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	<title>やおよろず</title>
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	<description>古事記や地方の神様を紹介する日本の神様辞典</description>
	<lastBuildDate>Mon, 03 Jun 2019 09:44:48 +0000</lastBuildDate>
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	<item>
		<title>天之尾羽張</title>
		<link>https://yaoyoro.net/amenohabari.html</link>
				<pubDate>Mon, 03 Jun 2019 09:43:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[明子森田]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古事記と日本書紀の神様]]></category>
		<category><![CDATA[刀剣の神]]></category>

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				<description><![CDATA[イザナギ愛用の剣の神靈「天之尾羽張」 イザナギとイザナミは日本の国々を作っていくにあたり、島々を生み出し、たく・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[
<h3>イザナギ愛用の剣の神靈「天之尾羽張」</h3>



<p>イザナギとイザナミは日本の国々を作っていくにあたり、島々を生み出し、たくさんの神様を生み出しました。<br> 非常に順調にすすんでいたのですが、火の神様・加具土命を産んだ時、イザナミは女陰に大やけどを負います。<br> 結果として、この火傷のせいでイザナミは死んでしまい黄泉の国へと行ってしまいました。</p>



<p>イザナギは悲しみのあまり、十拳剱（とつかのつるぎ）を振りかざし、加具土命の首を落とします。<br> 十拳剱（とつかのつるぎ）とは（※一拳（ひとつか）は約10㎝）、立派な長剣という意味です。<br> この剣の名前が天之尾羽張（あめのをはばり）で、またの名を伊都之尾羽張（いつのをはばり）と言います。</p>



<p>加具土命の首を斬った時に多くの神々が生まれています。</p>



<p>＜この剣に基づいて生まれた神＞<br>
石析神（いわさくのかみ）・根析神（ねさくのかみ）・石筒之男神（いわつつのおのかみ）・甕速日神（みかはやひのかみ）・樋速日神（ひはやひのかみ）・建御雷之男神（たけみかづちのおのかみ）・闇淤加美神（くらおかみのかみ）・闇御津羽神（くらみつはのかみ）</p>



<p>＜斬られた加具土命の身体の一部から生まれた神＞<br> 正鹿山津見神（まさかやまつみのかみ）・淤縢山津見神（おどやまつみのかみ）・奥山津見神（おくやまつみのかみ）・闇山津見神（くらやまつみのかみ）・志藝山津見神（しぎやまつみのかみ）・羽山津見神（はやまつみのかみ）・原山津見神（はらやまつみのかみ）・戸山津見神（とやまつみのかみ）</p>



<h3>武神・ 建御雷之男神 を葦原中つ国へ派遣</h3>



<p>葦原中つ国平定のためにどの神を派遣するかを天照大御神が思案している場面で、思金神が提案したのが「天之尾羽張か、その子の建御雷之男神 （たけみかづちのかみ） 」でした。<br> （ここで、天之尾羽張は「伊都之尾羽張神（いつのをはばりのかみ）」という名前でも表現されています）</p>



<p>続けて「天之尾羽張神は天の安の河の水を完全にせき止めて、道をふさぎ占領しているので中つ国には行けないだろう」と思金神は言います。<br>
天迦久神を聞きに行かせると、やはり「自分は行けないので、自分の子の建御雷之男神を行かせて下さい」と天之尾羽張神は言いました。</p>



<p>この建御雷之男神は武神であり、何度も失敗していた中つ国平定の交渉に初めて成功します。建御雷之男神は現在は、茨城県の鹿島神宮や全国にある鹿島神社の祭神となっています。</p>



<h3> 天之尾羽張 と 建御雷之男神の関係</h3>



<p>ここまでは古事記をベースにお話しており、  建御雷之男神 （たけみかづちのかみ）は、天之尾羽張神 の子だという位置づけになっています。</p>



<p>日本書紀で見てみると少し違い、武甕槌神（たけみかづちのかみ）は、稜威雄走神（いつのおはしりのかみ）の四世の孫で、<br> 稜威雄走神→甕速日神→熯速日命→武甕槌神　という系図が書かれています。</p>



<p>※ 天之尾羽張（あめのをはばり）＝伊都之尾羽張（いつのをはばり）＝稜威雄走神（いつのおはしりのかみ） </p>



<p>と、名前が変わるのがややこしいですが、天之尾羽張神（古事記）と稜威雄走神（日本書紀） は同一神です。 </p>



<p>直接の子供なのか、ひ孫なのかという違いはありますが、 天之尾羽張神と 武甕槌神 は、血縁関係にあるということです。</p>



<p> 天之尾羽張も 建御雷之男神 も剣の神霊です。 </p>



<h3>名刀であることを示す名前</h3>



<p> ・「尾羽張」＝「尾刃張」・・・鋒の両方の刃が張り出した（切先が幅広くなった）剣の意味。鋭利でよく斬れる名刀。<br> ・「伊都」＝「稜威」（いつ）・・・」霊威が盛んである、強大な神の力という意味<br> ・「尾」＝「雄」・・・雄々しいこと<br> ・「羽」＝「刃」、「張（はり）」・・・その刃が張っている意味</p>



<p>イザナギの愛用している剣なので、非常に大きな霊力を持った、よく斬れる剣であることが神名から見て取れる。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>意富加牟豆美命</title>
		<link>https://yaoyoro.net/ookamuzumi.html</link>
				<pubDate>Wed, 02 Jan 2019 14:26:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[明子森田]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古事記と日本書紀の神様]]></category>
		<category><![CDATA[延命長寿]]></category>
		<category><![CDATA[災厄消除]]></category>
		<category><![CDATA[病魔退散]]></category>

