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	<title>牧師さんの「ためになる話」のネタ帳</title>
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	<description>中澤信幸(大野キリスト教会牧師)が、生き方を応援するために、オリジナルの「日々の法則」や、聖書の名言や格言の紹介など、ユニークに、シンプルに、ちょっとした話をお届けします。</description>
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	<title>キリスト教牧師の聖書メッセージ</title>
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		<title>キリスト教牧師の聖書メッセージ</title>
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		<title>ボロボロでも、神が手にとってくれる</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 16 Apr 2026 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[substack-published]]></category>
		<category><![CDATA[チューニング]]></category>
		<category><![CDATA[ヨハネ3章16節]]></category>
		<category><![CDATA[救いの意味]]></category>
		<category><![CDATA[永遠のいのち]]></category>
		<category><![CDATA[疲れた心への言葉]]></category>
		<category><![CDATA[神に手渡す]]></category>
		<category><![CDATA[虚しさと信仰]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260416_215313_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>毎日笑顔で働いて、家に帰ってもケアが続いて。「疲れた」と言えないまま、夜だけひっそり力が抜ける——そんな毎日を送っていませんか。今日は、そのくたびれた状態に、聖書がちゃんと名前をつけている話をしたいと思います。 聖書の言 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260416_215313_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>毎日笑顔で働いて、家に帰ってもケアが続いて。「疲れた」と言えないまま、夜だけひっそり力が抜ける——そんな毎日を送っていませんか。今日は、そのくたびれた状態に、聖書がちゃんと名前をつけている話をしたいと思います。</p>
<p>聖書の言葉</p>
<blockquote><p>「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」<br />
ヨハネ3章16節</p></blockquote>
<h3>「滅びる」は、死後の話じゃなかった</h3>
<p>「永遠の命」とか「滅びる」と聞くと、死んでからの話のように思えます。でも、ここで使われているギリシャ語の「滅びる」という言葉には、もっと別の意味があります。</p>
<p>「虚しい」「失われた」「損なわれている」。</p>
<p>そういう意味を持つ言葉です。</p>
<p>つまりこの聖書の言葉は、死後の保険の話をしているのではありません。今日、虚しさを抱えて生きている人。本来あるはずの喜びや愛から、いつの間にか遠くなってしまった人。「しょうがない」とフタをして、それでも前に進んでいる人——そういう人に向けられた言葉です。</p>
<p>心当たりはありませんか。</p>
<p>家族のこと、職場のこと、自分の過去や未来のこと。「これでいいのかな」「なんで私はこんなに疲れているんだろう」という感覚が、夜になるとじわりと出てくること。</p>
<h3>ボロボロのバイオリンが、7000倍の値段になった</h3>
<p>こんな話があります。</p>
<p>あるオークションに、見るからにボロボロのバイオリンが出品されました。誰も入札しない。値段はどんどん下がっていく。ほとんど価値がないように見えた。</p>
<p>そのとき、一人の老人が前に出てきました。そのバイオリンを手にとって、丁寧にチューニングを始めたのです。すべての弦を、正しい音が出るように合わせていく。そして老人がそのバイオリンで曲を弾いた瞬間、会場の空気が変わりました。</p>
<p>最終的にそのバイオリンにつけられた値段は、出品額の7000倍だったそうです。</p>
<p>バイオリン自体は何も変わっていません。ただ、本来出せるはずの音に、戻されただけです。</p>
<p>イエス・キリストが与えてくれる救いとは、このチューニングのことだと思います。古くなって、本来あるべき姿から離れて、「自分にはたいした価値がない」と感じているような人生に。歩いてきて、手にとって、あるべき音を出させてくれる。</p>
<p>死んでからではなく、今日の自分が変わる——それが救いです。</p>
<p>「強くなれ」とか「感謝が足りない」とか、そういう話ではありません。神が手にとって、チューニングしてくれる。あなたがそのまま受け取るだけでいい、という話です。</p>
<p>今夜、少し力が抜けているあなたの状態も、神にはちゃんと見えています。虚しいとか、損なわれているとか、言葉にならないまま積み上がっているものも。そのボロボロのままで、手にとってもらえる——聖書はそう言っています。</p>
<h3>考えてみましょう</h3>
<p>今の自分の中に「虚しい」「失われた」「損なわれている」と感じている場所があるとしたら、それはどこでしょうか。神がそこに歩いてきて、手にとってくれるとしたら——あなたはそのバイオリンを、渡せそうですか。</p>
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		<title>「こうでなければ」という縛りに、気づいていますか</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 15 Apr 2026 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[substack-published]]></category>
		<category><![CDATA[ヘロデ王]]></category>
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		<category><![CDATA[存在の意味]]></category>
		<category><![CDATA[役割からの解放]]></category>
		<category><![CDATA[東方の博士]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_223003_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>孫のために何かしなければ。息子の心配を表に出してはいけない。もっと役に立てる自分でなければ。そんな思いが、静かに心を締め付けていることはないでしょうか。 聖書はこう記しています。 ヘロデ王は恐れおののいた。エルサレム中の [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_223003_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>孫のために何かしなければ。息子の心配を表に出してはいけない。もっと役に立てる自分でなければ。そんな思いが、静かに心を締め付けていることはないでしょうか。</p>
<p>聖書はこう記しています。</p>
<blockquote>
<p>ヘロデ王は恐れおののいた。エルサレム中の人も同様であった。</p>
<p>「幼子のことを詳しく調べ、分かったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」</p>
</blockquote>
<h2>一番不自由だったのは、王様だった</h2>
<p>ヘロデ大王は、あらゆるものを持っていました。権力も、財力も、人を動かす力も。エルサレムの神殿を再建したのも、この人でした。</p>
<p>でも彼は、怖れの中に生きていました。</p>
<p>王座を奪われるかもしれない。自分の地位が揺らぐかもしれない。そのために、妻を殺しました。自分の息子たちを殺しました。東方からやってきた博士たちには「行って調べてきなさい、私も拝みに行くから」と言いながら、本当は幼子を消そうとしていました。</p>
<p>これだけの力を持ちながら、彼の心は一瞬も休んでいなかった。</p>
<p>「王でなければ、自分ではない。」</p>
<p>その一点に縛られて、彼は動き続けていました。縛っていたのは、鎖でも牢屋でもありません。「こうでなければならない」という、自分自身の思いでした。</p>
<h3>縛りは、外からではなく内から来る</h3>
<p>ヘロデほど極端でなくても、同じことは私たちの中にもあります。</p>
<p>弱みを見せてはいけない。心配していることを悟られてはいけない。助けられる自分でなければ、そこにいる意味がない。</p>
<p>そう思いながら生きていると、人当たりはよくても、内側には静かな疲れが積もっていきます。誰にも言えない苦しさを、一人で抱えながら、夜になって静かになったときに、それが戻ってきます。</p>
<p>それは弱さではありません。「こうでなければ」という縛りが、確かにそこにあるということです。</p>
<h3>縛りを外したとき、何が見えるか</h3>
<p>博士たちは、空気を読みませんでした。王の宮殿に来て、「ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいますか」と聞いてしまいました。ヘロデの前で、別の王の話をしたのです。</p>
<p>彼らには、守るべき地位がなかった。失ってはならない立場がなかった。だからこそ、星の導くままに動くことができた。宝の箱を開けて、馬小屋の幼子にひれ伏すことができた。</p>
<p>帰り道も、王の命令ではなく夢のお告げに従って、別の道を行きました。誰かの期待に応えるためではなく、自分に示されたものに従って動いた人たちでした。</p>
<p>「こうでなければ」から、解かれていた人たちでした。</p>
<p>今夜、眠れないとき、一つだけ聞いてみてください。「私は今、何に縛られているのだろう」と。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>「こうでなければ自分ではない」と感じていることが、あなたの中にひとつあるとしたら、それは何でしょうか。</p>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=l-DkU7m1hkw">動画はこちら</a></p>
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		<title>「準備できていなくても、おめでとう」と言われた</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 15 Apr 2026 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[50代の立ち止まり]]></category>
		<category><![CDATA[substack-published]]></category>
		<category><![CDATA[インマヌエル]]></category>
		<category><![CDATA[クリスマスの起源]]></category>
