないからだ。だが、世界の安定と、関係諸国や地域の経済復興に焦点を当てたなら、準備金を増やすことについてはもっとゆるやかなアプローチをとり、同時に国際投機家の気まぐれから各国を守るため別の政策を考えていただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
透明性の欠如が指摘されているにもかかわらず、東アジアは著しい成長を遂げただけでなく、めざましい回復力をも示した。IMFやアメリカ財務省が主張するように東アジア諸国が「非常に脆弱」だったとすれば、それは透明性の欠如によるのではなく、別の良く知られた要因－IMFがこれらの国々に金融・資本市場の時期尚早な自由化を強く求めたこと－によるものだった。&lt;br /&gt;
振り返ってみると、こうして透明性を重視した理由が「透けて見える」。金融界にとっても、IMFやアメリカ財務省にとっても、責任転換して、自らの信頼性の危機を回避することが重要だったのだ。IMFと財務省が東アジアやロシアをはじめとする各国で勧めた政策は間違っていた。資本市場の自由化は投資の不安定化につながり、金融市場の自由化は貸し出し態度の悪化につながった。復興計画が思ったように機能しないと見ると、IMFと財務省はさらに責任を転換しようとして、真の問題は別のところ、つまり苦しんでいる各国自体にあるのだと主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ財務省は1990年代初頭に資本主義の世界的勝利を宣言し、IMFとともに「正しい政策」－ワシントン・コンセンサスに基づく政策－にしたがう諸国には成長が保証されると語った。東アジアの危機に際して、資本主義に問題があるのではなくアジア諸国とその誤った政策が悪いのだということが示されない限り、この新しい世界観はくつがえされてしまう。&lt;br /&gt;
だからこそIMFとアメリカ財務省は、問題は改革そのもの－資本市場の自由化、とりわけその神聖な信条の実現－にあるのではなく、改革が十分に実行されなかった事実にあるのだと論じざるを得なかった。そして、危機に瀕した諸国の弱さに焦点を当てることによって、自分たちの失敗－政策の失敗と貸し付けの失敗の両方－について責任を転換しただけでなく、その経験を生かして自分たちの政策をさらに推し進めようとしたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
グローバリゼーションは、民主主義とより大きな社会正義を求めて戦う活気のあるグローバルな市民社会をもたらすと同時に、世界の健康状態の改善をもたらした。問題はグローバリゼーションにあるのではなく、それをどのように進めるかにあるのだ。問題の一端は、国際的な経済機関、すなわちIMF、世界銀行、WTOにある。これらの機関は、ゲームのルールを決めるのに手を貸すにあたって、たいていの場合、発展途上国の利益よりも先進諸国の利益－それも、その一部の利益－を考慮してきた。そればかりでなく、グローバリゼーションへの取り組みでは、経済と社会についての特定の観念によってつくられた偏狭な思考パターンによって対処することがあまりにも多かったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
IMFの思考を支配してきたのが金融界の利害であるとすれば、WTOでは商業界の利害が同じように支配的だった。たとえばIMFは貧しい人々にかかわる事柄にすげない態度をとる。銀行を救済するためなら何十億という金を出すのに、彼らのプログラムのせいで職を失った人々には食料助成金とするわずかな金額さえ惜しむのだ。ちょうどこれと同じように、WTOも自由貿易をすべてに優先させる。エビ獲り網にウミガメもかかってしまい、ウミガメの種の存続が脅かされているとしてこのような網の使用禁止を求める人々は、WTOからにべもなく、そういう規制は自由貿易への不当な侵害だと告げられる。貿易の利益が他のすべてに、自然環境にさえも優先することを知らされるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最大の課題は機関そのものにあるだけでなく、思考パターンにもある。グローバリゼーションの潜在的利益を現実のものとするためには、環境に配慮すること、貧しい人々が自分たちに影響を及ぼす決定に発言権を持てるようにすること、そして民主主義と公正な取引を堅持することが必要なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界は複雑なところである。社会の各グループは、自分たちに実際、最も影響を及ぼす部分に関心を集中する。労働者は職と賃金が気にかかるし、投資家が気にかけるのは金利であり、債務の弁済を受けることである。高金利は債権者にとってよいことである－貸した金の返済を受けられる限りは。だが、労働者にとって高金利は経済の減速をもたらすものであり、彼らにとっては失業を意味する。彼らが高金利に危険を見てとるのは不思議ではない。また長期で金を貸し出した投資家にとって真の危険はインフレーションである。インフレが起こると、返済を受けるドルが、貸し出したドルよりも価値の低いものになるからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
問題なのは、広範な合意のない提案や政策勧告をあたかも定説樽かのようにIMFが提示することである。資本市場の自由化の場合がまさにそうで、根拠は乏しく、反証はたくさんあった。どんな経済もハイパーインフレのもとではうまくいかないということについては合意があるが、インフレを低いレベルで抑えることがどれほどの利益を生むのかについては意見の一致はない。インフレのレベルを低下させることがコストに見合った利益をもたらすという証拠は、ほとんどないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済学がすべてに優先され、経済学に特有のものの見方－市場原理主義－がすべてのものの見方に優先されることが、グローバリゼーションに対する不満をかきたてている。世界各地にみられる反対運動は、グローバリゼーションそれ自体－成長のための新しい資金源や新しい輸出市場－にたいするものではなく、特定のドクトリン、すなわち国際金融機関が押し付けてきたワシントン・コンセンサスに対する反対なのだ。言ってみればそれは、ただ一組の政策が正解として存在するという考え方に反対しているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由で束縛のない市場を信じる者にとっては、資本主義の自由化が望ましいのは明らかな事実であり、それが成長を促すことを示す証拠など必要なかった。たとえ資本主義市場の自由化が不安定化が不安定をもたらす証拠があったとしても、それは市場経済への移行にあたって耐えなければならない痛みであり、一つの調整コストに過ぎないとして無視されたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある機関の思考パターンは、必然的にその機関が直接的に説明責任を負う相手と関連がある。投票権が重要であり、また－投票権は制限されていたとしても－誰がテーブルにつくかが重要なのである。それによって、誰の意見が受け入れられるかが決まるからだ。IMFは、銀行小切手決済システムをより効率的にする方法のような、銀行間の技術的な取り決めに関与しているだけではない。発展途上国の何十億という人々の生命と暮らしに影響を及ぼす決定に関与しているのだが、途上国の人々はIMFの措置について発言権をほとんどもたないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
グローバリゼーションをしかるべきかたちで機能させるために必要な根本的な変革は、ガバナンスの変革である。これは必然的に、IMFと世界銀行の投票権の変更に伴い、また国際経済機関のすべてに変化をもたらす。それにより、WTOでは通称大臣の意見だけが尊重されることはなくなり、IMFと世界銀行では財務省や中央銀行の見解だけが受け入れられることはなくなるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
グローバリゼーションが民主主義に何をもたらすかである。グローバリゼーションでは、これまで主張されてきたように、国のエリート層による旧来の独裁が、国際金融による新たな独裁にとってかわられることが多かった。各国は事実上、一定の条件にしたがわなければ資本市場あるいはIMFに融資を断られる。要するに、主権の一部を放棄するよう強いられるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最も重要なのは、途上国には有能な政府が必要だということだ。つまり、強力で独立した司法部を持ち、民主的な説明責任を果たし、開放性と透明性を備え、公共セクターを成長を阻害してきた腐敗とは無縁な政府が必要なのだ。&lt;br /&gt;
発展途上国が国際社会に要求すべきことは、たとえば誰がリスクを引き受けるべきかについて、自らの政治的判断を反映するかたちで途上国自身が選択する必要と権利を手に入れること、ただそれだけである。発展途上国は、先進国のためにつくった雛型を受け入れるのではなく、それぞれの状況に適した破産法と規制体系を自由に採用できるべきなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国がとらなければならない政策をごく少数の人間が決定している限り、この種の開発は進展しない。民主的な決定が下されるようにするというのは、発展途上国の広範なエコノミスト、当局者、エキスパートが議論に積極的に参加できるようにすることを意味する。また、エキスパートや政治家だけでなく、幅広い層の参与がなければならないことも意味する。発展途上国は自らの将来を引き受けなければならない。だが、われわれ欧米諸国も責任を逃れることはできない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
経済学は選択の科学である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
to be continued・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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    &lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本のタイトルにあるように「棲み分け」という切り口で世界史、特に欧米の特徴を述べている。&lt;br /&gt;
別の言い方をすると、分離の対象領域の変遷であると思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自制的・生態学的な富の棲み分け」→支配被支配からの分離&lt;br /&gt;
「能動的棲み分け」→空間、時間そして、人間の分離&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
分離することがどうして欧米の覇権へとつながったのか。&lt;br /&gt;
条件の一つとして、欧米以外で分離が進んでいないことがあげられる。&lt;br /&gt;
当たり前のことだが、他がしていないことをしたからである。そしてそれを、世界標準にしたからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、逆説的だが、分けることで世界を一つにできたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
分離対象ではなく、分離基準で世界を支配しているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
分離の特徴の一つが、分離対象の運営のしやすさにあるのではないかと思う。分離の基準や根拠を基に運営すればいいからである。運営における判断基準が明確である。&lt;br /&gt;
だが、それは数字上だけのことである。&lt;br /&gt;
大事なことは、概念的に分離はしたが、現実にも分離されているのか？ということである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本書では、棲み分けの結果としてナショナリズムが生まれたことを示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例えば次の内容、「フランスには、標準語とされるフランス語の他に、西端ではケルト系のブルトン語、南フランスではプロヴァンス語などロマンス語系のオック諸語、スペイン国境では、なんと非インド＝ヨーロッパ語であるバスク語とロマンス語系カタロニア（カタルーニャ）語、ベルギー国境ではドイツ語系フラマン語、ドイツ国境のアルザス・ロレーヌ地方でもドイツ語系が使用されている。・・・だからこそ、こうした地域において標準フランス語、標準ドイツ語、標準英語が強制的に教育されていった。フランス革命では外国語はもとより標準語以外の方言もすべて使用禁止とされた。ここに国語（標準語）が成立したのである。そして、国語の普及には初等教育制度による識字率の向上が不可欠となった。同一規格の教科書を使った国語教育、さらに音楽教育（日本でいえば文部省唱歌のようなもの）によって正書法も発音も同時に均一化され、無味乾燥な国語が人工的に創られていった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生活に根差していないナショナリズムの台頭は、そのままバーチャル生活への入り口ではないか。&lt;br /&gt;
言語の発生と言語の役割などについての理解はほとんどないが、少なくとも各地域の言語はその地域生活と密接な関係があるはずだ。&lt;br /&gt;
生活に根差した言語を取り上げられ、運営上の理由による与えられた言語で生活することは、「お前はもう死んでいる」状態ではないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
分離によりバーチャルな生活を余儀なくされているのが現代である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、”分離”そのものが悪いのではない。目的達成のために目的に合わせて分離することは大切である。&lt;br /&gt;
しかし、その目的を決めるのは各人である。&lt;br /&gt;
人間は、分離対象ではなく分離する側であるべきだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、分離基準が歴史も文化も異なる欧米が決めたとなると、ほかの地域（アフリカ、アジアなど）の生活はどうなるのか。&lt;br /&gt;
