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	<title>オノケンノート</title>
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		<title>どうやって土地を探せばいいか？その方法と不動産業界の裏事情～後編</title>
		<link>https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-14197</link>
					<comments>https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-14197#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jul 2024 06:05:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[よくある疑問・質問]]></category>
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					<description><![CDATA[裏事情を頭に入れながら、<strong>土地を探す３つの方法について説明します</strong>。でも最後はフィーリング！]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi3.jpg" alt="" width="600" height="600" class="aligncenter size-full wp-image-14198" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi3.jpg 600w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi3-300x300.jpg 300w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi3-120x120.jpg 120w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /><br />
<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-14188">前編</a>の続きです。</p>
<p>前回のポイントの１つは、<br />
・<strong>不動産仲介には「片手」と「両手」があり、「囲い込み」をしようとする力が働いている</strong>。<br />
でした。</p>
<p>これを頭に入れながら、<br />
・不動産ポータルサイトで検索する。<br />
・不動産会社に相談する。<br />
・自分の足で探す。<br />
の３つの方法について説明してみます。</p>
<h3 id="mida">不動産ポータルサイトで検索する</h3>
<p>アットホームやスーモ、ホームズなどの不動産ポータルサイトで検索する。<br />
土地を探す時に、一番最初に頭に浮かぶのがこれだと思います。</p>
<p><strong>この方法のメリットは、気軽に大量の物件の中から調べることができること</strong>でしょう。</p>
<p>では、デメリットは何でしょうか？</p>
<p>ここで、先程のポイントを思い出してみてください。</p>
<p>囲い込み業者でも、なかなか売れそうにない物件は、多くの人の目に触れるように、情報を公開します。<br />
ところが、優良物件は両手にできる可能性が高い（非公開でも契約成立に持ち込みやすい）ため、ポータルサイトに掲載しないことが多いです。</p>
<p>つまり、<strong>ポータルサイトに載っている囲い込み業者の物件は、非優良物件であることが多く、優良物件は掲載されていない可能性が高い</strong>のです。</p>
<p>すべての不動産会社が囲い込み業者であるわけではないですので、ポータルサイトで優良物件に出会える可能性もありますし、非優良と思われた土地が、条件にピッタリということも案外多いです。</p>
<p>では、有名なポータルサイトで、いい物件が見つからない場合はどうすればよいでしょうか。</p>
<p>例えば、宅建協会が運営している<strong><a href="https://www.hatomarksite.com/" rel="noopener" target="_blank">ハトマークサイト</a></strong>という物件検索サイトがあります。<br />
一般にはあまり認知されていないため、掲載数はアットホームなどに比べると少ないかもしれません。<br />
ですが、民間のポータルサイトと違って掲載コストがかからないため、<strong>民間サービスと契約していない不動産会社の物件情報や、民間のサイトに掲載しないでも売れると判断されたような優良物件に出会える可能性があります</strong>。</p>
<p>それでも見つからない場合は、残りの２つの方法を試してみましょう。（というより、３つの方法をどれも試してみるのが良いです。）</p>
<h3 id="mida">不動産会社に相談する</h3>
<p>次の方法は、想定している地域の不動産会社に出向いて、直接相談することです。<br />
エリアや広さ、価格などの情報を伝えれば、掘り出し物を紹介してくれるかもしれませんし、知り合いの業者などの情報ネットワークを使って、いい物件を探してくれるかもしれません。<br />
その日に見つからなくても、いい物件があれば連絡をしてもらうようにお願いしておけば、後日、物件が出た時に紹介してくれることもあります。</p>
<p><strong>この方法のメリットは、隠れていた優良物件を紹介してくれる可能性があること</strong>と、両手になるならと、不動産業者も積極的になってくれる可能性が高いことです。</p>
<p>逆に<strong>デメリットは物件数が限られていることと、足を運ぶ手間がかかること</strong>。</p>
<p>これらのメリット・デメリットは、ポータルサイトの検索と全く逆、補い合う関係にあるのが分かりますでしょうか。<br />
つまり、<strong>どちらの方法も試してみたほうが、良い土地に出会える可能性は高まる</strong>といえます。</p>
<p>また、地元の不動産会社に相談する際は、１社に絞らずに、複数の会社を回って情報を探した方が良いでしょう。</p>
<h3 id="mida">自分の足で探す</h3>
<p>そして、次の方法は、自分の足で探すこと。</p>
<p>気になる地域を歩き回って、良さそうな空き地などを探してみましょう。<br />
売る気のある土地には、不動産会社の看板が建っていることが多いですので、気になった場合はそこに連絡をして価格などを教えてもらいましょう。</p>
<p>看板が建っていなかったり、売りに出ているかどうかは分からないけれども、すごく気になる土地があった場合は最後の手段があります。</p>
<p>住所（地番）を調べて、法務局や<a href="https://www1.touki.or.jp/" rel="noopener" target="_blank">登記情報提供サービスサイト</a>などで、登記簿を取得すれば、持ち主の氏名と住所が分かります。可能性は高くありませんが、情熱を持ってアプローチすれば売ってくれることになるかもしれません。<br />
<small>（直接土地の所有者と売買する場合は仲介手数料は不要です。ですが、その場合でも、トラブルを避けたり、進行をスムーズにするために、信頼のおける不動産業者に間に入ってもらうことをおすすめします。）</small></p>
<p>この場合の<strong>メリットは、実際の土地を目にするので判断しやすいこと。デメリットは手間がかかること</strong>でしょう。</p>
<h3 id="mida">最後に</h3>
<p>いかがでしょう。<br />
裏事情を知ることで、それぞれのメリット・デメリットがイメージしやすくなったのではないでしょうか。</p>
<p>最後にひとつ建築士としてのアドバイスを。</p>
<p>土地は、いつも同じものが売りに出ているのではありません。<strong>良い物件に出会えるかは、運やタイミングが大事</strong>だったりもします。<br />
もっといいものがあるのでは、と考えているだけでは、永遠に決められなくなってしまします。<br />
最後は、なぜか分からないけれども、この土地がとても気に入った、というような<strong>フィーリングに従うことも大切</strong>だと思います。<br />
（エイヤと土地を決めてしまえば、それを活かすか殺すかは我々建築士の腕次第。そこはお任せください。）</p>
<p>それでも、不安だったり、専門的な意見を聞きたい、という時は気軽に相談していただければと思います。</p>
<blockquote><p><strong>→ご相談は<a href="https://onoken-web.com/contact"title="お問い合わせ">こちら</a>から気軽にどうぞ。</strong></p></blockquote>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>どうやって土地を探せばいいか？その方法と不動産業界の裏事情～前編</title>
		<link>https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-14188</link>
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		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jul 2024 04:44:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[よくある疑問・質問]]></category>
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					<description><![CDATA[<strong>土地を探すにはどのような方法があるか</strong>。それを説明する前に、知っておいた方が良い<strong>不動産業界の裏事情</strong>があります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi2.jpg" alt="" width="600" height="600" class="aligncenter size-full wp-image-14189" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi2.jpg 600w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi2-300x300.jpg 300w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi2-120x120.jpg 120w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /><br />
家づくりの予算と配分の方針をイメージできたら、早速土地を探してみましょう。</p>
<blockquote><p><strong>→方針の立て方が分からない方は<a href="https://onoken-architects.com/?p=14176"title="家づくりを思い立ったら何をすべきか？土地探しと資金計画のコツ">こちら</a>をご覧ください。</strong></p></blockquote>
<h3 id="mida">土地探しの３つの方法</h3>
<p>土地を探す主な方法は、次の３つがあります。</p>
<p>・<strong>不動産ポータルサイトで検索する</strong>。<br />
・<strong>不動産会社に相談する</strong>。<br />
・<strong>自分の足で探す</strong>。</p>
<p>それぞれに利点がありますので、個別に見ていきましょう。</p>
<h3 id="mida">その前に、不動産業界の裏事情</h3>
<p>と、その前に。実は、土地探しをする時に、知っておいた方が良い不動産業界の裏事情があります。</p>
<p>まず、400万円以上の物件の<strong>仲介手数料の上限</strong>は</p>
<blockquote><p>売買価格×3％＋6万円＋消費税</p></blockquote>
<p>と法律で定められています。</p>
<p>例えば1000万円の土地の場合、計算すると39.6万円≒40万円となりますね。分かりやすいように1020万円の土地の仲介手数料を端数を切って40万円としましょう。</p>
<p><strong>この手数料は、売買の売り主、買い主、一方に対する金額になります</strong>。</p>
<p>また、仲介業者が、売り主と買い主それぞれ別にいる場合と、同じ業者の場合があります。前者を「<strong>片手仲介</strong>」、後者を「<strong>両手仲介</strong>」といいます。<br />
ここに、<strong>不動産業界特有の力学</strong>が働くことになります。</p>
<p>ケースで見てみましょう。</p>
<h3 id="mida">【片手仲介】　売り主、買い主、それぞれが別の仲介業者に相談した場合</h3>
<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt10.png" alt="" width="600" height="790" class="aligncenter size-full wp-image-14194" /><br />
この場合、それぞれの仲介業者はそれぞれ、40万円の手数料を手にすることになります。</p>
<h3 id="mida">【両手仲介】　売り主、買い主、同じ仲介業者に相談した場合</h3>