		<category><![CDATA[マリアへの受胎告知]]></category>
		<category><![CDATA[ルカ1章]]></category>
		<category><![CDATA[喜びの根拠]]></category>
		<category><![CDATA[準備と信仰]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_215902_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>50歳。それなりに経験を積んできた。でも、なぜかうまくいかないことが増えた気がする。「もっとちゃんとしてから」「もう少し準備できたら」。そう思いながら、何かを後回しにしてきたことはありませんか。 聖書箇所：ルカ1章26- [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_215902_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>50歳。それなりに経験を積んできた。でも、なぜかうまくいかないことが増えた気がする。「もっとちゃんとしてから」「もう少し準備できたら」。そう思いながら、何かを後回しにしてきたことはありませんか。</p>
<p>聖書箇所：ルカ1章26-38節</p>
<blockquote>
<p>「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます。」</p>
</blockquote>
<h2>喜びの根拠は、自分の出来栄えではない</h2>
<p>世界で最初のクリスマスは、何一つ整っていない場所から始まりました。</p>
<p>天使ガブリエルを迎えたのは、マリアという少女です。年齢は12〜14歳ほどだったと言われています。特別な財産もなく、地位もない。ガリラヤというイスラエルの片田舎に住んでいました。</p>
<p>しかもマリアには、深刻な問題がありました。婚約中だったのです。当時、婚約した二人は法的に夫婦とみなされていました。その状態でヨセフ以外の子を宿せば、不倫とみなされます。罰は死刑でした。</p>
<p>ヨセフにどう説明すればいいのか。「天使が来ました」と言って信じてもらえるのか。ナザレで生き続けられるのか。マリアの胸の中には、そんな問いが渦巻いていたはずです。</p>
<h3>どん底の場所に、「おめでとう」が来た</h3>
<p>マリア一人の状況だけではありません。イスラエル全体もどん底でした。長年にわたってバビロニア、ペルシャ、ローマとさまざまな国に支配され続けていました。</p>
<p>一方のローマ帝国は絶好調でした。皇帝アウグストは「最も尊いもの」という称号を持ち、「神の子」「救い主」「平和の君」と呼ばれていました。本来なら神だけに使われるべき名前を、すべて持っていってしまっていたのです。</p>
<p>そんな時代に、そんな少女のもとに、天使の第一声が来ます。</p>
<p>「おめでとう、喜びなさい。主があなたと共におられます。」</p>
<p>「準備はできているか」でも「なぜあなたなのか」でもありませんでした。なぜおめでたいのか。なぜ喜べるのか。天使の答えはシンプルでした。主が共にいるから。それだけです。</p>
<h3>2本の棒が正しい距離にないと、音は出ない</h3>
<p>調律に使う音叉を知っていますか。2本の棒を叩くと、純粋な音が出ます。楽器はその音に合わせて調律されます。でも2本の棒が正しい距離にないと、その音は出ません。</p>
<p>喜びも、これに似ていると思います。</p>
<p>50歳になると、経験も責任も増えます。「もっとうまくやらなければ」「もっと整えてから」という思いは、悪いものではありません。でも一生懸命になりすぎて、いつの間にか目が神から離れることがあります。</p>
<p>疲れ切った目で「大丈夫」と言っても、それは届きません。マリアが置かれた状況は過酷で、理不尽で、命の危険すらありました。それでも「おめでとう」という言葉が来たのは、彼女の準備が整っていたからではありません。主が共にいる、その事実だけが根拠でした。</p>
<p>できたから喜べるのではありません。整ったから喜べるのでもありません。主が共にいる。それが喜びの出発点です。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>あなたが今感じている喜びや安心は、自分の出来栄えや状況を根拠にしていますか。それとも、主が共にいるという事実を根拠にしていますか。</p>
<h2>参考礼拝メッセージ</h2>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=l-DkU7m1hkw">動画はこちら</a></p>
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		<title>誰かのために祈った時、神はあなたを変える</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 15 Apr 2026 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[とりなしの祈り]]></category>
		<category><![CDATA[ヨブ記]]></category>
		<category><![CDATA[傷つけた関係]]></category>
		<category><![CDATA[善意の押しつけ]]></category>
		<category><![CDATA[回復]]></category>
		<category><![CDATA[執着を手放す]]></category>
		<category><![CDATA[祈りによる変化]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_215111_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>50年生きてきたら、善意が裏目に出た経験が一度や二度はあるはずです。「あの人のために」と思ってした言葉が、かえって相手を傷つけた。あの時の後悔は、今もどこかに残っていませんか。 聖書箇所 ヨブが友人たちのために祈った時、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_215111_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>50年生きてきたら、善意が裏目に出た経験が一度や二度はあるはずです。「あの人のために」と思ってした言葉が、かえって相手を傷つけた。あの時の後悔は、今もどこかに残っていませんか。</p>
<p>聖書箇所</p>
<blockquote>
<p>ヨブが友人たちのために祈った時、主はヨブを元の境遇に戻し、さらに財産を2倍にされた。</p>
</blockquote>
<h3>正しいことを言っていたのに、なぜこじれたのか</h3>
<p>ヨブという人が全てを失いました。財産も、子どもも、健康も、仕事も。そこへ友人たちが外国から駆けつけます。最初の7日間、彼らは何も言わずにただ隣に座っていました。それはすごいことです。</p>
<p>でも、ヨブが口を開いて不満を吐き始めた途端、友人たちも話し始めます。「神様は正しいお方だ。だから悔い改めて待ちなさい」と。</p>
<p>言っていることは間違っていません。でも、ヨブの耳には別の意味で届きました。「あなたや子どもたちに非があったから、こうなったのだ」と聞こえたのです。つまり「子どもを死なせたのはお前だ」と言われているように感じた。</p>
<p>ヨブは叫びます。「どうか私の声を聞いてくれ。聴いてもらうことが私の慰めなのだ。」</p>
<p>でも友人たちは聴きません。「黙れ、私が語る」と言う。最後には「ヨブは悪人だ」とまで言うようになります。</p>
<p>最初は慰めようとしていた人たちが、いつの間にか傷口に塩を塗っていた。なぜそうなったのでしょう。</p>
<p>彼らはヨブの痛みを見ていたのではありませんでした。自分たちの信仰が正しいことを証明しようとしていたのです。「あなたのために」という形をとりながら、じつは自分の考えを押しつけていただけでした。</p>
<h3>「祈る」とは、相手の方を向くこと</h3>
<p>そこへ神様が介入します。神はヨブの友人たちに言いました。「あなたたちは正しいことを語らなかった。ヨブのもとへ行き、ヨブに祈ってもらいなさい。」</p>
<p>これは不思議な場面です。傷つけられた側のヨブが、傷つけた側の友人たちのために祈るよう求められるのです。</p>
<p>そしてヨブが友人たちのために祈った時、神様はヨブを回復させました。財産は倍になり、家族も戻り、名誉も回復しました。</p>
<p>ヨブが悔い改めた時ではありません。ヨブが「自分は正しかった」と証明された時でもありません。自分を深く傷つけた友人たちのために祈った、その時に回復が始まったのです。</p>
<p>誰かのために祈るとは、自分の視線を相手に向けることです。「あの人が正しいか間違っているか」をいったん横に置いて、「あの人の今を神に委ねる」ということです。それは、自分の正しさへの執着を手放す行為でもあります。</p>
<p>50年の人生で積み重なった、うまくいかなかった関係があるかもしれません。善意のつもりだったのに傷つけてしまった誰かがいるかもしれません。今もどこかで引っかかっているその人のために、名前を呼んで祈ることができるでしょうか。その祈りの中に、思いがけない回復の入口があるかもしれません。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>「あの人のために」と思ってしたことが、じつは自分の正しさを守ろうとしていただけだったと気づいた経験はありますか。その時、あなたはどうしましたか。</p>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=l-DkU7m1hkw">動画はこちら</a></p>
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		<item>
		<title>「遠く離れて立っていた」——それも、関わりの一つの形だった</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 15 Apr 2026 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[ヨハネの黙示録18章]]></category>
		<category><![CDATA[大バビロン]]></category>
		<category><![CDATA[無力感と関わり]]></category>
		<category><![CDATA[祈りながら見守る]]></category>
		<category><![CDATA[見えない働き]]></category>
		<category><![CDATA[詩編70篇]]></category>
		<category><![CDATA[遠く離れて立つ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_213133_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>祈りながら見守ることしかできない。そう感じる場面が、あなたにもあるのではないでしょうか。踏み込みたいのに踏み込めない。何かしてあげたいのに、手が届かない。そのもどかしさを抱えながら、今日も静かにそこに立っている。 聖書箇 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_213133_大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>祈りながら見守ることしかできない。そう感じる場面が、あなたにもあるのではないでしょうか。踏み込みたいのに踏み込めない。何かしてあげたいのに、手が届かない。そのもどかしさを抱えながら、今日も静かにそこに立っている。</p>