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				<description><![CDATA[桃の実が神様になった 古事記によると、 伊邪那岐命と伊邪那美命は多くの神様を生み出しました。 しかし、火の神・・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<h3>桃の実が神様になった</h3>
<p>古事記によると、</p>
<p>伊邪那岐命と伊邪那美命は多くの神様を生み出しました。<br />
しかし、火の神・加具土命を産んだ時に、<br />
伊邪那美命は女陰を焼かれて死んでしまいました。</p>
<p>愛しい伊邪那美命に会いたい一心で、<br />
伊邪那岐命は黄泉の国へ訪ねていきました。</p>
<p>伊邪那美命は最初は喜んで出迎えてくれましたが、<br />
もう黄泉の国の住人になってしまっていました。</p>
<p>朽ち果てた伊邪那美命の醜い姿を見てしまった伊邪那岐命は<br />
一転して、伊邪那美命に追われることとなります。</p>
<p>あの手この手の攻撃を受け、それでも黄泉の国と現世の境にある「黄泉平坂（よもつひらさか）」まで逃げてくることができました。</p>
<p>生えていた桃の木の実を三つ取って投げると、追ってきていた軍勢は皆、黄泉の国へ戻って行きました。</p>
<p>そこで伊邪那岐は、桃の実に大変感謝して、<br />
「お前は私を助けたように、人々が苦しい目にあって困っている時に助けなさい」と言い、</p>
<p>意富加牟豆美命（おほかむづみのみこと）という名前を、桃の実につけました。</p>
<h3>神聖視された桃</h3>
<p>桃は、古来より神聖視・特別視された果物でした。</p>
<p>中国では「桃源郷」の桃は不老長寿の特別な食べ物と伝えられていました。</p>
<p>「桃の節句」も元々は中国から来ており、<br />
川で災厄を水に流す行事でした。</p>
<p>中国では桃の節句の習慣は途絶えていますが、<br />
日本で形を変えて根付いています。</p>
<p>昔から、桃の花や実の色が明るいこと美しいので、吉祥のしるしとして扱われたり、<br />
実の形が女陰と似ていることから、女性の結婚・多産と結びつけられることもあったようです。</p>
<p>現代では桃の品種は何千とありますが、<br />
古代の桃は今の様な甘い桃ではなく、もっと固いものでした。</p>
<p>薬効が非常に多岐に渡り、食べる事で心身の健康に役立っていたのではないでしょうか。</p>
<h3>桃太郎</h3>
<p>「桃」というと「桃太郎」という誰もが知っている昔話があります。</p>
<p>江戸時代に書かれた「桃太郎」のお話は、<br />
川から流れてきた桃をおじいさんとおばあさんが食べたところ、<br />
若返り、そして桃太郎が生まれた、というものでした。</p>
<p>また、伊邪那岐命が、黄泉の国の軍勢に桃を投げつけて撃退したように、<br />
桃太郎は鬼退治に行きます。</p>
<p>中国で不老長寿の食べ物と言われていたことや、<br />
災厄を祓う桃の力が、盛り込まれた物語です。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>胸鉏比売</title>
		<link>https://yaoyoro.net/munasuki.html</link>
				<pubDate>Thu, 13 Dec 2018 14:49:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[己未]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[民間信仰]]></category>
		<category><![CDATA[交通安全]]></category>
		<category><![CDATA[国家守護]]></category>
		<category><![CDATA[航海安全]]></category>