<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt11.png" alt="" width="600" height="982" class="aligncenter size-full wp-image-14195" /><br />
この場合、仲介業者は80万円、<strong>片手仲介の倍の手数料</strong>を手にすることになります。<br />
不動産会社にとって、不動産の情報はメインの商品だと言えますが、その価値が倍になるとすればどんなことが起こり得るでしょうか。</p>
<h3 id="mida">【囲い込み】　情報公開を制限する力が働く</h3>
<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt12.png" alt="" width="600" height="826" class="aligncenter size-full wp-image-14196" /><br />
「両手」にしたいがために、あえて情報公開をしないことを「<strong>囲い込み</strong>」といいます。<br />
「囲い込み」は、売り主にとっては、いい買い主に巡り合う確率が下がりますし、売買までの期間も長くなる、というデメリットがあります。買い主にとっても、物件の情報に辿り着くことが難しくなるというデメリットがあります。<br />
このように、<strong>あらゆるお客さんにとって不利益があるにもかかわらず、自分の利益を優先するのが「囲い込み」</strong>です。その気持ちは分からなくもないですし、すべての不動産会社が囲い込みをしているわけもないです。ただ、そのような体質が未だ残っている業界だということは頭に入れておいた方が良いでしょう。</p>
<p><small>（ちなみに、そのような不利益を守るために、物件の売却を依頼された不動産会社は、指定サイトに物件情報を登録・公開することが法で義務付けられいます。ですが、囲い込みをするような会社は、「商談中」等の理由をつけて、登録物件をすぐに取り下げ、情報が他の不動産会社の目につかないようにするそうです。）</small></p>
<p>ここで、不動産業界の悪事を暴きだしたいわけではありません。<br />
こういう裏事情があることを知っていることが、土地を探す方法を理解するために大きく役に立つと思うのです。</p>
<h3 id="mida">おさらい</h3>
<p>今回のポイントは３つ。<br />
・<strong>土地を探す方法は主に３つある</strong>。<br />
・<strong>不動産仲介には「片手」と「両手」があり、「囲い込み」をしようとする力が働いている</strong>。<br />
・<strong>そのような裏事情を知っていると、土地探しの役に立つ</strong>。</p>
<p>それでは、次回、３つの方法について説明したいと思います。</p>
<p><a href="https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-14197">後編</a>へつづく。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>家づくりを思い立ったら何をすべきか？土地探しと資金計画のコツ</title>
		<link>https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-14176</link>
					<comments>https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-14176#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 18 Jul 2024 07:53:48 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[よくある疑問・質問]]></category>
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					<description><![CDATA[<strong>マイホームを建ててみようか、と思い立ったけれども、何から手を付けていいか分からない</strong>。そんな方の最初のステップを解説します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi.jpg" alt="" width="600" height="600" class="aligncenter size-full wp-image-14177" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi.jpg 600w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi-300x300.jpg 300w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tochisagashi-120x120.jpg 120w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /><br />
<strong>マイホームを建ててみようか、と思い立ったけれども、何から手を付けていいか分からない</strong>、という方も多いかと思います。</p>
<p>今回は、そんな時の最初のステップについて説明したいと思います。<br />
<small>（新築、建売、マンション、中古住宅などの選択肢がありますが、新築を想定して説明いたします。）</small></p>
<h3 id="mida">まずは、総予算の当たりをつける</h3>
<p>知り合いに家を建てた方がいて、だいたいどの程度のお金がかかったか、というような話を聞いたことがあるかもしれません。</p>
<p>それを、自分に当てはめておおまかな予算をイメージしてもよいですが、ほとんどの人は住宅ローンを組むことになるかと思います。</p>
<p>ですので、<strong>まずは、金融機関で住宅ローンの相談をしてみることをおすすめします</strong>。</p>
<p><strong>何も決まっていないのに、ローンの相談をしていいの？</strong>と思われるかもしれませんが、逆に、おおまかな資金計画がないことには、何も決められません。<br />
金融機関に相談したからといって、そこで借りなくてはいけないということはありませんので、<strong>遠慮せずに相談してみましょう</strong>。<br />
<small>（鹿児島だと、鹿児島銀行や宮崎銀行で借りる方が多いです。最終的には比較の上、ネットバンクで借りる方もいらっしゃいますが、最初は、対面で相談してみるのが良いかと思います。）</small></p>
<p>予約はしておいた方が良いかと思いますので、金融機関に電話やウェブサイトから予約して相談してみましょう。</p>
<p><strong>最低限の相談内容</strong>は<br />
・<strong>住宅ローンを借りることができるかどうか。</strong><br />
・<strong>どの程度の金額を借りられるか。</strong><br />
の2点を確認し、相談しながら疑問に思ったことを聞いてみると良いかと思います。</p>
<p>また、<strong>相談の際に必要なもの</strong>は、<br />
・<strong>年収が確認できるもの</strong>（源泉徴収票や確定申告書など）<br />
・<strong>他に借り入れがある場合は残高や返済予定が分かるもの</strong><br />
・<strong>預金額</strong>（通帳はなくても、どの程度預金があるかを把握しておく）<br />
などの内容が分かったほうが良いかと思います。具体的には金融機関に確認していただければと思います。</p>
<p>金融機関によっては、簡単な住宅ローンのシミュレーションをしてくれる場合もあり、具体的な数字を見てぐっと現実感が湧くかもしれません。<br />
また、金融機関によって基準が異なっていたりするので、複数の金融機関に相談してみるのもアリです。</p>
<h3 id="mida">土地探しの方針を決める</h3>
<p>自分の収入などから、おおまかな予算が把握できれば、土地探しです。</p>
<p>土地の探す際には、<strong>立地、広さ、価格、形状、その他周囲の環境や法的な制限</strong>などの要素を考慮する必要があります。<br />
周囲の環境や法的な制限は土地ごとに異なりますので、個別に確認するとして、<strong>方針を決める際には立地、広さ、価格のイメージを持っておいたほうが良い</strong>でしょう。</p>
<p>鹿児島は平坦部が少ないため、<strong>利便性の高い平坦地の単価が特に高く、そこから離れるにつれて単価は大きく変動します</strong>。</p>
<p>例えば、<a href="https://www.chikamap.jp/chikamap/Portal" rel="noopener" target="_blank">全国地価マップ</a>でいくつかの標準宅地の参考価格（公示価格）を比較してみましょう。<small>（実際の取引価格はこれらの価格の1.1～1.2倍程度になることが多いです。ネットで近い条件の売地を検索して、相場感を掴んでみると良いでしょう。）</small></p>
<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt1.png" alt="" width="829" height="531" class="aligncenter size-full wp-image-14178" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt1.png 829w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt1-600x384.png 600w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt1-768x492.png 768w" sizes="(max-width: 829px) 100vw, 829px" /><br />
<small>▲繁華街も近い平坦地の荒田1丁目（ 147,000円／㎡　→　約486,000円／坪　）</small></p>
<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt2.png" alt="" width="829" height="525" class="aligncenter size-full wp-image-14181" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt2.png 829w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt2-600x380.png 600w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt2-768x486.png 768w" sizes="(max-width: 829px) 100vw, 829px" /><br />
<small>▲少し丘を登った人気の住宅地の紫原5丁目（ 73,500円／㎡　→　約243,000円／坪　）</small></p>
<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt3.png" alt="" width="829" height="529" class="aligncenter size-full wp-image-14180" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt3.png 829w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt3-600x383.png 600w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt3-768x490.png 768w" sizes="(max-width: 829px) 100vw, 829px" /><br />
<small>▲住宅地として需要の増えてきた吉野町（ 31,000円／㎡　→　約102,000円／坪　）</small></p>
<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt4.png" alt="" width="824" height="522" class="aligncenter size-full wp-image-14179" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt4.png 824w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt4-600x380.png 600w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt4-768x487.png 768w" sizes="(max-width: 824px) 100vw, 824px" /><br />
<small>▲市街地からは距離のある松元の上谷口町（ 13,300円／㎡　→　約44,000円／坪　）</small></p>
<p>例えば、荒田は坪100万以上することがあったりと、同じ地域でも状況によって価格は異なりますが、今回のケースでは、荒田と上谷口町では、11倍の差があります。</p>
<p>利便性の高く坪単価の高い土地は、同じ予算で考えると、当然小さな土地しか買えない、ということになりますし、人気のある土地は土地の売買が少なかったり、競争が激しくなかなか良い物件に巡り会えない、ということもあります。</p>
