tag:blogger.com,1999:blog-1719797818880181982024-03-13T21:57:29.397+09:00アメリカ生活 ここが違う!自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。Unknownnoreply@blogger.comBlogger389125tag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-56407914757576017822015-11-20T00:00:00.000+09:002015-11-20T00:00:06.827+09:00アメリカ永住権と日本の国民年金<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-lyJ9eVuoAhE/VkfbFwGwY_I/AAAAAAAABuA/oW8RbpZnWHw/s1600/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E6%25B0%25B8%25E4%25BD%258F%25E6%25A8%25A9%25E3%2581%25A8%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E3%2581%25AE%25E5%259B%25BD%25E6%25B0%2591%25E5%25B9%25B4%25E9%2587%2591.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="http://4.bp.blogspot.com/-lyJ9eVuoAhE/VkfbFwGwY_I/AAAAAAAABuA/oW8RbpZnWHw/s320/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E6%25B0%25B8%25E4%25BD%258F%25E6%25A8%25A9%25E3%2581%25A8%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E3%2581%25AE%25E5%259B%25BD%25E6%25B0%2591%25E5%25B9%25B4%25E9%2587%2591.jpg" width="320" /></a></div>
私はその道の専門家ではないけども、アメリカ永住権と日本の国民年金について思う所を書いてみます。<br />
日本に住む母が、私が住むアメリカでの家、家族、環境などを大変気に入り、自分も何とかアメリカに永住できないものか、と私に相談してきた事があった。私としては別に構わなかったが、そのために思いついた最も手っ取り早い方法は、私が永住者からアメリカ市民権に変える、というものだった。<br />
だが弁護士や領事館などにいろいろ相談したところ、晴れて私がアメリカ市民になった後、母が永住権を取るために私が母のスポンサーとなるには、手続きが複雑であるほか一定の財産が必要であるなど、いろいろと規定がある事が分かった。<br />
なかでも悩ましかったのは、私が日本国籍を喪失すると、日本の国民年金を任意加入として以降納めることが出来なくなり、老後受け取れる金額が減る、ということであった。<br />
現時点でどれだけ日本の年金を納めたかによるし、日米社会保障協定である程度の救済処置はあるが、日米の年金共最大値の支給を考えている私にとってそれはやや痛かった。<br />
また母は高齢であり、なにかと病院によく通う。そのための保険代、診察代薬代、大きな病気や入院にかかる可能性は高いので、それをどう工面するか、というのも頭を悩ませた。それ以前に、社交的な人ではあるものの英語が全く話せないので、ほぼ私の家族のみ、という限られた環境でのアメリカ生活もいずれストレスになるのではないか、と察することが出来た。<br />
私自身、日本の年金もアメリカの年金や401k等とともに老後収入の1つに位置づけている点、もしアメリカ国内で戦争になれば私と家族が日本に簡単に帰れる点などを希望していることもあり、母には大変申し訳ないが、私がアメリカ市民権を取ることはやめにした。その代わりに毎年日本又はアメリカで会うことにしている。人により様々であると思うが、そういう訳で私は永住者でアメリカ市民ではない。今後もそうすると思う。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-60333457484398622472015-11-15T00:00:00.000+09:002015-11-15T00:00:04.150+09:00海外永住者の帰省状況<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-OWnyGaZWH3U/Vkc-dH2y3hI/AAAAAAAABtw/R1zZI2prZro/s1600/%25E6%25B5%25B7%25E5%25A4%2596%25E6%25B0%25B8%25E4%25BD%258F%25E8%2580%2585%25E3%2581%25AE%25E5%25B8%25B0%25E7%259C%2581%25E7%258A%25B6%25E6%25B3%2581.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://2.bp.blogspot.com/-OWnyGaZWH3U/Vkc-dH2y3hI/AAAAAAAABtw/R1zZI2prZro/s320/%25E6%25B5%25B7%25E5%25A4%2596%25E6%25B0%25B8%25E4%25BD%258F%25E8%2580%2585%25E3%2581%25AE%25E5%25B8%25B0%25E7%259C%2581%25E7%258A%25B6%25E6%25B3%2581.jpg" width="240" /></a></div>
アメリカに永住している私にとって、日本にいる親の存在はいつも気にかかる。高齢であるからなおさらだ。私の場合、だいたい1年に1回を目安に、日本かアメリカで互いに会うようにしている。他の人はどれくらいの頻度で会っているのか、知り合いに聞いてみた。<br />
近所に住むアメリカ永住のある日本人女性は、3年に1回と決めていると言い、帰るのは家族全員ではなくたいてい一人らしい。別の日本人女性は5年以上帰っていないと言う。別の人は、電話は時々するが、日本から親を呼寄せたことは、移住後15年以上経っても1度もないと言う。どちらの人も旅費が高くつくからだと言う。<br />
日本に永住するアメリカ人男性は、アメリカに帰省は結婚後10年以上経っても単身での1回のみで、親が日本に会いに行った事は一度もないと言う。<br />
なお周りにいる日本からの駐在員は、日本出張を除き、ほとんど日本に帰らず、呼寄せもせず、親と会わない人が大半だ。忙しいし、いずれ日本に帰るから必要ない、と言う人が多く、もしそういう時間があれば日本以外の、駐在場所から近いどこかへ旅行している、と言う。<br />
どうも私の周りの永住者は、親と会う機会は大変少ない人が多い。子供がいなかったり、移住後すぐの場合、帰省は新鮮味もあり楽しいかもしれないが、子供が大きくなれば飛行機代はかなりかさむ。自分が仕事をしていれば、単身で日本へ里帰りしても何週間も日本にはなかなか滞在できない環境になりかねない。日本の親が永住先に来れないのであれば、移住後親と会う頻度は減っていくものだろうか。<br />
あるサイトでは、日本に帰省、里帰りする海外永住の日本人はおよそ4割程度だと言う。そうすれば、私が母と年に1度会うようにしているのは、かなり稀なほうなのだろうか。ハワイや中国、韓国に住むのと違い、ニューヨークへは金も時間も結構かかる。だが母は80歳を越えても単身でアメリカに会いに来てくれる。父を亡くしより寂しいのだろうか、遠くても息子家族に会いに行くのは毎年の楽しみになっているようで、特に観光地に行くわけでもなく、子供と孫に囲まれた生活が幸せなのだ、と言ってくれる。<br />
つまり海外永住者の多くは、帰省したいもしくは親と会いたいと思っていても、金銭面や仕事の都合、子供がいるなどの家庭状況で、なかなか親と会っていない状況のようだ。国際結婚し海外永住する人のある種宿命のようにも取れなくもなく、なんとなく寂しい気がする。中には永住先年数が日本で暮らした年数を上回り、ここが自分の故郷、と発想を変える人もいるようだ。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-37630910170071409812015-11-01T00:00:00.000+09:002015-11-01T00:00:02.290+09:00年を取って新しい音楽を聴くということ<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-DUxQK94Qfyw/ViBSACmeMDI/AAAAAAAABtc/RF3p6Y6WaxU/s1600/%25E5%25B9%25B4%25E3%2582%2592%25E5%258F%2596%25E3%2581%25A3%25E3%2581%25A6%25E6%2596%25B0%25E3%2581%2597%25E3%2581%2584%25E9%259F%25B3%25E6%25A5%25BD%25E3%2582%2592%25E8%2581%25B4%25E3%2581%258F%25E3%2581%25A8%25E3%2581%2584%25E3%2581%2586%25E3%2581%2593%25E3%2581%25A8.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://4.bp.blogspot.com/-DUxQK94Qfyw/ViBSACmeMDI/AAAAAAAABtc/RF3p6Y6WaxU/s320/%25E5%25B9%25B4%25E3%2582%2592%25E5%258F%2596%25E3%2581%25A3%25E3%2581%25A6%25E6%2596%25B0%25E3%2581%2597%25E3%2581%2584%25E9%259F%25B3%25E6%25A5%25BD%25E3%2582%2592%25E8%2581%25B4%25E3%2581%258F%25E3%2581%25A8%25E3%2581%2584%25E3%2581%2586%25E3%2581%2593%25E3%2581%25A8.jpg" width="213" /></a></div>
年を取ると流行っている音楽を聴かなくなりがちだ。若い頃は、音楽を聴くことが生活の大きな部分を占めていて、様々なアルバムを買い、流行の曲を次から次へと聴いていた。周りの友人達と知らなかった音楽を教えあい、相当聴いた。<br />
だが今となっては、聴くのは若い頃聴いたそれらの曲がメインである。そういう曲は、あの頃にタイムスリップできるような気がして、当時の自分やしていた事や当時の恋人など、その曲を初めて聴いた頃の風景や記憶も甦る。曲それ自体を楽しむだけでなく、そうしたプラスアルファの特典がついているようで、それはそれで心地よい感覚はある。<br />
だがいずれ飽きてくる。33歳をピークに人は新しい音楽を聴かなくなるなどという研究が発表されたくらいである。曲が増えないから、自分のプレイリストは知り尽くしたいつもの昔の曲で、新鮮味がない。かといって流行りの曲は、多くは恋愛を歌った10代20代向けが多いので、今の自分と立場や価値観が違うし、昔のようにその曲と今の自分がシンクロするような境遇でもなくなった。陳腐な低レベルな曲がよく売れるものだ、と思ってしまうこともあり、ああ自分も変わったな、と思う反面、どこか寂しい。昔のように歌をどんどん知りたい気はあるからだ。<br />
昔よく聴いた歌手がまだ現役で曲を出しているのなら、自分を同じく年を重ねただけ、曲も今の自分に割ととっつきやすいと思うが、なかなかそうも行かない。私のようにアメリカに永住してしまっていては、日本の曲を知る情報減が更に少なくなりかねない。また妻と私の音楽の嗜好は全く違うので、妻を情報源の一つとする手段はない。<br />
たまにおおっこれはすごい!、と思うような曲や歌手に場当たり的に遭遇することはある。それは宝探しのようで、昔ならCDショップですぐ気に入ったり興味のあるCDを見つけられたが、今はその確率はかなり低くなった。<br />