<p>聖書箇所</p>
<blockquote>
<p>神よ、私を救い出してください。主よ、急いで私を助けてください。</p>
<p>私は悩むもの、貧しい者。神よ、私のところに急いでください。あなたは私の助け、私を救う方。主よ、遅れないでください。</p>
<p>（詩編70編）</p>
<p>倒れた、大バビロンが倒れた。</p>
<p>彼女を裁く神である主は力の強い方だからです。</p>
<p>（ヨハネの黙示録18章）</p>
</blockquote>
<h2>「遠く離れて立っていた」人たちのこと</h2>
<p>黙示録18章には、大バビロンが滅んでいく場面があります。</p>
<p>そこに三つの人たちが登場します。王たち、商人たち、海の者たち。みんな、バビロンの繁栄を支え、バビロンから富を得ていた人たちです。</p>
<p>彼らはバビロンが燃えていくのを見て、こう描かれます。「遠く離れて立っていた」と。</p>
<p>泣き悲しみながら、でも近くには行けない。手を出すこともできない。ただ遠くから、煙が上るのを見ている。</p>
<p>一見すると、それは無力な姿です。何もできない人たちのように見えます。</p>
<p>でも聖書はその姿を、責めません。</p>
<h3>「離れて立つ」ことが、命を守った</h3>
<p>バビロンが滅びていくとき、神は「我が民よ、この女から離れなさい」と呼びかけます。その裁きに巻き込まれないために、一歩引いて立つように、と。</p>
<p>王たちも商人たちも、つい先ほどまでそのどまんなかにいた人たちです。どっぷり浸かっていた人たちです。でも、その裁きの前に離れた。遠くから立っていた。</p>
<p>その「遠く離れて立っていた」という姿が、実は神が求めておられた位置だったのです。</p>
<p>近づきすぎないこと、巻き込まれないこと、でもそこから目を離さないこと。それは逃げではなく、関わりの一つの形だったのです。</p>
<h3>手が届かない場所にいる人を、祈りながら見ている</h3>
<p>子や孫のことで、どうにもできないと感じるとき。</p>
<p>職場の誰かの苦しさが見えていても、踏み込めないとき。</p>
<p>そういうとき、私たちはつい「何もしていない自分」を責めてしまいます。もっと何か言えたはずだ、もっと動けたはずだ、と。</p>
<p>でも、黙示録の「遠く離れて立っていた」人たちを思うと、少し違って見えてきます。</p>
<p>離れたところから、でも目を離さずにいる。祈りながら、その人の行く先を見守り続けている。それは「何もしていない」のではなく、すでに関わっている姿なのかもしれません。</p>
<p>そして、この大バビロンが「一日のうちに」「一瞬のうちに」倒れたように、神は確かに動かれます。何十年も誇り続けた悪が、一瞬で滅びる。あなたが見えないところで、神は確かに働いておられます。</p>
<p>あなたの祈りは、何かを変えているかもしれません。それが見えないとしても、あなたが遠くから立って見ていることは、今日も必要とされています。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>あなたが「遠く離れて立っている」と感じているとき、それは本当に「何もしていない」ことなのでしょうか。それとも、その場所に立ち続けることそのものが、すでに一つの関わりになっているのでしょうか。</p>
<h2>参考礼拝メッセージ</h2>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=l-DkU7m1hkw">動画はこちら</a></p>
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		<title>疑ったまま、8日間いてよかった</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Apr 2026 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝聖書メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[8日間の孤独]]></category>
		<category><![CDATA[トマスの信仰]]></category>
		<category><![CDATA[ヨハネ20章]]></category>
		<category><![CDATA[分からないまま歩む]]></category>
		<category><![CDATA[復活顕現]]></category>
		<category><![CDATA[疑いと信仰]]></category>
		<category><![CDATA[見えない時間の意味]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_213957_2026年4月12日-大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>毎日、誰かのために動いている。祈って、見守って、手を尽くしている。それでも何も変わらないように見える日が続く。「自分がここにいることに、本当に意味があるのだろうか」——そんな問いが、ふと胸をよぎることはありませんか。 聖 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260415_213957_2026年4月12日-大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>毎日、誰かのために動いている。祈って、見守って、手を尽くしている。それでも何も変わらないように見える日が続く。「自分がここにいることに、本当に意味があるのだろうか」——そんな問いが、ふと胸をよぎることはありませんか。</p>
<p>聖書の言葉をひとつ、ここに置かせてください。</p>
<blockquote>
<p>私の主、私の神よ。</p>
</blockquote>
<p>（ヨハネ20章）</p>
<h2>肝心なタイミングに、そこにいなかった人</h2>
<p>トマスという人がいます。イエス様の12人の弟子のうちの1人です。真っ直ぐで、何でも鵜呑みにしない。自分で納得するまで確かめないと動かない。そういう人でした。</p>
<p>イエス様が十字架で死なれた後、弟子たちは怯えて部屋に閉じこもっていました。そこにイエス様が現れた。手の傷を見せ、脇腹の傷を見せた。「本物だ」と弟子たちは喜んだ。</p>
<p>でもトマスは、その場にいなかったのです。</p>
<p>なぜいなかったのか、聖書には書いていません。買い物だったのか、どこかへ出かけていたのか。理由は分からない。ただ「いなかった」という事実だけが残っています。</p>
<p>後から戻ってきたトマスに、仲間たちは口々に言います。「主を見た！」「復活されたんだ！」</p>
<p>でもトマスには、その場の空気が分からない。みんなが体験した瞬間を、自分だけが知らない。「その手の傷に自分の指で触れるまでは、信じない」と彼は言いました。</p>
<h3>8日間、一人で抱えた</h3>
<p>それから8日間が過ぎます。聖書にはその8日間のことが何も書かれていません。トマスが何を考えて、どう過ごしたのか。でもきっと、軽い8日間ではなかったはずです。みんなは「見た」と言っている。自分だけが「分からない」と立っている。その感覚は、じわじわと重くなるものだと思います。</p>
<p>8日後、イエス様はもう一度現れました。今度は、トマスがいる場所に。</p>
<p>「あなたの指をここに当てて、見なさい」と言われた。その言葉を聞いてトマスが口にしたのが、冒頭の言葉です。「私の主、私の神よ」。理屈ではなく、全部が溶けていくような告白でした。</p>
<h3>分からないまま、ここにいていい</h3>
<p>ここで大切なのは、イエス様がトマスを責めなかったことです。「なぜあの時いなかったのか」とも言わなかった。「8日間も疑っていたのか」とも言わなかった。ただ、もう一度来られた。</p>
<p>分からないまま8日間を過ごしたトマスのところへ、イエス様は来られたのです。</p>
<p>答えが出ないまま祈り続けている時間。「これでいいのだろうか」と思いながら見守り続けている時間。疑いや戸惑いを抱えたまま、それでもここにいる時間。そのすべてが、無駄ではなかったとここは語っています。</p>
<p>「分かったから集まるのではなく、分からないから集まって、本当かなと問い続けていい」——そのことを、トマスの8日間は静かに教えてくれます。</p>
<p>あなたが今、答えの出ないものを抱えているとしたら。それはトマスとまったく同じ場所に立っているということかもしれません。そしてイエス様は、その場所にも来られる方だということを、この話は伝えています。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>分からないまま、疑ったまま過ごしてきた時間を、あなたは今どう見ていますか。</p>
<h2>参考礼拝メッセージ</h2>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=Bin8LlIpmlo">動画はこちら</a></p>
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		<title>不平は私に来て、感謝は神様へ行った――それでも、あなたは必要とされていた</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Apr 2026 01:29:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝聖書メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[モーセの荒野]]></category>
		<category><![CDATA[不平と感謝の非対称]]></category>
		<category><![CDATA[報われない奉仕]]></category>
		<category><![CDATA[民数記20章]]></category>
		<category><![CDATA[神に用いられる]]></category>
		<category><![CDATA[縁の下の祈り]]></category>
		<category><![CDATA[見えない働き]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_090309_2026年3月8日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>誰かの愚痴を引き受けて、陰で動いて、祈って。それなのに感謝の言葉は別の方向へ飛んでいく。そんな経験が、あなたにもあるのではないでしょうか。 聖書箇所 「モーセとアロンは岩の前に集会を召集し、彼らに言った。『逆らう者たちよ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_090309_2026年3月8日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>誰かの愚痴を引き受けて、陰で動いて、祈って。それなのに感謝の言葉は別の方向へ飛んでいく。そんな経験が、あなたにもあるのではないでしょうか。</p>
<p>聖書箇所</p>
<blockquote>
<p>「モーセとアロンは岩の前に集会を召集し、彼らに言った。『逆らう者たちよ、さあ聞け。この岩から我々があなたがたのために水を出さなければならないのか。』」（民数記20章10節）</p>
</blockquote>
<h2>40年分の苦労を、ひと言で否定された人</h2>
<p>モーセという人物がいます。</p>
<p>彼は民を40年間、荒野で導き続けました。不平不満はいつもモーセに向かいました。水が欲しいと言ってはモーセに訴え、食べるものがないと言ってはモーセを責めた。なのに祈りと感謝は神様へ向かう。その非対称さが、ずっと続いていました。</p>
<p>そしてついに約束の地が目前に迫ったその時、また民が言いよってきたのです。「なんでこんなところに連れてきたのか。死んだ方がましだった。」</p>