その結果は、グローバル化の状況がそのまま答えになるのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来「棲み分け」されていないのに、「棲み分け」することによって資本主義・サイエンスが発達し現在にいたっている。&lt;br /&gt;
「棲み分け」る、分離する基準が自由に決められるなら、人類がさらによりよくなるためにはどんな「分離基準」が必要であろうか。&lt;br /&gt;
もしくは、分離そのものから脱却しないといけないのか。&lt;br /&gt;
これまで分離してきたものを統合するような分離基準はあるのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こう考えると上記の問いの答えが見えてくる。&lt;br /&gt;
「概念的に分離はしたが、現実にも分離されているのか？」&lt;br /&gt;
現実は、なにも分離はされていない。しかし、生活すること自体それに合った分離が必要である。&lt;br /&gt;
酸素を吸って二酸化炭素を吐くように、人間が生存するにも多様な化学物質などを振り分けて生存している。これは生活にもいえる。&lt;br /&gt;
人間の生体かつ生態に則した分離基準を基に生活を設計すればいいのだ。&lt;br /&gt;
分離基準は己自身ともいえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分で決めた分離、「自発能動的棲み分け」を行う必要がある。それが社会的棲み分けとどう折り合いをつけるかは、その目的次第なのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「棲み分け」はあくまで手段である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人類のためになる目的を定め、「自発能動的棲み分け」により新たな価値を提供したい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4140912227&amp;linkId=2aacc368cd0191cc02140724ceea08ad&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
    &lt;/iframe&gt;&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/2150068130074855365/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/2150068130074855365' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/2150068130074855365'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/2150068130074855365'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2017/10/1312.html' title='「棲み分け」の世界史（食べる読書131－2）'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-7027802372005779607</id><published>2017-10-22T21:17:00.001+09:00</published><updated>2017-10-22T21:17:10.598+09:00</updated><title type='text'>「棲み分け」の世界史（食べる読書131-1）</title><content type='html'>&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4140912227&amp;linkId=9e1e27543a33bb7e9f816f94a645e640&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
    &lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
モスクワ大帝国を引き継いだ帝政ロシアは、17世紀末から18世紀初頭のピョートル大帝の時代に、ヨーロッパの学問、軍事技術、宮廷文化などを輸入し、ヨーロッパ型の文明に接近した。しかし権力は皇帝へ一極集中し、ヨーロッパ型の封建制が展開しなかった。封建制に由来する権力の棲み分けを重視する本書としては、このような歴史を持つロシアをヨーロッパ史の枠組みで語ることは困難である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
富の棲み分けは大航海時代にさらに促進された。一五世紀以降の海外進出が様々な職人の技術を必要としたからである。船舶の建造法、航海術、測量術、地図・望遠鏡・武器の製作などである。ヨーロッパの海外進出が職人の技術を必要とし、それが技能の競争を生み、彼らの富の獲得を可能にした。職人が富を引き出せるチャンスが、ある意味無限に存在していた。富（貨幣）獲得のチャンスの多さが、職人の技能を向上させたのである。こうして国家も職人の技能から富を得るようになり、その社会的地位を認知するようになっていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国では鄭和の航海の後、造船所が皇帝の命令で壊された。全長百メートル以上、幅五〇ｍ以上の巨大戦艦数十隻に二万人越えの人間を積み込み、インド、ペルシア、アラビア半島、さらにアフリカにまで及んだ鄭和の大航海を実現した中国の造船・更改技術は、一五世紀には間違いなく世界一の水準にあった。しかし以降失速する。彼らは鋼鉄製の蒸気船も造れなかった。オスマン帝国では、印刷所が危険思想を流布するとして閉鎖された。このように、権力の一極集中は時として技術の向上をストップさせてしまう。反対に、ヨーロッパでは権力が棲み分けし、優れた製品をもとめる権力者がたくさん存在した。敵対する権力との争いの中で、例えば武器なら性能の良い方を好んで買ったであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中国やイスラム圏ではよい製品をつくっても、職人がそこから富（貨幣）を引き出すチャンスがなかったのである。市場は大都市（皇帝所在地）と少数の中規模都市に限定されていた。極端に言えば、良い製品を認める権力者は皇帝及び官僚しかいなかった。富を独占していた皇帝が興味を示さなければ、商人はその「良い製品」をいったい誰に売ったらよいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、権力、都市（市場）、富の棲み分けのなかった中国やイスラム圏では、皇帝が技術の発展を阻害する一方、職人に富が入ることも、職人の地位が向上することもほとんどなかった。だから職人同士の競争もなく、技術はある段階でストップした。職人の競争からサイエンスを生んだヨーロッパとは対照的であった。だから科学革命も産業革命も、そしてもちろん後述する資本主義もありえなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
良い製品や良い機械をつくれば富が入るチャンスはヨーロッパ中どこでもあった。しかし当時のイギリスは綿織物・紡績機・蒸気機関・製鉄で「より儲かるチャンス」があったのである。ある意味で各種棲み分けの成果を一番享受できたのが一八世紀から一九世紀にかけてのイギリスであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
医学者を筆頭にサイエンティストの社会的地位は権威主義的になるほど上昇した。サイエンティストのエリート化と、彼らを養成する大学の社会的地位の向上が、資本主義社会の要請に合致していた。サイエンスの発達は資本主義国家に富をもたらすと考えられていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、資本主義とサイエンスは一心同体で、しかも加速度的に自己増殖している。われわれ現代人の思考パターンもそれに合致するように教育あるいは洗脳されている。現代社会は資本主義・サイエンス的思考法で運営され、われわれはそこから逃れられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
非ヨーロッパ圏で早くから展開されていた、「人々の移動の自由、生業・職業選択の自由、自由主義市場」が展開された経済システムを「レヴェル1の資本主義」と名付けよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
資本家が、多くの賃金労働者を工場に集めて、一部は機械を使って大量に工業製品（農産物ではない）を持続的に生産・販売し儲けをあげていく経済システムを「レヴェル2の資本主義」と呼ぼう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マルクスは労働力でそれを説明する。百人の労働力と百人の労働力の生産物は等価である。ところが一人が操作する一台のトラクターが百人の労働力の仕事をすれば、A国で製造されたトラクターをB国が購入するためには、A国に提供しなければならない。たった一台の工業製品で取引相手から膨大な資源・原料や農産物を引き出すことができる。だから工業製品を作れる国、団体、人に儲けが集まる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自制的・生態学的な富の棲み分け」は、当初から各人に富が配分されていたわけではなく、富を獲得するチャンスが多いということである。しかし最初から「富」は保証されるが一定以上は増えないこともわかっている「富の能動的棲み分け」社会＝ソ連では、サイエンスは、かつての中国やイスラム圏のように、ある段階でストップしてしまうのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヨーロッパに「資本主義の精神」（金儲け精神）が浸透する過程で、同時にサイエンス的発想が浸透していった。サイエンス的行為とは実験・観測・測定・臨床である。この作業を効率的におこなうために、「数値化、合理化、均一化、画一化、マニュアル化、様式化」といった手法が採用された。資本主義も同じである。儲けを生むためには「数値化、合理化、均一化、画一化、マニュアル化、様式化」が有効である。私が、資本主義・サイエンス的思考と呼ぶものはこれである。資本主義もサイエンスも富の棲み分けの産物であり、同根である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聖俗の棲み分けは、特定の空間と特定の時間には一つのことしかできないという発想である。これが資本主義社会に適合的なのである。例えば、十九世紀初期には、まだフランスの職人や労働者は、伝統に従って、仕事の合間にワインを飲んだり居酒屋に行ったりしていた。ところが同世紀後半になるとこういった行為は徐々に許されなくなっていく。工業化が始まると、工場や仕事場は、まさに仕事をするだけの空間となっていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フランスには、標準語とされるフランス語の他に、西端ではケルト系のブルトン語、南フランスではプロヴァンス語などロマンス語系のオック諸語、スペイン国境では、なんと非インド＝ヨーロッパ語であるバスク語とロマンス語系カタロニア（カタルーニャ）語、ベルギー国境ではドイツ語系フラマン語、ドイツ国境のアルザス・ロレーヌ地方でもドイツ語系が使用されている。・・・だからこそ、こうした地域において標準フランス語、標準ドイツ語、標準英語が強制的に教育されていった。フランス革命では外国語はもとより標準語以外の方言もすべて使用禁止とされた。ここに国語（標準語）が成立したのである。そして、国語の普及には初等教育制度による識字率の向上が不可欠となった。同一規格の教科書を使った国語教育、さらに音楽教育（日本でいえば文部省唱歌のようなもの）によって正書法も発音も同時に均一化され、無味乾燥な国語が人工的に創られていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
19世紀以降のヨーロッパは、なぜそんなにナショナリズムにこだわったのか。一つの説明として、ナショナリズムによる言語の純化（標準語化）が、工業化や近代的軍隊にとって効率的であったからというものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナショナリズムは物語に過ぎないかもしれないが、それが国際的なゲームのルールになってしまったため（いわば世界標準）、こだわっていなかった国も巻き込まれざるをえなくなったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
理念的あるいは心情的にはアトム化した個人を国家に結びつけるにはナショナリズムは便利な装置である。ナショナリズムによって国家内部の対立、とくに金持ちと貧乏人、あるいは多数派民族と少数は民族の対立・相違をある程度隠蔽ことが可能だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国家という空間を「同一民族」で構成しようとするから、ナショナリズムには「異なった民族」を排除する傾向があると述べた。これが人間の「能動的棲み分け」につながる。つまり、空間の「能動的棲み分け」によって「異なった民族」「異なった人間」を排除しようとする傾向が進むと、人間を「能動的に」棲み分けさせて異なる要素を排除しようとする発想が必然的に出てくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