一方で若い頃あまり聴かなかったクラシックやジャズをよく聴くようになった。車に乗る時もクラシックFMをよく聴いている。なぜか心地よく入ってくるからだ。だが歌はたいていないので位置づけはBGMに近く、やはり心に響く歌ものが聴きたい。以前80歳を越える妻の祖父の家に行った際、1940s BestというCDが置いてあり、なんとなく分かる気がした。そうなりたくはないが、将来私もそうなりそうな気がして、想像するとあまり楽しくはない。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-50040370190019215602015-10-25T00:00:00.000+09:002015-10-25T00:00:00.812+09:00びっくりしたアメリカ人のリアクションが疲れる件<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-jss1tl8ZHt8/VgYKQxi3B_I/AAAAAAAABtI/F2w-fnD1orI/s1600/%25E3%2581%25B2%25E3%2582%2599%25E3%2581%25A3%25E3%2581%258F%25E3%2582%258A%25E3%2581%2597%25E3%2581%259F%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E4%25BA%25BA%25E3%2581%25AE%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25A2%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25A7%25E3%2583%25B3%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E7%2596%25B2%25E3%2582%258C%25E3%2582%258B%25E4%25BB%25B6.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://2.bp.blogspot.com/-jss1tl8ZHt8/VgYKQxi3B_I/AAAAAAAABtI/F2w-fnD1orI/s320/%25E3%2581%25B2%25E3%2582%2599%25E3%2581%25A3%25E3%2581%258F%25E3%2582%258A%25E3%2581%2597%25E3%2581%259F%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E4%25BA%25BA%25E3%2581%25AE%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25A2%25E3%2582%25AF%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25A7%25E3%2583%25B3%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E7%2596%25B2%25E3%2582%258C%25E3%2582%258B%25E4%25BB%25B6.jpg" width="240" /></a></div>
びっくりした時、どんな声をあげますか?強烈にびっくりした時は悲鳴になるかもしれないが、多くの日本人は「あっ!」とか「うわっ!」とか「うそっ!」などと声をあげるかと思う。一方アメリカ人は「Oh my God!」とか「Holy Cow!」とか「Shit!」などいろいろあるが、私が個人的にいらいらする、アメリカ人がびっくりした時にするリアクションがある。<br />
それは、口で一気に息を吸い、「ハァッ!」、と呼吸音と声と半々のようなリアクションだ。完全な声ではないので、文字で「ハァッ!」、と書くとやや変だが、この一気に息を吸ってのリアクションはいらいらする。身近でも、妻、子供、親族全員がこのリアクションを取る。私は日本で青年まで育ったせいか分からないが、この「ハァッ!」を聞くと(強盗が侵入したとか毒蛇に噛まれたとか)、声に出せないほどの相当な危機や危険が発生したかのように、発した人のほうへ瞬時に振り向いてしまう。発した人が隣の部屋などにいる時、助けようと超特急で駆けつけてしまう。<br />
だが実際彼らが発する「ハァッ!」は、ほとんどが大したことではない。水をこぼしたとか、携帯電話の充電がなくなっていたとか、そんなことでいちいち「ハァッ!」と言うなと思う。私にとって「ハァッ!」は声にも出せないような生命の危機に瀕するような時のもので、一日に何回も聞くと、正直疲れる。<br />
それは妻と付き合い始めた頃からで、連発する彼女にふつふつと軽いジャブを受けるかのように実は長い間いらいらしていたが、彼らが頻繁に「ハァッ!」とびっくりする事、また未だに私がそれにつられ彼ら以上にびっくりし、大したことでなかったと分かった時の脱力感は、結構疲れる。<br />
彼らが予期していなかったような話、例えばネズミ捕り器にねずみがかかって死んでた、とか来月旅行にでも行こうか、等と私が言えば「ハァッ!」、とリアクションしてきて、しばしば話をした私のほうがそれを聞いて逆にびっくりする。アメリカ人はリアクション好きなのか、オーバーリアクションなのか、日本人が割りと質素なのか、あれには未だに慣れない。<br />
大量のクリスマスプレゼントをもらい、いちいち彼らが「ハァッ!」、と息を飲んでびっくりするのは、事前に想定の範囲内であるので、いつものようにつられて彼ら以上にびっくりはしないが、それでも心のどこかで「ハァッ!」に反応し心拍数が若干上がっているような気はする。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-19925083502591237292015-10-20T00:00:00.000+09:002015-10-20T00:00:00.687+09:00部活をする子供を持つ親がする事<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-T87QEhfwBkA/VgNBS5uQlVI/AAAAAAAABs4/FLn6mWml7rU/s1600/%25E9%2583%25A8%25E6%25B4%25BB%25E3%2582%2592%25E3%2581%2599%25E3%2582%258B%25E5%25AD%2590%25E4%25BE%259B%25E3%2582%2592%25E6%258C%2581%25E3%2581%25A4%25E8%25A6%25AA%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E3%2581%2599%25E3%2582%258B%25E4%25BA%258B.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="http://3.bp.blogspot.com/-T87QEhfwBkA/VgNBS5uQlVI/AAAAAAAABs4/FLn6mWml7rU/s320/%25E9%2583%25A8%25E6%25B4%25BB%25E3%2582%2592%25E3%2581%2599%25E3%2582%258B%25E5%25AD%2590%25E4%25BE%259B%25E3%2582%2592%25E6%258C%2581%25E3%2581%25A4%25E8%25A6%25AA%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E3%2581%2599%25E3%2582%258B%25E4%25BA%258B.jpg" width="320" /></a></div>
アメリカでは、多くの親が子供の部活動を見学しに来る事がある。私の家は、中学校の数件隣であるので、夕方になるとグラウンドに大勢の親がやってくる。私はそのグラウンドに面した道を通る必要があるが、彼らによる車の往来が激しく、路上駐車したり、止める所を探そうとウロウロ徐行運転する車がいて先になかなか進めなかったりと、地元住民にとっては結構迷惑だ。<br />
グラウンド真横の家は、自分のドライブウェーに誰かが車を止めないよう、コーンを置いたり、私有地のため車を止めるな、との張り紙を立てかけたりと、大変そうだ。<br />
部活動は、雪が降る冬以外のたいてい夕方に行われ、アメフトやサッカー、野球、ソフトボール、陸上競技やチアリーディングの練習がよく行われている。だいたい夕方5時頃から、夜8時9時頃までやっていることがあり、大きな歓声や審判のホイッスルなどがよく聞こえてくる。多い日は車が50台以上グラウンドに横付けされているのを見ることがある。<br />
日本では子供の部活動を普段から見る習慣はあまりないかもしれないが、こちらでは比較的自由に見ることができ、親は折りたたみ椅子を持参し、ピクニックシートを敷いて応援している。それは試合ではなく、通常の練習である。<br />
日本だと家でテレビなど見てのんびりしたいような時間に、彼らは足繁く学校へ行き、自分の子供を応援しに行くのである。家に帰れば夜9時や10時になるだろうから、子も親も大変だろうが、親は子供の成長を見れ、子供と過ごす時間を持っているという点で、それはそれで有意義な時間を過ごせているかもしれない。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-49390487852360526002015-10-15T00:00:00.000+09:002015-10-18T22:13:08.164+09:00日本語レッスンにユニークな生徒が来た話 その2<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-Hy8u1KE_dCA/Vfy-rmDKrRI/AAAAAAAABsg/IlrDV3wcmbc/s1600/%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2583%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25B3%25E3%2581%25AB%25E3%2583%25A6%25E3%2583%258B%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25AF%25E3%2581%25AA%25E7%2594%259F%25E5%25BE%2592%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E6%259D%25A5%25E3%2581%259F%25E8%25A9%25B1%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE2.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://4.bp.blogspot.com/-Hy8u1KE_dCA/Vfy-rmDKrRI/AAAAAAAABsg/IlrDV3wcmbc/s320/%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2583%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25B3%25E3%2581%25AB%25E3%2583%25A6%25E3%2583%258B%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25AF%25E3%2581%25AA%25E7%2594%259F%25E5%25BE%2592%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E6%259D%25A5%25E3%2581%259F%25E8%25A9%25B1%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE2.jpg" width="206" /></a></div>
前回の続き。私の日本語レッスンの生徒の一人であった、アメリカ人の高校教師は、当初ほとんど日本や日本語について知らなかった。三回ほど私と彼女でレッスンを行った後、その高校で初めて、彼女による日本の授業が始まった。人気があったらしく、日本のクラスは当初予定の1クラスでなく2クラスできる事になり、1クラス30人ずつで、空きはなく満杯だったそうである。彼女は相当緊張したと言う。<br />
当初私は、彼女自身が全く日本語が分からなかったので、日本語の文法や熟語単語をせっせと教えることは難しいだろうから、日本や日本語を楽しみながら慣れ親しんでもらうような簡単な内容にしたらどうか、と提案した。<br />
彼女も同じ考えだったらしく、文法は超基本的なことにとどめ、それらを簡単なゲーム方式にて聞く話すの能力を養わせ、その他に日本文化や今の日本で流行っているものなどを紹介し、そして日本のアニメや今人気の歌を字幕つきで時々見せるような授業方式にすることにしたようだ。<br />
同時に私はけん玉や将棋の駒、カルタ、招き猫の置物、扇子、こま、日経新聞、日本語のフリーペーパー、英語による日本の百科事典のほか、幼児向け絵本、少年ジャンプ、浴衣、下駄などアメリカ人高校生が興味を持ちそうな物を彼女に貸したり、高校生が好きそうな英語字幕つき日本アニメのDVDを貸したりした。<br />