<p>また、<strong>土地の広さや形状によって、家の広さ、庭などのスペース、駐車台数などの可能な範囲が物理的に決まってしまいます</strong>。</p>
<p>それらを考えた上で、立地、広さ、価格のバランスを考えて方針を決める、言い換えると<strong>土地の予算を立地に振るのか、広さに振るのかのイメージを持つことが大切</strong>になります。</p>
<h3 id="mida">土地と建物の予算配分を考える</h3>
<p>では、<strong>土地にかけられる予算をどうやって決めればよいでしょうか</strong>。<br />
そのためには、<strong>予算を土地・建物・諸費用にどのように割り振るか</strong>を決める必要があります。<br />
これも、具体的なバランスは個別に条件によって変わってくるので、<strong>まずはおおまかなイメージを持つことが大切</strong>です。<br />
<small>（ここで、建物の費用は、建物本体・外構などの工事費、設計監理料、各種申請費と消費税の合計になります。）</small></p>
<p>例えば、住宅ローンの相談の結果、自己資金と借り入れで3500万円を住宅にかけられそうだ、としましょう。<br />
そのうち、仲介手数料や登記費用、各種手数料や保険料などの諸費用に200万円必要だとすると、残り3300万円です。</p>
<p>ここで、立地も広さも必要だと考え、2500万円の土地を買ってしまえば、残り800万円、理想的な建物をつくるのは絶望的です。</p>
<p>立地を優先して、1500万円の小さな土地を買えば、残り1800万円。小さな土地に、駐車場を1台だけ確保して、20坪の小さな家を工夫しよう、というのは可能かもしれません。</p>
<p>また、生活スタイルを変えようと、田舎の300万円の広大な土地を買ったとすれば、駐車場や庭を確保したうえで、建物だけではなく外構にもこだわった30坪の建物が建てられるかもしれません。</p>
<p>こんなふうに、<strong>予算をどう配分するか、というところから、どんなライフスアイルでどんな家に住むのか、という家づくりのかなり重要な選択がスタートしています</strong>。</p>
<p>とは、いってもはじめての家づくり。<br />
判断が難しい、という方は、まずはご相談いただければ、予算配分や、気になる土地がどんな使い方が可能か、といったアドバイスができるかと思います。</p>
<blockquote><p><strong>→ご相談は<a href="https://onoken-architects.com/contact"title="お問い合わせ">こちら</a>から気軽にどうぞ。</strong></p></blockquote>
<h3 id="mida">おさらい</h3>
<p>具体的な土地の探し方や、資金計画についてはあまり触れられませんでしたので、改めて別の記事で解説しようかと思います。</p>
<p>今回のポイントをまとめると、<br />
・<strong>まずは、金融機関などに相談して、おおまかな予算をつかむ。</strong><br />
・<strong>その予算を土地と建物にどう割り振るか？土地は立地と広さのどちらを優先するか？のイメージを持つ。</strong><br />
の２つになります。<br />
このように、まずはおおまかなイメージを持つことが家づくりの最初のコツと言えるでしょう。</p>
<p>最後に、このポイントの事例をインセクトのメンバーに登場してもらい、まとめてみたいと思います。<br />
<small>（ただし、現在工事費が高騰していますので、建築費はもう少し余裕を見ておいたほうが良いかもしれません。あくまで比較用のイメージとして捉えていただき、具体的な金額は個別に相談していただければと思います。）</small></p>
<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt5.png" alt="" width="693" height="500" class="aligncenter size-full wp-image-14186" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt5.png 693w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt5-600x433.png 600w" sizes="(max-width: 693px) 100vw, 693px" /><br />
<img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt6.png" alt="" width="688" height="648" class="aligncenter size-full wp-image-14185" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt6.png 688w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt6-600x565.png 600w" sizes="(max-width: 688px) 100vw, 688px" /><br />
<img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt7.png" alt="" width="691" height="670" class="aligncenter size-full wp-image-14184" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt7.png 691w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt7-600x582.png 600w" sizes="(max-width: 691px) 100vw, 691px" /><br />
<img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt8.png" alt="" width="693" height="688" class="aligncenter size-full wp-image-14183" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt8.png 693w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt8-600x596.png 600w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt8-120x120.png 120w" sizes="(max-width: 693px) 100vw, 693px" /><br />
<img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt9.png" alt="" width="690" height="1180" class="aligncenter size-full wp-image-14182" srcset="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt9.png 690w, https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/tt9-600x1026.png 600w" sizes="(max-width: 690px) 100vw, 690px" /></p>
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		<title>葛藤のダイナミクスとモデル　B318『響きあういのちの躍動: 子どもに学んだ和光の保育　葛藤編』（鈴木 秀弘,森 眞理）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Jul 2024 02:46:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[読書記録]]></category>
		<category><![CDATA[保育園・幼稚園・認定こども園・設計]]></category>
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					<description><![CDATA[鈴木 秀弘 (著), 森 眞理 (著)ひとなる書房 (2015/7/11) 先日読んだ『育ちあいの場づくり論: 子どもに学んだ和光の保育　希望編』の姉妹編で、こちらは”葛藤編”です。 もう、お気づきかと思いますが、著者が葛藤を抱えながら、目...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4894642220/asnote-22" title="amazonでチェック"><img src="https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/P/4894642220.09.MZZZZZZZ.jpg" align="right"/></a>鈴木 秀弘 (著), 森 眞理 (著)<br />ひとなる書房 (2015/7/11)<br clear="all" /><!--momo--><br />
先日読んだ<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-14155" rel="noopener" target="_blank">『育ちあいの場づくり論: 子どもに学んだ和光の保育　希望編』</a>の姉妹編で、こちらは”葛藤編”です。</p>
<blockquote><p>もう、お気づきかと思いますが、著者が葛藤を抱えながら、目の前の保育環境と向き合ってきたプロセスは、そのまま、今の子どもたちに経験させようとしていること、そのものです。<small>(<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-14155">やっぱり園舎の設計がしたい　その１　B316『育ちあいの場づくり論: 子どもに学んだ和光の保育　希望編』（鈴木 まひろ, 久保 健太） &#8211; オノケン│太田則宏建築事務所</a></small>)</p></blockquote>
<p>この時に『その葛藤の中にこそ、本当の価値があった』と書いたのですが、その意味で、”葛藤編”と称されるこの本もまた、楽しみでした。</p>
<p>この”葛藤編”では、子どもの葛藤だけでなく、保育者の葛藤、あるいは保護者の葛藤が、実際の事例をもとに綴られています。</p>
<p><strong>あらかじめ正解があるものに従うのではなく、自ら環境と関わっていくというプロセスを通じて前進していく。そこには必ず葛藤があります</strong>。<br />
それは、子どもだけのものではなく、保育者や保護者も同じようなプロセスに身を投げることで、<strong>共に育っていく</strong>。ここにはそのようなダイナミクスがあります。</p>
<p>この本のタイトル『響きあういのちの躍動』に込めた思いも、ここにあるのではないでしょうか。<br />
<strong>葛藤を抱えながらも環境と関わるプロセス。これこそが”いのち”、生きていることだとも言えますし、人間であることの秘密もそこにあるように思います。幾人もの葛藤のプロセスが、重なり合い、響き合いながらダイナミックに動き続ける。そのような躍動感がこの本から感じ取れました</strong>。</p>
<p>また、保育者の役割の一つに、子どもたちの憧れのモデルになる、ということがあります。</p>
<blockquote><p>そこで二つ目の役割は、保育者があこがれのモデルになるということです。私たち保育者は、大事にしたい生活文化を、自ら生活モデルとなって「生きてみせる、生活してみせる」役割を担います。(『育ちあいの場づくり論: 子どもに学んだ和光の保育　希望編』 p.139)</p></blockquote>
<p>これは、かたちとしての生活文化をみせることだけではないでしょう。それよりも、<strong>「生きてみせる」こと、つまり、自ら、生活文化と向き合いながら動的なプロセスの中にいることをみせることに意味がある</strong>ように思います。</p>
<p>実際の生活の中で、大人が子どもに葛藤している姿を見せる機会は案外少ないのかもしれません。<br />
現代社会は、むしろ、そのような小さな葛藤を生活の中から取り除き、平坦化していくことで発展してきました。人間は安定を求める生き物でもあるからです。<br />
一方、安定だけでは生きていけないのもまた人間です。（<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-14024">『暇と退屈の倫理学』</a>参照）<br />
<strong>さまざまなものが平坦化してきた現代社会においてこそ、環境と関わるダイナミクスの中に身を投じて、それを楽しみに変え、あるいはそこからリズムを見出すようなスキルこそ必要</strong>かと思いますし、その姿を子どもに見せることはとても大切なことだと思います。</p>
<p>そういう意味では、葛藤しながらも前進しようとする保育者の姿そのものが、子どもたちのモデルになっているのだと、この本を読んで感じました。</p>
<p>私もそうでしたが、多くの人はこの本で描かれているような、たくさんの登場人物の葛藤が絡み合うような場面に羨ましさのようなものを感じるのではないでしょうか。そうであるなら、そのことが葛藤が単にネガティブなものではなく、意味や悦びと結びついたものであることを示しているのかもしれません。</p>
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		<title>放って置いてくれ　B317『私の脳はなぜ虫が好きか?』（養老 孟司）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 09 Jul 2024 02:10:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[読書記録]]></category>