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				<description><![CDATA[箱舟に乗った童女 遥か昔。まだ、この世を神様が治めていた頃のこと。 今の島根県江津市の浜に、一艘の箱舟が流れ着・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<h3>箱舟に乗った童女</h3>
<p>遥か昔。まだ、この世を神様が治めていた頃のこと。<br />
今の島根県江津市の浜に、一艘の箱舟が流れ着いた。</p>
<p>通りかかった地元の老夫婦が中を覗くと、7歳前後の可愛らしい童女が入っていた。<br />
中には童女の他に、柏の葉が2つ3つ散っているだけ。<br />
童女は立派な着物に身を包み、顔立ちも整っていて品がある。</p>
<p>老夫婦は、きっと神の子に違いないと、家に連れて帰り育てることにした。<br />
子どもがいなかった老夫婦は、この不思議な童女を我が子のように慈しんで育てた。<br />
童女が父母を恋しがって帰りたがらぬよう、出自について問うことはしなかった。</p>
<h3>弓矢の名手</h3>
<p>何年かして。<br />
美しい娘となった姫に、翁が問う。<br />
「おまえはどこから来たのかね」<br />
姫は黙ったまま、東の方を指差した。<br />
何回聞いても反応は同じ。</p>
<p>ただ、夜に起き出しては、出雲の方角を眺めている。<br />
姫は家の中でも不可解な行動をとっていた。</p>
<p>いつも上の間に居て、上座に座るのだ。<br />
かと思えば、毎日のように弓矢の稽古をしたり、山を駆け登ったり。<br />
ひたすら体を鍛えている。</p>
<p>特に弓矢をとらせたら、娘に適う者はいなかった。<br />
美しい容貌とは不釣り合いに、弓矢の腕はこの世のものとは思えないくらい抜きん出ていた。</p>
<h3>出生の秘密</h3>
<p>姫が13歳になった12月の、ある夜のこと。<br />
出雲の岬の方角に、狼煙(のろし)が上がった。<br />
その火は天を焦がすほどに大きくなる。</p>
<p>それを見た姫は、老夫婦に言った。<br />
「あの狼煙は、出雲で戦が始まるという知らせです。私は出雲から流されて、ここに来ました。今、出雲に敵が押し寄せてきたに違いありません。私は出雲に戻り、敵を退けねばなりません」</p>
<p>それを聞いた老夫婦は驚いた。<br />
「そなたは出雲の国の人であったか。いったいどうして、ここへ流された。なんで、そなたが敵を退けねばならない」<br />
姫は泣きながら答える。</p>
<p>「私は、出雲の国の須佐之男命の子です。名を田心比売と申します。私は幼い頃、心が荒々しかったために父母の怒りにふれ、箱舟に乗せられて流されました。その後、十羅(じゅうら)という国が出雲の国を何回も攻めました。父たちはどうにか防いできましたが、十羅は強く負けそうです。そんな父の夢枕に立った神様が、『田心比売が帰ってくれば、出雲は必ず勝つだろう』とお告げになったそうです。父はそれを信じて、私にすぐ戻るようにと言っています。ですから、私は出雲に帰らなくてはなりません。長い間、育てていただきありがとうございました」<br />
そうは言われても、老夫婦にとって姫は実の子同然。</p>
<p>簡単に納得は出来ない。<br />
「そうだったのか。それでも、そなたと別れるのはつらいことだ。こんなに大きくなったのに……。なんとか、ここに留まることはできないのか」<br />
老夫婦は姫の手を握って泣き崩れる。</p>
<p>しかし、姫の気持ちは変わらなかった。<br />
「私が帰らなければ、出雲は滅ぼされてしまうでしょう。どうか、私を出雲へ帰らせてください。出雲に帰っても、おじいさんおばあさんに受けたご恩は忘れません」<br />
そう言うと、姫は出雲の方へ向かって駆け出した。</p>
<p>「待て。待ってくれ」<br />
老夫婦は泣きながら、懸命に浜辺の道を走り、姫を追いかける。<br />
２人が追って来ることに気付いた姫は、シイの木の森の中にある石のかげに隠れた。</p>
<p>老夫婦は浅利の浦まで走ってきたが、そこでついに力尽き、亡くなってしまった。<br />
出雲の国に帰った姫は、鍛え上げた体と弓矢で十羅の者を瞬く間に滅ぼし、出雲の国を救った。</p>
<p>大手柄を立てた姫は、父から『十羅刹女(じゅうらせつじょ)』という名を贈られ、長い間、出雲の国を平和に治めたという。<br />
薗妙見早脚神社に祀られているのが田心比売こと胸鉏比売だと、【那賀郡誌】にはある。</p>
<h3>足跡</h3>
<p>江津市波子の港にある『神(かん)さん島』は、姫が箱舟に乗って流れ着いた場所だと言われている。<br />
また、『弓が原』や『和田の矢場』という地名は、姫が弓矢の稽古をしたところからきている。<br />
出雲の国へ帰る時に隠れていたシイの木の森辺りを『嘉久志(かくし)』といい、石を『かくれ岩』と呼んでいる。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>橋姫</title>
		<link>https://yaoyoro.net/hashihime.html</link>
				<pubDate>Sat, 27 Oct 2018 00:40:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[明子森田]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[民間信仰]]></category>
		<category><![CDATA[橋の神]]></category>
		<category><![CDATA[縁切り]]></category>