日本のクラスを希望した高校生の大半は、アニメに興味がある者で、残り少数は簡単に単位を取れると見込んだ者だったらしい。当初彼らの多くはすでに彼女より日本や日本語をよく知っていて、私が最初に彼女に教えたあいさつで使う日本語を、彼女がクラスで教えると、発音が下手だ、と突っ込まれ、生徒の方が流暢に話すので恥ずかしかったらしい。<br />
そこで私は何度もゆっくりと彼女に日本語を話し、基本的な指示語、形容詞、動詞と、数字、時刻の読み方、慣用表現等を教えた。フランス語教師だからか、彼女は文法の要点を理解するのがとても上手く、それらを学校の生徒たちに説明し、ゲームをさせ、場つなぎで時々彼らが好きと言う日本のアニメを英語字幕つきで見せたと言う。<br />
彼女の日本語クラスはかなりの好評だったようで、授業後も多くの生徒が日本の話をしていたり、次回の授業の内容は何かといろいろ聞いてきたり、別の高校教師は「生徒たちは私の数学の授業中でも日本の話ばかりしてくるわ」、とからかわれたり、日本の興味のある事柄を書かせるレポートを出したところ、彼女が知らない様々な日本文化や習慣などを多くの生徒が興味深く調べ上げ、彼らの熱意にびっくりしたというほどの人気ぶりだったらしい。<br />
ど田舎の高校で、日本の授業が人気というのは、自分のことのように嬉しかった。来年も彼女の学校で日本の授業が行われるか不明だが、彼ら高校生たちがとても楽しんで日本の授業を受けていたのを聞くと、私も協力出来た事が嬉しかったし、他の多くの学校でも日本の授業が行われるといいなと思った。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-51094059443100258232015-10-10T00:00:00.000+09:002015-10-10T00:00:06.158+09:00日本語レッスンにユニークな生徒が来た話 その1<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-O2g545hRfG4/Vfy8VW3QThI/AAAAAAAABsM/_vkyXrJrCLI/s1600/%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2583%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25B3%25E3%2581%25AB%25E3%2583%25A6%25E3%2583%258B%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25AF%25E3%2581%25AA%25E7%2594%259F%25E5%25BE%2592%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E6%259D%25A5%25E3%2581%259F%25E8%25A9%25B1%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE1.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="213" src="http://1.bp.blogspot.com/-O2g545hRfG4/Vfy8VW3QThI/AAAAAAAABsM/_vkyXrJrCLI/s320/%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2583%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25B3%25E3%2581%25AB%25E3%2583%25A6%25E3%2583%258B%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25AF%25E3%2581%25AA%25E7%2594%259F%25E5%25BE%2592%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E6%259D%25A5%25E3%2581%259F%25E8%25A9%25B1%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE1.jpg" width="320" /></a></div>
私が教えている日本語レッスンの生徒に、あるアメリカ人女性がいた。一番最初のレッスン日に、互いに自己紹介をし、日本の文化、習慣、流行っているものなどを写真で紹介し、日本の基礎情報、そしてあいさつする場面での日本語を教えた。私が話す日本の話に結構食いついてくるような感じで、モチベーションが高そうなのでこれから覚えが早そうかな、という印象だった。<br />
だが翌週、二回目のレッスン時に、顔を赤らめてやってきて、I have to tell you something.(言わなきゃいけない事がある)と真剣なまなざしで言ってきた。聞くと、彼女は近所でフランス語を教えている高校教師で、実は学校の方針でいろいろな世界を知ろう、というプログラムが作られ、彼女の学校で初めて、日本語の授業が始まることになり、彼女が担当し教えることになった、という。<br />
フランス語やスペイン語などの授業は前々からあったが、日本語というマイナーな授業を、20週間という期間限定で担当することになり、日本語など全く知らない彼女にとっては青天の霹靂だったようで、半分涙目でHelp me!と懇願してきた。<br />
もし、そういう事情なら教えない、と私が断ってきたらどうしよう、と前日彼女はあまり眠れなかったらしく、正直に話してくれたようだった。私は別に気にしないし、助けてあげられる訳だし、必要なら私がゲストとして学校のクラスで何か話でもできたら面白いね、等と言うと、とても喜んでくれた。<br />
それから、私がいろいろ教えたり紹介した事を、翌週に彼女が高校の日本の授業で使う、という少しユニークなレッスンを始めた。次回は日本語でおはよう、とありがとう、しか知らなかった彼女が、どうやって日本の授業を行ったか書いてみる。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-76582526130585221832015-10-05T00:00:00.000+09:002015-10-05T00:00:01.088+09:00落ち葉かきという地獄<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-lRMNIZwboas/Vfyy4wBdgLI/AAAAAAAABr8/Q1jFhTpAqWA/s1600/%25E8%2590%25BD%25E3%2581%25A1%25E8%2591%2589%25E3%2581%258B%25E3%2581%258D%25E3%2581%25A8%25E3%2581%2584%25E3%2581%2586%25E5%259C%25B0%25E7%258D%2584.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="269" src="http://1.bp.blogspot.com/-lRMNIZwboas/Vfyy4wBdgLI/AAAAAAAABr8/Q1jFhTpAqWA/s320/%25E8%2590%25BD%25E3%2581%25A1%25E8%2591%2589%25E3%2581%258B%25E3%2581%258D%25E3%2581%25A8%25E3%2581%2584%25E3%2581%2586%25E5%259C%25B0%25E7%258D%2584.jpg" width="320" /></a></div>
アメリカの家は大抵日本のより大きい。家が大きければ庭も大きい。庭も大きければ、木も大きい。寒冷地にある私の家の木であっても葉は毎年生える訳で、秋にはその落ち葉掃除はかなりの重労働になる。<br />
私の家にも大きな木が3本あり、毎年その大量の落ち葉に頭を悩ます。人が乗るトラクタータイプの芝刈り機に、巨大バッグと巨大ホースを取り付け、落ち葉だらけの庭を綺麗にする。手押しタイプの芝刈り機の場合も同じくバッグを取り付け落ち葉を集める。<br />
だがバッグはすぐ一杯になる。集めては捨て、の繰り返しで庭の落ち葉を全部綺麗に取り除くには、25mプールが数個ほどの庭で約一時間はかかる。これのない家庭は、くま手を使い、家族総出でせっせと落ち葉かきをせねばならない。芝刈り機を買うまでは、そのくま手、レーキでせっせとかいていた。気が狂いそうなほど大変で、ようやく終わったと思えば、翌日雨や風が強かったりで、すぐ落ち葉のじゅうたんに戻った庭を見れば、とてもがっかりしたものだ。<br />
そうした重労働を避けるために、秋が来る前の夏までの間に、木の枝を刈り、庭先に捨てる家庭をちらほら見かける。そうした大量の枯れ枝、枯れ葉は、専用の業者が回収しに来る。なお楓の木の場合、住居建設用に欲しがる人がまれにいて、木を綺麗に切ってもらい、お金を貰った友人がいる。<br />
木を切る際、業者を呼んで切ってもらう人もいるし、数メートル伸びる高所枝切りバサミ兼ノコギリで切る人もいる。だが自分でやる際は注意が必要で、一気に太い枝を切ってしまうと、下にある屋根やバーベキュースタンドなどを破壊してしまいかねない。また根こそぎ伐採してしまうと、場合により家に日陰が出来なくなり、家の中が暑くなり、私のお隣さんみたいに夏場はずっとクーラーをつけねばならなくなる。庭の木とその葉をいつ切るか、どれくらい残すか、そのいい塩梅は未だになかなか難しいものがある。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-65386416189160534962015-10-01T00:00:00.000+09:002015-10-01T00:00:01.527+09:00月金は大体休みの同僚たち<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-xftHlX51xfQ/VfypvnJko6I/AAAAAAAABrs/9HRYpvPGFa0/s1600/%25E6%259C%2588%25E9%2587%2591%25E3%2581%25AF%25E5%25A4%25A7%25E4%25BD%2593%25E4%25BC%2591%25E3%2581%25BF%25E3%2581%25AE%25E5%2590%258C%25E5%2583%259A%25E3%2581%259F%25E3%2581%25A1.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="http://1.bp.blogspot.com/-xftHlX51xfQ/VfypvnJko6I/AAAAAAAABrs/9HRYpvPGFa0/s320/%25E6%259C%2588%25E9%2587%2591%25E3%2581%25AF%25E5%25A4%25A7%25E4%25BD%2593%25E4%25BC%2591%25E3%2581%25BF%25E3%2581%25AE%25E5%2590%258C%25E5%2583%259A%25E3%2581%259F%25E3%2581%25A1.jpg" width="320" /></a></div>
私のオフィスでは、たくさんのアメリカ人が働いているが、彼らの多くは月曜日か、金曜日はよく休む。全員ではないが、これらの日に出てきても午後休にする人も結構いて、アメリカと日本の仕事への取り組み方の違いを感じられるような気がして興味深い。<br />
私の部署は日本人のみの部署で、何人かは日本からの出向組である。今も根強く日本にある、周りが休まないから自分も休むのははばかれる、と言い滅多に休まない。彼らは有給休暇をいつも上限まで持っており、毎年超えた分は使うことなく消えていく。お金で支払われる訳ではなく、ゴールデンウィークやお盆もアメリカにはないし、事あるごとに休めばいいのに、と私は言うが今まで日本でそうだったように、アメリカに来てもほとんど使わない。<br />
私はもうアメリカ生活のほうが長くなってきたからか、周りのアメリカ人のように有給休暇をバンバン使う。事前にとても忙しいと分かっている日にあえて休むことはしないが、周りの目は気にしなくなった。出向組が休まなくても、私や他のアメリカ人たちはどんどん消化する。アメリカ人たちは、毎回のPaycheckを見て、あといくら有給休暇が残っているか確認し、年度内に全て消化してしまうよう計画する人が多い。連休にするため、月曜や金曜は社内の人の数や、駐車場に止まっている車の数も比較的空いている。<br />