		<category><![CDATA[インセクト]]></category>
		<category><![CDATA[昆虫]]></category>
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					<description><![CDATA[養老 孟司 (著)日経BP出版センター (2005/6/30) 読書記録を書く時は、たいていその時に読んでいた本の文体に引きづられる。 意識すれば文体を揃えるということも出来るかもしれないが、もともと、自分の文体というものを持ち合わせていな...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4822244563/asnote-22" title="amazonでチェック"><img src="https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/P/4822244563.09.MZZZZZZZ.jpg" align="right"/></a>養老 孟司 (著)<br />日経BP出版センター (2005/6/30)<br clear="all" /><!--momo--><br />
読書記録を書く時は、たいていその時に読んでいた本の文体に引きづられる。</p>
<p>意識すれば文体を揃えるということも出来るかもしれないが、もともと、自分の文体というものを持ち合わせていない。<br />
読書記録はその時に感じたことを、できるだけそのまますくい上げて残しておくものだから、余計な意識は使いたくない。<br />
だから、文体に引きづられることを良しとしている。</p>
<p>今回は、特に引きずられそうだったのでこんなことを書いたけれども、そのせいで、その文体から外れることもまた難しくなってしまった。<br />
とりあえず、このまま進めてみよう。</p>
<p>さて、本のタイトル「私の脳はなぜ虫が好きか?」は、かねがね知りたいと思っていたことなので、図書館で背表紙が目に入ってつい借りてしまった。<br />
といっても、自分の脳の話ではない。私は子どものころは虫好きを自認していたし、最近はインセクトというブランドもつくった。しかし、著者のような虫好きには到底及ばないことは自覚している。<br />
そうではなく、世の中で、変わった人、もしくはマトモな人に虫好きが多いのはなぜなのか？その理由を知りたいと思っていたのである。これだけ共通していると何かあるはずだが、それが何か分からない、と思っていたところでこのタイトルを見つけたのだ。</p>
<h3 id="mida">自然の実在と私</h3>
<p>さて、本書はそれなりに古い本で、1999年から2002年までの間に『日経エコロジー』で連載されたものがベースになっている。虫を通じて、環境について書け、と言われて書かれたものであると思われる。<br />
ところが、環境についての具体的に考察は、連載の初期と終盤におまけのように書かれているだけで、その間のほとんどは、単純に虫採りのことばかりが書かれている。とりあえず、お題には答えましたよ、というポーズを取って、後は好きなことを書いている。<br />
そこが著者らしくて良い。いや、むしろ、間のこの部分に著者のメッセージが隠れている、と考えるべきであろう。</p>
<p>それならば、とその間の部分のみからメッセージを読み取って、読書記録を書いてやろうじゃないか、と思ってもうまくいかない。<br />
私は、小学校中学年頃までは、自分の虫好きには自信を持っていたし、大抵の虫の名前は言えると思っていた。しかし、その知識はせいぜい子ども用の図鑑のレベルで、多くの虫好き変人の先人がそうであるように、採集した昆虫を標本にして収集する、という遊びにはついに向かわなかった。少しはチャレンジした記憶があるが、虫を故意に殺生することに抵抗があったし、標本特有の匂いも苦手だった。そして、そういう遊びをするには性格が雑すぎた。</p>
<p>著者は、「虫という視点」とは自然の実在のことであるという。著者のような虫好きにとっては、虫を通じて自然が顕現している。その人にとって何かが実在しているということは、それがその人の行動に影響している、ということであるらしい。そうでない人にとっては、虫はまとめて「虫けら」であり、実在にしないに等しい。<br />
おそらく、今の私には、虫は実在していないのである。多少の実在を感じているとしても、著者の感じている自然の実在には遠く及ばない。だから、著者が、本当の虫好きにだけ届けばいいや、と込めたメッセージを私は受け取ることが出来ないのである。そんなものがあるとすれば、であるが。</p>
<h3 id="mida">別の軸を持つ</h3>
<p>受け取れないのでは仕方がないので、諦めておまけの部分からメッセージを読み取ってみる。</p>
<p>それは、つまり別の軸を持てということなのだろう。</p>
<blockquote><p>（政治的なx軸に対して）虫はこの軸では、どこに位置づけられるか。もちろんy軸である。y軸上の点はすべて、x軸から見れば零である。ゼロ点なのである。つまり政治に代表される世の人から見れば、虫はいない。たまに目に入ったら、目障りだと、踏み潰すだけである。<br />
同時にこのことが、虫という視点をとることの意義を説明している。虫という軸は、世間という軸と直行しているからである。世間に身を置いて、虫をいじっていれば、世間はxy軸で規定された二次元の平面に見える。他方、世間の中で暮らすということは、x軸上だけで暮らしているということである。(p.9)</p></blockquote>
<p>ここで、言っていることは、<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-14149">探索環境保障理論について考えている時に書いたこと</a>と全く同じである。<br />
政治、世間、経済、科学。なんだっていいが、要するに、油断すると一つの評価軸のみに呑み込まれてしまうため、それを相対化し、ある意味個性としてのポジショニングを可能とするような別の軸を持て、ということである。そう考えると、虫好きに変人、すなわち個性的なポジショニングを自然体でとれる人が多いのも頷ける。</p>
<h3 id="mida">放って置いてくれ</h3>
<p>といっても、おそらく著者はこんなことを書きたくはなかったであろう。<br />
なぜなら、こういう記述は、虫を政治的な軸で評価することになってしまうからである。せっかく、政治とは無関係なものに夢中になっているのに、放って置いて欲しかったのではないだろうか。</p>
<p>とすれば、本書、特に中間部に込められたメッセージは「放って置いてくれ」。これに違いない。</p>
<p>そして、本当の本音は、カラー口絵の最後に、デザイン性の皆無な気の抜けたタイポグラフィの違和感アリアリな写真とテキスト、「みなさんも、どうですか？」。これだと思う。実在はやってみないことには顕現しないのだから。<br />
<img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/240709104611496.jpg" alt="" width="600" height="491" class="size-full wp-image-14164" /> </p>
]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>やっぱり園舎の設計がしたい　その２　B316『育ちあいの場づくり論: 子どもに学んだ和光の保育　希望編』（鈴木 まひろ, 久保 健太）</title>
		<link>https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-14157</link>
					<comments>https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-14157#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 07 Jul 2024 06:05:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[読書記録]]></category>
		<category><![CDATA[保育園・幼稚園・認定こども園・設計]]></category>
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					<description><![CDATA[前回からの続きです。 つくりすぎてはいけない～和光の園舎から学ぶこと 今回は、和光の園舎が具体的に工夫していることを中心に考えてみたいと思います。 まず、木造の園舎であること。内と外をつなぎ、そこ自体が活動の場ともなる広い縁側を持つこと。 ...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>前回からの続きです。</p>
<h3 id="mida">つくりすぎてはいけない～和光の園舎から学ぶこと</h3>
<p>今回は、和光の園舎が具体的に工夫していることを中心に考えてみたいと思います。</p>
<p>まず、<strong>木造の園舎であること。内と外をつなぎ、そこ自体が活動の場ともなる広い縁側を持つこと</strong>。<br />
その背景には、<strong>力ずくで自然を抑え込んだり、自然を切り離すような西欧的な思想ではなく、アニミズム的な自然に溶け込むような自然観</strong>があります。<br />
また、園を「素敵な施設」ではなく「大きな家」すなわち<strong>毎日の生活の場と捉えて、安心をベースに自由にそれぞれの探索に没頭できるように、不要なストレスを取り除き環境を整える、というような配慮</strong>があります。</p>
<p>象設計集団の町山氏（！）が評したように、<strong>園庭から室内の奥に行くに従って、床が高くなり、仕上げやしつらえによって、活動の度合いが抑えられていくような、スケールのメリハリ、空間の勾配があることも、この園の活動を支えている</strong>でしょう。</p>
<p>また、サービスとしての「素敵な施設」ではなく、探索のベースとしての「大きな家」であることの肝には、もう一つ、<strong>「つくりすぎない」</strong>ということがあるように思います。<br />
何事も先回りしてつくりこんだものは、<strong>自由な探索の余地を狭めてしまいます</strong>。<br />
改変を拒むような「きれいな」建物は、<strong>手をいれる可能性、手仕事の出番を奪ってしまいますし、使用することに余計な緊張・ストレスを与えてしまいます</strong>。</p>
<p>後でも少し触れますが、この園では、父親が主体となった関係者が、園の施設をDIY的に少しづつつくりあげていく、ということが起きています。<br />
素晴らしい園庭で有名な川和保育園でも同様に父親の参加がありましたが、両園とも、この活動が園の魅力に大きく寄与していることは明らかでしょう。</p>
<p>それは、つくりすぎずに余地が残っているからこそ、可能であったと思いますし、その余地と活動の応答自体が園の文化・自由さを表現しているように思います。</p>
<blockquote><p>「こういう遊具を作ったら何のためになるとか、こういう教育をしたら子どもの能力が伸びるだろうと、一所懸命考えてやろうとするけれど、よくよく考えてみたら、その人の頭の中で考えていることなんです。」「知能・知識というのは脳で処理をするから、そちらの方が教育の方でも主になったけれど、心で大事な要素は身体性なんです。」（脳科学者　小泉英明）(p.98)</p></blockquote>
<p>前回、自分の頭の中だけでつくってもたかが知れている、というようなことを書きました。<br />
自分の職責や存在意義に反するかもしれませんが、その思い上がりが子どもの可能性を制限するとすれば、そこに自覚的であるべきだし、<strong>信頼できる世界の奥行きに思いを馳せるほうが、ずっと重要</strong>なことのように思います。</p>
<p>そのことは以下の文によく表れています。</p>
<blockquote><p>人間の英知には驚かされることもたくさんありますが、その英知を持ってさえも小泉さんが言うように、人間がつくったものは単純で、自然の持つ複雑多岐な情報にはかなわないのです。木登り一つとっても、木の枝は、荷重がかかりすぎれば折れます。その危うさを足で確かめながら、少しずつ体重を預けたり、避けたりするのですが、人間の造った遊具はそもそも折れてはいけないのが発想の原点です。だから安心して登れるけれど、足がそこに払う緊張は、自然の木のようにないのです。木は登る/降りるだけでなく、匂い、しなり具合、感触、表皮が剥ければねばねばしたりつるつるしたりします。季節によって芽吹き、葉を落とし、虫もやってくる。こうした常に変化もする多様性を、身体で感じる、身体で学んでいるのです。(p.101)</p></blockquote>
<p><strong>今の子どもたちには、身体的に環境と関わることの体験の希薄さを、特に感じる</strong>のですが、この体験を補うことの優先順位はかなり高く設定しても良いように思っています。</p>
<h3 id="mida">遊園地から原っぱ、そして洞窟へ～アフォーダンスの溢れる場</h3>
<p>建築家の青木淳氏に<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-19" rel="noopener" target="_blank">『原っぱと遊園地』</a>という有名な著作があります。<br />
私は、それをもとにして<a href="https://onoken-architects.com/books/post-38" rel="noopener" target="_blank">『洞窟としての建築』</a><a href="https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-2416" rel="noopener" target="_blank">『地形のような建築』</a>というようなことを考えたことがあります。</p>