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				<description><![CDATA[縁切りで有名な「橋姫神社」 京都府宇治市の「橋姫神社」の御祭神は、 川神・祓神である瀬織津姫（せおりつひめ）だ・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<h3>縁切りで有名な「橋姫神社」</h3>
<p>京都府宇治市の「橋姫神社」の御祭神は、<br />
川神・祓神である瀬織津姫（せおりつひめ）だが、<br />
橋姫と混同（同一視？）されているようだ。</p>
<p>宇治の橋姫は非常に嫉妬深い神様とされており、</p>
<p>嫁入りする時には橋姫神社の前を通らない、<br />
縁を結ぶには橋の下を舟で通り、橋を渡ると離縁する、<br />
といった古い記録も存在するようだ。</p>
<p>現在も縁切りの願いを叶えてくれる神社として有名だ。</p>
<p>「橋姫」の名前は、平家物語・太平記・源氏物語などの<br />
現在も広く読み伝えられている書物の中にも登場する。</p>
<p>橋姫が嫉妬深い・縁切りの神であるという由縁は<br />
次に紹介する文献「平家物語・剣巻」からと思われる。</p>
<h3>丑の刻参りの元になった橋姫</h3>
<p>「平家物語・剣巻」では、こう記されている。</p>
<p>公卿の娘が貴船神社に参拝し、<br />
妬ましい女を殺すためにお鬼に変えてくれるように祈った。</p>
<p>貴船の神はそれに答え、指示した。</p>
<p>娘は、長い髪を五つに分けそれを角にし、<br />
顔には紅を、体には丹を塗った。</p>
<p>鉄輪を逆にして頭にのせて、<br />
三つの脚に松明を燃やし、<br />
口にも松明を加えて火をつけた。</p>
<p>夜更けに大和大路に走り出た女の姿は、<br />
さながら鬼のようであった。</p>
<p>こうして神のお告げ通りに三十七日間、<br />
宇治川に入った。</p>
<p>これが宇治の橋姫である、と<br />
「平家物語・剣巻」では語られている。</p>
<p>橋姫は、妬ましいと思う女とその関係者を次々に殺していった。</p>
<p>宮中では、夜は危険ということで、<br />
誰も外出をしなくなった。</p>
<p>その頃、源頼光の四天王の1人源綱がある夜、<br />
一条堀川の戻橋で美しい女性に化けた鬼に襲われ、<br />
名刀「髭切」で鬼の腕を切り落とした。</p>
<p>鬼の腕は、安倍晴明により封印された。</p>
<p>この物語は、丑の刻参りの原型のひとつとされており、<br />
能の演目「鉄輪（かなわ）」の話の元にもなっている。</p>
<h3>源氏物語・宇治十帖での「橋姫」</h3>
<p>色々な物語に登場する橋姫だが、源氏物語にも名前が見える。</p>
<p>源氏物語第４５帖が「橋姫」というタイトルだ。<br />
これは宇治を舞台にした「宇治十帖」（「橋姫」から「夢浮橋」までの十帖）の始まりの物語である。</p>
<blockquote>
<p>世の中から忘れられ没落しかかった「八の宮」は二人の娘と共に宇治に住居を移す。</p>
<p>二人の姫君（大君・中君）を男手ひとつで育てながらも、<br />
出家を望みながら慎ましやかに生活していた。</p>
<p>宇治山の阿闍梨からその聖俗ぶりを聴き興味を持った薫は、<br />
「八の宮」の元に通うようになる。</p>
<p>ある時、二人の姫君の可愛らしい様を偶然見る機会があり、<br />
姫君と歌を交わした。</p>
<p>薫が詠んだ歌が<br />
「橋姫の心を汲みて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる」<br />
である。</p>
</blockquote>
<p>古今集六八九に<br />
「さ筵に衣片敷き今宵もや　我を待つらむ宇治の橋姫」<br />
という歌があり、</p>
<p>当時、橋姫には「恋人を待ついじらしい女性」というイメージがあり、<br />
宇治に住む女性のことを「宇治の橋姫」になぞらえることがあったようだ。</p>
<p>薫もそれに倣って、姫君たちを「宇治の橋姫」と表現している。</p>
<p>「宇治の橋姫」の名前が見られる伝承を見てみると</p>
<blockquote>
<p>某中将に、二人の妻がおり、そのうちの一人が「宇治の橋姫」という名前だった。お産が近付き、五ひろのわかめを欲しがったので伊勢の海辺に取りに行った。<br />
その時に中将は龍王に魅入られて、そのまま帰って来なかった。<br />
橋姫は赤子を抱いて伊勢に尋ねてゆき、もう一人の妻もまた来た。（「鎌倉室町時代文学史」）</p>
<p>宇治の近くに住む夫婦があり、夫が竜宮に宝を取りに行って帰らなかった。<br />
妻は悲しんで橋の辺で死に、橋守明神となった。（「為家抄」）</p>
</blockquote>
<p>とあり、丑の刻詣りにちなんだ伝承とはまた違うイメージを持つ。</p>
<h3>内宮を守る「饗土橋姫神社」</h3>
<p>「饗土（あえど）橋姫神社」は、内宮へと続く宇治橋と対面する位置にある。<br />
饗土とは、内宮の宮域四方の境に悪しきものが入ってこないよう、防ぎお祀りする場所のこと。<br />
新しい宇治橋が架けられる「宇治橋渡始式」では、こちらで祭典が執り行われる。</p>
<p>式年遷宮で、最も早く建て替えられる神社だということ。<br />
御祭神は、宇治橋鎮守神（うじばしのまもりのかみ）。</p>
<p>宇治橋から駐車場を挟んで対面する場所にあるので、<br />
お社があることを気付かれないことも多いが、非常に神聖な場所である。</p>
<p>こちらも、恨みや嫉みとは無縁の、どちらかというと清浄な守り神の印象である。</p>
<h3>なぜ橋の神様が鬼女なのか</h3>
<p>「橋姫」は橋の守護神である。</p>
<p>橋というのは土地と土地をつなぐ大切な要所であり、<br />
伊勢の宇治橋のケースでは、俗世と神域をつなぐものである。</p>
<p>そこを守る神とが強いもの、恐ろしいものであるほど、<br />
悪しきものを寄せ付けないという考え方もできる。</p>
<p>ただ、橋を守る神というのは古くから各地にいたはずで、<br />
宇治の橋姫神社の御祭神も、瀬織津姫であることから<br />
元々は川の神・祓いの神が守っていたのではないか。</p>
<p>そこに民間伝承が混じり合い、<br />
橋姫に「嫉妬深い女性が鬼になった」というイメージが加わったのではないかと考えられる。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>葛の葉</title>
		<link>https://yaoyoro.net/kuzunoha.html</link>
				<pubDate>Fri, 28 Sep 2018 10:19:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[guest_yaoyoro]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[妖怪]]></category>
		<category><![CDATA[交通安全]]></category>
		<category><![CDATA[子宝]]></category>
		<category><![CDATA[学徳成就]]></category>
		<category><![CDATA[安産祈願]]></category>
		<category><![CDATA[良縁祈願]]></category>