われわれはつい「西洋諸国＝民主主義国家」とイメージしがちであるが、少なくとも第二次世界大戦以前で議会民主主義を採用できたのは植民地をもっていた国家だけだったのである。イギリスやフランスでは植民地のおかげで民主主義が機能していたのである。少し説明しよう。植民地の存在が工業化を促進し国家に富をもたらした。それによって国民がある程度裕福になったので不満は抑えられた。それに対し、農業国家のままであった東洋諸国は工業化した植民地国家の収奪地でしかなかった。国民の不満は常にくすぶっていた。先進国の収奪に対抗するため、さらに国民の不満を抑えるためには独裁者、とくにカリスマ的独裁者が必要であった。現在でも議会民主主義の機能しているのが先進国や新興国といった豊かな地域に限定されているのを知っている読者、中東や北アフリカあるいはラテンアメリカの現状を知っている読者ならおわかりであろう。先進国の収奪を免れるためには独裁制もやむをえないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北米は、人間の棲み分けのもとに発展したといってよいのだろうか。それは少し違う。空間・時間の「能動的棲み分け」の発想と連動して工業化したというのが正解である。しかし「能動的棲み分け」は必然的に人間の棲み分けに連結する。これが悲劇であった。ともあれ、人間の棲み分けが徹底された北米が工業化し、それが不徹底だった中南米が工業化できず今でも貧困状態にあるというのは（ブラジルのように新興国として抜け出しそうな国もあるが）、残酷な現象である。人間の棲み分けに成功した方が経済的に豊かになるなんてどういうことなのか。こちらの方がおかしいとは思いませんか？確かに空間・時間の「能動的棲み分け」は資本主義の発展には適合的である。中南米ではそれが実行・成功できなかった。しかし、この「能動的棲み分け」の冷酷さが、欧米に世界の覇権を握らせた「武器」でもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヨーロッパの人間の棲み分けの論理が「普通でない」ことに、どれだけの人が気づいているだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
マーシャル・プランの目的は、ヨーロッパにアメリカのための巨大市場を再生させることであった。要するにアメリカ製品の販路として、ヨーロッパ人の購買力を復活させなくてはならなかったのである。そのためのヨーロッパ経済の再生、さらにいえば経済的統合は、アメリカにとっても都合がよかった。アメリカもただではお金を出さない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
EUとは何なのか。私は「ヨーロッパ人の国」という巨大な国民国家をつくる夢、しかも完成することのない夢であると思う。十九世紀に成立した国民国家の原則は、同空間＝同民族＝同言語である。それがナショナリズムである。この原則を当てはめてみると、いーろっぱという空間を設定（創造）し、そこにヨーロッパ人を創出し、ヨーロッパ語という言語を均一化しなければならない。これにはフランス革命以来できあがってきた個別の国民国家を一度壊し、新たに「ヨーロッパ国民国家」を創るという作業を行う必要がある。そんなことができるだろうか？無理である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナショナリズムが暴発して独立にいたるのは必ず貧しい農業国である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「貨幣関係のネットワーク」が社会全域に浸透すると同時に「資本主義の精神」という「共同幻想」が浸透する。（ちなみに、すでに物々交換の段階から、交換はすべて共同幻想に基づいておこなわれていた）。これを「レヴェル1.5の資本主義」と名付けてみよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私に理論からすれば「レヴェル2の資本主義」の勝者になるには、その前提として「レヴェル1.5の資本主義」が展開され、その結果少数の「金持ち」（資本家予備軍）と多数の「貧乏人」（労働者予備軍）が生まれる必要がある。それが成立する条件は、権力・人口・都市（市場）・富の棲み分け及び農村内での職の棲み分けが存在していることであった。もちろん皇帝一極集中型のロシアでは各種棲み分けがなく、したがって「レヴェル1.5の資本主義」も展開されなかった。大量の「賃金労働者予備軍」が存在しなかったから、農奴を開放してそれを創出しようとしたのである。しかし、ロシアでは農奴解放後も農民は「社団」といった農村共同体から離脱できなかった。彼らが農村共同体から離脱して「賃金労働者予備軍」になれたのは十九世紀末以降のことであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヨーロッパの「自生的・生態学的棲み分け」が資本主義とサイエンスを生んだ。サイエンスと資本主義に連動するように、欧米人は空間・時間の「能動的棲み分け」を始めた。資本主義・サイエンス・能動的棲み分け。この三者は確かに適合的で相性が良い。ただそれだけでなく、今やこの三者は合体して意味もなく勝手に自己増殖して制御不能になりつつある。制御不能にしているのはわれわれ人間である。しかし制御することもできるのも人間であるのだ。制御できないと「ロボット社会」となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
to be continued・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=qf_sp_asin_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4140912227&amp;linkId=9e1e27543a33bb7e9f816f94a645e640&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
    &lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/7027802372005779607/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/7027802372005779607' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/7027802372005779607'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/7027802372005779607'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2017/10/131-1.html' title='「棲み分け」の世界史（食べる読書131-1）'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-1108861905217395667</id><published>2017-06-17T02:29:00.000+09:00</published><updated>2017-06-17T02:29:40.909+09:00</updated><title type='text'>生きる</title><content type='html'>生きることを目指してきた&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いつからかはわからない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
単に意味を見いだせなかった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いや、自分本来の好きなことをする余地がなかった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただそれをしているだけでいい&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別に生きる目的などなくても、それをしていればいい&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それをすることで飯を食っていくことはできない世の中だとわかったから&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来はわかっていないのだが、世の中の価値を優先した&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
空は青く、かぜはさわやか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何もないのだ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
苦しみも悲しみも喜びも怒りも&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分には何もない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だから、それがいい&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
痛みがあることが生きている証だという&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たんに捉われてるだけだろ、と突っ込みたくなる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捉われることで自然から離れてしまった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自然とともにある動物はあるがままがすべてだ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生きるという概念はない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、営みの中にあり営みを成すものである&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただあるがままでいることによってのみ達成する&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すべてが無意味だ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこに無理に意味を創る必要もない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
意味を創ればありのままではいられなくなる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分が自分であること&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何物にも足らわれない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分自身にも&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
腹が減ったら飯を食う&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
眠たければ眠る&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
子孫をつくるのも成行きだ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
性欲に流されればいい&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
空虚である暇と退屈を弄びたい&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/1108861905217395667/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/1108861905217395667' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/1108861905217395667'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/1108861905217395667'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2017/06/blog-post.html' title='生きる'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-8419838192760029221</id><published>2017-05-06T22:15:00.001+09:00</published><updated>2017-05-07T00:47:58.369+09:00</updated><title type='text'>巨悪の正体（食べる読書130）</title><content type='html'>&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4877713654&amp;linkId=3292f9a3e21218ab7d0a8c3fbaaebf6e&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066C0&amp;bg1=FFFFFF&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日々実感しておりこんな社会の中でどう生きていくか、が課題ではあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような本が出るほど日本の白痴化は進んでいるんだな、と改めて実感した次第です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分を通して人間がクソであることは実感していてそのクソっぷりとも依然と比べればうまく付き合っていけるようになってきたかなあ、と思っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしながら、落ち込んだ。ここ最近ないほど、この本を読んで落ち込んでしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
覚悟のなさに対してだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この本を読んで自分の無知さや考え方に対しても見直す機会となったが、&lt;br /&gt;
そんなことよりこの時代・社会に生きて何をするのかが定まっていない自分の現状に対して落ち込んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このブログも結局マスターベーションの域を出ていないなあ、と実感しつつその後に清々しく行動できることを期待しよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