<p>本書に『和光の保育の改革（見直し）の視点と成果』という、よくまとまった表があるのですが、そこに『洞窟の思想』という言葉があることを、私は見逃しませんでした。<br />
<img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/240707132615599.jpg" alt="" width="600" height="321" class="size-full wp-image-14160" /> </p>
<p>「原っぱと遊園地」「洞窟のような建築」の概要はこんな感じです。<br />
青木氏は、<strong>至れり尽くせりにつくりこまれた「遊園地」</strong>に対して、余白があって、<strong>そこで行われることが自由につくりだせるような「原っぱ」</strong>を位置づけます。<br />
建築は、ある意味で人間を制限し自由を奪うことが宿命付けられていますが、それでもなお可能な自由は何か、を追い求めるような思索です。</p>
<p>私はその「原っぱ」に対して、<strong>取っ掛かりとなる「環境」が抜けて落ちているのではないか、と考え、「洞窟」というもの位置づけました</strong>。<br />
「洞窟」は何かの目的にむけて作り込まれている訳ではありませんが、さまざまなスケールや明るさなど空間の勾配、凹凸や水たまり、硬い柔らかいなどの変化としての「環境」があります。そういう、環境と応答しながら生活を組み上げていけるような面白さが洞窟にはあります。</p>
<blockquote><p>青木淳が言うように建築が自由であることは不可能なことかもしれない。しかし、この洞窟の例には洞窟という環境がもたらす拘束と、そこで行うことがあらかじめ定められていないという自由がある。</p>
<p>その両者の間にある『隙間』の加減が僕をわくわくさせるし、その隙間こそが生活であるともいえる。</p>
<p>洞窟のように環境と行動との間に対話の生まれるような空間を僕はつくりたいのである。<br />
そう、人が関わる以前の（もしくは以前に人が関わった痕跡のある）地形のような存在をつくりたい。<br />
建築というよりはをランドスケープをつくる感覚である。<br />
そのように、環境があり、そこに関わっていけることこそが自由ではないだろうか。<br />
何もなければいいというものでもないのである。<small>(<a href="https://onoken-architects.com/books/post-38">『原っぱ/洞窟/ランドスケープ　～建築的自由について』 &#8211; オノケン│太田則宏建築事務所</a></small>)</p></blockquote>
<p>これは、2005年、およそ20年前に書いたことで、この時点で<strong>「環境と行動との間に対話の生まれるような空間を僕はつくりたい」</strong>とはっきり書いています。（進歩があるのか、ないのか、分からなくなっちゃいますが・・・）</p>
<p>そこから、「地形としての建築」の特質として、<strong>自立的関係性</strong>と<strong>プロセス的重層性</strong>というようなものがあるのでは、と考えました。<br />
<strong>自立的関係性</strong>とは、建築自体が（私）もしくは（人間）といったものに完全に吸収されない（想像の域内に納まらない）存在として、自立した存在としての強度を持つべきではないか、ということ。<br />
<strong>プロセス的重層性</strong>とは、どこかの一瞬に完成形があるのではなく、重層的なプロセスが織り込まれたものであればあるほど、環境としての豊かさを持つのではないか、ということです。</p>
<p>前者は、探索のベースとなるような安心を与えるような場、人を包み込みつつも、サービスのように人にべったり従属するのではない場を、後者は、例えば親父の会による増築・増設の繰り返しによって生まれる豊かな場の雰囲気をイメージしていただければ良いかもしれません。</p>
<p>これらの発想のベースには、保育の環境構成理論のベースと同じアフォーダンス理論があります。（同じ理論をベースにしているので、昔から同じようなことを考えていた、というのはありますね。）</p>
<p>ちなみに、本書では私が気づいた限りではアフォーダンスという言葉が一度だけ登場します。</p>
<blockquote><p>保育園の環境も、遊び方/使い方の手引書までついているものがたくさんありませんか？指示や押しつけ、物が発する情報（アフォーダンス）が強すぎると、遊びや生活の仕方が固定化されてしまうのです。(p.188)</p></blockquote>
<p>ここで、アフォーダンスは若干否定的な使い方がされていますが、<strong>アフォーダンスに関する典型的な誤解が含まれている</strong>と思いますので指摘しておきたいと思います。</p>
<p>アフォーダンスは確かに「環境に中に埋め込まれている」ものであり、主観に基づくものではないとされています。<br />
このことが、<strong>一方的にモノが動物（人）に情報を提供している、と誤解されることにつながっている</strong>と思いますが、情報のやり取りは一方的なものではなく、<strong>双方向的であることに、アフォーダンスの真髄があります</strong>。アフォーダンスを発見する前には必ず、個性の発現とも言える能動的な探索過程があるのです。また、その情報は固定的なものではなく、<strong>可能性の束として無限に存在するもの</strong>なのです。</p>
<p>ユクスキュルは、環世界論で、その動物が持つ知覚や技術によって、世界は全く違うものとして現れてくることを示しました。<br />
例えば、蝶と人間が視覚的に捉えている世界は全く異なりますし、視覚によらない世界が主な動物もたくさんいます。<br />
1歳児が森の木を見て感じる可能性はゴツゴツとした質感を楽しむものかもしれませんが、5才児の場合はそこに登れる、という可能性を強く感じるかもしれませんし、ナイフの扱いに長けた5才児なら、何かをつくる可能性を感じるかもしれません。</p>
<p>このように、<strong>モノに応対する動物（人）の知覚や能力、スキルなどによって多様な現れ方をするのがアフォーダンスの特性であり、その多様さが大きければ大きいほど、豊かな環境である</strong>、と言えます。（先程の例を出せば、人工的な遊具は登ることをアフォードしますが、それ以外のことはあまりアフォードしません。また、自然の木を登るほどには、人と環境との豊かな応答も発生しません。）</p>
<p>このことは、逆に言うと、モノとの応答によって、<strong>モノとの関わり方を豊かにしていくという経験の乏しい人は、自分の環世界を拡げることが出来ず、とても限定的な貧しい世界しか見ることが出来ない</strong>ということです。ここに、私が「今の子どもたちには、身体的に環境と関わることの体験の希薄さを、特に感じる」ことの問題があります。</p>
<p><strong>アフォーダンスは、動物と環境、その間にある知覚や能力・スキルあるいはツールのダイナミックな関係性を豊かに描き出します。だからこそ、私が長年興味を持ち続けてこれましたし、保育の基本原理になっている</strong>と思います。</p>
<h3 id="mida">村となることの意味～まちの保育と親の参加</h3>
<p>また、和光の園は「わこう村」と呼ばれるような、豊かなつながりを生み出しています。<br />
それは、親とのつながりであり、まちとのつながりであり、さらに広い世界とのつながりをもとに形成されています。</p>
<p>どんなに、すばらしい理念を掲げているとしても、園の中で閉じているだけでは限界があります。<br />
「地形としての建築」で取り上げた、<strong>自立的関係性</strong>と<strong>プロセス的重層性</strong>。これは、アフォーダンス的な環境の豊かさ（もちろん、子どもの学びを支える環境としての豊かさ）を示しているともいえますが、和光の村的なつながりは、この２つをより豊かにするものと言えないでしょうか。</p>
<p>つまり、他の子の親や、まちのひとたちは、子どもや園にとっての他者、自立的関係性を満たす存在ですし、それらの他者がメンバーが入れ替わりながらも重層的に関わることが維持できれば、プロセス的重層性は、みるみる豊かになっていくでしょう。</p>
<p>親や地域の存在は、その都度の出会いや偶然に左右されるもので、コントロール出来るものではないかもしれません。ですが、というかだからこそ、こういう他者の存在は想像以上に大きいのではないか、という気がします。</p>
<h3 id="mida">リズムと学習～保育の哲学的思索</h3>
<p>（最終章の久保健太氏の論考も非常に示唆に富むものでしたが、若干本文とは毛色がことなりますし、別に購入した単著に同じものが掲載されていましたので、そちらの方で改めて論じてみたいと思います。）</p>
<h3 id="mida">やっぱり園舎の設計がしたい</h3>
<p>こうして、本書を読んで感じたことをまとめてみると、それは、これまで考えてきたこと、それこそ学生の頃に感じたことまで遡って、その共通点や可能性を再確認する、といったものになりました。</p>
<p>私が建築に関わり続けようと決心した最初の思いは、子どもたちが豊かに育てるような環境を少しでもマシなものにしたい、というその一点でした。<br />
住宅を含めあらゆる建築は、人が生きていくための環境を形作っています。その点では、今、その思いに関わり続けられていられていると言えます。<br />
それでも、やっぱり園舎の設計がしたい、そう思わされる読書でした。</p>
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		<title>やっぱり園舎の設計がしたい　その１　B316『育ちあいの場づくり論: 子どもに学んだ和光の保育　希望編』（鈴木 まひろ, 久保 健太）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 06 Jul 2024 08:36:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[読書記録]]></category>
		<category><![CDATA[保育園・幼稚園・認定こども園・設計]]></category>
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					<description><![CDATA[鈴木 まひろ (著), 久保 健太 (著)ひとなる書房 (2015/7/10) 『11の子どもの家: 象の保育園・幼稚園・こども園』で著者の鈴木まひろ氏が執筆されていて、和光保育園には興味をもっていました。その和光保育園の思想を紹介する本で...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4894642239/asnote-22" title="amazonでチェック"><img src="https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/P/4894642239.09.MZZZZZZZ.jpg" align="right"/></a>鈴木 まひろ (著), 久保 健太 (著)<br />ひとなる書房 (2015/7/10)<br clear="all" /><!--momo--><br />
<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-5522" rel="noopener" target="_blank">『11の子どもの家: 象の保育園・幼稚園・こども園』</a>で著者の鈴木まひろ氏が執筆されていて、和光保育園には興味をもっていました。その和光保育園の思想を紹介する本です。また、同書でも執筆されていた久保健太氏が本書の最終章を書いていることもあり、読むのをとても楽しみにしていました。（ちなみに、久保健太氏の単著も別に購入していて、こちらも楽しみ。）</p>
<p>結論から言うと、読んで良かったです。<br />
先代から引き継いだ園を、さまざまな葛藤を抱えながら、自分たちなりの園のあり方を見つけ出していくプロセスと、その経験にもとづく言葉から、これまで私が建築や子どもたちについて考えてきたこととの、さまざまなつながりや新たな発見が見つかりました。自分の考えを整理するにはうってつけの内容です。</p>
<p>読書記録の記事のタイトルには、そこで感じたことをできるだけ短い文で表現するようにしているのですが、今回はさまざまな言葉が溢れて一つに絞ることが出来ませんでした。そこで、一番頭に浮かんだのは、やっぱり園舎の設計がしたい、こんな素敵なプロセスの中に自分も身をおいてみたい、ということでした。具体的に内容を示す言葉ではないかもしれませんが、<strong>やっぱり園舎の設計がしたい、そういう感情を強くしてくれた、というのが本書の内容をよく表しているのでは</strong>、と思い採用することにした次第です。</p>
<p>今回の記事は、それなりに長くなりそうな気がします。<br />
以下の目次から関心のある部分だけでもお読みいただけると幸いです。<br />
（結局、今回と次回の2回に分けることにしました。）</p>
<h3 id="mida">探索環境保障は子どもたちだけのものではない～プロセスこそが大切</h3>
<p>先ほど少し書いたように、園長の鈴木まひろ氏は、園のあり方を変えなければいけない、とさまざまな葛藤を抱えながら試行錯誤を繰り返し、今の園のかたちに少しづつ近づいてきました。</p>
<p>あとがきに、</p>
<blockquote><p>私たちは〇〇理論や、△△保育など、先駆者が意味づけ、体系化したものに頼って初めた保育ではありません。ありのままの子どもたちと対話をくり返しながら、少しづつ前に進めてきた保育です。(p.220)</p></blockquote>