<p>40年分の積み重ねを、ひと言でなかったことにされた。腹を立てない方がおかしいと思います。モーセは岩を杖で2度打った。すると水が湧き出た。民は飲んだ。でも誰もモーセに礼を言わなかった。</p>
<p>こんな理不尽なことが、あっていいのでしょうか。</p>
<h3>神様の言葉は、さらに理不尽だった</h3>
<p>水が湧き出た後、今度は神様がモーセに語りかけます。「あなたは私が聖であることを民の前に示さなかった。だからあなたは約束の地に入ることができない。」</p>
<p>民に責められ、次は神様にも責められる。「一体誰のために、私はここまでやってきたのか」——そう叫びたくなる場面です。</p>
<p>でも神様の言葉の意味は、責める以上に深いものでした。</p>
<p>モーセが最初に民を救おうとした時のことを思い出してください。彼は自分の力で仲間を守ろうとして、退けられました。それから40年後、今度は神様がモーセを呼んだのです。「行け。私があなたを遣わす。」</p>
<p>モーセが民を導いたのではありませんでした。神様がモーセを通して導かれていた。その違いが、最後の最後に問われたのです。「私の力でやってきた」という思いが、知らないうちにモーセの中に育っていた。だからこそ、民の言葉が「自分への攻撃」に聞こえた。</p>
<h3>「私を通して」――その言葉が、静かに重さを変える</h3>
<p>これは、モーセだけの話ではないと思います。</p>
<p>長い時間をかけて、誰かのために動いてきた。祈って、見守って、陰で支えてきた。それなのに伝わらない。感謝も届かない。「私がここまでしているのに」という言葉が、心の中で静かに重くなっていく。</p>
<p>そういう時、神様の問いはこんな形で来るのかもしれません。「あなたを通して、私が動いているのだよ。」</p>
<p>それは「あなたじゃなくていい」という意味ではありません。「あなただから、ここに置いた」という意味です。不平不満を引き受ける場所に、感謝が届かない場所に、それでもあなたがいる。そこに神様が動いている。</p>
<p>評価されなくても、報われなくても、あなたがその場所にいることには意味があります。誰かに伝わらなくても、神様はちゃんと見ている——そのことを、モーセの物語は静かに語りかけてきます。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>今のあなたの持ち場で、不平不満を引き受けながらも感謝はなかなか届かない、そんな場面があるとしたら——「私がやっている」と「私を通して神が動いている」は、あなたにとってどう違うでしょうか。</p>
<h2>参考礼拝メッセージ</h2>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=MwLZP38jTgg">動画はこちら</a></p>
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		<title>これだけ歩いてきたのに、なぜ足元が崩れるのか</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Apr 2026 01:29:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝聖書メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[バールペオル]]></category>
		<category><![CDATA[信仰の継続]]></category>
		<category><![CDATA[民数記]]></category>
		<category><![CDATA[見えない誘惑]]></category>
		<category><![CDATA[足元を確かめる]]></category>
		<category><![CDATA[軛を共にする]]></category>
		<category><![CDATA[静かな抵抗]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_083519_2026年3月15日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>祈って、見守って、地道に歩んできた。それは本当のことです。でも、ふとした瞬間に「あれ、私はちゃんとできているのだろうか」と不安になることはないでしょうか。 イスラエルはバールペオルと軛を共にした 近づけば近づくほど、新し [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_083519_2026年3月15日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>祈って、見守って、地道に歩んできた。それは本当のことです。でも、ふとした瞬間に「あれ、私はちゃんとできているのだろうか」と不安になることはないでしょうか。</p>
<blockquote>
<p>イスラエルはバールペオルと軛を共にした</p>
</blockquote>
<h3>近づけば近づくほど、新しい困難が来る</h3>
<p>荒野の旅は、きつかった。でも荒野にいる間は、邪魔するものが少なかった。</p>
<p>イスラエルの民も同じでした。エジプトを出て、長い長い荒野を歩いてきた。水がない、食べ物がない。それでも神様と歩調を合わせながら、少しずつ前に進んできた。そしてようやく、約束の地が見えてきた。</p>
<p>そこで待っていたのは、喜びだけではありませんでした。</p>
<p>現地の人が立ちはだかり、新しい困難が次々と現れました。でもそれは見える困難でした。「あそこに敵がいる」「この道は通れない」。目に見えるものは、対処できます。神様の助けを求めて、一歩一歩越えていくことができる。</p>
<p>問題は、見えないところで起きていたことでした。</p>
<p>約束の地が近づいてきたとき、民は現地の娘たちと交わるようになります。一緒に食事をする。それ自体は、何もおかしくない。荒野で苦労してきた。美味しい食事を囲んで、楽しむことの何が悪いのか。</p>
<p>でも、その食卓はゆっくりと、次の場所への入り口になっていきました。食事の席から、現地の神々を拝む礼拝へ。少しずつ、気づかないうちに。</p>
<p>「これくらいなら大丈夫」と思っていた。自分だけは例外だと思っていた。でも振り返ってみると、いつの間にかそんなに遠くまで来てしまっていた。</p>
<p>聖書はこれを「バールペオルと軛を共にした」と言います。軛とは、二頭の家畜をつなぐ道具のことです。歩調を合わせ、一体となって進むための道具。民はいつの間にか、神様ではなく別のものと歩調を合わせるようになっていた。</p>
<p>それは壊疽のようなもの、と言えるかもしれません。最初の傷口はとても小さい。放っておいても大丈夫に見える。でも気づいたときには、思ってもみなかった場所まで広がっている。</p>
<h3>「遠くの敵」より「近くの内側」</h3>
<p>私たちは遠くを見て心配します。子供のこと、孫のこと、将来のこと。「あそこが心配」「この問題が解決しない」。目に見えるものに向かって祈り、備えようとします。</p>
<p>でも民の歩みを実際に台無しにしたのは、遠くにいた強大な敵ではありませんでした。近くにあった、ごく小さな「これくらいなら」でした。</p>
<p>これは脅しではありません。むしろ逆です。</p>
<p>遠くの問題が解決しなくても、あなたがここに立って、今日も歩調を崩さずにいること。それ自体がすでに、意味のある抵抗です。信仰歴15年という時間は、あなたが何度も「これくらいなら」を踏みとどまってきた歴史でもある。目立たないけれど、確かなものです。</p>
<p>足元を見る、ということは、弱さを認めることではありません。自分が今、何と軛を共にしているかを静かに確かめること。それだけで十分です。</p>
<h3>考えてみましょう</h3>
<p>今、自分が一番多くのエネルギーや心を注いでいるものは何でしょうか。それは自分を、どちらの方向へ連れて行っているでしょうか。</p>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=SBP2iLJCVRQ">動画はこちら</a></p>
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			</item>
		<item>
		<title>祈り続けているのに、何も変わらない。それでいいのだろうか</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Apr 2026 01:29:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝聖書メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[エレミア書]]></category>
		<category><![CDATA[問い続ける力]]></category>
		<category><![CDATA[壊れた水ため]]></category>
		<category><![CDATA[無力感と信仰]]></category>
		<category><![CDATA[祈りの継続]]></category>
		<category><![CDATA[縁の下の誠実さ]]></category>
		<category><![CDATA[見えない積み重ね]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_085415_2020年10月18日-大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>毎日、誰かのために心を砕いて、祈って、見守っている。 それなのに、状況は変わらない。 「私のやっていることに、意味はあるのだろうか」 そんな問いが、ふとよぎることはありませんか。 私はあなたの若かった頃の誠実、婚約時代の [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_085415_2020年10月18日-大野キリスト教会-主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>毎日、誰かのために心を砕いて、祈って、見守っている。<br />
それなのに、状況は変わらない。<br />
「私のやっていることに、意味はあるのだろうか」<br />
そんな問いが、ふとよぎることはありませんか。</p>
<blockquote>
<p>私はあなたの若かった頃の誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地での私への従順を覚えている。</p>
<p>わたしの民は二つの悪を行った。一つは湧き水の泉である私を捨てたこと。二つ目は多くの水ため、水をためることのできない壊れた水ためを自分たちのために掘ったこと。</p>
</blockquote>
<h3>誰も覚えていなくても、神は覚えている</h3>
<p>神様は記憶力が抜群です。<br />
それも、人間の「記憶」とはスケールが違います。</p>
<p>エレミアが生きた時代、神はイスラエルの民にこう言いました。<br />
「あなたたちの若かった頃の誠実を、私は覚えている」と。</p>
<p>「若かった頃」とは、千年以上も前のことです。<br />
エジプトで奴隷だったイスラエルの民が、砂漠を歩き始めたあの日のこと。<br />
水も食べ物もない荒野で、それでも「あなたが神です」と言い続けた、あの頃のこと。</p>
<p>誰もそんな昔のことは覚えていません。<br />
歴史の教科書の中の話です。<br />
でも神は「覚えている」と言う。</p>
<p>これはただの励ましの言葉ではありません。<br />
神は、目に見えないところで積み重ねてきた歩みを、千年単位で覚え続ける方だということです。</p>
<p>誰かに気づかれなくても、表立って評価されなくても、それでも誠実に続けてきたこと。<br />