一方で、個人的に人が少なくなるのは快適だ。なぜなら、多くのアメリカ人は私語や世間話が多く、うるさい。しばしば彼らは世間話をして腹を抱えるほど大笑いをしたり、笑いすぎていびきのような音を出して笑ったり、歌を歌ったり、ヘッドフォンをつけるのを忘れてYoutubeを見ていたり、相手のデスクに行って話せばいいのに歩くのが面倒臭いのか、数メートル離れている互いのデスクにいながら大きな声で会話する。彼らのデスクの間に私の席があるので、彼らの大きな会話が私の頭上で飛び交い、時々いらいらするからだ。日本ではあまり見られない光景かもしれない。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-73502503964624546152015-09-25T00:00:00.000+09:002015-09-25T00:00:05.123+09:00田舎へUターン移住する人々<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-fxPt9uOlYbM/Vfi6h5FkuMI/AAAAAAAABrM/Sdc3F3XewYw/s1600/%25E7%2594%25B0%25E8%2588%258E%25E3%2581%25B8U%25E3%2582%25BF%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3%25E7%25A7%25BB%25E4%25BD%258F%25E3%2581%2599%25E3%2582%258B%25E4%25BA%25BA%25E3%2580%2585.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="251" src="http://2.bp.blogspot.com/-fxPt9uOlYbM/Vfi6h5FkuMI/AAAAAAAABrM/Sdc3F3XewYw/s320/%25E7%2594%25B0%25E8%2588%258E%25E3%2581%25B8U%25E3%2582%25BF%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3%25E7%25A7%25BB%25E4%25BD%258F%25E3%2581%2599%25E3%2582%258B%25E4%25BA%25BA%25E3%2580%2585.jpg" width="320" /></a></div>
最近テレビで、都会を離れ過疎が進む田舎で、農業などを始める日本人の若者が増えているとやっていた。それを見て私はなんだか嬉しくなった。都会の忙しい生活に孤独を感じたり疲れたり、自然とともに暮らす質素な生活を求めたり、田舎により残る地域の人々との物理的、精神的繋がりを求めたり、地域活性化に一役買いたいと思ったりと、様々な理由で田舎に移り住む人々を見て、その番組を見る限り田舎に移り住み生活するのがちょっとした流行になっているのかなと感じさえした。<br />
田舎で生まれずっと暮らしてきた人にとって、都会で暮らしてみたい、という気持ちは分からないでもない。だが一度都会で住んでみて、やはり自分には田舎のほうがよいと、大人になって戻る人もいる。それはアメリカでもそうで、田舎の高校卒業後単身でLAに移り、いろいろやって14年後やはり田舎がいいと故郷に戻ってきた友人もいるし、卒業後数年大都市で働いたが、その後実家の田舎に戻るという人もたくさんいる。田舎に住むのがダサいとか時代遅れだ、という考えがもし薄らいできているのであれば、それは本人だけでなく移り住む田舎の経済にとってもいい効果があるように思う。<br />
そういう風潮や人々の価値観の変化だけでなく、地方でも移住者への補助金や制度の優遇、有利な制度の新設、またインターネットの普及で山奥でも仕事が出来る環境にあるのも、田舎に移り住む人々を後押ししてくれている。
田舎の既存企業へ就職する他に、農業、漁業を始めたり、土地の名産特産品、工芸品を習い作ったり、なければ自ら地ビールを作ったり、既存のものに新たに何かを加えた新ビジネスを一から作ったりする人が増えている。<br />
地方で働く人口が増えると、地域経済や産業活性化などだけでなく、出生率向上、失業率低下、幸福度の向上など、大きなうねりがよい方向へ動いていってくれそうな気がする。まだその動きは小さいかもしれないが、株のように人々の予感や期待もさらに高まることができれば、Uターン移住者やその地域も応じて、より発展する事につながるかもと思った。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-86342083847018957072015-09-20T00:00:00.000+09:002015-09-20T00:00:05.718+09:00目を合わせない日本人 その2<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-tjHmY-N8qt4/VfNnLxBfmPI/AAAAAAAABq4/2ABw49IeIks/s1600/%25E7%259B%25AE%25E3%2582%2592%25E5%2590%2588%25E3%2582%258F%25E3%2581%259B%25E3%2581%25AA%25E3%2581%2584%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E4%25BA%25BA%2B%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2592.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://3.bp.blogspot.com/-tjHmY-N8qt4/VfNnLxBfmPI/AAAAAAAABq4/2ABw49IeIks/s320/%25E7%259B%25AE%25E3%2582%2592%25E5%2590%2588%25E3%2582%258F%25E3%2581%259B%25E3%2581%25AA%25E3%2581%2584%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E4%25BA%25BA%2B%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2592.jpg" width="211" /></a></div>
日本からへ留学してくる高校生とそのホストファミリーに対して、生活がスムーズに行っているか、いろいろ助言やお世話、世間話などをボランティアでやっているが、彼ら留学生でも多くは私の目を見ない。<br />
単に恥ずかしがっているのであれば、会話の内容もたどたどしくなるものだが、話は出来るのに目は見ない学生もちらほらいる。最初の頃はそうでも、半年、一年経てば彼らも英語力だけでなく、目を見て話をするようになる。ああよかった、いろんな意味で成長したな、と思える瞬間である。<br />
あるTV番組で、ゲストに呼ばれたある会社の副社長が、いろいろ話をしていたが、回りの誰とも目と合わせずに誰もいない空間に向かって話していたのは異様に見えた。そして時々下目目線とも言うべきやり方で聞き手に一瞬目をやる。チラ見をしていた。<br />
コンピューターでメールやチャットなど、正面に人を介さない手段での会話に慣れたのか、何とも度胸がない印象を受けた。目を見て話さないと言うのは、かなりの恥ずかしがりであったり、自信がなかったり、嘘を言っていたりと、何らかの理由があるはずだが、周りがみんなそうしているから自分も感化され目を見ないで話すようになったというのであればそれも寂しい。声だけでなく目や表情でも会話をするものであるから、相手の目をもっと見て話をするといいのになあ、とそうした日本人をみて思うのであった。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-21457068488327941802015-09-15T00:00:00.000+09:002015-09-15T00:00:04.889+09:00目を合わせない日本人 その1<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-oxnbqI7Aaus/VfNlsT42iRI/AAAAAAAABqs/NwkykR6wQdM/s1600/%25E7%259B%25AE%25E3%2582%2592%25E5%2590%2588%25E3%2582%258F%25E3%2581%259B%25E3%2581%25AA%25E3%2581%2584%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E4%25BA%25BA%2B%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2591.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://3.bp.blogspot.com/-oxnbqI7Aaus/VfNlsT42iRI/AAAAAAAABqs/NwkykR6wQdM/s320/%25E7%259B%25AE%25E3%2582%2592%25E5%2590%2588%25E3%2582%258F%25E3%2581%259B%25E3%2581%25AA%25E3%2581%2584%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E4%25BA%25BA%2B%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2591.jpg" width="287" /></a></div>
日本のTVを見ていてふと気づくのだが、日本人の一定数の人、特に比較的若い人の多くは相手の目を見ない。インタビューや対談などで、話をする際、その内容はしっかりしていても、聞き手の目を見ない。全然関係のない遠くをずっと見て、まれに相手を「チラ見」する。まるで見てはいけない物を見るかのように、まれに一瞬チラ見する。そしてまたどこか遠くを見ながら声だけ相手に伝えている。<br />
それを見て、何とも言えない違和感やよそよそしさ、寂しさを感じるだけでなく、日本にいた頃の昔の自分も一時期そうだったような気がして、変なデジャブを感じた。アメリカ生活が長くなり、アメリカの価値観や習慣にかなり適応してきた一つの結果なのか、私が話をする時は相手の顔を見る。それは普通の日本人からすれば、ガン見で、思いっきり見ていると思われるかもしれない。声だけでなくて、表情もそのキャッチボールの重要な要素となる。アメリカでは私の知る限り、ほとんど全ての人が相手の顔を見て話をする。<br />
そうであるだけに、日本人の多くがする相手の顔を見ない会話は、むなしい。相手と必要以上に仲を深めたくないのか、目を見るのは恥ずかしいのか、新しい流行的価値観なのか、あまり相手の目を見て嫌がられたくないからなのか、長い間日本に住んでいないので、その本音は分からない。<br />
だがどんな理由であれ、私が聞き手であれば、こちらを滅多に見ないで話されるのはきっと寂しいと思う。私のこと嫌いなのか、とか、何か気に障ることでも言ったかな、と思ってしまうかもしれない。だが話の内容はしっかりしているのにただこちらを見ないのであれば、コミュニケーション不足なのかな、自分に自信がないのかな、常に一定距離を置くことがこの人の快適方法なのかな、と要らぬ勘繰りをしてしまいそうで、終始目を合わせてこない態度なら、私とその人と今後友人になるかならないかの答えは明らかになる。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-43753161153842674242015-09-05T00:00:00.000+09:002015-09-05T00:00:02.748+09:00アメリカに永住する2種類の日本人<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-snTeH-Vn0E0/VeKErW6aieI/AAAAAAAABqU/DQNAPdURyPs/s1600/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E3%2581%25AB%25E6%25B0%25B8%25E4%25BD%258F%25E3%2581%2599%25E3%2582%258B2%25E7%25A8%25AE%25E9%25A1%259E%25E3%2581%25AE%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E4%25BA%25BA.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="213" src="http://2.bp.blogspot.com/-snTeH-Vn0E0/VeKErW6aieI/AAAAAAAABqU/DQNAPdURyPs/s320/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E3%2581%25AB%25E6%25B0%25B8%25E4%25BD%258F%25E3%2581%2599%25E3%2582%258B2%25E7%25A8%25AE%25E9%25A1%259E%25E3%2581%25AE%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E4%25BA%25BA.jpg" width="320" /></a></div>