<p>とあるように、この本に書かれている保育は、<strong>先に答えがありそれに従って来たものではなく、目の前の保育環境と向き合い、考え、試すことを通じて自ら導き出してきたもの</strong>です。<br />
その過程は、「遊びが大事と思っていても、本当に遊んでばかりでいいのか、放任とどこが違うのか」と、さまざまな不安と葛藤を抱えるものであったといいます。</p>
<p>しかし、<strong>その葛藤の中にこそ、本当の価値があった</strong>と、本書を読めば皆が気づくでしょう。</p>
<p>（現実としてどこまで浸透しているかは分かりませんが）現在主流になりつつある<strong>子どもを主役とした保育</strong>とは、<strong>子ども自らが環境を探索し、向き合い、考え、試すことを通じて自ら発達していく</strong>のであり、保育者はプロとして、その環境と発達を支えていく、というものであり、先に答えがあり、そこ目指して保育者が子どもを導いていく学校教育的手法とは全く異なるものです。私はこれを<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-14149" rel="noopener" target="_blank">前回</a>、「<strong>探索環境保障理論</strong>」と呼んでみてはと書いたところです。</p>
<p>もう、お気づきかと思いますが、著者が葛藤を抱えながら、目の前の保育環境と向き合ってきたプロセスは、そのまま、今の子どもたちに経験させようとしていること、そのものです。</p>
<p>つまり、環境を自ら探索し、自ら前に進んでいく、というのは、子どもたちだけのものではなく、保育者（もしくは設計者）にも等しく重要であり、その経験なくしては、子どもたちにそれを伝えることも難しいのではないか、という気がします。</p>
<h3 id="mida">園舎を設計するプロセスそのものが、宝物に溢れた環境なのではないか</h3>
<p>ここで、園舎を設計するプロセスを想像してみましょう。</p>
<p>これまでの学びを通じて、私の中にもさまざまな、こういう建物にしてはどうだろうか、というイメージが溢れています。<br />
ですが、<strong>それをそのまま形にすることにどれだけの価値があるでしょうか</strong>。<br />
もちろん、建築設計のプロとして、建築が子どもの育ちを支える力を持つことを信じていますし、今、自分の中にあるものをそのまま形にしてみたいという欲求も、それが子どもたちの力になるはず、という自信もあります（そうでなくては設計はできないですので）。</p>
<p>ですが、それだけでは、個人のイメージを超えることは出来ませんし、何より、関係者が自ら学ぶ貴重な機会を最大限活かすことが出来ないのではないか。今は、そんな風に感じています。</p>
<p>設計という作業は、限られた条件の中で、ものごとに優先順位をつけるような決断をくり返しながら、最善と思われるバランスを探っていく作業です。<br />
（ある程度の打ち合わせがあるとしても）その作業が設計者の中に閉じてしまってはもったいないと思うのです。</p>
<p><strong>設計に関わる、無限とも思われるような判断事項のそれぞれに、「保育とは何か」「園舎とは何か」という根本的な考えが現れてきます</strong>。<br />
ですが、それらの一つ一つには決して<strong>「あらかじめ決まった正解」</strong>があるわけではありません。<br />
必ず、こちらを立てればあちらが立たず、といった矛盾があり、優先順位を付ける必要が出てきますが、<strong>その葛藤の中にこそ、前に進む鍵、宝物が隠れており、その葛藤を共有するプロセスにこそ価値があるのでは</strong>と思うのです。<br />
（ちなみに、こういう葛藤を経て、あちらも立てつつ、こちらも立つ、というようなアイデアを見つけ出せたときが、設計の中で最もゾクッとする瞬間の一つだったりします。）</p>
<p>もし、<strong>子どもたちにとって何が大切かを考え、葛藤しながら少しづつ前に進むようなチームとプロセスが実現できたとすれば、それに敵う価値はなかなかない</strong>のでは、という気がします。<br />
（そのために没頭し継続する時間の余裕が必要、というのも保育と同じですね。）</p>
<h3 id="mida">「素敵な施設」ではなく「大きな家」であるべき理由～園の歴史から</h3>
<p><a href="https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-14151" rel="noopener" target="_blank">一つ前のコラム</a>で、「素敵な施設」ではなく「おおきな家」であるべきでは？というようなことを書きました。<br />
それについて、もう少し書いてみます。</p>
<p>歴史的に見ると、日本の幼稚園は、<strong>日常から切り離された「知」を学ぶ教育機関</strong>として発生しました。<br />
日常の生活の中にある学びとは別に、合理的・計画的な経済を支えるような知識、つまり、<strong>あらかじめ答えのあるものを学ぶ学校の派生物</strong>として生まれ、保育園もまたそこから派生したのです。</p>
<p><strong>昔は、日常の生活の場で、さまざまな大人と触れ合う機会があり、子どもたちも何らかの役割を与えられていましたし、なにより、生活の中にさまざまな手仕事が息づいていて、それらからさまざまなことを自然と学ぶ場がありました</strong>。その日常では学べないことを学ぶ場としての幼稚園等があり、棲み分けられていたのです。</p>
<p>しかし、現代は、核家族化が一般化し、さまざまな大人と触れ合う機会も減っています。そして、子どもたちの役割や、さまざまな手仕事はことごとく、サービスに置き換えられ受動的に受け取るものに置き換わっています。日常の中で、子どもたちが自然と学ぶ環境が失われたにもかかわらず、それとは切り離された学校的な知の教育機関としての保育施設が変化できないところに、さまざまな矛盾が生まれたのです。</p>
<p>著者は、保育に関わっていくうちに、それらの矛盾に気づき、なんとかしなければ、とさまざまな試行錯誤を繰り返してきました。</p>
<blockquote><p>見学の方たちが、私たちの園の景色に「なつかしさ」を覚えたのは、子どもの遊ぶ姿だけでなく、大人と共に生活しながら、共に生活を創り出している身体性やリアリティが実感として感じ取れたということなのかもしれません。それは、逆の見方をすれば、現代は、身体性やリアリティから遠ざかってしまっている時代/社会なのです。(p.29)</p></blockquote>
<p>和光保育園を見学に訪れた人の多くが「なつかしい」「自分の子どもの頃を思い出す」というそうです。<br />
その、懐かしさの正体は、和光保育園が取り戻そうとしてきた、昔の日常の中にあった自ら学ぶ機会・環境そのものなのだと思います。</p>
<h3 id="mida">手仕事とリアリティ～二拠点生活を通じて見えてきたこと</h3>
<p>他の本も含めて、著者は何度も<strong>手仕事の大切さ、そこに含まれるリアリティの大切さ</strong>を強調します。</p>
<p>このことは、私が二拠点生活を初めて感じてきたことと、驚くほど重なります。</p>
<p>私は、このまま都市部で設計を続けていても、重要な何かを手元に引き寄せることが出来ないのではないか、と半ば思いつき、半ばやむにやまれず、田舎に事務所を移して二拠点生活を初めたのですが、これは、まさに自らの探索環境を保障するための行動だったと思います。</p>
<p>その結果、分かったことは、<strong>ツールとスキル、すなわち手仕事を手放し、サービスに多くを委ねてしまった結果、あまりに多くのものを失ってきたのではないか</strong>、ということです。さらに、身体的なリアリティを見失ったことが、環境問題を含めた地球規模のさまざまな矛盾へとつながっている、ということが分かってきました。<br />
（このことを、真面目に掛けば、本一冊くらいにはなりそうですので、興味のある方は、最近の読書録や、<a href="https://insect.style/story" rel="noopener" target="_blank">インセクトのストーリー</a>をお読みください。）</p>
<p>今年から田んぼを始めて、先日田植えを終えたのですが、収穫後はできれば、昔の手仕事を倣って足漕ぎの脱穀機や唐箕などの手仕事・手道具を使ってみたいと思っています。<br />
つい先日、近所の方の納屋に唐箕があるのを見つけて、いただけないですか？と聞いたところ、「持っていってもいいけど、大変よ。知り合いが、（乾燥機などの）機械を持ってるからから使わせてもらえばいいじゃない？」との返事。<br />
確かに、大型機械を使えば楽なのですが、そもそも田植え自体が楽をするために始めたのではなく、<strong>自分自身が、身体性やリアリティを見失いつつあるからこそ、まずは自分がその手応えを掴みたい</strong>、と思って始めたことなのです。</p>
<p>身体性やリアリティこそ、プロセスを通じて自らやることなしに得ることの出来ないものです。<br />
そういう意味では、自分も今手探りしている最中です。</p>
<h3 id="mida">「満点主義」を卒業する～子ども観と教育観の転換</h3>
<p>子どもを主役とする保育の原点には、子ども観と教育観の転換があります。</p>
<p>以前は、子どもは未熟で、劣った存在であり、保育者はそれを正してあげる存在だ、という考えが主流でした。<br />
その背景には、『<strong>大量生産・大量消費の価格競争経済で、能率化・効率化・合理化という企業の価値観』に紐づいた教育観、『まだ出来ていないぞ、まだ足りないぞと、子どもに不信感を持った満点主義の教育観(p.84)』</strong>がありました。</p>
<p>その満点主義の教育観を卒業し、新たな子ども観と教育観を獲得する必要があります。つまり、<strong>子どもは自ら学ぶ能力を持っている可能性に溢れた存在であり、保育者はその自ら学ぶ力を支える役割を持つ、という教育観へと変わることが、子どもを主役とする保育の一番の要</strong>なのです。</p>
<p>これに関して、本書で引用している久保健太氏の提案を、少し長いですか抜き出しておきます。</p>
<blockquote><p>これまでの『教育とは、誰かが世界につけた意味を、（”試行錯誤”の過程を省いて整理された知識として教えて)内面化する（させる）営みである』という第一の教育観に、『教育とは、奥行き（多様な意味）のある世界と子どもとの出会いを演出する営みであって、そうして、子どもが世界から（自身の身を持って試行錯誤しながら）自分なりの意味を引き出し、意味を与えていくことを介添えする営みである』という第二の教育観を加えてほしい。大人が意味づけた価値を、短絡的に内面化させようとすると、どうしても世界が『奥行き』のない『平板な』ものになってしまう。子どもたちが、世界の『奥行き』をゆっくりと探索する時間を保障するということを、教育のもう一つの軸に置けないものか。これは教育観を変えようという提案でもある。(p.89)</p></blockquote>
<p>これから分かることは、<strong>教育者（保育者）は子どもの自ら学ぶ力を信じる必要がある、というのはもちろんのこと、それと合わせて、世界の『奥行き』をも深く信じる存在でなければならない</strong>、ということだと思います。つまり、教育者もそれぞれのセンス・オブ・ワンダーを持っていることが望まれます。</p>
<p>しかし、<strong>大人といえども、その経験はまちまちで、（むしろ、大人ゆえに）世界の奥行きを信じられているとは限りません。そのような大人が自ら世界を信じることができるようになることが、まずは重要であり、その自覚こそが必要</strong>だと思います。<br />
また、このことが、「<strong>子どもとともに大人（保育者や親）も育っていくことが大切</strong>」ということにつながっているように思います。<br />
それは、大変なことに違いありませんが、同時にとてもやりがいのあることだと思います。</p>
<h3 id="mida">「遊び」を再考する～保育者と設計者の専門性とは</h3>
<p>「遊び」とは何でしょうか。<br />
私もここ数年、「遊ぶこと」をテーマに掲げてきました。（<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/memo/post-11640" rel="noopener" target="_blank">2023年指針</a>と<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/memo/post-11640" rel="noopener" target="_blank">2024年指針</a>参照）<br />
また、インセクトの方のストーリーでは、オノンに次のように語らせました。</p>
<blockquote><p>こまかく分割されてよく分からなくなってしまった世界のパーツを、ひとつひとつ知ろうとして、自分の分かるものに変える試み、これを僕は“遊び”と呼ぶことにしてるんだ。<img src="https://insect.style/wp-content/uploads/2024/02/fig6_2.png"><small>(<a href="https://insect.style/stories/stories_6">インセクト | 第６話「遊ぶようにつくる？」</a></small>)</p></blockquote>
<p>遊びは世界を知ること、世界とのつながり方を学ぶことであり、同時に悦びが内包されているものだと思います。</p>
<p>ここでも、本書で引用されている文を抜き出してみましょう。</p>
<blockquote><p>しかし、遊びの中で養われている諸能力には、他のいかなる方法による教育活動におけるよりも、大きなものがある。また、その中で人間の生涯を通してつづく、人生の基本的経験が養われている。<br />