神はそれを、ひとつも見落とさずに覚えています。</p>
<h3>「問い続けること」が、信仰の核心</h3>
<p>ところがエレミアの時代、民はある大切なことをやめてしまいました。<br />
神に「なぜですか」と問うことを、やめてしまったのです。</p>
<p>代わりに何をしたか。<br />
自分たちで解決しようと、あちこちに水ためを掘り始めました。</p>
<p>水のたまらない、壊れた水ため。<br />
でも彼らは掘り続けた。<br />
こっちにも、あっちにも。<br />
「もっと穴を掘れば、何とかなるかもしれない」と思って。</p>
<p>これは他人事ではありません。<br />
誰かのために「何かしなければ」と焦って、あれもこれもと手を出す。<br />
でも状況は変わらない。<br />
また別の手を探して、また動く。</p>
<p>それが悪いことだとは言いません。<br />
ただ、その忙しさの中で、神への問いが消えていないか。<br />
「神様、なぜこうなっているのですか。あなたはどこにおられますか」という言葉が、心から出なくなっていないか。</p>
<p>エレミア書が語るのは、こういうことです。<br />
困難の中で神に「なぜですか」と問い続けることは、ふさわしいことだ、と。<br />
答えが来なくても、問い続けることそのものに意味がある、と。</p>
<p>泉は、問いの先にあります。<br />
自分で掘った水ための中にはありません。</p>
<p>毎日、心の中で誰かのことを神の前に持ち出して、「なぜですか」「どこにおられますか」とつぶやいている。<br />
それは、信仰が足りないのではありません。<br />
それこそが、信仰の核心に触れている姿です。</p>
<h3>考えてみましょう</h3>
<p>「問い続けること」と「自分で何とかしようとすること」の間で、今の自分はどちらに引っ張られているでしょうか。</p>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<br />
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=c85P3PYdQZw">動画はこちら</a></p>
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		<itunes:summary><![CDATA[毎日、誰かのために心を砕いて、祈って、見守っている。<br />
それなのに、状況は変わらない。<br />
「私のやっていることに、意味はあるのだろうか」<br />
そんな問いが、ふとよぎることはありませんか。<br />
<br />
私はあなたの若かった頃の誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地での私への従順を覚えている。<br />
わたしの民は二つの悪を行った。一つは湧き水の泉である私を捨てたこと。二つ目は多くの水ため、水をためることのできない壊れた水ためを自分たちのために掘ったこと。<br />
<br />
誰も覚えていなくても、神は覚えている<br />
神様は記憶力が抜群です。<br />
それも、人間の「記憶」とはスケールが違います。<br />
エレミアが生きた時代、神はイスラエルの民にこう言いました。<br />
「あなたたちの若かった頃の誠実を、私は覚えている」と。<br />
「若かった頃」とは、千年以上も前のことです。<br />
エジプトで奴隷だったイスラエルの民が、砂漠を歩き始めたあの日のこと。<br />
水も食べ物もない荒野で、それでも「あなたが神です」と言い続けた、あの頃のこと。<br />
誰もそんな昔のことは覚えていません。<br />
歴史の教科書の中の話です。<br />
でも神は「覚えている」と言う。<br />
これはただの励ましの言葉ではありません。<br />
神は、目に見えないところで積み重ねてきた歩みを、千年単位で覚え続ける方だということです。<br />
誰かに気づかれなくても、表立って評価されなくても、それでも誠実に続けてきたこと。<br />
神はそれを、ひとつも見落とさずに覚えています。<br />
「問い続けること」が、信仰の核心<br />
ところがエレミアの時代、民はある大切なことをやめてしまいました。<br />
神に「なぜですか」と問うことを、やめてしまったのです。<br />
代わりに何をしたか。<br />
自分たちで解決しようと、あちこちに水ためを掘り始めました。<br />
水のたまらない、壊れた水ため。<br />
でも彼らは掘り続けた。<br />
こっちにも、あっちにも。<br />
「もっと穴を掘れば、何とかなるかもしれない」と思って。<br />
これは他人事ではありません。<br />
誰かのために「何かしなければ」と焦って、あれもこれもと手を出す。<br />
でも状況は変わらない。<br />
また別の手を探して、また動く。<br />
それが悪いことだとは言いません。<br />
ただ、その忙しさの中で、神への問いが消えていないか。<br />
「神様、なぜこうなっているのですか。あなたはどこにおられますか」という言葉が、心から出なくなっていないか。<br />
エレミア書が語るのは、こういうことです。<br />
困難の中で神に「なぜですか」と問い続けることは、ふさわしいことだ、と。<br />
答えが来なくても、問い続けることそのものに意味がある、と。<br />
泉は、問いの先にあります。<br />
自分で掘った水ための中にはありません。<br />
毎日、心の中で誰かのことを神の前に持ち出して、「なぜですか」「どこにおられますか」とつぶやいている。<br />
それは、信仰が足りないのではありません。<br />
それこそが、信仰の核心に触れている姿です。<br />
考えてみましょう<br />
「問い続けること」と「自分で何とかしようとすること」の間で、今の自分はどちらに引っ張られているでしょうか。<br />
このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<br />
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=c85P3PYdQZw">動画はこちら</a><br />]]></itunes:summary>
		<itunes:author>中澤信幸(大野キリスト教会牧師)</itunes:author>
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		<item>
		<title>「ただこのマナを見るだけだ」と言いたくなる日に</title>
		<link>http://nobu.bokushi.jp/when-gratitude-feels-impossible/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 22 Mar 2026 01:29:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝聖書メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[あるものへの気づき]]></category>
		<category><![CDATA[マナ]]></category>
		<category><![CDATA[不満と郷愁]]></category>
		<category><![CDATA[民数記11章]]></category>
		<category><![CDATA[縁の下の力持ち]]></category>
		<category><![CDATA[繰り返しの日常]]></category>
		<category><![CDATA[荒野の旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_091105_2026年2月22日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>毎日同じように働いて、同じように祈って、同じように気にかけている。それでも何かが変わる気配はない。そんな繰り返しの中で、「以前はもっとうまくいっていた気がする」と感じたことはありませんか。 聖書の言葉をひとつ、読んでみて [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_091105_2026年2月22日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>毎日同じように働いて、同じように祈って、同じように気にかけている。それでも何かが変わる気配はない。そんな繰り返しの中で、「以前はもっとうまくいっていた気がする」と感じたことはありませんか。</p>
<p>聖書の言葉をひとつ、読んでみてください。</p>
<blockquote><p>「今や私たちの喉はカラカラだ。全く何もなく、ただこのマナを見るだけだ」</p></blockquote>
<h3>「今が不満」だから、過去が輝いて見える</h3>
<p>エジプトを脱出したイスラエルの民は、荒野の旅を続けていました。</p>
<p>雲の柱と火の柱に導かれて、少しずつ約束の地に近づいている。それは確かなことでした。でも、毎日が同じ景色の繰り返しです。変化がない。刺激がない。ゴールの実感もない。</p>
<p>そうして民の心に浮かんできたのは、エジプトへの郷愁でした。</p>
<p>「あの頃はよかった。魚も食べられた。キュウリも、スイカも、ニンニクもあった。今は何もない。このマナだけだ」</p>
<p>でも少し立ち止まって考えてみてください。エジプトでの彼らは、奴隷でした。自由がなかった。自分たちが必死に働いた成果は、すべて異国の主人のものになっていきました。それが「あの頃」の現実でした。</p>
<p>なのに今、彼らはそのことを思い出しません。</p>
<p>「今が不満だから」、過去の良かったことだけが浮かび上がってくる。これが脳の性質です。今がしんどければしんどいほど、記憶はそっと「あの頃は違った」というストーリーを作り出します。</p>
<h3>今ここにあるものが、見えなくなっていた</h3>
<p>民が「ただこのマナを見るだけだ」と言った時、聖書はすぐ後でそのマナについて丁寧に説明しています。</p>
<p>コエンドロの種のような形で、油で揚げたお菓子のような味がした、と。荒野で毎日安定して与えられる穀物質の食べ物。それは、命をつなぐものでした。砂漠の中で、それが毎朝降ってきていた。</p>
<p>でも民には、もうそれが見えていませんでした。「あって当たり前」になっていたからです。</p>
<p>ないものは鮮やかに見える。あるものは透明になっていく。これは民だけの話ではないと思います。</p>
<p>毎日誰かのために動いている。職場でも、家庭でも、教会でも、祈りの中でも。それが積み重なると、いつの間にか「これが普通」になっていきます。自分でもそれが見えなくなる。</p>
<p>でも、あなたがそこにいることで、誰かの何かが今日もちゃんと動いている。それはマナと同じで、なくなってみてはじめて気づかれるものかもしれません。</p>
<p>「あの時は違った」という思いが来る時、それは「今が不満だ」というサインです。それ自体は正直な感覚です。でもその時にほんの少しだけ、「では今ここに何があるか」と目を向けてみることが、見方を変えるきっかけになるかもしれません。</p>
<p>今日あなたのそばにあるものが、実は誰かには見えていないほど大切なものかもしれない。そう思うと、この一日の景色が少し変わってくることがあります。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>今日の「ただこれだけ」と感じているものが、もし突然なくなったとしたら、自分は何を失うことになるだろうか。</p>
<h2>参考礼拝メッセージ</h2>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=FkB2kR6Oa0E" data-wplink-edit="true">動画はこちら</a></p>