善悪、正邪も合わせのめる人間を目指そう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪をもって善を成すように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全ての基準をぶっ壊して自分ですべてを一から造れるように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような本が出ること自体恥と思うべきだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情けない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
誰一人自分の足で立てないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悔しいし情けない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、この悔しさを動機とはしない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
感情によってできる志など存在しないと決めたからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自身のカスさを目的達成のために利用できる人間になろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情報が世の中を作り、噓の情報が流されているとしか考えない人々こそ、実はグーミンの域を出てはいないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我々は子どもにクスリを与える社会を作り、社会毒だらけの食べ物が売られている社会を作っている。毒まみれで全く栄養のない給食を平気で与え、子どもの才能をすべて破壊するための画一教育を押しつけ、放射能を与え、戦争をするような国づくりを進めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
根底からシステムを変えるしか方法がないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
陰謀論は社会毒の初歩を理解できた後に、「なぜこの世の中がこうなってしまっているのか」という社会システムを理解するうえで欠かせない考え方である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ショックドクトリンや軍国や独裁や情報操作への模索は、より強く進められており、アメリカから無駄で買わされたオスプレイはそれを象徴している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最初に考えるのは「現実」がどうであるかということ、そして「歴史」はどうやって繰り返されてきたのかに、目を向けることである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ジンルイの歴史上の病気の変遷も、年代統計的なことに対する説明も、脂溶性毒もミネラル毒も、論文はどういう形で嘘として作られていくかも、人々が科学的根拠としてすがっている二重盲検試験がいかに噓かも、何も語ろうとはしないし語れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いわゆる災害心理ケア、災害時の睡眠薬や安定剤の導入は、災害時だけでなく災害後に多くの弊害をもたらし、災害後に自立するチャンスを激減させてきた。これらは麻薬であり、心理ケアは実は宗教勧誘と依存形成みたいなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代替療法で末期ガンが治ったということはよく見かけるが、三大療法（特に抗ガン剤や放射線治療）で末期ガンが治ったという話は見ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現実を見ながら「歴史」を振り返り、陰謀論的構図や概念について深く理解したうえてえで、また「現実」に戻ってくることこそが陰謀論的概念を役立てるうえで必須なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
陰謀よりも「歴史」よりも重視しなければいけないのは、国民の思考、市民の思考、奴隷の思考がそれを作り上げたということなのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いま、政治的にすべきことは何なのか。&lt;br /&gt;
それは日米地位協定や日米合同委員会その他、奴隷国であるシステムを国民自身で破棄し、その手先である官僚やメディアなども国民に真実を曝し、真の意味での富国強兵を推し進めることだろう。&lt;br /&gt;
大東亜戦争時代、日本は悪いこともしたが、東南アジアの人たちには押し並べて好感を持たれた。そして、その第一の理由は欧米植民地主義とアジア人を奴隷から解放したことだった。それを現在に適応するなら、超富裕層だけが儲かる経済政策をやめ、税金年金をやめ、市民レベルで経済が循環して儲かるシステムに変え、国力を増強しアメリカ軍に頼らず自衛隊を強化、思いやり予算などすべて破棄して国軍につぎ込めば良い。&lt;br /&gt;
そして薬などの無駄な医療費を削減して真に治る医療と福祉に注ぎ、原発は封鎖して代替エネルギー事業を進めて汚染地域は閉じ込め、司法力は強化すると同時に公開原則も強化、通名廃止し、二世議員も禁止、自立した国を作るために一次産業を強化することこそ、現代の日本人がやらなければいけない植民地主義からの解放運動である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本当の量子医学は古代医学と同様、すべてオーダーメイドであり個別に対応できる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「現実」の結果と既存科学のどちらを重視するのか、本来は言うまでもないことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世の中で混乱が起こるとき、いつも善い人のふりをする第三者が対立する双方に介入し、内ゲバのようなものが起こるのが特徴なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すべて探知できるシステムを持っていながら、ニュースにはここぞというタイミングでいさかいを煽っていることさえ知らない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ニュースでいさかい報道が行われる&lt;br /&gt;
↓&lt;br /&gt;
攻めてくると恐怖する&lt;br /&gt;
↓&lt;br /&gt;
きれいごとを言い、日本を守るという売国奴に手を貸す&lt;br /&gt;
↓&lt;br /&gt;
最終的に自分が死にやすい状況を作る&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間は自分の心を支え、自我の崩壊を防ぐため、事実を見るよりも自分を守る方を優先するように設定されているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本の社会毒的実情は添加物も世界一、農薬も世界一（もしくは世界2位）、放射能も世界一、電磁波も世界一、CT保有も世界一、病気になる率も世界一、奇形や種が維持の発症も世界一（もしくは世界2位）、医療も福祉もカス丸出しでもそれを理解できない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もし本当に俯瞰しているなら、「俯瞰して見る」などという言葉は決して使わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分がカスでありバカであり、データは常に作り変えていくというデータを入れることで、執着や脅迫や正義感に溺れる自分ではなく、好奇心と発展心にあふれた自分を作り出していくことが重要である&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間はそもそも現代病にならないのだ。野生動物もまた現代病にはならないし、先住民は全くと言っていいほど虫歯はなく、先住民には全くと言っていいほどガンがなく、先住民には全くと言っていいほど生活習慣病がなく、先住民には全くと言っていいほど膠原病がなく、先住民には全くと言っていいほど遺伝病がない。このことが、1900年代の先住民研究で分かっている。&lt;br /&gt;
もっと言えば100年前と今の日本でさえ、全く病気の質が違うことはわかっているのだ。100年前には現在でいう「医学」自体が存在しないし、非常に偏った食事をしていたのに、当時の人々は外傷や感染症にさえならなければ、現代病は少なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代西洋医学は外傷や感染症の側面だけは進歩したが、ほかの病気についてはむしろ治さないようにしているのが現状である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
物質の精製が肉体を滅ぼし、精神の精製品である愛と癒しが心を滅ぼしたと言えなくもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
筋力トレーニングは医学的に言うなら筋肉を破壊する行為であり、一度筋線維を切ろうとする行為でもある。そうすると人間は衰え進歩しなくなるかというとそうではなく、筋肉を破壊すればより強力な筋肉が生み出されるというシステムになっている。&lt;br /&gt;
実は精神にだって似たようなことがあるのは、皆さんも知っているのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本質的に言うなら、あなたが本当に嘘をついていないとすれば、すでにその物事は成就しているはずなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世の中にはどんなにきついことがあっても、強くたくましく生きている人がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
依存症は自分の中にある深層心理を全く見ることが出きない存在なのである。&lt;br /&gt;
それに比して自立とは一種の執着の解放でもあり、悟りっぽいところもあるので、自分の深層心理をいつも直視しようとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あなたがもし真の意味で危機感を自覚していれば、きっと今の仕事などやめてしまうくらいに行動する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インターネット上にはいろいろな社会問題の記事があふれているが、社会が何一つ変わっていないのは、私たちの自覚がまだ全くないからであり、私たちの深層心理に自分たちが気づいていないからなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の問題に対して責任が取れるのは自分のみである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
決断に自分の責任が伴っているからこそ、本当の意味で自分に悔いのない行動がとれるようになるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人々が精神を病む理由の一つは、伝える能力のないことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あらゆるジャンルの教養が奴隷としてつないでおくための道具である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あらゆるものは奴隷を奴隷であるように設定するために己自身が作り上げた、壮大なペテンでしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ジンルイが「優しさ」とか「正義」などとホザイテいるから、あらゆる争いが起きているんじゃないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真の意味で自立している人とは、自分の軸を持ちながら多くの目的を見据える人だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; src=&quot;https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&amp;t=daitakahira2-22&amp;m=amazon&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;IS2=1&amp;detail=1&amp;asins=4877713654&amp;linkId=e3a0fd226de82e28d298d5c950613289&amp;bc1=000000&amp;lt1=_blank&amp;fc1=333333&amp;lc1=0066c0&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
私は、哲学が好きだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、哲学とは何かについて深く考えたことはなかった。「Good Luck」を読んで、現時点における私の答えが出た。「哲学とは、自分の創造である」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
黒田官兵衛は、私の最も好きな武将である。その生き様や境遇、考え方にどこか愛着を感じるのである。彼は優秀であり、天下人である豊臣秀吉から天下を取れると恐れられたほどの人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、彼が天下を取ることはなかった。私が、彼に注目する理由の一つがここにある。能力があったのに、なぜ天下を取れなかったのか。彼を通して、織田信長、豊臣秀吉そして徳川家康といった英雄を観ることで、より本質が見えるのではないかと考えるからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現時点における私の考察は、こうである。当時の人は彼らをどう評価するか、である。人々の黒田官兵衛の評価はおそらく「優秀」、であろう。一方、織田信長はどうであろうか。「気狂い」、「何を考えているかわからない」、「評価不能」といったところであろう。豊臣秀吉は、「人たらし」、「なぜか惹かれる」、「無邪気」、であろう。徳川家康は、「ずる賢い」、「手に負えない」、であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