しかし、それらの機能よりも、幼児が楽しく学ぶこと自体が価値であり、そのような幼児を常に傍らに持っていることは、大人にとっても喜びである。むかしから、子どもは遊ぶことによって、人間となってきた。現代においても、遊ぶ姿を実現することは、保育の中心課題である。(p.45)『保育の体験と思索（津守眞）』より</p></blockquote>
<p>では、そこでの保育者の役割は何でしょうか。</p>
<p>本書で汐見稔幸氏の仮説として、５つの「遊びで育つもの」が紹介されていますが、その中でこんなことが書かれています。</p>
<blockquote><p>私たちが議論してつくらなければならないのは、心理学とは違う切り口の保育学的「遊び論」。しかし、遊びというのは本来、楽しいから、面白いからやるものであって、〇〇を育てるためにこの遊びをしようとなったら本末転倒になる。遊んだ結果、こういうものが育っていると見抜くのが保育者の専門性である。(汐見稔幸 p.92)</p></blockquote>
<p>もちろん、子どもたちの遊びと学びを支えることが保育者の役割の一つですが、<strong>その専門性は、その結果を見抜く力にある</strong>と言います。</p>
<p>こういうことを考えると、<strong>保育と設計とは多くの共通点がある</strong>ように思いました。</p>
<p>（事務所のスタイルにもよるかもしれませんが）設計という作業は、一回きりの条件の中で、その都度最善のものを探りながら、一つ一つ決定していくことです。<strong>そこには、一つの正解というものはありません。正解はありませんが、何かしら形となって結果が生まれます</strong>。<br />
<strong>この一回性の中にあっても、最善をつくし、毎回の結果はできる限りいいものにしたい、良いものが出来る確率と密度を高めたいと、誰もが思います</strong>。（再現性を高めたい、と言ったりしますが、実際は条件が毎回異なるため、同じものが再現されることはないですね。）<br />
そのため、自分の設計を振り返ったり、誰かの作品をみたり、建築や、全く異分野のことを学んだりして、良い結果につながる確率や密度を高めようとするのですが、その中で<strong>一番重要な能力は、出来た結果を見抜き、言葉などに置き換えて自分の中に蓄積する能力</strong>です。</p>
<p>これは、<strong>結果を一つの環境として向き合い、探索し、考え学ぶという、子どもの育ちのプロセスに似たもの</strong>です。保育者に求められる専門性も同じところにあるのかもしれません。</p>
<p><strong>遊びは、子どもにとっても、保育者にとっても、設計者にとっても、また一人の生活者にとっても大切なもの</strong>だと思います。</p>
<p class="line">
<p>（書いていたらやっぱり長くなりましたので、続きは”その２”として次回まとめたいと思います。）</p>
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			</item>
		<item>
		<title>園に求めるべき空間の質は何か：「素敵な施設」と「おおきな家」</title>
		<link>https://onoken-architects.com/blog_top/column/post-14151</link>
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		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 03 Jul 2024 15:03:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[保育園・幼稚園・認定こども園・設計]]></category>
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					<description><![CDATA[保育施設について考えていく上で、数多くの事例を見ましたが、個人的に魅力を感じるものと、そうでないものとはくっきりと分かれました。 その理由は何でしょうか。 以前、 良いと思ったものは、プランや断面、構成要素の分節が上手く、大断面集成材による...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>保育施設について考えていく上で、数多くの事例を見ましたが、<strong>個人的に魅力を感じるものと、そうでないものとはくっきりと分かれました</strong>。</p>
<p>その理由は何でしょうか。<br />
以前、</p>
<blockquote><p>良いと思ったものは、プランや断面、構成要素の分節が上手く、大断面集成材による大空間のスケールから、グループにマッチする少し大きなスケール、日常的・家庭的なスケール、子どもが籠れるような小さなスケール、と多様なスケールを感じられるものが多かったです。<small>(<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-5670">大空間のスケール／子どものスケール　B206『KES構法で建てる木造園舎 (建築設計資料別冊 1)』（建築資料研究社） &#8211; オノケン│太田則宏建築事務所</a></small>)</p></blockquote>
<p>というようなことを書きましたが、何か大事なことがありそうですので、もう少し考えてみたいと思います。</p>
<h3 id="mida">「素敵な施設」と「おおきな家」</h3>
<p>例えば、<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-5522" rel="noopener" target="_blank">象設計集団のつくる建物</a>は昔から好きなのですが、これらが持っている質を備えた保育施設を、象がいうところの<strong>「おおきな家」</strong>としてみます。</p>
<p>一方、あまりピンと来ない建物には、家というよりは、<strong>「施設」</strong>としての何かを感じます。<br />
きれいに整っていて、天井も高く広々としている開放的な空間。おそらく多くの大人の人は、素敵な印象を受け魅力を感じると思います。そういう建物を<strong>「素敵な施設」</strong>としてみます。</p>
<p>この「素敵な施設」は、そのまま子どもの育ちにとって素晴らしい空間と言えるのでしょうか。<br />
少なくとも、私は子どものための建物としては、そこにあまり魅力を感じないのですが、現段階ではうまく言葉にできていません。</p>
<p>それを、なんとか言葉にすべく、思いつくままに書いてみます。</p>
<h3 id="mida">記憶とスケール</h3>
<p>自分の子どもの頃を振り返ってみて、鮮明に記憶に残っている風景がいくつかあります。<br />
一つは、保育園に通っていた頃、園で開催された夏祭りのようなイベントの風景で、園舎が、金魚すくいや、お化け屋敷、その他さまざまな出し物で賑わっていて、すごくワクワクしたのを覚えています。<br />
もう一つは、小学校の頃に自転車で走り回った、古い商店街の通り。そこに一つのまちの世界のようなものを感じていました。</p>
<p>私は、中1の時、幼い時を過ごした奈良県の田舎を離れて屋久島に引っ越したのですが、大阪の大学に入学した際、懐かしい風景を見てみたいと上の2つを見に行った事があります。<br />
だけど、そこにあったのは、すごくちっぽけな小さな保育園と、路地裏のような狭い道を挟んだ廃れた商店街でした。あんなに大きな世界だと感じていた風景のスケールが、記憶に比べてあまりに小さくみずほらしいことにびっくりしたことを覚えています。</p>
<p>当たり前のことかもしれませんが、<strong>子どもの頃に感じていた世界のスケールは、大人の感じている世界のスケールと大きく異なっていた、というか、全く別の世界、パラレルワールドのように感じていた</strong>のです。（そんな風に感じた経験はありませんか？）</p>
<p>（明確な根拠はありませんが）おそらく、<strong>体験の質に応じて、それが記憶に残るスケールのようなものがある</strong>のだと思います。<br />
もし、先の2つの事例がもっともっと大きなスケールの中での出来事だとしたら、おそらく、<strong>自分のリアルな体験としての実感が乏しく、何か別の世界の出来事のように感じて記憶に深く残ることはなかった</strong>のでは、という気がするのです。</p>
<p>広く開放的な空間だからこそ記憶に残る体験、というのもおそらくたくさんあると思いますし、そのような空間の意義もあると思いますが、そうではない<strong>子ども独自のスケールでしか、リアルに没入できないような体験もたくさんある</strong>と思うのです。</p>
<p><strong>多様なスケールの存在が、子どもの体験を豊かにするのは間違いない</strong>と思いますが、<strong>建物を「施設」として捉えている限りは、大人の世界のスケール感に縛られ、子ども独自のスケール感による世界を見落としてしまうような気がしています</strong>。（これを抜け出すには、自分自身が子どもになりきってイメージしてみるしか方法がなさそうですが・・・）</p>
<h3 id="mida">住宅設計で手放したものと大切にしているもの</h3>
<p>また、建築を学び始めた頃には、<strong>作品性が高くある種の緊張感をまとったような住宅</strong>にも魅力を感じていましたし、建築としての評価軸にはそういった作品性があり、自分もそれを身につける必要がある、といわば強迫観念のように思っていた時期もあります。<br />
と、同時にそうでない住宅にも魅力を感じていたりしたのですが、実際に、自分が設計するようになると、この<strong>作品としての緊張感のようなものの多くは手放してしまいました</strong>。</p>
<p>ポイント的に緊張感をもたせることで、メリハリや深みを出す、というようなことは意図的に行ったりしますが、<strong>緊張感を主題にすることで見えなくなってしまうことの方がはるかに大きい</strong>ような気がしたのです。</p>
<p>その代わりに大切にしていることは、例えば、人の気持を受け止めるような柔らかくムラのある素材や、緊張感をまとわないで心地よく感じるような、ギリギリの秩序とそこからの逸脱する何かです。<br />
つまり、<strong>観念的な作品性よりは、そこにリアリティがどう宿るか、というようなことを、より大切にしている</strong>と思っています。</p>
<p>これは、先程の記憶とスケールとも関連があると思うのですが、子どもの空間で考えた場合も、<strong>その空間にリアリティを感じられるかどうかで、空間が記憶に残るような没入の支えになるかどうかが変わってくる</strong>ように思うのです。<br />
ここでも、<strong>建物を「施設」と捉えている限りは、前回、探索環境保障理論と個性についてで書いたような、線的な評価軸に支配され、面的な広がり、つまり個性を保障するような方向にはいきにくい</strong>ような気がします。（線的な評価軸を逃れて、面的な広がりで物事を捉えるのは、慣れないと、恐ろしく高度な思考方法に感じるかもしれませんが・・・）</p>
<h3 id="mida">園に求めるべき空間の質は何か</h3>
<p><img loading="lazy" src="https://onoken-architects.com/wp-content/uploads/2024/07/bighouse.png" alt="" width="600" height="414" class="aligncenter size-full wp-image-14152" /><br />
つまるところ、<strong>園に求めるべき空間の質は何か？</strong></p>
<p>それは、おそらく<strong>リアリティ</strong>のようなものだと思います。<br />
しかし、<strong>現代社会に慣れきった私たちにとっては、リアリティほど掴むことが難しいものはありません。おそらく、子どもたちにとってもそうだと思いますが、だからこそ園に欠いてはいけないものだと思います。</strong></p>
<p><strong>「素敵な施設」の背後にある精神は「サービス」</strong>です。サービスは与える人と受け取る人が分かれることで成立しますが、サービスを受け取るという<strong>受動的な姿勢からリアリティを掴み取ることは困難ですし、面的な発達につながる探索とは真逆の姿勢</strong>と言えます。</p>
<p>一方、<strong>「おおきな家」の主役は住民たる子どもたち自身です</strong>。そこには、与えられるサービスではなく、子どもたちが自ら探索し関係を深め合う環境のみがあるのかもしれません。</p>
<p>さて、結局何が言いたかったかというと、<strong>魅力的に感じる園は総じて、子どもの多様な発達を保障するような視線に溢れていて、リアリティを感じさせる建物だけど、そうでない園はどちらかというと、大人の目から見た視線で溢れている</strong>、ということです。<br />
常に前者の視線に立ち返ることは、慣例的でない思考をその都度行う必要があります。なかなか大変かもしれませんが、園の設計を行う上では最も大切な事かもしれません。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>探索環境保障理論と個性　B315『私たちのまちの園になる: 地域と共にある園をつくる』（松本 理寿輝,秋田 喜代美）</title>
		<link>https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-14149</link>
					<comments>https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-14149#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 03 Jul 2024 11:43:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[読書記録]]></category>