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		<title>神があなたを選んだ時から、行き先は決まっている</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 15 Mar 2026 01:29:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝聖書メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[カレブ]]></category>
		<category><![CDATA[偵察隊]]></category>
		<category><![CDATA[導きへの信頼]]></category>
		<category><![CDATA[抱え込み]]></category>
		<category><![CDATA[民数記]]></category>
		<category><![CDATA[約束の地]]></category>
		<category><![CDATA[見守る信仰]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_090736_2026年3月1日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>毎日、誰かのことを心に抱えて生きている。 孫のこと、子供のこと、職場のこと。 「自分が何とかしなければ」と思いながら、でも何もできない自分がいる。 それでもここに立ち続けることに、意味はあるのだろうか。 聖書の言葉をひと [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_090736_2026年3月1日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>毎日、誰かのことを心に抱えて生きている。<br />
孫のこと、子供のこと、職場のこと。<br />
「自分が何とかしなければ」と思いながら、でも何もできない自分がいる。<br />
それでもここに立ち続けることに、意味はあるのだろうか。</p>
<p>聖書の言葉をひとつ、一緒に読んでみましょう。</p>
<blockquote>
<p>「もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちはあの地に導き入れられてそれを私たちにくださる。あの地は乳と蜜の流れる地だ。主が私たちと共におられるのだ。彼らを恐れてはならない。」</p>
</blockquote>
<h2>「できるか、できないか」が問題ではなかった</h2>
<p>神があなたに与えようとしているものは、あなたの力次第では変わらない。</p>
<p>民数記には、こんな場面があります。イスラエルの民が約束の地に入ろうとする直前、神は12人の偵察隊を送り込みました。「私が与えようとしている地を、見てきなさい」という目的でした。</p>
<p>40日間、彼らはその土地を端から端まで歩き回りました。帰ってきた彼らが持っていたのは、担いで運ぶほど大きなぶどうの房。荒野を何年も旅してきた民が、その実りを見て息をのんだことは想像に難くありません。</p>
<p>でも彼らの報告はこうでした。「素晴らしい土地だった。ただ、住んでいる民は強大だ。私たちはバッタのように見えただろう。あそこには行けない」。</p>
<p>自分たちがバッタのように見えた、という言葉が刺さります。努力して、見てきて、現実を直視したのに、出てきた答えが「できない」。その感覚は、遠い昔の話ではないような気がします。</p>
<h3>カレブが見たのは、同じ現実だった</h3>
<p>12人の中でただ一人、違う声を上げたのがカレブという人物でした。</p>
<p>彼も同じ40日間を歩きました。同じぶどうを持ってきました。同じ民を見ました。でも彼は言いました。「登っていってそこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます」。</p>
<p>見ているものは同じです。体格差も、相手の強さも、知っていた。でも彼の言葉の根っこには、一つの確信がありました。</p>
<p>「神様はこの民を特別なものとして導いておられる。ならば、行き先は最初から決まっている」。</p>
<p>そういうことです。神が民をエジプトから連れ出したのは、約束の地に入れるためでした。その目的は、民の力がどれほどかによって変わるものではなかった。偵察の目的は「勝てるかどうかを判断するため」ではなく、「神が何を用意しているかを見るため」だった。カレブはそこを分かっていたのです。</p>
<h3>「行き先は決まっている」という静けさ</h3>
<p>あなたが今、抱えているものは本物です。心配も、疲れも、「なぜ自分ばかり」という思いも。軽いものではない。</p>
<p>ただ、一つだけ聞いてみたいことがあります。</p>
<p>あなたがここにいるのは、あなたの力で踏みとどまってきたからだけでしょうか。</p>
<p>信仰の道に入ったあの日から、ここまで歩いてこられたのは、何かに支えられてきたからではないか。孫のことで泣いた夜も、職場でへとへとになった夕方も、それでも朝が来て、また立っていた。</p>
<p>神があなたを導き始めた時から、行き先は決まっています。あなたの判断がそれを変えることはない。あなたの力不足がそれをなくすこともない。</p>
<p>できるかできないかを、あなたが一人で決める必要はないのです。雲が動いた方向についていく——それだけでいい、とカレブは静かに言っています。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>今、自分が「何とかしなければ」と引き受けていることの中に、本当は自分が決めなくていいことが混じっていないだろうか。</p>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=SBP2iLJCVRQ">動画はこちら</a></p>
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		<title>荒野は、神様の間違いじゃなかった</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 15 Feb 2026 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝聖書メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[待ち続ける祈り]]></category>
		<category><![CDATA[民数記]]></category>
		<category><![CDATA[留まることの従い]]></category>
		<category><![CDATA[神の導き]]></category>
		<category><![CDATA[荒野の信仰]]></category>
		<category><![CDATA[見えない意味]]></category>
		<category><![CDATA[雲の柱]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_101700_2026年2月15日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>どれだけ動いても、祈っても、状況が変わらない日々がある。「なぜ私の周りはいつもこうなんだろう」と、ふと思ってしまう瞬間が。そんな気持ち、あなただけじゃないかもしれません。 聖書箇所：民数記9章15〜23節 彼らは主の命に [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_101700_2026年2月15日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>どれだけ動いても、祈っても、状況が変わらない日々がある。「なぜ私の周りはいつもこうなんだろう」と、ふと思ってしまう瞬間が。そんな気持ち、あなただけじゃないかもしれません。</p>
<p>聖書箇所：民数記9章15〜23節</p>
<blockquote>
<p>彼らは主の命により宿営し、主の命により旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命により主への勤めを守った。</p>
</blockquote>
<h2>海を渡った先が、荒野だった</h2>
<p>イスラエルの民は、エジプトで奴隷として生きていました。神様に叫び続けた末、ようやく海が割れて向こう岸に渡れた。やっと自由になれた。これから豊かな約束の地へ——そう思ったはずです。</p>
<p>でも海の向こう側は、荒野でした。</p>
<p>日差しが強く、雨も降らず、食べ物も水も十分にない。老いた人も、小さな子どもも、その荒れた地をひたすら歩いていかなければならない。「神様、これは間違いじゃないですか」と言いたくなるのは、当然のことだったと思います。</p>
<p>ところが民数記を読んでいくと、この荒野は「仕方なく通る迂回路」ではなかったことがわかります。神様は荒野に入る前に、民一人ひとりを数え、部族ごとに配置を決め、幕屋に仕える者たちには細かく役割を割り当てていました。「とりあえずこれで乗り切って」という間に合わせではない。荒野の中でこそ生きるための、ちゃんとしたデザインでした。</p>
<p>荒野は通るべくして通る道。神様の手違いでも、迂回路でもなかったのです。</p>
<h3>「宿営を続けること」も、主への従い</h3>
<p>さらに興味深いのは、民の動き方です。</p>
<p>彼らは自分の判断では動きませんでした。幕屋の上に雲の柱が立っている間は、宿営し続ける。雲が動けば、旅立つ。それだけでした。</p>
<p>一日でも、一ヶ月でも、一年でも——雲がとどまっている限り、彼らはその場に留まり続けました。</p>
<p>それは「何もしていない」ではありませんでした。主の命により宿営することが、すでに従いだったのです。動けない時間の中にも、意味があった。待ち続けることの中に、神への応答があった。</p>
<h3>夜も消えなかった、あの光</h3>
<p>昼は雲の柱として、夜は火の柱として——民はその光を見失いませんでした。誰がどこにいても、幕屋の上の光はそこにあり続けた。</p>
<p>うまくいかない日が続いても、答えが見えなくても、あなたが今いる場所が「通るべくして通る道」だとしたら。その場所を、神様は見失っていない。</p>
<p>「守られている」という感覚が、理由もなく静かに強まる時があるとしたら、それはたぶん根拠のない気のせいではないと思います。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>今、自分の人生の中で「ここは荒野だ」と感じている場所があるとしたら——それが迂回路ではなく、通るべくして通る道だとしたら、あなたの受け止め方は少し変わるでしょうか。</p>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。</p>
<p><a href="https://www.youtube.com/watch?v=FznShyEy-MU">動画はこちら</a></p>
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		<title>整えられながら、進んでいる</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Feb 2026 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝聖書メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[テサロニケ人への手紙]]></category>
		<category><![CDATA[初穂の信仰]]></category>
		<category><![CDATA[山道と導き]]></category>