官兵衛と他 3 人の違いは、ここで浮きぼりになる。キーワードは“ルール”である。官兵衛は、ルールに忠実に従う者である。他 3 人は、ルールを創造する者である。当時の人は、当時の評価基準 (ルール) に照らし合わせ、官兵衛を優秀であると評価するだろう。一方、他 3 人に対して当時の評価基準では測れないのではないだろうか。だから、異常であるという評価しかできない。当時のルールに合わないからといって、彼ら 3 人が何も考えていないのではない。むしろ最も考えた者であり、冒頭の言葉を使えば、「哲学を持っていた」、となる。黒田官兵衛は、この本の登場人物で言えば、サー・シドである。しかし、他 3 人はこの本では該当する人物がいない。敢えて言うなら、王もしくはマーリンであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社長にとって、黒田官兵衛のような社員が最も欲しいというのはわかる。それは、サー・シドのようにしっかりと準備を怠らず、事にあたるため、目的を果たすことが多くなるためだ。社員教育として「Good Luck」は最適と言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
会社に対する理想の社員像はわかった。では、社会に対する理想の会社像とは何であろうか。その時代と社会の要請によって変わってくることは容易に想像できる。現代の理想の会社とはどんな会社であろうか。おそらく、現代の問題を解決する会社であろう。それは、次の時代を創ることでもある。織田信長や徳川家康のように、である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
重要な点はここからである。社員がサー・シドである社長にとって理想の会社は、同時に、社会に対しても理想の会社足りうるのかという点である。言い換えれば、サー・シドは、王足り得るのかという事である。黒田官兵衛は、天下を取れたのかという問題に帰結する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上述べてきたように、二つの能力が存在する。ルールを創る能力とそれを遂行する能力である。創業者は総じてこれら二つの能力を併せ持つと考える。上の問題は、ルールを遂行する能力に長けた者は、ルールを創る能力にも長けているのかという問いである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その答えは、ルールを創れば遂行することができるが、与えられたルールを遂行できるからといってルールを創れることにはならないということである。よって、サー・シドは王になれないし、黒田官兵衛は天下を取れないのである。根本的に違うのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、ルールは哲学を具現化したものである。なぜここで哲学が関わってくるのか、次回考察する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
to be continued・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
単純に力勝負で敗けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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戦で。&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
何年も何年もかけて準備してきた。砦となる梁山泊を作り、人も集まり、人材も育ててきた。&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
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調略・謀略も駆使してきた。&lt;br /&gt;
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小さな国と言えるほどまで形も整えてきた。&lt;br /&gt;
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もともとくすぶっていた想いをここまで形にした。&lt;br /&gt;
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しかし、&lt;br /&gt;
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敗けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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最も大切で貴重な情報とはなんだろうか?&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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それは自分が変わる情報だろう。もちろん良いほうへの変化ではあるが。自分の目的を達するためのだ。&lt;br /&gt;
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その情報はどこにあり、どうやって手に入れるのか?&lt;br /&gt;
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目的に向かっていくことでしか手にできない。そして、それを手にすることで、さらに貴重な情報へと達していく。そうやって、結果として目的を果たすのだ。&lt;br /&gt;
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どうやら梁山泊の闘いはまだ続くようだ。&lt;br /&gt;
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というより、ここからが本当の梁山泊が試されているのだろう。&lt;br /&gt;
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梁山泊の生き残りどもは、この時誰も見れない景色を見ているのだろう。&lt;br /&gt;
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それは、よりクリアな、宋打倒への道だ。&lt;br /&gt;
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そして、その後の新たな国の形も…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
情報を制する者がすべてを制すると思っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここでいう情報というのは、単なるデータでもなくインテリジェンスでもなく、目的を果たすために必要なものを見つけられる能力とその情報をそうだと認識することをも含まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うまく表現できないが、帰納法や演繹法では測れないものだ。&lt;br /&gt;
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禁軍の全力を引き出したということ、軍だけでなく政治面などその他の面でも宋の全体を把握できただろう。&lt;br /&gt;
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今までとは違う高みで闘える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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楊令伝。&lt;br /&gt;
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梁山泊が単なる反乱でなかったことが良かった。まだ、終わっちゃいないんだ。ここは、通らねばならない道なんだとわかった。&lt;br /&gt;
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小っちゃく考えてしまったなあ…。&lt;br /&gt;
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志。&lt;br /&gt;
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自分の人生で成し遂げられるようなものではない。もっと普遍的で、自分が奮い立つ・・・。&lt;br /&gt;
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真剣に、志を作ります。&lt;br /&gt;
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宋江は死んだが、宋江が作った志はこれからも人を繋げ、生き続いていく。&lt;br /&gt;
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俺は、絶望のどん底にある人を包み込み、一歩踏み出させる光を作れるだろうか。&lt;br /&gt;
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より多くの人へ、どう貢献するのか。&lt;br /&gt;
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課題はたくさんあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分たちの国が欲しいというのは、志を全うすることより、ずっと自然なことだと思う。腹が減ったので、食いものが欲しいという思いにも似ているだろうな、武松」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は、梁山泊を見つめている。そして、叛乱とはなにかを、考え続ける」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「戦うことは、つらい。耐えるしかないことばかりだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私が死んで潰れるような梁山泊など、ない方がいい。志は、誰の心の中にもある。私が死んで、なくなるようなものではない。わかるか、私の言う意味が」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敵をどうすればいい、という方法はない。総力戦とは、そういうものだ。耐えて耐えて、敵が倒れるのを待つ。あるいは、自分が倒れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「腰抜けが。死なぬかぎり、負けたと思うな。それが、梁山泊の漢ぞ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「兵たちには、絶えず声をかけてやれ。新しい国のために、志のために戦っていると、語ってやれ。死ぬなよ。勝つまで、死ぬな。すべてが尽きても、命そのもので、敵に食らいつくのだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦の機は、自分で作る。相手には作らせない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おまえだけではないわ。秦明であろうと、関勝であろうと、そうであったろう。将軍として一軍を率いていても、中央からの命令には従っていた。つまり、最後はなにも決めてこなかったんじゃ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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「聞煥章様が、試練を与えられることです。そうやって育てられたと、本人に思わせることです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いかがですか。自分を失うことなく、闘うことがお出来になりますか？」&lt;br /&gt;
「気負わず、臆せず。そうしようと思っている」&lt;br /&gt;
「ある境地に、達しておられます。童貫に勝てる、少なくとも宋江殿は勝てる。そんな気がいたします」&lt;br /&gt;
「私が負けても、梁山泊が勝てれば、それでよいではないか」&lt;br /&gt;
「その境地です、まさに」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「軍人どもは馬鹿だから、信用せん。それに、豪胆そうで、実は臆病だ」&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
「人は、死ぬものではなく、生きるものだ。宋江殿なら、そう言われるでしょう」&lt;br /&gt;
「長く戦をやっていると、見事に死んでみたいと思うようになるものよ」&lt;br /&gt;
「わかるような気がします」&lt;br /&gt;
「戦は、殺し合いだ。だから、せめて意味があるものだ、と思いたい。梁山泊軍で戦えて、俺は幸せだ。宋主のために、宋国を守るために戦えと言われたら、俺は意味を見つけ出せなかったと思う」&lt;br /&gt;
「どこまでだったら、意味を見出せました？」&lt;br /&gt;
「たみのため。そこまでかな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おまえもな。片脚を失っても、まだ闘い続ける。そうやってはじめて、自分が生きていると思えるのだろう、と俺は感じた」&lt;br /&gt;
「まあ、そうなのかな。痛みを愉しんでいるようなところもあります」&lt;br /&gt;
「脚を一本なくして、お前、なにかふっ切ったな。そう見えるぞ。よく喋るようになったしな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
「宋江殿も、諦められたのですかな」&lt;br /&gt;