		<category><![CDATA[まちの保育園]]></category>
		<category><![CDATA[保育園・幼稚園・認定こども園・設計]]></category>
		<category><![CDATA[環境構成]]></category>
		<category><![CDATA[発達]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://onoken-web.com/?p=14149</guid>

					<description><![CDATA[松本 理寿輝,秋田 喜代美 (著)フレーベル館 (2016/11/24) 「まちの保育園」代表の松本氏がまちの保育園の考え方や、事例を中心に解説し、東京大学の秋田氏がそれにコメントを書く、という構成で、比較的コンパクトな本です。 松本氏は保...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4577814064/asnote-22" title="amazonでチェック"><img src="https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/P/4577814064.09.MZZZZZZZ.jpg" align="right"/></a>松本 理寿輝,秋田 喜代美 (著)<br />フレーベル館 (2016/11/24)<br clear="all" /><!--momo--><br />
「まちの保育園」代表の松本氏がまちの保育園の考え方や、事例を中心に解説し、東京大学の秋田氏がそれにコメントを書く、という構成で、比較的コンパクトな本です。</p>
<p>松本氏は保育時間を<strong>「探索・探求の時間」</strong>と捉えた上で、コミュニティスペース、アトリエ・素材庫、ギャラリー、カフェといった独自の空間をつくりだしています。</p>
<p>あくまで、子どもたちが主役なのですが、<strong>特徴的な場を設けることで、そこにさまざまな人が関われる余地が生まれています</strong>。それは、前回書いた、まちとの<strong>インターフェイスとなるような空間</strong>ですが、単に場所がある、のではなく、まちとのつながりという考えと実践とが先にあり、それと場所が結びつくことで効果が生まれているように思いました。（まちの保育園では、コミュニティコーディネータという独自の役職があるようですし、本書では、職員の役割や、いわゆる組織論としてどのようにそれぞれが役割を果たせるようになっていくか、というような議論もありました。）</p>
<h3 id="mida">探索環境保障理論と個性</h3>
<p>余談になりますが、高齢者福祉施設について勉強している時に出会った考え方に<strong>「発達保障理論」</strong>というものがあります。<br />
これは、歳をとったり、障害によって出来ないことが増えていったとしても、単純な出来るできない、とは異なる軸を導入することで、誰でもどんなときでも前に進む（発達する）ことが保障されるべき、というもので、これを知った時はとても感動したのを覚えています。</p>
<blockquote><p><img src="https://onoken-architects.com/image/ha1.jpg" />このように軸を複数、例えば２つの軸を設定することで、二元論的な考えを抜け出せる。  一つの軸では線的な「評価」しか出来なかったものが、２つの軸とすることによって面的になり、そのあらわすものは「評価」ではなく個々のポジション、「個性」となるように思う。<small>(<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-89">B028 『平成１５年度バリアフリー研修会講演録』 &#8211; オノケン│太田則宏建築事務所</a></small>)</p></blockquote>
<p>これは子どもについても言えそうです。（ちなみに、上記引用元で書いていることは、児童福祉施設に置き換えても示唆に富んでいると思います。）</p>
<p>子どもの場合は、何かが出来なくなるのではなく、もともと出来なかった状態がスタートです。<br />
ここで、出来るできないだけの軸、つまり評価に関わるような軸しか考慮されないとすれば、それは<strong>多様な発達の幅を狭める</strong>ことになりはしないでしょうか。（そして、この出来るできない、という評価の軸に重点をおいてしまっているのが、小さな学校としての早期教育、保育空間の教室化です。）</p>
<p>保育者が、何か評価の対象になるものを”教える”のではなく、幼児自らが、環境を探索し、その環境とインタラクティブに関わりを深めることによって自ら発達していく。ここでは、保育者は幼児の発達を支えるような環境を整えていく役割を果たす。この考え方が、アフォーダンス理論とも関係の深い、<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-89" rel="noopener" target="_blank">環境構成理論</a>の考え方であり、<strong>出来るできないの評価軸だけでない、多様な方面に開かれた発達を保障するもの</strong>です。</p>
<p>それは、先程の引用文から捉えると、<strong>個性を保障する</strong>こととも言えるかと思います。つまり、<strong>環境探索による発達は、発達というものをプラスかマイナスかの線的な評価軸から、面的な個性としてのポジショニングへと戻すもの</strong>だと思うのです。</p>
<p>これを、幼児の発達保障理論と呼んでもいいのですが、何を保障するのか、をより具体的にして、「<strong>探索環境保障理論</strong>」と呼んでみたいと思います。</p>
<p>おもちゃや絵本、人、素材や空間、自然の移ろいなど、さまざまな探索が可能な環境をまずは保障する。そうすれば、幼児とその環境との間に関係性が生まれ、自ずと発達が促されていく。<br />
そのような考えに立てば、<strong>まちの保育とは、その探索環境を、まちの人や風景、生活など、園からはみ出して拡げていく試み</strong>と言えます。<br />
そして、子どもたちがまちに意味や価値を見出すのと同時に、まちが、子どもたちや園に意味や価値を見出していく。<br />
そのような双方向的な関係性が、まちの保育がうまくいく秘訣なのかもしれませんし、<strong>その先にあるのは、子どもたち、園、まち自体の個性の保障</strong>なのではないでしょうか。</p>
<p>また、これを逆から考えると、<strong>出来るできないの評価軸のみを盲信することは、子どもたち、園、まち自体の個性を抑圧することにつながる</strong>とも言えるかもしれません。（この辺はもう少し考えてみたいところですが、実は、養老孟司の昆虫と環境に関する本にも似たようなことが書いてありました。それはそのうち。）</p>
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		<title>出会いの機会を拡げていく　B314『まち保育のススメ ―おさんぽ・多世代交流・地域交流・防災・まちづくり』（三輪 律江, 尾木 まり他）</title>
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		<dc:creator><![CDATA[オノケン]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 03 Jul 2024 02:13:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[読書記録]]></category>
		<category><![CDATA[まちの保育園]]></category>
		<category><![CDATA[保育園・幼稚園・認定こども園・設計]]></category>
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					<description><![CDATA[三輪 律江 (著), 尾木 まり (著)他萌文社; A4版変型 (2017/5/5) やっぱり保育関連施設の設計は思いっきりやってみたい、ということで、4,5年前にやっていた、保育施設関連シリーズを再開してみます。 まずは、当時読んだまま、...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4894913321/asnote-22" title="amazonでチェック"><img src="https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/P/4894913321.09.MZZZZZZZ.jpg" align="right"/></a>三輪 律江 (著), 尾木 まり (著)他<br />萌文社; A4版変型 (2017/5/5)<br clear="all" /><!--momo--><br />
やっぱり保育関連施設の設計は思いっきりやってみたい、ということで、4,5年前にやっていた、<a href="https://onoken-architects.com/tag/%e4%bf%9d%e8%82%b2%e5%9c%92%e3%83%bb%e5%b9%bc%e7%a8%9a%e5%9c%92%e3%83%bb%e8%aa%8d%e5%ae%9a%e3%81%93%e3%81%a9%e3%82%82%e5%9c%92%e3%83%bb%e8%a8%ad%e8%a8%88" rel="noopener" target="_blank">保育施設関連シリーズ</a>を再開してみます。</p>
<p>まずは、当時読んだまま、こちらに書いていなかった数冊から。</p>
<h3 id="mida">多様な出会いを担保するまち保育</h3>
<p>以前、<a href="https://onoken-architects.com/blog_top/books/post-5507" rel="noopener" target="_blank">『まちの保育園を知っていますか』の会</a>でも書いたように、<strong>子どもの成長には、多様な人や世界との出会いがとても重要</strong>です。</p>
<p>もちろん、園舎の中でも多様な出会いが生まれることを考えることは重要なのですが、出会いの機会を園舎の中に限定してしまっては限界があります。</p>
<p>例えば、日本の子どもたちは自己肯定感が低いと言われます。自己肯定感は、多様な関係性のもと、無条件で受け入れてもらえるような経験によって醸成されますが、家庭と園または家庭と学校の往復だけでは人間関係は限定的になりがちです。そこから、いかにして溢れ出ることができるか。</p>
<p><strong>その出会いの機会をまちの中に拡げていこう</strong>、というのがまち保育の考え方ですが、園がまちへと流れ出ていくと同時に、まちが園の中へ流れ込んでいく、また、子どもたちが多様な出会いのもと成長するように、保育者や住民も同時に成長していく。そのような<strong>輻輳する関係性が重要</strong>だと感じました。</p>
<h3 id="mida">まちの資源を発掘し、つながる</h3>
<p>また、まちといっても、都市と田舎では状況が異なりますし、まちの中の資源と考えられるものも異なってきます。その<strong>違いを認識した上で、その園なりのまちとの関係性を考えることが最初の出発点になる</strong>ような気がします。</p>
<p>本書でも「保育施設✕地域つながり力アップ・マップワークショップ」という、おさんぽマップの製作を通じたワークショップを通じて、まちの資源を発掘し、地域との連携と深めていく試みが紹介されていました。<br />
『まちの保育園を知っていますか』で松本氏が<strong>プロセス主義</strong>ということを言っていましたが、こういうつながりは、どこかで突然作り出せるものではなく、プロセスそのものに契機があります。<br />
ですので、建物などのハード面だけではなく、こういうソフト面の試みを継続していくことが重要なのかもしれません。</p>
<h3 id="mida">インターフェイスとしての建物</h3>
<p>では、ハード面ではどのようなことが考えられるでしょうか。<br />
核家族化が一般化した現代では、保護者が育児に関わる不安等を気軽に相談できないまま抱え込んでしまっているケースが多く、<strong>保護者のコミュニケーションの機会をどう確保するか</strong>が一つの課題になっています。<br />
本書では、例えばお迎え時の、保護者同士や、保護者と保育者のコミュニケーションが生まれる機会を分析していますが、その機会と建物のあり方は大きく関係しています。</p>
<p>例えば、防犯上敬遠されがちになっている、園庭から直接各部屋にお迎えに行くケースが保護者と保育者のコミュニケーションの場面を増やしていたり、玄関付近で子どもたちの様子も見れる庇のある屋外空間が、保護者間の会話時間を長く確保することにつながっていたりします。その際、靴を脱ぐ、という行為がコミュニケーションのハードルを高めることもあるようです。</p>
<p>このように、建物のあり方が、コミュニケーションの機会と深く関連することを考えると、園としての使い勝手や、安全性、子どもたちの体験の質なども踏まえた上で、<strong>建物をコミュニケーションを誘発するインターフェイス（接点）として考えていくことが重要になります</strong>。そして、この考え方は、まちとのつながりを考える上でも重要になります。</p>
<p>（まち保育に関しては、次の読書記録に続きます。）</p>
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