		<category><![CDATA[御霊による聖別]]></category>
		<category><![CDATA[祈りながら見守る]]></category>
		<category><![CDATA[縁の下の力持ち]]></category>
		<category><![CDATA[見えない土台]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_102042_2026年2月8日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>縁の下で働き続けて、祈り続けて、見守り続けて。それでも「これでいいのだろうか」という気持ちが、ふとした瞬間に顔を出すことはありませんか。 聖書にこんな言葉があります。 「主に愛されている兄弟たち、私たちはあなた方のことに [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_102042_2026年2月8日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>縁の下で働き続けて、祈り続けて、見守り続けて。それでも「これでいいのだろうか」という気持ちが、ふとした瞬間に顔を出すことはありませんか。</p>
<p>聖書にこんな言葉があります。</p>
<blockquote>
<p>「主に愛されている兄弟たち、私たちはあなた方のことについて神に感謝しなければなりません。神が御霊による聖別と真理に対する信仰によって、あなた方を初穂として救いに選ばれたからです。」</p>
</blockquote>
<h3>「何もしていない」のに感謝する、という不思議</h3>
<p>パウロはテサロニケの教会の人たちのことを、遠く離れた場所から思い浮かべていました。迫害を受けて、自分はその町を去らなければならなかった。会いに行くこともままならない。何かしてあげることもできていない。</p>
<p>それなのにパウロは言うのです。「感謝しなければならない」と。</p>
<p>その感覚、なんとなくわかる気がしませんか。</p>
<p>親戚のおじさん・おばさんとして、久しぶりに子どもや孫の顔を見る。特別なことは何もしていない。ただ遠くから気にかけていただけ。なのに「ああ、立派になっていった」と胸がいっぱいになる、あの感じです。</p>
<p>パウロにとってテサロニケの人たちはそれでした。自分が手をかけたわけではない。でも確かに育っていった。それを「初穂」と呼びました。</p>
<p>初穂というのは、誰かが土を耕して、種を植えて、水をやり、雑草を抜いて、見守り続けた末にようやく実る、最初の実りのことです。自然に勝手に生えてくるものではありません。誰かが関わり続けた結果です。</p>
<p>祈りながら見守ることも、そういうことかもしれません。「何もできていない」ように思えても、その祈りと気遣いは確かに土になっている。実りが見えなくても、土台は存在しているのです。</p>
<h3>カーナビが山道を通らせるとき</h3>
<p>パウロはこの旅を、もう一つの言葉で説明します。「御霊による聖別」と「真理に対する信仰」。</p>
<p>難しく聞こえますが、イメージはこうです。</p>
<p>長い旅に出るとき、車はちゃんと整備されている必要があります。ブレーキが効くか、エンジンはかかるか。走りながら警告灯が点いたら、立ち止まって手入れをする。御霊の働きというのはそれに似ています。生きていく中で私たちの歩みを整え、ズレを修正し、また前へ向かわせてくれる。</p>
<p>そしてカーナビ。目的地を信頼して、その言う通りについていく。ときに「こんな細い山道を？」と思うような道を示されることがあります。海に行こうとしているのに、なぜか山の中を走らされるような感覚。「なぜこんな道なんだろう」と思いながらも、ついていったら確かに着いた、という経験。</p>
<p>「なぜこんなことが続くのか」という問いに、簡単な答えは出せません。でも、目的地がある旅であるなら、山道も旅の一部です。外れているのではなく、そこへ向かうルートの一部である可能性があります。</p>
<p>それを根拠のない楽観で信じるのではなく、これまで歩いてきた道を振り返りながら、静かに信頼していく。そういうことなのかもしれません。</p>
<p>あなたがこれまで祈ってきたこと、見守ってきたこと、縁の下で支えてきたこと。それは無駄ではありませんでした。整えられながら、確かに進んできたのです。今日も、その続きの上に立っています。</p>
<p><strong>考えてみましょう</strong></p>
<p>「何もできていない」と感じながらも、誰かのそばにいて、祈って、気にかけてきたことが、あなたにはあるはずです。それは今日、その人にとってどんな土台になっているでしょうか。</p>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=MwLZP38jTgg">動画はこちら</a></p>
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		<title>苦難の中でこそ、愛は深まる</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Feb 2026 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[礼拝聖書メッセージ]]></category>
		<category><![CDATA[テサロニケ人への手紙]]></category>
		<category><![CDATA[寄り所になる存在]]></category>
		<category><![CDATA[忍耐]]></category>
		<category><![CDATA[愛の成長]]></category>
		<category><![CDATA[縁の下の力持ち]]></category>
		<category><![CDATA[苦難と信仰]]></category>
		<category><![CDATA[見えない奉仕]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_102423_2026年2月1日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p>祈って、動いて、気を配って。それでも何も変わらないように見える日がある。「私は何かできているのだろうか」と、ふと手が止まる瞬間がある。あなたの今のその場所は、本当は何を意味しているのだろう？ 聖書箇所：テサロニケ人への手 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://nobu.bokushi.jp/wp/wp-content/uploads/2026/04/20260411_102423_2026年2月1日-大野キリスト教会　主日礼拝.txt-680x453.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>祈って、動いて、気を配って。それでも何も変わらないように見える日がある。「私は何かできているのだろうか」と、ふと手が止まる瞬間がある。あなたの今のその場所は、本当は何を意味しているのだろう？</p>
<p>聖書箇所：テサロニケ人への手紙第二 1章3節〜5節</p>
<blockquote>
<p>あなた方の信仰が大いに成長し、あなた方全ての間で1人1人の互いに対する愛が増し加わっているからです。……あなた方はあらゆる迫害と苦難に耐えながら忍耐と信仰を保っています。それはあなた方を神の国にふさわしいものと認める神の正しい裁きがあることの証拠です。</p>
</blockquote>
<h2>「大変な中にいる」は、弱さの証拠じゃない</h2>
<p>愛には成長のレベルがある、と思うと少し面白くなります。</p>
<p>いちばん最初のレベルは「自分がしてあげたいことをする」。好きな人に、したいことをする。純粋で温かい出発点です。でもそこから少しずつ変わっていく。「相手が本当に必要としていることは何か」を考えるようになる。自分の感情とは関係なく「この人に良いものをもたらしたい」と思えるようになる。そしてやがて、「何かをする」より先に、「あの人がいてくれるだけで大丈夫」と思われる存在になっていく。</p>
<p>パウロはテサロニケの教会の人たちを見て、「あなた方の愛が増し加わっている」と言いました。でも、それは穏やかで問題のない環境の中での話ではありませんでした。</p>
<p>「あらゆる迫害と苦難に耐えながら」。この言葉が鍵です。</p>
<h3>豊かな中でではなく、苦難の中でこそ</h3>
<p>余裕があるから優しくできる。満たされているから分け与えられる。そう思いがちです。でもパウロが感動していたのは、そういう話ではありませんでした。</p>
<p>「私だって今日のパンがないんです」「あなたもないんですか？」「じゃあどうしましょう」。そんな状況の中で、それでもお互いのために動いている人たちの姿に、パウロは感謝していたのです。</p>
<p>苦難の中にいるからこそ、相手の大変さが分かる。自分も追い詰められているからこそ、本当に必要なことが見えてくる。愛は、平和な場所で育つより、むしろ苦しい場所でこそ深まっていく。</p>
<p>これはきれいごとではありません。パウロは「これが神の正しい裁きの証拠だ」とまで言っています。あなたが今、苦難の中にいるのは、信仰が足りないからではない。むしろその只中で、愛が鍛えられているのだと。</p>
<h3>「寄り所」になっている人は、それに気づきにくい</h3>
<p>誰かのために動き続けている人は、たいてい「自分は何もできていない」と感じています。</p>
<p>もっと直接助けてあげられたら。もっとうまく声をかけられたら。もっと踏み込めたら。そういう「できなかったこと」が積み重なって、疲れていく。</p>
<p>でも、愛のいちばん深いところにあるのは「何をするか」ではなく「どんな存在か」です。「あの人がいてくれるから、私は立ち上がれる」と誰かが思えるような、そういう存在になっていくこと。それは、見えないところで静かに起きていることです。</p>
<p>あなたが今日も誰かの「寄り所」になっているとしたら、それは表立って評価されるものではないかもしれない。でもそれは、愛の成長の、いちばん深いところにある姿です。苦難の中でこそ、それは本物になる。</p>
<h2>考えてみましょう</h2>
<p>「自分は何もできていない」と感じるとき、その裏側に「あなたがいてくれるから」と思っている誰かの顔が、ひとつでも浮かぶとしたら？</p>
<p>このメッセージの全編はこちらからどうぞ。<a href="https://www.youtube.com/watch?v=JMJbcxFDMu8">動画はこちら</a></p>
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		<item>
		<title>【MBTI】あなたはどんなタイプの牧師ですか？</title>
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		<dc:creator><![CDATA[中澤 信幸]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 13 Mar 2025 08:07:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[分類なし]]></category>
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					<description><![CDATA[牧師のためのMBTIタイプガイド はじめに 神の召命に応えて牧師として仕えている仲間のみなさんへ。 私たちは皆、神に創造された独自の個性と賜物を持っています。聖書が「からだは一つでも、多くの部分から成り、からだの部分はた [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h1 class="wp-block-heading">牧師のためのMBTIタイプガイド</h1>