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				<description><![CDATA[【概要】 『安倍晴明』は『狐の子』と呼ばれています。 『葛の葉』という白狐が人間の女性に化け、 『安倍保名（あ・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<h3>【概要】</h3>
<p>『安倍晴明』は『狐の子』と呼ばれています。<br />
『葛の葉』という白狐が人間の女性に化け、<br />
『安倍保名（あべのやすな）』という男性と恋に落ち、<br />
その時にもうけた子どもが『安倍晴明』と言われています。<br />
『葛の葉』と『安倍保名（あべのやすな）』の物語をもう少し詳しく見ていきましょう。</p>
<h3>【白狐と1人の男の儚い恋物語】</h3>
<p>話は、『安倍晴明』が生まれる前まで遡ります。</p>
<p>『安倍保名（あべのやすな）』が、信田の森の中で狩人に命を狙われている<br />
一匹の白狐に出会いました。彼は、白狐を狩人の魔の手から匿いました。<br />
命を救われた白狐は、保名に礼をいい、森の中へと消えていきました。</p>
<p>それから、数日経ったある日のことです。<br />
信田の森に美しい女性が訪ねてきました。<br />
彼女は『葛の葉』と名乗り、保名と一緒に暮らすようになりました。<br />
2人は契りを交わし、やがて、2人の間に子どもが産まれました。<br />
子は『安倍童子（のちの安倍晴明）』と名づけられ、すくすくと育っていきました。</p>
<p>しかし、その幸せは長くは続きませんでした。<br />
『安倍童子』が4～5歳になる頃に、事件は起こります。<br />
保名のもとに彼の師匠である、藤原保憲と、その娘。葛子（かつらこ）が、</p>
<p>彼のもとへと訪ねてきたのです。<br />
その葛子の姿は『葛の葉』と瓜二つ。</p>
<p>幸いなことに2人が衝突することはありませんでしたが、<br />
その夜、『葛の葉』は事情を察し、我が子を残して、保名のもとから離れて行きました。</p>
<h3>【別説】</h3>
<p>こちらの別説では、彼の師匠である藤原保憲と、その娘。葛子（かつらこ）は出てきません。<br />
『人間の女性』に化けた『葛の葉』が、保名との間に子ども『安倍童子』をもうけます。<br />
『葛の葉』の変身が解けるきっかけが、先ほどとは異なるためご紹介いたします。<br />
『安倍童子』が4～5歳になる頃に、『葛の葉』は、家の庭先に出向いていました。<br />
庭先には、菊の花が綺麗に咲き乱れていました。その姿があまりに美しく、<br />
彼女は導かれるように、菊の花のもとへと近づいていきました。<br />
しかし、庭先の菊の花の香りに心を奪われ、はっと我に返ったときには時既に遅し。<br />
『葛の葉』は、元の白狐へと戻ってしまいます。<br />
その姿は、幼き『安倍童子』の眼にも映りました。<br />
「もう保名と『安倍童子』のもとにはいられない」と察した彼女は、<br />
白狐の姿のまま、泣く泣く森へと消えていきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>どちらの説でも、<br />
『葛の葉』が、保名のもとから離れるときに</p>
<p><strong>―「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」</strong></p>
<p>という句を残しています。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>井氷鹿</title>
		<link>https://yaoyoro.net/ihika.html</link>
				<pubDate>Sun, 02 Sep 2018 11:08:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[明子森田]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古事記と日本書紀の神様]]></category>
		<category><![CDATA[井戸の神]]></category>
		<category><![CDATA[水の神]]></category>

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				<description><![CDATA[神武天皇が吉野で出会った土着の神 神武天皇が、東征の際に、吉野で出会った神です。 新しい土地を求めて、和歌山県・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<h3>神武天皇が吉野で出会った土着の神</h3>
<p>神武天皇が、東征の際に、吉野で出会った神です。</p>
<p>新しい土地を求めて、和歌山県の熊野から本州に上陸した神武天皇は、<br />
高天原の「高木の神（高御産巣日神）」のサポートを受けていました。</p>
<p>高木の神が遣わした八咫烏（やたがらす）の先導で、<br />
井光川という美しい川に差し掛かった時のこと。</p>
<p>尾っぽが生えた人が泉より出てきました。<br />
その泉は、神々しく輝いていました。</p>
<p>「おまえは誰だ」と問うと</p>
<p>「私は国つ神（土着の神）井氷鹿（いひか）という者です」と答えました。</p>
<p>ここでは、さが根津日子、井氷鹿、石押分之子、と三柱の土着神が登場します。</p>
<p>石押分之子は、違う土地からやってきた神武天皇を歓迎しており、<br />
さが根津日子、井氷鹿も受け入れたようです。</p>
<p>ちなみに、<br />
日本書紀では「井氷鹿そのもの自身が光っていた」<br />
古事記では「井氷鹿の出現した井（川・泉・井戸など解釈は様々）が光っていた」<br />
と、それぞれ少し違います。</p>
<p>「光る水」というのは、水銀のことを指しているという解釈や、<br />
「尾っぽ」は「獣皮でできた尻当てをしている鉱夫や木こりの姿」という見方もあります。</p>
<p>吉野は当時、鉱物資源が豊富な土地で、多くの鉱山があり<br />
金や銀はもちろん、硫化水銀も採取できていたそうです。</p>
<p>同じ吉野郡内や周辺地域には、丹生神社・丹生川上神社など<br />
丹（＝水銀）という字を使った名前が残っていることからも<br />
水銀が採れる土地だったことが連想できます。</p>
<h3>吉野に今も残る伝承</h3>
<p>「井氷鹿」は奈良県吉野郡川上村井光の地名として残っており、<br />
「井光（いかり）川」「井光（いかり）神社」「井氷鹿の井戸」といった伝承地があります。</p>
<p>井氷鹿が出現したとされる場所は、井光川から山の方に少し進んだところにある<br />
「神武天皇御旧蹟井光蹟」と書かれた石碑のうしろの窪地で、<br />
ここが「井氷鹿の井戸跡」です。</p>
<p>井光神社奥の院の伝承によると、<br />
井氷鹿は天乃羽羽矢を井光神社に納め、<br />
神武天皇の進軍の勝利を祈願したといわれています。</p>
<p>また、奈良県葛城市にある長尾神社のいわれでは、<br />
「井氷鹿」=　長尾神社の御祭神・水光姫命　であり、<br />
水光姫命は白蛇の姿をしていて、同じく御祭神の天白雲別命の娘だということです。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>天探女</title>
		<link>https://yaoyoro.net/sagume.html</link>
				<pubDate>Fri, 01 Jun 2018 03:06:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[己未]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古事記と日本書紀の神様]]></category>
		<category><![CDATA[占いの神]]></category>