「あのお方に、諦めはない。私にない強さを、お持ちだ。闘えるだけ闘おう、と考えられているだろう。それが、戦で死んでいった者たちに対して、唯一できることだと」&lt;br /&gt;
「生きている人がいる。それは数多い。しかし、死んだ人間の多さは、無限に近いと思います。無限の死の上に、数多い人の生はあるのではありませんか？」&lt;br /&gt;
「なにを言いたい？」&lt;br /&gt;
「死は、無意味であると。だから、私は自分で死ぬことができないのです」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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敗戦を、どう処理するか。犠牲を、どう少なく済ませるか。張清は、ただそれに腐心した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「つまらんぞ、燕青。人がいつも、すべてを見せいているとは思うな」&lt;br /&gt;
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生きることは、別れの連続だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
人の世で生きるというには、あまりに酷いことが多すぎた。人の世で生きることこそまことの生だ、と王進は言った。それは、これほどの黒々としたものに包まれているのが、生という意味なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そうか。許されぬか」&lt;br /&gt;
「許さないことが、思いだという気がします」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
「人にとって尊いものがなにか、旗を観て考えてくれ」&lt;br /&gt;
ふと、自分が生きて帰る気さえないことに、楊令は気づいた。&lt;br /&gt;
「死ねぬぞ、その旗を持つかぎり。あらゆる人の世の苦しみも、背負うことになる。しかし、心に光を当ててくれる」&lt;br /&gt;
「死んではならないのですか？」&lt;br /&gt;
「こうしておまえに渡すまで、私は生きていたのだ」&lt;br /&gt;
「死にません。もっと、苦しんでみます。光が、ほんとうに当たるかどうか、生きることで確かめてみます」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
光はなくても、生きてみせる。どこまでも、生き延びてみせる。&lt;br /&gt;
生き延びた果てにも光がなければ、この世に光などないということだ。宋江の血が染み込んだ旗にも、なんの意味もないということだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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「士君子、すなわち国家有為の人物にはできることとできないことがある。君子は他人から尊敬せられるような礼儀道徳を自ら修め行うことはできるが、他人に必ず尊敬させるということはできない。他人から信用せられるような人格を作り上げることはできるが、他人に必ず自分を信用させるということはできない。他人に使われるような才能をみがくことはできるが、他人をして必ず自分を使わせるということはできない。だから君子は自分の行いの正しく修まらないことを恥ずかしいとは思うが、他人から恥ずかしめられることを恥とは思わない。自分に真心のないことを恥ずかしいとは思うが、他人から信用せられないことを恥とは思わない。自分に能力のないことを恥ずかしいとは思うが、他人に使ってもらえないことを恥とは思わない。だから栄誉に誘惑されず、非難されることを恐れず、道徳に従って行動し、正しく我が身を修養し、周囲のものごとのために動かされない、これをまことの君子という。「詩経」に、”穏やかでつつしみ深い人こそ、すべての徳の根本である”というのは、このことをいうのである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは、荀子の非十二子篇のなかの言葉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日常で目にする文言や言動など、ほとんどが商業的文脈の中で発せられるものであるのが現代ではないだろか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、人の道を説く言葉は日常生活の中にはちりばめられていないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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そんな時代に生まれ、どう歴史的役目を果たす人物へと自分を育てられるか。&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その答えの一つが古典から学ぶことだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上の言葉は、心にきた。と同時に、指針を示してくれ、多少なりとも、私の判断というか価値基準をはっきりと言葉にしたものだと感じた。こういう人間となりたいと思い続けてきた。なかなか現実化できてはいない。覚悟だったり、こう生きると決断していないのかとも思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由とはおそらくこういうことだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すべての基準は己で決める。人がどう受け取ろうが、それは相手の問題だ。こちらは関係ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
自立。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんなにすごい考えや思想が古典にはあるのかと、いまさらながら古典の普遍さに驚くばかりです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これからも学ばせていただきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よろしくお願いします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後の闘いが始まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
漢たちが最後を全うしていく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
秦明が死んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
林冲が死んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
林冲が死ぬとは思わなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死なないやつだと思っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にもそれぞれの死を迎えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう、小細工なんてしている時ではない。いまある力を出しきるだけだ。真正面からのガチンコ勝負。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すべてを懸けての闘いが人生の中であるのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真正面から、しっかり受け止め、見つめ続けて成し遂げる闘いはあるだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
がむしゃらに何かにむかったことはあるだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分を律し、この時のために準備してきたという闘いはあるか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人生に意味を与える大事なことだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「しかし、嫌いだよ、俺は。宋江殿には、なにかしら大きなものを感じる。李俊殿には、頼れるものがあるし、花栄殿は信頼できる。そう思わないか、張順?」&lt;br /&gt;
「俺たちは、俺たちの上に立っている人間のために、闘っているのではない」&lt;br /&gt;
「梁山泊のために、闘っているか?」&lt;br /&gt;
「いや、それも違う。心の底を見つめてみると、わかる気がするのだ。誰のためでもなく、自分のために闘っているのだとな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて、「替天行道」を渡された。&lt;br /&gt;
石勇は、それに心を動かされたわけではなかった。それを石勇に読ませようとする時遷が、たまらなく好きになっただけだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「こわいものは、仕方がない、しかし、このこわさが、いままで俺を生き延びさせてもきたのだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人が考えるより、馬はずっと勇敢であり、同時に感じやすい。それを人がわかってやることによって、傷も癒えるのだ。心の傷の方だが」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「時が、それほど都合のいいものだと思うなよ、林冲。眼の前から消えると、それが無上に大切なものだと思う。その思いは、消えぬよ。若い男と逃げて、死んでしまった妻でさえ、私は忘れておらぬのだから」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
負けたと思っている兵に、気を取り直させる時も必要だった。負けたことがない兵は、しばしば負けながらも生き延びた兵より、どこか脆いところもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大敗しても、まだ優勢であるというのは、童貫にとっては大いなる皮肉であったが、考える時を作ることはできた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は、私にできるかぎりの戦をやります。それ以外に、いま申しあげることは、なにもありません」&lt;br /&gt;
「それでいい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「わしは、山で朽ち果てるはずだった。夢もなく、恨みや憎しみも呑みこんで、人知れず消えていくはずだった」&lt;br /&gt;
「それが、派手な余生になったな、解珍」&lt;br /&gt;
「それよ。人生を、もう一度生き直したような気がする。そんなふうに思える人間など、どこにもおるまい」&lt;br /&gt;
「羨ましいかぎりだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分たちが恐怖を感じているのは、闘わずに負けることなのだ、丁得孫は思いはじめた。死ぬのがこわいのではない。闘わないまま負けるのが、こわいのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具足を着けるのは、好きではなかった。それ以上に、志というもので心を覆ってしまうのに、馴染めなかった。自分が梁山泊に加わったのは、兄貴分の李俊に従ったからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国の不正を糺そうとするなら、梁山泊にいる者はいかなる不正も犯してはならない。聚義庁が追及をしないのなら、自分が罰を与えてやる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「宋江殿に傷をつけてはならない。失敗から憎まれることまで、すべて自分で引き受ける。それが呉用殿でもある。実戦の指揮を離れた時から、自分はそれでいいと思い定めたのだろうな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宋軍の兵にも、家族はいる。殺されれば、当然その家族の心には、梁山泊に対する憎しみが芽生えることになるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人は、さまざまなものを、克服して生きる。自分が克服しなければならなかった、最大のものは、宦官であったということだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無抵抗の人間を斬ることに、阿骨打はいくらか気後れを感じているようだった。これまでも、そういう面を何度か見せている。&lt;br /&gt;
言い訳のように、あるいは自分を納得させるように、そういうことをいう阿骨打が、楊令は嫌いではなかった。しかし、これからもっと多くの人間を、殺さなければならなくなるだろう。&lt;br /&gt;
新しい国を作るとは、多分そういうことなのだ、と楊令は思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人の長い営みも、呆気なく灰燼に帰す。戦とは、そういうものでもある。軍と軍がぶつかり合うのだけが、戦ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦が好きだった。強い者を相手にして、完璧な勝利を収めるのが、なによりの快感だった。しかし、さらにその心の奥を探れば、恐怖があるのかもしれない。負けるかもしれないという恐怖。死ぬかもしれないという恐怖。&lt;br /&gt;
そしてそれを克服した時、はじめて自分を男だと感じることができる。&lt;br /&gt;
それは心の奥の奥に潜んでいるもので、自覚することは稀である。自覚したとしても、すぐに心の奥へ押しこめてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「頼むから、乗って逃げてくれ。生涯に一度ぐらい、女を助けた男になりたい」&lt;br /&gt;
「林冲殿」&lt;br /&gt;