私がアメリカに住み始めて変わった事の一つは、日本の頃と比べて生活が質素かつ喜楽になったことだ。<br />
日本にいた頃は周りに振り回されていたかのごとく、新しい情報や新商品、流行になどに乗り遅れないようにしようと、心のどこかであせっており、心の平安を感じることがなかなか出来なかったように思う。それは年齢やどこに住んでいたかにも影響するものの、精神的にも、物理的にも、アメリカで生活するようになってのんびりと、質素な生活を送れるようになったと思う。<br />
例えばテレビを見る場合、日本だと見れば余計に疲れた。視聴者に不安をあおるようなニュース番組や情報番組が大変多く、見て楽しくなれるものはあまりなかった。また街を歩けば人と関わりあいを避けようとするかのごとく、あくせくと時間に追われる人々が周りにいると、自分にも多少の影響は受ける。知らぬ間にそういう人々の一人になってしまいかねない。<br />
私が住む場所は、マンハッタンのような都会ではなく、かなりの田舎であるから、これも自分にかなり影響を受けた。アメリカの田舎暮らしは自分がなりたかった将来像に手助けをしてくれるほうに近く、周囲の人々や町並みがのんびりしているし、1980年代以前の日本で感じられた、人々の他人への親切心や心のつながりがここで感じられるから、自分もそういう風に感化を受ける。日本にいた頃には考えられなかったが、何にもないような日々が実は最高の日々のような気になってくる。<br />
もっともっと、と欲深く何かを追うことが減り、周りの人々のように家族との時間、家での時間を最も大切にし、のんびり過ごす事が幸せであるように思えてくるようになる。スケジュール帳はアメリカに来てから持ったことがないし、流行を気にせず自分のしたい事をする、という周りのアメリカ人によくあるスタンスが、自分にも大変上手く行った。自分が幸福と思える基準となるレベルが自然と下がっていた事に気づき、多くの事柄に日本時代ほどストレスを感じることがなくなり、多くが受け入れられるようになった。<br />
自分主体で周りの目を気にすることもなくなったし、多くの会社は残業しないし、人とつながっている感覚があり、心に余裕が大変持てるようになったのも、アメリカ生活のメリットになったと思う。人により、大都会が好きで、いつもあくせく動くほうが好きと言う人もいるだろうが、幸運にもアメリカの田舎での生活は、自分によく合う。<br />
以前テレビで、アメリカ移住後半世紀以上永住している日本人が言うには、アメリカに永住しにくる日本人には2種類いる、一つは打ちのめされて日本へ帰る者、もう一つはどっぷり適応して現地の人間になる者だ、と言っていたが、幸運にもきっと私は後者の部類になれたかもしれない。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-43176699896649108712015-09-01T00:00:00.000+09:002015-09-01T00:00:08.217+09:00仕事後あまり飲みに行かないアメリカ人<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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アメリカで仕事をしていると感じる違いの一つに、アメリカ人の特に既婚者の多くは仕事後飲みに行かないというのがある。<br />
日本で勤めていた時は、上司や部下、お得意様などと一緒に飲みに行こうと誘われ、帰るのが夜遅くになる事は頻繁であった。最終電車では同じように酔いつぶれたサラリーマンが熟睡しており、酒臭かった車内を覚えている。<br />
アメリカでは、人によるものの夕方5時や6時の定時になると、たいてい皆家に直行する。仕事後は、新しい一日が始まるような気持ちの切り替えをしているようで、帰宅後の家族との時間を大切にする。キリスト教にあるように、労働は苦や罰のような概念が彼らにあるのか、さっさと終わらせて家族や自分だけの時間を早く持てるように仕事をするスタンスに近いものがある。<br />
なので、それを引きずるような、上司などの仕事関連の人々との飲み会はあまり行かない。もちろん仕事後全く同僚たちと会わないわけではなく、一緒にバーなどで飲む人は飲むわけだが、それでも通常会う場合、自宅に招いてバーベキューをしたり、ゴルフをしたり、家族を連れて開放的な時間で接することがある。これも仕事のうちと、居酒屋で上司や同僚の愚痴を聞くような、やや陰惨な雰囲気がしかねないものでなく、爽やかなものだ。<br />
私の会社の場合、同僚が退職や異動したり、新入社員が入社したりした場合でも、仕事後バーに行くというよりは、昼食時間に皆でレストランに行き、パーティーをすることが大半だ。なので、仕事後の飲み会や週末のゴルフは、親睦を深めたり上司に可愛がられるための出世競争の一つなどという発想はアメリカではあまりなく、仕事後や週末は仕事を忘れて、各自好きなように過ごしてリフレッシュする、というのが暗黙の了解であるようで、勤務時間外で滅多に同僚と会うことはなく、結構のんびり過ごすことが出来る。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-35186002659575443592015-08-25T00:00:00.000+09:002015-08-25T00:00:00.918+09:00フェスティバルだらけの週末生活<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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日本に住んでいた頃は、祭りと言えば春の桜祭りと、盆の花火大会くらいであった。他にもあるにはあったが、ほぼその2つだけであり、他は特にこれといって祭りやイベントはなかった。だが私が住むNY北部では、春から秋にかけてほぼ毎週のようにフェスティバルやイベントが周辺地域で開催される。桜祭りはないが、屋台が出展する花火大会はいくつもある。他にどんなものが開催されているか、簡単に書いてみる。<br />
フェスティバルは、各市町村が独立して様々なものが開催される。多くがそのエリアの目抜き通りを閉鎖し、歩行者天国にし、道両側に様々な種類の屋台や地域の会社団体、ボランティアなどのブース、音楽ライブなどで埋め尽くされるフェスティバルが多い。<br />
フェスティバルの名前はいろいろだが形態は大体同じで、腹が減ったので単に出店でピザを食べる、だけではなく、ユニークな食材を売る屋台、ラジオ局、私立学校、ダンススクール、ボーイスカウト、射撃場、家庭用太陽光発電パネルなど、地域で活動している小規模ビジネスのブース、手作りのユニークな雑貨や絵画、工芸品や化粧品などを売る個人ビジネスのブース、子供向けのバウンスハウスやフェイスペインティングやマジックショー、風船を曲げて動物にしてくれるサービス、地域で活動するボランティアの紹介ブースなどがある多種多様のフェスティバルで、たいてい多くの人で賑わう。この種のフェスティバルが週一のペースで、車で行ける距離のどこかで行われている。入場料は多くが無料だ。<br />
他には、学校キャンパスを開放し、数百もの科学実験ブースを作り、学生や教授たちが披露し市民に親しんでもらう地元の科学系大学が行う祭りや、花を何百万株も植えている大きな公園一帯で開かれるフェスティバル、メモリアルデーや独立記念日、Labor Day、クリスマス前に行われるパレードや、プロミュージシャンが相当数参加し至る所でジャズ演奏が行われるジャズフェスティバル、5キロの市民マラソン大会、海賊フェスティバル、トルコフェスティバルやウクライナフェスティバルなど、主にその国由来の教会が主催するもの、消防署のイベント、気球レース、戦闘機アクロバットショー、コンサート、車に乗ったまま映画を見るドライブインシアター、移動式遊園地のカーニバルなどが、各市町村でそれぞれ開催される。<br />
地域有志が作ってくれる5月から9月までの年間フェスティバル/イベント表には、68ものそういうイベントが掲載されていた。至る所でフェスティバルが行われるのは、おそらく、周辺各市町村の人口が少ないので、小規模のフェスティバルが比較的簡単に開催できるからかもしれない。<br />
だが興味深いのは、その催行者側も多くがボランティアや地域住民であり、箱物でお客様として受身一辺倒ではなく、送り手受け手双方が参加した、ほのぼのと楽しむような節があるので、フェスティバルに遠出してものんびりとした週末を過ごせる気分になる。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-49235965534584617152015-08-20T00:00:00.000+09:002015-08-20T00:00:01.243+09:00ターミネーター集団が走る夏<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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私が住むNY北部は、気候は北海道に大体近い。冬はしばしば吹雪が起こり、積雪量もかなりある。だが春から秋にかけて、暖かくなると、短い夏を楽しもうとある人々が登場する。ライダー集団である。<br />
ナンバープレートを見る限りNY州なので、近隣に住んでいる人々だと思うが、たいてい5人から10人程度のバイク集団で道を走るのを、夏の特に週末に頻繁に見かける。<br />
NY北部は日本と違い、滝のような汗をかくことは滅多になく、暑い日でも割りと過ごしやすい。そして森林が多く、どこまでもまっすぐ続くような道が多く、ドライブは気持ちがいい。田舎なので道も空いていて、平日のラッシュアワーを除けば渋滞はない。Interstateである、大陸横断の高速を除き、全てのハイウェイは無料だ。ライダーたちには走りやすい地域だと思う。<br />
そして彼らのいでたちは、ほぼ共通して黒尽くめの服である。皮のジャンパーやベスト、皮のズボンとサングラスで、ターミネーターがバイクに乗っているような連中が10人程度隊列をなしてドライブしている感じである。またほぼ全てがアメリカンバイクであり、ドドドドッと低音の聞いたエンジン音を撒き散らしながら走る。映画イージーライダーの曲の、Born to be wildが彼らのテーマ曲のような気さえする。<br />
皆で純粋にドライブを楽しむためか、猛スピードは出さず、トラックのように他の車を先に譲ってくれやすい。年齢は大体が中年で、10代、20歳代の人はあまり見かけない。多くが40,50代の男性で、プロレスラーのようなイカツイ風貌に、髭を伸ばしている。二人乗りをしているのはたいていその妻か恋人のようで、彼女たちもまたターミネーターの女性版のような恐々しい雰囲気を醸し出していることもある。<br />
彼らが昼飯などでレストランに立ち寄った際、当然駐車場にもアメリカンバイクが10台ほど駐車され大変目立ち、店内でも黒尽くめのレスラーのような連中が数テーブルを占拠するのですぐ分かる。だが彼らはそういう服を着てそういうバイクに乗って、純粋にそういう時間を楽しんでいるのであって、周りに迷惑をかけるのを楽しむような輩ではない。彼らの運転や店内での態度を見ているとかなり紳士である。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-55863066538314576992015-08-15T00:00:00.000+09:002015-08-15T00:00:01.200+09:00「他の人に見られると恥ずかしいからやめなさい」<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-rfiIIn1P46g/VbMOY2rsfZI/AAAAAAAABpM/mYgC0530Ygc/s1600/%25E3%2580%258C%25E4%25BB%2596%25E3%2581%25AE%25E4%25BA%25BA%25E3%2581%25AB%25E8%25A6%258B%25E3%2582%2589%25E3%2582%258C%25E3%2582%258B%25E3%2581%25A8%25E6%2581%25A5%25E3%2581%2599%25E3%2582%2599%25E3%2581%258B%25E3%2581%2597%25E3%2581%2584%25E3%2581%258B%25E3%2582%2589%25E3%2582%2584%25E3%2582%2581%25E3%2581%25AA%25E3%2581%2595%25E3%2581%2584%25E3%2580%258D.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://4.bp.blogspot.com/-rfiIIn1P46g/VbMOY2rsfZI/AAAAAAAABpM/mYgC0530Ygc/s320/%25E3%2580%258C%25E4%25BB%2596%25E3%2581%25AE%25E4%25BA%25BA%25E3%2581%25AB%25E8%25A6%258B%25E3%2582%2589%25E3%2582%258C%25E3%2582%258B%25E3%2581%25A8%25E6%2581%25A5%25E3%2581%2599%25E3%2582%2599%25E3%2581%258B%25E3%2581%2597%25E3%2581%2584%25E3%2581%258B%25E3%2582%2589%25E3%2582%2584%25E3%2582%2581%25E3%2581%25AA%25E3%2581%2595%25E3%2581%2584%25E3%2580%258D.jpg" width="279" /></a></div>