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				<description><![CDATA[天探女とは 天探女とは、高天原(たかまがはら)から葦原の中津国(あしはらのなかつくに)へ派遣された天稚彦(あめ・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<h3>天探女とは</h3>
<p>天探女とは、高天原(たかまがはら)から葦原の中津国(あしはらのなかつくに)へ派遣された天稚彦(あめわかひこ)に仕えていた女神である。<br />
天神(あまつかみ)から偵察を命じられてきた雉の鳴き声を聞き、天稚彦にデタラメを伝えてそそのかし、射殺させた悪女として描かれる。</p>
<h3>天探女の物語</h3>
<p>天探女の主である天稚彦は、天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の御子。<br />
国譲り神話の中で、二番目に大国主(おおくにぬし)のもとへ遣わされた。</p>
<p>高木神(たかぎのかみ)と天照大神(あまてらすおおみかみ)は、葦原の中津国へ遣わせた天菩比神(あめのほひのかみ)が3年も帰らないことを思兼神(おもいかねのかみ)に相談した。<br />
結果、天に居る国土の神・天津国玉神の御子である天稚彦を派遣することとなる。<br />
大国主は地上に居る国土の神。<br />
同じ性質を持つ天稚彦ならば、大国主を説得しやすいと考えてのことだった。</p>
<p>天稚彦は『天之麻迦古弓(あめのまかごゆみ)』と『天之波波矢(あめのはばや)』を与えられ、天降ったのだが……。<br />
こともあろうに大国主の娘・下照比売(したてるひめ)と結婚した天稚彦は、8年もの間、高天原に帰らないどころか何の連絡もしなかった。<br />
野心家だった天稚彦は、大国主の婿として国を得ようと考えたのだ。</p>
<p>困り果てた天照大神に、思兼神は雉名鳴女(きぢななきめ)を遣わせようと進言。<br />
命を受けた雉名鳴女は高天原より降って、天稚彦の家の門の湯津楓に止まり、詳しく天神の詔命(みことのり)を伝えた。</p>
<p>その詔命を聞いたのが、天探女である。<br />
天探女は内容を理解したものの、主である天稚彦にはデタラメを伝え、さらにこう進言した。</p>
<p>「この雉は鳴き声が良くない。射殺してしまわれたらどうか」</p>
<p>うるさく鳴く雉を、天稚彦も邪魔だと思っていたのだろう。<br />
天神から賜った矢と弓を使い、雉を射殺してしまった。</p>
<p>その矢は雉の心臓を突き抜けて、高天原の天照大神と高木神のところへ飛んできた。<br />
矢を拾った高木神。<br />
それに血がついていること、その矢が天稚彦に与えたものだと気づき、思案する。</p>
<p>「この矢が悪神を射たものであれば、天稚彦に当たるな。もし邪心があったなら、天稚彦に当たれ」<br />
そう言いながら、高木神は矢を投げた。</p>
<p>矢は寝ている天稚彦の胸に当たり、命を奪ったという。</p>
<h3>天探女の正体</h3>
<p>天探女は鳥獣の言葉を聞き分ける能力を持っていた。<br />
その正体は、特別な霊力を持つ巫女のような存在だったと考えられる。<br />
また、神でありながら『命』『神』のような尊称が無く、呼び捨てにされている。<br />
天稚彦をそそのかした悪女として描かれているからだと考えられる。</p>
<p>そういう悪いイメージもあり、天探女は日本神話では珍しい魔女的は性格を持つこととなった。<br />
昔話『瓜子姫』に登場する悪役の天邪鬼は、天探女がルーツとされている。</p>
<h3>天探女の身分</h3>
<p>天探女の身分は、はっきりしていない。<br />
天稚彦と共に高天原から降った『天神』とする説もあれば、もともと葦原の中津国に居た『国神』という伝承もある。<br />
そのあたりも、この女神の二面性を表しているのかもしれない。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>級長津彦命</title>
		<link>https://yaoyoro.net/shinatu.html</link>
				<pubDate>Tue, 29 May 2018 04:42:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[明子森田]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古事記と日本書紀の神様]]></category>
		<category><![CDATA[五穀豊穣]]></category>
		<category><![CDATA[国家の平安]]></category>
		<category><![CDATA[長寿]]></category>
		<category><![CDATA[風雨を司る]]></category>