「俺は、女の命を救いたいのだ。女の命も救えない男に、俺をしないでくれ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「戦には、経験も必要だが、もっと必要なものがあるのですよ、呉用殿」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「大きな組織になったものだ、梁山泊は。ひとつの国のかたちをなしている。それをなすだけでも、想像を絶する苦しさがあったろう。そのうえ、北と南にも眼を配っている」&lt;br /&gt;
「私は、呉用殿のお躰を心配していますよ、いつも。私は戦のことだけ考えていますが、戦をする力が梁山泊にあるということは、忘れまいと思います。その力を作られたのは、呉用殿です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「罵る相手が、いなくなった。私を罵倒する者もおらん」&lt;br /&gt;
林冲と公孫勝は、どこかで認め合い、通じ合うものを持っていた。鈍い自分にも、それぐらいのことはわかる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
想いを形にする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は、そのために生涯をささげたいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれだけ自分の思想が現実化でき、それが人々を成長へと導くか。虚なのか実なのか、この目で確かめたいと思う。マルクスの社会主義は、虚であったのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
闘いが最終局面に入った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
関勝が死んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
好きな人物のひとりであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
董平など、他にも多くが死んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
闘いとは違った視点での、局面の推移がこの巻にあると感じることがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
魯達と盧俊義が死んだことだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この二人は、宋江の「替天行道」を形にし、いまの梁山泊を形にしてきた立役者だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この二人が死んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
時の移り変わりを感じるし、梁山泊のあり方にも多少の変化があるのだろうと感じる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
０から１にはした。これからは、どれだけ大きくしていくか。その本質は変えずに、だ。その役目はいまの人たちが担うことである。呼延灼、張清、史進、燕青などだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
魯達たちは土台をつくった。われわれが生きるこの大地に根差した生活を実現するため、宋という国を支える民の中に根を伸ばし続け、組織立ててきたのだ。出発はこの足元にあり、これがそのまま基本であり、王道でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
思想を形にするために生涯をささげ、そのために生き、そのために死んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敬意を払わずにはいられない。その健闘をだ。成し遂げたのだ。そして、しっかりと次の人材も育っている。この偉業は、ほかの者では成せなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宋江や雷横とは違った敬意の気持が彼らにはある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
感謝。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「俺のやることのどこかに、穴があるか?」&lt;br /&gt;
「穴などない。しかし、穴は自ら穿つものだ、と考えている人間はいるかもしれん」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ひとつずつだ。ひとつずつ進めていくしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の人生が、自分の考え方ひとつで、意味のあるものになるのだと、心に沁みこむようにわかった。あの時のことは、忘れられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実戦がはじまれば、調略戦はあまり意味がなくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「われらはみな、梁山泊の民。いまは、力を合わせて宋と闘っている。やがて、勝つ。私は信じているが、それを見ることはできん。私の寿命が、尽きようとしているからだ。多くの者が死んだ。それ以上に多くの者が入山してきた。激しい闘いは、これからも続く。ともに戦えないのは無念であるが、わが魂魄はこの梁山泊にある」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひと時の感情で決めるな。あらゆることを考えて、決めるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
呂牛という男の弱点は、自尊心なのかもしれない、と燕青は思った。追いつめられた時、人はそれまで隠していた本性を出す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ならば、喋ることのないまま、おまえは毀れていく。喋ってはならないものを抱いたまま毀れるのと、どちらがつらいのだろうか?」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「俺は、志を抱いて生きた。志のかぎり、生き続けたかった。しかし、ここで倒れることになった。楊令、この無念さがわかるか。俺は、すべてを達観して、おまえと語ったつもりだった。しかし、心の底の無念さだけは、語らなかった。おまえに、見せようと思ったからだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「志を全うしようと思えば、病んでもならんのだ、楊令。俺は病んだ。腹の中にいる病ごときに殺されるのが、無念でならん」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「子午山で、魯達は自分がむかい合うものと、じっとむかい合ったのだと思う。そういう、静謐な時の中にいたようだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
進化論というのがある。ダーウィンが有名だが、環境に合わせるように、自らが変わっていくというやつだ。他の動物にエサを取られないために、キリンは首を長くした。などなど・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこには、どう生きるのかも同時に示してもいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
変化のきっかけは環境が用意してくれ、どう変わるかの選択は自分にまかされているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この巻は、多くの主だった人が死んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
裴宣、柴進、そして袁明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
梁山泊と青連寺。どちらも痛み分けのような形となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前者二人の彼らが梁山泊を支え、もう一人が青連寺であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここら辺りから、消耗戦の様を呈してきたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人が変わるのはこんなときだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
梁山泊、青連寺ともに、彼らが死んだことでここで終わりということはない。彼らが担ってきたことを新たに担う人材は双方共にいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新しい人材は、先人の死により花開く。それは、先人が死ぬことで何かしらを得るからではなく、より厳しい環境に置かれるためである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでと同じように生きていきたいなら、これまでと同じようにしていてはいけない状況にだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
優しい。とてつもなく優しいと感じるべきだろう。環境があなたに生きろといっているのだ。そのきっかけも与えてくれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
優しさと厳しさが同居している。決して相いれないものではない。アメとムチでもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もっと根本的なものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このことに気づけるかどうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのとき、本当の自分を解き放てる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
梁山泊はこうやってこれまでも人材の質を保ってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
青連寺がどう化けるかは楽しみではある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、私は、自ら変化をつくり出す人物となりたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分がここだと思ったところで、すべての力を出しきる。それこそが生きている意味だと、お互いに思っていることがわかったのだ。それも、大して言葉を交わさずに、わかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「戦には、陽動という策がある。陽動と見抜いたら、動かぬことだ。動けば、隙が出る。その隙につけこむための陽動だからだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は、軍人ではありません。ですから、きれいに割り切ってしまうこともできません。政事はいつも、絶対によいというものを選ぶわけでなく、よりよいものを選ぶということですから」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「梁山泊が、どういうところかわかっただろう。そして、ここに留まるべきかどうかも、そろそろ自分で判断できる。人はやはり、人生において、自分で選ぶ時というものを持つべきだ、と私は思っている」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「だとしても、一度だけ訊いてやれ。親が自分に選択させてくれた。後になって、そう思えることは大事だと思う」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「大きな企てばかりを考えすぎていた、とふと思ったのだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人間は、そんなふうに思いがけない自分であることもある。私は、自分を眺めて、おまえよりもずっと愉しんでいる」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
縁は、できるだけ躰から振り落としておく。それが、この仕事では大事だった。ちょっとしたひっかかりが、失敗に繋がったりする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
商人が、志などに惑わされてはならない。それは当たり前のことだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「梁山泊に加わった時、血などなんの意味もないと悟った。人には、志というものがあると知ったのだ。それは、躰を流れる血ではなく、心を流れる血だとな。私が、晁蓋殿や盧俊義殿に会ったのは、梁山泊ができるずっと前で、私はその時から、加わったと思っているのだがな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ありがたいと思え。人にはそれぞれ定めがある。おまえは、悲しい思いと同量の、喜びを与えられている」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いい思いはした。滄州に居続けていたら出会えないような友に、何人も出会った。なにより、私は自分がやるべきことを見つけて、生きることができた。生まれながらの金持ちであり続けなくてよかった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「求めるものがあって生きていたのではない、という気がする。どうでもいいことの中で、ただ死に行く人の姿を見ていた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の心の歪みを見つめる、もうひとりの自分もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「男はのう、いい女を見つけたと思いこむと、執着する。無様なほどにな。いい女など、惚れた本人がそう思えばいいことだが、そばで見ていて、嗤いたくなることがある。本人だけが、いい女だと思いこんでおるのよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「好きな時に、私を好きなようにできる。私はあなたの身の回りの世話をし、あなたの愛を一身に受ける。私の夢だったのです。それが実現できるのかもしれないのですよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あの、燕青か。梁山泊には、人材が揃っておるな」&lt;br /&gt;