アメリカは特に人種のるつぼであるので、様々な人が様々な考え方を持つ。そして十人十色の社会で生きていくと、考え方の相違、価値観の相違というのは日本でいるよりも起きやすいのかもしれない。そのため、自分の意見や考え方をしっかり言う、という自分という主観的な発想が身についていく。これは日本に住んでいた時と異なる考え方であった。<br />
日本ではいかに他人と合わせるか、他者からはみ出さず協調するか、という価値観であったが、アメリカに住むとそういう優先順位はかなり下がり、どれだけ自分の意見をしっかり言えるか、自分はどうしたいのか、どうありたいのか、というまず自分ありきの発想がまず来る。<br />
この両方の価値観を備えた上で、偶然に日本人の母親が子供を叱る時に「他の人に見られると恥ずかしいからやめなさい!」などど言っているのを聞くと、違和感を感じる。自分という主観はさておき、まず他人にどう見られるか、周りからはみ出さないよう、恥ずかしさを感じないようにする事を高い優先順位に挙げているようにさえ感じる。穿った見方をすれば人に見られなかったら陰でやってもまあよし、とも取れなくもない。<br />
他人からどう思われるか(実際他人はこちらのことなどそれほど気にしないと思うが)、周りから逸しない言動行動、そういうものさしを第一義で使うと、自分という主観はあまり育たない。周りからはみ出さなければそれでよし、という個をそれほど尊重されないようで、アメリカに住むとそこに違和感を感じる時がある。<br />
そのせいか、日本での学生時代、周りにいた帰国子女のその正々堂々した落ち着いた態度というか、どこか芯が通ったようなところに、いい意味で違和感を感じたものだ。恐らく、海外生活で苦労を経験しただけでなく、現地人のように主体の対象を他人から自分自身によりシフトできたからかもしれない。いずれにしろ自分にとってよい方、行きたいと思うほうに舵を取り、取捨選択していけば、将来的により人間的に幅のある大人になれるのかもしれないと、昔居酒屋で友に語っていたのが懐かしい。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-14674320750808064232015-08-10T00:00:00.000+09:002015-08-10T00:00:00.722+09:00海外で現地の友人を作る方法<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="http://4.bp.blogspot.com/-wJn-_9IVsr8/VbMHx91UcLI/AAAAAAAABo8/FpZI4AOuGSw/s1600/%25E6%25B5%25B7%25E5%25A4%2596%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E7%258F%25BE%25E5%259C%25B0%25E3%2581%25AE%25E5%258F%258B%25E4%25BA%25BA%25E3%2582%2592%25E4%25BD%259C%25E3%2582%258B%25E6%2596%25B9%25E6%25B3%2595.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://4.bp.blogspot.com/-wJn-_9IVsr8/VbMHx91UcLI/AAAAAAAABo8/FpZI4AOuGSw/s320/%25E6%25B5%25B7%25E5%25A4%2596%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E7%258F%25BE%25E5%259C%25B0%25E3%2581%25AE%25E5%258F%258B%25E4%25BA%25BA%25E3%2582%2592%25E4%25BD%259C%25E3%2582%258B%25E6%2596%25B9%25E6%25B3%2595.jpg" width="214" /></a></div>
アメリカに限らず、海外に住んで現地の友人を作りたい。渡米当初は特にそう思った。だがなかなかアメリカでアメリカ人の友人ができない。バーに繰り出すのもいいが、客はたいてい仲間と飲むために来ていて、下手くそな英語ではなおさら、いきなり友人になれるのは難しい。友人探しなのか恋人探しなのか線引きが難しい場合もある。<br />
隣近所の人と仲良くなるのは手っ取り早いが、全員がそう友好的とも限らないし、仕事や何かで一日中家を空けていて話す機会がそうなかったり、年が離れすぎたり、共通の趣味や話題も合うとは限らない。ましてやアメリカに来て日本人同士ばかりでつるんでいては、留学の場合何しに来ているのか本末転倒になるし、海外在住の醍醐味など味わえない。<br />
いろいろ試行錯誤した挙句、効果的だったのはボランティアに参加することだった。小学校で教師のアシスタントをしたり、飼い主のいない犬や猫の動物シェルターで動物の世話を手伝ったり、町中の消火栓の掃除をしたり、様々なNGOで食事を作るなど、いろいろある。たくさんある中でどんなボランティア団体に入るか、活動内容や活動時期等にもよるが、集まってボランティア活動をするのはたいてい一週間に一度、少なくとも月に数回はある。例え自分の英語がつたなくても、人々と同じ活動をするということで即座に周りと仲間意識を感じられ、周りも向こうから気さくに話しかけてきて、友好的である。時々彼らとパーティーなどすることもある。<br />
バーや行き当たりばったりの集団でなく、同じ目的を持つボランティア団体にいれば、何かと得ることも多い。ボランティアであるので、基本無給であるが、こちらからの出費もいらない。よそよそしさもなく、皆仲間という意識でいるので、助け合おうと言う共通意識があるため疎外感は生まれにくい。<br />
またそのボランティア活動の内容を軸に、話すネタ、聞くネタはどんどん出てくる。ネイティブの英語を気楽に、タダで受けられ、上達も出来る。そして地域社会に貢献している、というその行為自体、気持ちが清々しい。自分は良い事をしているという充実感を持った生活が過ごせる。余裕があれば、ボランティア活動をいくつかかけ持ちしてみても良い。たいていは英語力はそれほど問われない。何のためにやっているか、つまり地域社会に貢献するというその目的が彼らと同じであり、そこに少しプラスして、友人を作る、語学力を高める、現地生活に馴染む、などが加わっているだけだと思っていれば良い。時間さえ都合がつけば、ボランティア活動も手っ取り早い友人作りの方法になるのである。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-80022456210132138242015-08-05T00:00:00.000+09:002015-08-05T00:00:00.123+09:00アメリカでボランティア活動をして感じたこと その2<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
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<a href="http://1.bp.blogspot.com/-iQd8JZ6vCOo/Va2mlG3JsoI/AAAAAAAABoc/PiHEEmwdFq0/s1600/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E3%2583%259B%25E3%2582%2599%25E3%2583%25A9%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2586%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25A2%25E6%25B4%25BB%25E5%258B%2595%25E3%2582%2592%25E3%2581%2597%25E3%2581%25A6%25E6%2584%259F%25E3%2581%2597%25E3%2582%2599%25E3%2581%259F%25E3%2581%2593%25E3%2581%25A8%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2592.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="212" src="http://1.bp.blogspot.com/-iQd8JZ6vCOo/Va2mlG3JsoI/AAAAAAAABoc/PiHEEmwdFq0/s320/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E3%2583%259B%25E3%2582%2599%25E3%2583%25A9%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2586%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25A2%25E6%25B4%25BB%25E5%258B%2595%25E3%2582%2592%25E3%2581%2597%25E3%2581%25A6%25E6%2584%259F%25E3%2581%2597%25E3%2582%2599%25E3%2581%259F%25E3%2581%2593%25E3%2581%25A8%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2592.jpg" width="320" /></a></div>
前回の続き。とはいえ自分自身が楽しくなければボランティア活動は続きはしない。近所の友人達は、ボランティアの消防隊に入ったり、海外留学生を受け入れるホストファミリーや、捨てられた動物を一時的に保護する人や、ボーイスカウトのリーダーとして様々な体験をさせてあげる人など、これらを無償で行っている。<br />
この他にもたくさんある中で、まず簡単なものとしてやり始めたのは、雪が積もった際に消火活動がしやすいよう、地域の消火栓全てに積もった雪かきをするボランティアに参加した。これはやってみると何と清々しいことか。防災の役にささやかながらも貢献しているという充実感、他のボランティアとともに何かを一生懸命に行うという連帯感を感じられ、また子供も参加させたのでいい勉強になったと思うし、いい運動にもなった。<br />
正直この作業を賃金計算したら、などと金のことを気にしだすと、ボランティアの作業効率低下だけでなく、目的意義すら変わってしまうのでそこはしっかり線引きし、今は営利活動ではなく奉仕活動の時間だ、として心を切り替える。<br />
自分の住む地域のためにいい事をした、という精神的満足感が、その日の午後以降も気分を穏やかにかつ安定させ、生活にある程度の刺激が生まれ、心がポジティブになる。心がリフレッシュされ普段の仕事でのやる気や効率性が向上したり、妻も参加しているので共同で新規に何かをやっている事実、二人で地域に貢献しているという満足感により、家庭内の雰囲気が良くなったり、ちょっとした事でいらいらすることが少なくなったり、生きる目的がもう一つ増えたような気がして次はどこでボランティア活動しようか、と楽しんでいる自分がいたり、他のボランティアの人から頼りにされると、自分の存在意義がまた一つ増え精神的により安定したりする。<br />
副次的に、パレードに自分が参加して歩きたい、という夢も、ボランティア活動をしていることで達成でき、ボランティアがらみでの友人も結構増え、地域と繋がっている感覚は心地がいい。こうしたことが積もり積もって、結果的に人生への幸福度が高まるような気がしてならない。最初は、無償でボランティア活動をしてみようか、と始めたことが、お金を使わずとも自身や家族の幸福度を上げる格好になっているのに気づく。<br />