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				<description><![CDATA[イザナギの息が神になった 日本書紀によると、イザナギとイザナミが日本の国を生んだ時、 朝霧がかすんで立ち込めて・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<h3>イザナギの息が神になった</h3>
<p>日本書紀によると、イザナギとイザナミが日本の国を生んだ時、<br />
朝霧がかすんで立ち込めていたため、その霧を息で吹き払われた。<br />
その息が自然と神になり、級長戸辺命（しなとべのみこと）・級長津彦命（しなつひこのみこと）が生まれたと書かれている。</p>
<p>古事記では、伊邪那岐と伊邪那美が日本の国を生み、<br />
その他たくさんの神様を生んでいく箇所で、志那都比古神（しなつひこのかみ）も生まれている。</p>
<h3>シナの語源</h3>
<p>シは風・息、ナは連体助詞、トは所、<br />
もしくは、風（シ）長（ナ）所（ト）、<br />
など成り立ちについては様々な説があるが、</p>
<p>「風の吹き起こるところ」という意味。</p>
<p>また、シ+ナで「息長（長寿）」を表しているという説もある。</p>
<p>大祓祝詞にも「科戸（しなと）の風」という言葉が使われている。</p>
<p>さて、「息長」という名称が出てくると、<br />
息長足姫でも有名な「息長氏」を思い浮かべてしまう。</p>
<p>大阪の科長（しなが）神社の御祭神が、級長津彦命・級長戸辺命で、<br />
当地は神功皇后（息長足姫尊）誕生の地という伝承もある。</p>
<p>しかし、息長一族と級長津彦命・級長戸辺命の関係については<br />
いまのところ不明のようだ。</p>
<h3>男女一対で祀られていることが多い</h3>
<p>書紀では「級長戸辺命、または級長津彦命」<br />
と、別名のように書かれているが、</p>
<p>級長戸辺命が女神で、級長津彦命が男神であり、男女一対だとも解釈されている。<br />
（「辺」は女性をあらわす）</p>
<p>現在も、男女一対でお祀りされているところが多い。</p>
<p>伊勢の内宮・外宮でも男女一対でお祀りされている。</p>
<h3>神風を起こし日本を守った神様</h3>
<p>伊勢の内宮には「風日祈宮」があり、外宮には「風宮」がある。</p>
<p>元々は　<br />
・風日祈宮　→　風神社<br />
・風宮　→　風社<br />
という名称で、どちらも末社であった。</p>
<p>鎌倉時代の蒙古襲来の際に、<br />
風神社と風社でご祈祷を行った結果<br />
神風が起こり国難を免れた。</p>
<p>このことがきっかけで、現在の名称となり、<br />
五穀豊穣だけでなく国家の平安を司る神として<br />
より丁重にお祀りされるようになった。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>金山彦神・金山姫神</title>
		<link>https://yaoyoro.net/kanayama.html</link>
				<pubDate>Mon, 30 Apr 2018 13:13:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[明子森田]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古事記と日本書紀の神様]]></category>
		<category><![CDATA[下半身の傷病治癒]]></category>
		<category><![CDATA[夫婦和合]]></category>
		<category><![CDATA[子孫繁栄]]></category>
		<category><![CDATA[安産]]></category>
		<category><![CDATA[金属業]]></category>
		<category><![CDATA[鉱業]]></category>
		<category><![CDATA[鍛冶]]></category>

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				<description><![CDATA[金山彦神と金山姫神の出生 古事記によると、 伊邪那岐（イザナギ）命、伊邪那美（イザナミ）命が二人で日本の国土や・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<h3>金山彦神と金山姫神の出生</h3>
<p>古事記によると、</p>
<p>伊邪那岐（イザナギ）命、伊邪那美（イザナミ）命が二人で日本の国土や様々な神々を生んだ後、<br />
火の神・火之加具土神（ヒノカグツチノカミ）を生み、伊邪那美命は大やけどを負った。</p>
<p>床に伏せり嘔吐した際に、吐しゃ物から生まれたのが、<br />
金山毘古神（カナヤマビコノカミ）と金山毘売神（カナヤマビメノカミ）だった。</p>
<p>糞からは、波邇夜須比古（ハニヤスビコ）神、波邇夜須比売（ハニヤスビメ）神。<br />
尿からは、弥都波能売（ミツハノメ）神、和久産巣日（ワクムスヒ）神が生まれた。</p>
<p>そして、伊邪那美命は亡くなられた。</p>
<p>日本書紀では、金山姫神の名前はなく、金山彦神だけが生まれたとされている。</p>
<h3>金属関係から夫婦和合まで、様々な信仰</h3>
<p>金山彦神・金山姫神を祀る神社は全国に点在している。</p>
<p>鉱石を火で溶かした様が吐しゃ物に似ていることから連想して、<br />
鉱山の神となったようだ。</p>
<p>鉱山で働くのは、事故と隣合せであり、山での厳しい生活を余儀なくされる。<br />
金山彦神・金山姫神は鉱山の神として、関連する場所に祀られていることが多い。</p>
<p>また、鍛冶・鉄鋼の神だとも言われており、<br />
尾張鍛冶発祥の地に金山神社（名古屋市熱田区）があったり、<br />
多くの鍛冶師たちが崇拝している神である。</p>
<p>鍛冶技法にちなんだ伝統行事「ふいご祭り」が行われる神社もある。</p>
<p>更に、金属関係とはまた違う信仰も。</p>
<p>伊邪那美命が火之加具土神を生んで女陰を大火傷をした話から派生して<br />
安産・子孫繁栄・夫婦和合・下半身の傷病治癒　の神としても<br />
一部の信仰を集めているようだ。</p>
<h3>日本統治時代の台湾でも祀られていた</h3>
<p>現在は神社跡となっており社殿はないが、<br />
金が採れるという金瓜石鉱山に「黄金神社」という神社があった。</p>
<p>この神社は大国主、金山彦、猿田彦の三神を祀っており、<br />
日本統治時代は盛大なお祭りも行われていたそうだ。<br />
（現在は再現された夏祭りがあるらしい）</p>
<p>日本の統治が終わったのち、社殿は壊され、<br />
今は柱や灯篭、鳥居などが残っている。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
		<item>
		<title>ウブメ</title>
		<link>https://yaoyoro.net/ubume.html</link>
				<pubDate>Mon, 02 Apr 2018 14:41:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[己未]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[妖怪]]></category>
		<category><![CDATA[怪力を授ける]]></category>