<h2 class="wp-block-heading">はじめに</h2>



<p>神の召命に応えて牧師として仕えている仲間のみなさんへ。</p>



<p>私たちは皆、神に創造された独自の個性と賜物を持っています。聖書が「からだは一つでも、多くの部分から成り、からだの部分はたくさんあっても、その全部が一つのからだである」（Ⅰコリント12:12）と教えるように、私たち一人ひとりの個性は神の壮大な計画の中で重要な役割を担っています。</p>



<p>MBTIとは、心理学者カール・ユングの理論を基に、イザベル・マイヤーズとキャサリン・ブリッグズによって開発された性格タイプ論です。このモデルは4つの軸に基づいて16の性格タイプを識別します。</p>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>E（外向）/ I（内向）</strong>: エネルギーをどこから得るか—他者との交流からか、内面の世界からか</li>



<li><strong>S（感覚）/ N（直感）</strong>: 情報をどのように収集するか—具体的な事実からか、パターンや可能性からか</li>



<li><strong>T（思考）/ F（感情）</strong>: 決断をどのように下すか—論理と客観性に基づくか、価値観と人間関係に基づくか</li>



<li><strong>J（判断）/ P（知覚）</strong>: 外界にどう対応するか—計画と秩序を好むか、柔軟性と適応性を好むか</li>
</ul>



<p>このタイプ論は、私たちがどのように情報を取り入れ、決断を下し、エネルギーを得るかについての傾向を示すものであり、神が各自に与えられた独自の思考・行動パターンを理解する助けとなります。</p>



<p>この簡単なガイドは、牧師の自己理解と成長の道具として作成されました。各タイプの特徴を牧師の役割にあてはめて紹介しました。</p>



<p>どのタイプにも優劣はなく、それぞれが教会という体の中で独自の貢献をします。このガイドが、あなたが神から与えられた個性を尊重しながら、より効果的な牧会のために成長する一助となることを祈ります。</p>



<p>「あなたがたは、それぞれ賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。」（Ⅰペテロ4:10）</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ISTJ（堅実な管理者）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 現実的・責任感・伝統尊重</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 組織運営と安定した礼拝の維持</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 急な変化対応と感情的な説教</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 革新的アイデアを段階的に導入し、若手リーダーを育成</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ISFJ（守護者）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 献身的・細やか・協調性</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 個人カウンセリングと実務的な奉仕</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 教会改革の推進と自己主張</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 自己ケアのルーチンを確立し、変化管理トレーニングを受講</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>INFJ（提唱者）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 理想主義・深い洞察力・ビジョン形成</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 霊的成長プログラムの設計</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 現実的な制約下での妥協</li>



<li><strong>ヒント</strong>: ビジョンを具体化するタスク分解シートを作成</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>INTJ（戦略家）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 戦略的思考・独立心・革新性</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 教会の長期的ビジョン策定</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 感情的な牧会ケア</li>



<li><strong>ヒント</strong>: チーム内に感情サポート役を配置し協働</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ISTP（職人）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 問題解決・実践力・柔軟性</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 施設管理と即興対応</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 定型的な礼拝運営</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 実践的な奉仕活動をプログラムに組み込み</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ISFP（芸術家）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 感受性・芸術的・現実対応</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 感覚的な礼拝体験の創造</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 組織的な計画遂行</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 礼拝空間のデザイン刷新を任せて能力発揮</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>INFP（仲介者）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 価値観重視・共感的・創造的</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 個人の信仰の旅に寄り添う伴走</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 教会政治への対応</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 現実的な目標設定ツールを活用してバランス強化</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>INTP（論理学者）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 分析的・概念理解・独立思考</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 神学的な講義と信仰の知的理解促進</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 感情的な牧会相談</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 実践的な事例集を作成して対応力を強化</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ESTP（起業家）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 行動力・適応力・現実対応</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 地域社会との連携プロジェクト</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 深い霊的内省</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 毎朝15分の黙想時間をスケジュールに組み込み</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ESFP（エンターテイナー）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 社交的・楽観的・臨機応変</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 教会イベントの企画運営</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 組織的な文書管理</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 事務補佐スタッフを配置し弱点を補完</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ENFP（広報運動家）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 熱意・創造性・人間理解</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 新しい礼拝スタイルの開発</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: ルーチン業務の継続</li>



<li><strong>ヒント</strong>: プロジェクト管理ソフトを導入して進捗可視化</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ENTP（討論者）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 知的探究・革新性・挑戦精神</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 伝統的な解釈の再考と刷新</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 感情配慮が必要な対立処理</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 論理的枠組み内で感情要素を分析するトレーニング</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ESTJ（管理者）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 組織力・現実的・効率重視</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 教会運営のシステマティックな管理</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 個人の感情的なニーズ対応</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 月1回の個別面談で人間関係構築に注力</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ESFJ（世話役）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 協調性・実務能力・人間関係構築</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 教会コミュニティの結束強化</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 批判的な意見の受容</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 匿名アンケートで率直な意見を収集する仕組み導入</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ENFJ（指導者）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: カリスマ性・共感力・育成能力</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 会衆の潜在能力開発</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 自己犠牲による燃え尽き</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 週1回の「自己ケアデー」をスケジュールに固定化</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ENTJ（指揮官）</strong></h2>



<ul class="wp-block-list">
<li><strong>特徴</strong>: 戦略的・決断力・リーダーシップ</li>



<li><strong>生かされる点</strong>: 大規模な教会改革の実行</li>



<li><strong>苦手な点</strong>: 細やかな感情配慮</li>



<li><strong>ヒント</strong>: 感性豊かな副牧師とタッグを組み補完</li>
</ul>



<h2 class="wp-block-heading">もっと詳しく知りたい方は…</h2>



<p>ここで紹介したよりも、さらに詳細な解説を用意しました。ダウンロードして、ご自分のますますの成長のために役立ててください。</p>
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