与えよ、されば道は開かれんとはこういうことか、と感じる瞬間である。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-7199409730633181522015-08-01T00:00:00.000+09:002015-08-01T00:00:00.843+09:00アメリカでボランティア活動をして感じたこと その1<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-NNYvyjMeNAg/Va2iAd1ufcI/AAAAAAAABoI/CyMDL8g0Fvw/s1600/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E3%2583%259B%25E3%2582%2599%25E3%2583%25A9%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2586%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25A2%25E6%25B4%25BB%25E5%258B%2595%25E3%2582%2592%25E3%2581%2597%25E3%2581%25A6%25E6%2584%259F%25E3%2581%2597%25E3%2582%2599%25E3%2581%259F%25E3%2581%2593%25E3%2581%25A8%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2591.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://2.bp.blogspot.com/-NNYvyjMeNAg/Va2iAd1ufcI/AAAAAAAABoI/CyMDL8g0Fvw/s320/%25E3%2582%25A2%25E3%2583%25A1%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AB%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E3%2583%259B%25E3%2582%2599%25E3%2583%25A9%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2586%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25A2%25E6%25B4%25BB%25E5%258B%2595%25E3%2582%2592%25E3%2581%2597%25E3%2581%25A6%25E6%2584%259F%25E3%2581%2597%25E3%2582%2599%25E3%2581%259F%25E3%2581%2593%25E3%2581%25A8%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2591.jpg" width="214" /></a></div>
アメリカではボランティアが盛んだ。これはアメリカ生活での大きな特徴の一つで、私自身かなり評価している。他人の身になって共感し、無償で、時に定期的に手伝う、という行為は、恩恵を受ける受け手だけでなく送り手の方も気持ちがいい。地域に貢献しているという充実感、世代を超えて助けあい繋がっているという連帯感、また自分が求められているという存在意義の感覚は、なかなかいい。<br />
そしてアメリカでは子供が小さいうちから、様々なイベントなどでボランティア活動の機会に触れやすい。堅苦しくなく、人々と助け合うのはよいことだ、という価値観が育まれていく。アメリカの高校生が、アイビーリーグに行きたい場合でも、その勉強したい分野に関連するボランティアをどれだけやったか、また充実した奉仕活動をしたか、というのはある程度判断基準にされると言われる。<br />
ボランティアとして助け合う、という社会貢献活動の土壌が浸透しているので、自分で一から作り始めなくても、また自分の住む地域でもボランティアを募集しているグループや団体、NPOなどを簡単に見つけられる。<br />
金がない時や、仕事や育児などで忙しい場合、ボランティアなどしている所ではない、と考えるのではなくて、仕事をして賃金を貰う経済的インセンティブつまり労働時間とは別に、他者や社会のために何かを貢献したみたいという社会的、道徳的インセンティブを確保することも、生活を本当に豊かにする上で必要であるという考え方である。まず他人に与える行為が回りまわって自分の幸せにも繋がる、というようなイメージで、それは多くの人の格言や宗教の書物等にしばしば登場もする。<br />
年を取るたび今の自分に何が出来るか、と考えた時、地域への奉仕活動が今までなおざりになっていたような気がした。自分のことばかりで、自分のための金儲けや自分の家族のために使う時間、と言うように、地域への貢献活動という意識の優先順位は相当低かった。私は億万長者ではないし、仕事のほか用事ややりたい事はいろいろある。だが何か地域のために無償でボランティア活動するのは、決してマイナスではない。相手だけでなく、こちらにも学ぶことがあると思った。そして何のボランティア活動をし始めたかは、次回に続く。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-27545201654804104212015-07-25T00:00:00.000+09:002015-07-25T00:00:02.460+09:00隣人との対抗意識 その2<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-FGXxRAe7eio/Va2deEjO1kI/AAAAAAAABn8/xlTUjYfZCao/s1600/%25E9%259A%25A3%25E4%25BA%25BA%25E3%2581%25A8%25E3%2581%25AE%25E5%25AF%25BE%25E6%258A%2597%25E6%2584%258F%25E8%25AD%2598%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2592.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="192" src="http://4.bp.blogspot.com/-FGXxRAe7eio/Va2deEjO1kI/AAAAAAAABn8/xlTUjYfZCao/s320/%25E9%259A%25A3%25E4%25BA%25BA%25E3%2581%25A8%25E3%2581%25AE%25E5%25AF%25BE%25E6%258A%2597%25E6%2584%258F%25E8%25AD%2598%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2592.jpg" width="320" /></a></div>
前回の続き。多くのアメリカの家では、庭が広いため、いろいろとユニークな方法で庭造りをする人が多い。私の両向かい、両隣もそういう人々なので、私も時間があればよりよい庭造りのため何かをしている。<br />
隣の芝生は青い、で、こちらも何かしなくては、という気にさせられる。家族や友人、親族などは、よく庭で何かをしている私に、この家がとても好きなのね、等と言ってくれるが、自分のためなのか隣人たちに後れを取らないためなのか、一生懸命庭造りや庭仕事をしている真の目的が分からなくなる瞬間もある。<br />
幸い隣人たちとはよく話すので、互いの庭を見せあったり次に考えている庭のプロジェクトを教えあったりしているが、そこでも変な対抗意識が出る。新しくて高い日曜大工用器具を隣人が買ったのを知ったり、発想もなかった庭のリメイクを知ると、笑顔で賞賛するものの、心では「くっそー、こっちも何かかっこいいアイデアはないものか」と、ある種嫉妬や競争心に更に火がつく。だが彼らの多くは退職者であったり、夫婦でガーデニングを愛でていたり、庭にかける物理的時間が違う。<br />
さらにいいアイデアばかりそうそう思いつくわけではないので、Pinterestなどのウェブサイトを見て、全米の人々の庭のMakeover(改造、作り変え)のアイデアを参照したりする。やはりアメリカ人と日本人ではその発想やアイデアの方向が違うなあ、等と変に感心してしまうほど、彼らの庭造りのアイデアは彼らなりの価値観でユニークである。<br />
これもいい、あれもいいと、いろいろなアイデアを自分の庭でやってみたいと調子に乗ると、金が大量にかかるだけでなく、統一感なくごちゃごちゃし、結局落ち着けない庭にもなりかねない。時間と金に相談して、主体である自分とその家族がくつろげる空間を作れたらそれでいいではないか、とある程度納得させ、過度に隣人たちより張り合おうという気をなくさないといけないと思う。広い芝生を手入れするだけでも十分美しいし、仕事や他の用事の合間を縫って、張り合うようにあれこれと次々に庭のMakeoverを考え実行するのは、疲れてきたのが本音である。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-45386798663592871682015-07-20T00:00:00.000+09:002015-07-21T10:06:52.175+09:00隣人との対抗意識 その1<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-1WK6tiW7u54/Va2YlQy7q6I/AAAAAAAABns/C4iWrYqPmV4/s1600/%25E9%259A%25A3%25E4%25BA%25BA%25E3%2581%25A8%25E3%2581%25AE%25E5%25AF%25BE%25E6%258A%2597%25E6%2584%258F%25E8%25AD%2598%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2591.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="212" src="http://4.bp.blogspot.com/-1WK6tiW7u54/Va2YlQy7q6I/AAAAAAAABns/C4iWrYqPmV4/s320/%25E9%259A%25A3%25E4%25BA%25BA%25E3%2581%25A8%25E3%2581%25AE%25E5%25AF%25BE%25E6%258A%2597%25E6%2584%258F%25E8%25AD%2598%25E3%2580%2580%25E3%2581%259D%25E3%2581%25AE%25EF%25BC%2591.jpg" width="320" /></a></div>
アメリカの家に住んでいると、変な対抗意識を感じることがある。アメリカで家を持つと、たいていは大きな庭がある。隣人たちも同じく大きな庭があり、彼らの庭とこちらの庭とで、どちらが美しいか、どちらがより手入れをしたり、よりユニークな庭造りをしているかなど、比べたくなる。<br />
私が住むエリアの場合、家の前、後ろに、25mプールが何個も入るようなスペースを持つ庭を持つ家がたくさんある。そして思い思いに庭を綺麗にアレンジしている。ただ芝生が広がるだけの庭も美しいが、たいていはそれぞれにアレンジをしている。<br />