「ずいぶんと欠けましたが」&lt;br /&gt;
「新しいものを作ろうとすれば、仕方のないことであろうよ」&lt;br /&gt;
「ですな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いい国を目指せ、公孫勝。梁山泊が、そうやって闘えば、宋もまたいい国になる」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「楊雄、私はこれからの青連寺のありようで、宋という国の懐の深さがわかる、と思っているのだ。李富や聞煥章が残っている、というだけでなく、どういう変わり方をするかまで含めてだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「俺は、それを否定しない。俺は梁山泊の人間だから、梁山泊に有利になる話しかしないさ。それが女真族のためにもなる、と判断するのは長老たちの仕事だ。そして、ここにはもう俺の仕事はなくなった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悲しみを、人に知られたくなかった。それを人に知られるだけで、濁ったものになるような気がした。胸が張り裂ける思いは、実は大事なものなのだとも思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe src=&quot;https://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=daitakahira2-22&amp;amp;o=9&amp;amp;p=8&amp;amp;l=as1&amp;amp;asins=408746251X&amp;amp;nou=1&amp;amp;ref=qf_sp_asin_til&amp;amp;fc1=000000&amp;amp;IS2=1&amp;amp;lt1=_blank&amp;amp;m=amazon&amp;amp;lc1=0000FF&amp;amp;bc1=000000&amp;amp;bg1=FFFFFF&amp;amp;f=ifr&quot; style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; scrolling=&quot;no&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; frameborder=&quot;0&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;blogger-post-footer&quot;&gt;&lt;SCRIPT charset=&quot;utf-8&quot; type=&quot;text/javascript&quot; src=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822/JP/daitakahira2-22/8006/6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&quot;&gt; &lt;/SCRIPT&gt; &lt;NOSCRIPT&gt;&lt;A HREF=&quot;http://ws.amazon.co.jp/widgets/q?ServiceVersion=20070822&amp;MarketPlace=JP&amp;ID=V20070822%2FJP%2Fdaitakahira2-22%2F8006%2F6f8f92ea-95f3-4ac8-8a0a-c9ac0a62bb62&amp;Operation=NoScript&quot;&gt;Amazon.co.jp ウィジェット&lt;/A&gt;&lt;/NOSCRIPT&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gogojoney.blogspot.com/feeds/4599817682678657978/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment/fullpage/post/1650264137845243103/4599817682678657978' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/4599817682678657978'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1650264137845243103/posts/default/4599817682678657978'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gogojoney.blogspot.com/2012/09/125.html' title='水滸伝十六（食べる読書125）'/><author><name>。</name><uri>http://www.blogger.com/profile/05448313460027579705</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='https://img1.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1650264137845243103.post-3467041079006631313</id><published>2012-09-16T17:40:00.001+09:00</published><updated>2017-08-12T23:31:25.900+09:00</updated><title type='text'>水滸伝十五（食べる読書124）</title><content type='html'>&lt;iframe src=&quot;https://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=daitakahira2-22&amp;amp;o=9&amp;amp;p=8&amp;amp;l=as1&amp;amp;asins=4087462390&amp;amp;nou=1&amp;amp;ref=qf_sp_asin_til&amp;amp;fc1=000000&amp;amp;IS2=1&amp;amp;lt1=_blank&amp;amp;m=amazon&amp;amp;lc1=0000FF&amp;amp;bc1=000000&amp;amp;bg1=FFFFFF&amp;amp;f=ifr&quot; style=&quot;width:120px;height:240px;&quot; scrolling=&quot;no&quot; marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; frameborder=&quot;0&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
よく耐えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、多くが死んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
総力戦だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通らねばならない道だった。すでにある国に闘いを挑むには、だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、耐えた。正確には、兵力の差が響いてくる前に、戦を終わらせた。これが、総力戦。兵力で負けるのなら、それ以外で手を打つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、よく耐えたと思う。停戦するまでの間。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これで、次は戦のギアが変わる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次が本番だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それまで、どれだけの準備ができるか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
次の戦は始まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「待つことは、戦場へ出るよりつらい。はじめて、それがわかりましたよ」&lt;br /&gt;
「ただ、結果を待つのではない。結果の先に、やらなければならないことが、また山ほど見えてくる」&lt;br /&gt;
「まったくです。ここですべてを見ていることが、次に繋がる。しかし、それを忘れてしまいそうになります」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いまは宋という国に、正面から闘いを挑んでいる。生きている、という気がするよ。全身全霊で生きている、と思える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勅命という力が動けば、この国は滅びにむかうかもしれない。特に、それが戦に及べばだ。口に出すことはできないが、戦を判断する器量など、帝にはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「おまえは、兵たちの気持に火をつけるものを持っている。そういうことでいいのだ。ほんとうに必要な時だけ、弓を遣え」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
集まって気勢をあげることと、戦をすることでは、まるで違う、と私は思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「すべて、運に恵まれたのだと思う」&lt;br /&gt;
「運とは、呼びこむものである。それも、学びました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人の命運は、自ら切り開くこともあれば、横から出された他人の手で決まることもある。どちらがいいなどとは、言えはしない。どちらも、命運であることには変わりないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「俺が、すべてを負う。それでいいではないか。負った重みに耐えかねたところが、俺が消える時期だと思うしかない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのために手を汚すことは、いとわなかった。汚れるだけ汚れて、これ以上は汚れようがないという時に、自分は多分死ぬのだろう。いまのところ、まだ左腕を一本失っただけだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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流れに任せろ、張清。あるところまでは、流れに任せておくのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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「命というものは、尊い。そして、強く、同時にはかない。そう思い定めるのだ。」&lt;br /&gt;
「そう思ったら、なぜ?」&lt;br /&gt;
「人の力ではどうにもならない、と思える。生きるものは生き、滅びるものは滅びる。そういうものなのだ、と思える」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「戦は、大枠だけを決めておく。あとは生きものを捕えるように、指揮官が戦を捕えていく。そういうことなのだろう、と思うのですよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「宋江殿も、呉用も、そしておまえも、人であってはならないのだ。人を超えたもの、それが、梁山泊を動かす者には求められる。わかってくれ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
はじめたことを、ひとつだけやれ。人に認められるまで、ほかのことに手を出すな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熱いものが、こみ上げてくる。自分には、同志がいる。死んでも、生き返らせてくれる同志がいる。&lt;br /&gt;
これまで、強く感じたことのない、喜びだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分の力以上のものを持ってしまうと、どうなってしまうのでしょうか?」&lt;br /&gt;
「持てる力に合った自分になる。人間とは、そういうものだ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人は、なんによって生きる。志があれば、飢えないのか。富があり、名誉がある。これは、人の本能が求めるものだ。志は、頭が求めるものであろう&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「心配するな。私は、おまえの力をこれからも測り続ける。無理だと思うことを命じて失敗したら、それは咎めはせぬ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以上&lt;br /&gt;
またね＊＊＊&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
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