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				<description><![CDATA[多様な言い伝え ウブメは日本全国に出没する妖怪。 一般的に、難産で死んだ女の霊が妖怪化したものとされる。 現れ・・・]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<h3>多様な言い伝え</h3>
<p>ウブメは日本全国に出没する妖怪。<br />
一般的に、難産で死んだ女の霊が妖怪化したものとされる。<br />
現れるのは決まって夜。<br />
ウブメは道端や川沿いで赤子を抱いて泣いており、通りかかった者にその赤子を抱かせる。<br />
抱かせる理由も多様で、成仏するために念仏を百万遍唱えたいからとか、トイレに行きたいからというものまである。<br />
ウブメから受け取った赤子は手から離れなくなったり、石のように重くなったりするという。<br />
動けなくなったところをウブメに襲われるとか、「その子を返せ」と迫られるとか、赤子と思っていたものが石だったり藁打槌だったり木の葉であったりする。<br />
同じ妖怪とは思えない様々な言い伝えが全国各地にあるのがウブメの特徴だろう。</p>
<h3>時代によって変化するウブメ</h3>
<p>ウブメについての説話としての初見とされるのは『今昔物語集』で、源頼光の四天王である平(卜部)季武(たいらのすえたけ)が肝試しの最中に川でウブメから赤子を受け取るというエピソードがある。<br />
この中ではウブメの正体について、「狐が人を謀るためになったのか、出産で死んだ女の霊がなったのか」とある。<br />
室町時代の『むらまつの物がたり』では、夜に墓原などで聞こえる赤子の泣き声をウブメと呼ぶ。<br />
江戸時代前期の『奇異雑談集(きいぞうたんしゅう)』では、懐妊した女性が難産で死んだものの、胎内の子は死なずに野で産まれると、母の魂魄が形になって夜に赤子を抱いて歩くとされ、抱いている赤子の泣き声を「うぶめなく」というと紹介している。<br />
また、『奇異雑談集』では日本の【産女(ウブメ)】は中国の【姑獲鳥】に当たるとの説も書かれている。<br />
その後、産女＝姑獲鳥というイメージが定着し、姑獲鳥をウブメと読んだり、手が翼になった女性の姿で描かれるようになった。</p>
<h3>中国の姑獲鳥と日本の姑獲鳥</h3>
<p>姑獲鳥は中国の書物『慶長見聞集』『本草啓蒙』『本草記聞』『本草綱目』などに記述が見られる。<br />
出産で死んだ女性が変化した鳥であり、夜に飛んで子に害をなすとされた。<br />
日本でも918年の『本草和名(ほんそうわみょう)』に記されるなど古くから知られていたが、江戸時代まではあくまで鳥であり妖怪としての認識はなかった。<br />
しかし、林羅山の『多識編(たしきへん)』では姑獲鳥に「うぶめどり」「ぬえ」と和訓がふられるようになった。<br />
「夜のなき声」という共通点によって日本の産女と姑獲鳥は同一とされ、姑獲鳥＝化け物の認識が広まったと考えられる。<br />
鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に姑獲鳥が描かれているのが証拠だろう。</p>
<h3>全国各地のウブメ伝説</h3>
<p>ウブメに関する伝承をまとめてみよう。</p>
<blockquote><p>
山口県豊浦郡<br />
　妊婦が死んだ際は母と子を分けて埋葬しないとウブメになる。<br />
愛媛県越智郡<br />
　川で聞こえる赤子のような声をウブメと呼ぶ。夜に近くを通ると何者かが足にまとわりついてくるので、「これがおまえの親だ」と言って草履を投げると泣き止む。<br />
九州地方<br />
　海上の怪火を『ウグメ』『ウーメ』などと呼ぶ。幽霊船のようなものも同様。<br />
秋田県<br />
　ウブメから赤子を受け取ると怪力を授かる。こうして授かった力を『オボウヂカラ』と呼び、この力を持つ者は他の人が見ると手足が各４本ずつあるように見える。<br />
長崎県島原半島<br />
　ウブメから授かった怪力は代々女子に受け継がれていく。<br />
山口県長門地方<br />
　ウブメをウバメと呼ぶ。<br />
茨城県<br />
　ウブメ＝ウバメドリ。夜間、外に子供の着物を干しておくと、ウバメドリが自分の子の着物だと思って目印に乳をつけていく。その乳には毒がある。<br />
長崎県壱岐<br />
　ウブメ＝ウンメドリ。<br />
三宅島<br />
　ウブメ＝オゴメ。　<br />
その他<br />
　ウブメは鬼神の一種。人命を奪う。夜間飛行して幼児を害する怪鳥で、鳴き声は幼児に似ている。<br />
　中国の荊州に多く生息。毛を着ると鳥に変身し、毛を脱ぐと女性の姿になる。<br />
　他人の子を奪って自分の子とする習性あり。子供や、夜に干された子供の着物を発見すると血で印をつける。印をつけられた子供はたちまち魂を奪われ病気になる。これを『無辜疳(むこかん)』と呼ぶ。<br />
　姑獲鳥＝夜行遊女、天帝少女。
</p></blockquote>
<h3>ウブメとは</h3>
<p>民俗学的見地からすると、口承文芸より派生した産物にすぎないとされる。<br />
だが、これだけ古くから広い範囲で伝承が存在するということは、日本人の魂に深く刻まれた妖怪なのだろう。<br />
生きて子を抱けなかった母親の無念は、いつの時代も同じなのだと言える。</p>
]]></content:encoded>
										</item>
	</channel>
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