例えば、木の根元や家の周りなどに花壇を植えたり、木や枝で作った高いゲートを作ったり、キャンプファイヤー用の焚き火スペースを作ったり、水が自動で流れ続ける滝や小川や池や風車を作ったり、ビニールハウスを作ったり、夜になると脇に電気が付く歩道を作ったり、フェアリーハウス(妖精の家)を作ったり、様々かつ大量の野菜や花を植えたり、巨大なプールやジャグジーを作ったり、テントやプライベートでくつろげるテラスデッキを造ったり、庭にTVを置いて見れるよう電気工事をしたり、数トンのロールを使って庭の凹凸を平らにしたり、砂利を敷いてアクセントをつけたり、公園顔負けのたくさんの遊具を置いたり、バーベキュースタンドを作ったり、ハンモックを置いたり、サウナ専用、カラオケバー専用の離れ小屋や第二第三のShed(ガレージ)を作ったり、子供用にバスケットボールやサッカーのゴールや、器械体操用のあん馬や平均台、平行棒や吊り輪を置いたり、スケートボード用のRamp(ハープパイプ)を置いたりと、庭の広さを利用して自由でより楽しい空間作りに精を出す家が多い。その2へ続く。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-84543671570180793892015-07-15T00:00:00.000+09:002015-07-15T00:00:00.042+09:00日本語レッスンで意識していること<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-7rNzyK1xIek/VZx-eR_wJ0I/AAAAAAAABnU/cuzFsEvB2aA/s1600/%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2583%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25B3%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E6%2584%258F%25E8%25AD%2598%25E3%2581%2597%25E3%2581%25A6%25E3%2581%2584%25E3%2582%258B%25E3%2581%2593%25E3%2581%25A8.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="240" src="http://2.bp.blogspot.com/-7rNzyK1xIek/VZx-eR_wJ0I/AAAAAAAABnU/cuzFsEvB2aA/s320/%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2583%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25B3%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E6%2584%258F%25E8%25AD%2598%25E3%2581%2597%25E3%2581%25A6%25E3%2581%2584%25E3%2582%258B%25E3%2581%2593%25E3%2581%25A8.jpg" width="320" /></a></div>
日本語をアメリカ人に教えていていて、ユーモアセンスが必要だな、とよく思う。日本での学校でよくある授業のように、教師が詰め込み教え続け、生徒は黙ったままのような、一方的な授業はあまり通用しない。<br />
経験上、彼らは少しでも気になった箇所は私の話をさえぎって聞いてくる。そこでもし、きちんと理にかなう説明をしないと、こいつはだめだ、とそれ以降の彼らのやる気が失せてくる。そして一方的にテキストの内容を詰め込むのではなく、時折世間話やジョークなどで和ませ、日本関連の私の経験談などを取り入れると、たいてい上手くいく。<br />
どちらかというと、アメリカ人は短距離走者のようで、集中する時はかなりするが、日本人ほどそれほど続かないようで、息抜き、ガス抜きの意味でリフレッシュさせてあげると授業に大変弾みが付く。そこで手っ取り早いのが笑いである。<br />
これはアメリカ人の仕事でも大体当てはまるが、ガガガッと集中して、少し息抜きする。この繰り返しを無意識に彼らは望んでいるように感じる。笑いを取る、ユーモアセンスというけれど、それは普通の日本人には簡単にはできない。アメリカ流の話術の上達が必要で、アメリカのトークショーやコメディー番組をよく見て、どういう風に笑わせているのかまねたり、緩急をつけた授業展開を積む経験が必要だ。<br />
例えば、生徒の一人が日本旅行をしてきた際、トイレの便器の多くがTOTOと書いてあって驚いた、とリフレッシュをしたそうに授業内容に逸れた話をしてきた際は、少し付き合ってあげる。ああ、そうですね、と単に相槌を打つのも悪くないが、しばらくロックバンドがトイレ便器を作っていると思っていた、などどジョークを言うと、ハハハハハ、と笑ってくる。愛想笑いでなく、面白いと笑わせる事ができれば、こちらの勝ちである。<br />
例え世間話が長引いて今日の授業でやりたかったことが出来なくなり、予定が狂ったとしても、私的にはそれでもいい。笑わせた後の残りの授業は、生徒の理解力が高まる。そしてスムーズに進む。日本語教師であると同時に、コメディアンのようにどうやって笑わせてやろう、といつもタイミングをうかがっている自分もいる。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-17212978027461978122015-07-10T00:00:00.000+09:002015-07-10T00:00:04.637+09:00私が行う日本語レッスン<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-_29APsjIny0/VY3YNveyoQI/AAAAAAAABnA/6-TgXnw_ypI/s1600/%25E7%25A7%2581%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E8%25A1%258C%25E3%2581%2586%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2583%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25B3.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://2.bp.blogspot.com/-_29APsjIny0/VY3YNveyoQI/AAAAAAAABnA/6-TgXnw_ypI/s320/%25E7%25A7%2581%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E8%25A1%258C%25E3%2581%2586%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2583%25AC%25E3%2583%2583%25E3%2582%25B9%25E3%2583%25B3.jpg" width="213" /></a></div>
私はアメリカで日本語も教えている。もともと人に何かを教える事が好きであったこと、以前日本語教師の資格を取ったこと、また仕事と家の往復だけでなく、地域と繋がりを感じられる何かをしたい、と考えていたので、小さな田舎町であるが日本語を教えている。<br />
まず驚くのは、田舎町でも日本に興味を持つ人が思いのほか多いということだ。生徒の動機は様々だが、例えば日本のアニメとビジュアル系音楽に傾倒していて、それら日本語の意味をもっと知りたいと言う高校生や、一度日本旅行をして感動し、毎年日本旅行するために日本語を習いに来る定年退職した老夫婦や、大学で日本語のクラスを受講しているが、夏季休暇の時のみ予習のため習いに来る大学生や、近々家族で日本旅行をするので、事前に知っておくべき事柄や文化歴史などを直接日本人から知っておきたいと言う人々、日本に出張が決まったのでビジネス用日本語を教えて欲しいと言うビジネスマンなど、こんな田舎でも結構いるものだ、と驚かさせる。<br />
普段の会社員としての仕事が終われば、すぐ日本語を教えに行く。仕事後家に直帰し、のんびり出来ればいいだろうが、日本語を教えた後は大抵気分が爽快で、一日の充実感を得られる。地域の人々に日本語を通して微力ながらも貢献している、という感覚はなかなかよい。自分にもう一つの顔があるようで、気分のメリハリもつく。そして日本旅行から帰ってきた老夫婦が、トラブルもなく、あなたのおかげでいろんな日本人と会話できました、ありがとう、と言われたときは大変嬉しい。大学の来期授業用にたくさん予習を手伝ってあげた生徒から、成績はAを取れた、ありがとうと連絡をもらえた時は嬉しい。そして教えた事柄を使用して、少しずつでも日本語のみで会話をし、私との会話のラリーが結構出来るようになってきたと感じる時はオォーと感心し、その上達に嬉しくなる。<br />
アメリカ人相手に日本語を教えるのは楽しい。彼らの上達を自分のことのように思えるし、また何かについて2時間以上話せるものなら、それを一生の仕事とすべし、と誰かが言っていたのを思い出す。日本の言語、文化、習慣、歴史、価値観という超莫大な内容なので、2時間などノートなどなくても楽勝に話せる(また彼らは気になる事はその場で何でも聞いてくる質問魔なので、時間配分を考えないとすぐ終わりの時間になる)。そういうわけで、日本語教師をこれからも趣味に近い感覚でやっていければ、と思う。Unknownnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-171979781888018198.post-31060862481627715962015-07-05T00:00:00.001+09:002015-07-06T00:09:20.008+09:00日本語で訳しづらいが普通に使っている英単語<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-cDE-ewlCwMc/VYIpL0KuycI/AAAAAAAABmo/Gaq2_RqYaZM/s1600/%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E8%25A8%25B3%25E3%2581%2597%25E3%2581%25A4%25E3%2582%2599%25E3%2582%2589%25E3%2581%2584%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E6%2599%25AE%25E9%2580%259A%25E3%2581%25AB%25E4%25BD%25BF%25E3%2581%25A3%25E3%2581%25A6%25E3%2581%2584%25E3%2582%258B%25E8%258B%25B1%25E5%258D%2598%25E8%25AA%259E.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="320" src="http://3.bp.blogspot.com/-cDE-ewlCwMc/VYIpL0KuycI/AAAAAAAABmo/Gaq2_RqYaZM/s320/%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E8%25AA%259E%25E3%2581%25A6%25E3%2582%2599%25E8%25A8%25B3%25E3%2581%2597%25E3%2581%25A4%25E3%2582%2599%25E3%2582%2589%25E3%2581%2584%25E3%2581%258B%25E3%2582%2599%25E6%2599%25AE%25E9%2580%259A%25E3%2581%25AB%25E4%25BD%25BF%25E3%2581%25A3%25E3%2581%25A6%25E3%2581%2584%25E3%2582%258B%25E8%258B%25B1%25E5%258D%2598%25E8%25AA%259E.jpg" width="240" /></a></div>
アメリカで長い間暮らしていても、この英語は日本語で何と言うか、明確でないまま使っている英語はある。例えばUpsetである。探し物が見つからない時、悲しい時、時間がない時など、アメリカ人は様々な場面でUpsetを用いる。Let it be、Dudeなどもその類だ。<br />
たいていはこの英単語は日本語で言うとこれこれ、とイコールですぐ言い換えられるが、Upsetのようにすぐ日本語で出てこない時もある。要するに感覚でその英語を覚えてしまったのである。<br />
新しい英単語や表現を、その都度イコールになる日本語を結びつけて覚えるとよいのだろうが、Upsetのようにかなり幅広く使われ、たった一語で相当する日本語がなかなか思いつかない場合、その英語の感覚やイメージだけで覚えるので、英語では適切な状況でその単語を用いられるが、日本語で言うと何と言うべきかつっかえてしまうのである。<br />
逆にお疲れさまです、やよろしくお願いします、拝啓、敬具、ご健勝など、ある日本語を英語で言う時にスッと出てこない場合もある(この場合は日本独特の言い回しで、いちいち訳さず、英語でその意味を言う必要もなく、日本語で話す時だけ言えばいいのだ、と自分なりに解決して過ごし、何の問題も起こっていない)。<br />
言語というからにはそういう類の両言語で明確にイコール化して理解していないものも、今すぐ思いつかないだけで他に多数あるはずだが、私は通訳や翻訳の仕事をしている訳ではないし、アメリカで普通に暮らせているから、これでいいのだ、と思うように割り切っている。日々の生活でふと今自分が使った英語を、日本語で言うとどうなるか考えた時に、もしふさわしい日本語が出なく、さらに時間がある時にだけ、私よりさらにペラペラのバイリンガルに聞くか、インターネットなどで調べて、ようやく英語日本語でイコールで紐付けられ、一つ解決していくことになると思う。数が膨大であるから、全てを網羅するのは無理と決め込んで、あまり神経質にならず今日一つでも紐付けが出来れば儲けもの、という気楽なスタンスでいることにしている。Unknownnoreply@blogger.com