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  <title>PLAYNOTE</title>
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  <modified>2017-02-24T04:59:18Z</modified>
  <tagline>書評・劇評・ビールと衝動。冬枯れの街を歩けば 臓腑にしみる小麦色の寂寞。ドラマチック哀悼、プレイノート。by谷賢一</tagline>
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  <copyright>Copyright (c) 2017, Ken</copyright>
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    <title>新国立劇場『白蟻の巣』稽古場での稽古を終えて</title>
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    <issued>2017-02-24T13:19:37+09:00</issued>
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    <summary type="text/plain">1/16の稽古初め以来、日々全力で稽古してきました。こんなに手強く奥深い戯曲は初めてかもしれない。三島由紀夫なにするものぞと物怖じせずに稽古してきたが、やはり作...</summary>
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    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<p>1/16の稽古初め以来、日々全力で稽古してきました。こんなに手強く奥深い戯曲は初めてかもしれない。三島由紀夫なにするものぞと物怖じせずに稽古してきたが、やはり作家として世界的、日本最高峰の想像力と頭脳である。頭を抱える日々も長く続いたが、稽古場での稽古が終わって、良い充実感を持って劇場での稽古に臨めている。</p>]]>
      <![CDATA[<h4>氷山の一角とマグマ</h4>

<p>言葉とは人間の氷山の一角である。ある一つの言葉の水面下に、巨大な氷山が隠されている。性格や目的・意図はもちろん、感情の状態、相手との関係、過去の思い出、今目の前に見えているイメージや風景。あらゆる演劇の稽古でやっていることは、この隠された氷山を俳優の腹の中に入れて、言葉という「一角」を確かにしていく作業だ。</p>

<p>よく三島は言葉が美しいと言われるが、作家としての彼の特質はその異常なまでの想像力にあると感じている。確かに言葉が絢爛だし比喩も饒舌だが、それは決して過剰ではないのだ。美しく・絢爛で・饒舌な言葉の水面下には、それに見合うだけの氷山が隠されている。ただ言葉がトゥー・マッチなのとは全く違う。読み深めていくうちに最初は「何言ってんだコイツ」「喋り過ぎだろ」と思われていた言葉もただ字面を飾っていたのではなく、その裏っ側に巨大な氷山が隠れていることが次第に明らかになってきた。</p>

<p>ある程度読めてると思っていたし、稽古開始前に普段以上に備えていたつもりだったけれど、次から次へと新しい氷山が見つかった。最初のうちはどう考えても繋がらないと思っていた言葉や感情の流れが、氷山を発掘し続けるうちに深いところで繋がっていて、そこを捉えると「こうとしか言えない」と思えるまでに至った。不思議な体験だった。</p>

<p>確かに三島は言葉が美しい。しかしその氷山の一角を紡ぐためにこんなに大きく豊かな水面下を持ってペンを奮っていたのかと思うと、今はむしろそちらの方に驚愕する。「すごい作家だ」と思う人は他にもいるけれど、こういうタイプの作家は初めて見た。今や俳優たちはその巨大な氷山を、頭だけではなく腹／肚で理解し始めた。これはすごいことだ。知的であり感覚的でもあるこの言葉たちと取っ組み合い続けて、我が物にした俳優たちの勤勉さ・勇敢さ・知性・そして感性を私は尊敬する。</p>

<p>あえてわかりやすく「氷山の一角」という言葉を使ったが、冷たい氷の塊というよりは、力強く脈動し今にも噴火しそうなマグマや血液の台詞がとても多い。熱や色気もなければできない。稽古の最後の一週間で一番よく使った言葉は「野性味」とか「性的興奮」とか「色気」とか「もっと」とか、そして「反射神経」などであった。言葉を腹／肚で理解できれば、この本は野性味あふれるセクシーな男と女の、丁々発止のゲームとして上演できる。吹きこぼれそうになるマグマ。湧き上がる性的衝動。そういうものをも捉えたい。</p>

<h4>公演概要</h4>

<p>稽古場での稽古は終わった。しかし新国立劇場はとても創作環境が良く、劇場で本番まで約4日半「稽古」ができる。この中でいわゆる場当たりやテクニカル・リハーサルもやるが、それだけではなく「稽古」ができるのだ。ヨーロッパでは当然のことなのだが、日本国内でこれができる劇場はほとんどない。しっかり最後まで仕事します。観に来てね。</p>

<p>◎新国立劇場『白蟻の巣』</p>

<p>作：三島由紀夫　演出：谷賢一<br />
2017/3/2(木)～19(日)＠小劇場 THE PIT</p>

<p>【出演】安蘭けい、平田満、村川絵梨、石田佳央、熊坂理恵子、半海一晃</p>

<p>詳細：<a href="http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/151225_007979.html">http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/151225_007979.html</a></p>

<p>お待ちしております。</p>]]>
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    <title>不気味な夢（北の街）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002833.html" />
    <modified>2017-01-05T05:36:09Z</modified>
    <issued>2017-01-04T23:59:59+09:00</issued>
    <id>tag:www.playnote.net,2017://1.2833</id>
    <created>2017-01-04T14:59:59Z</created>
    <summary type="text/plain">なぜこういう夢を見たのかわからないが、不気味な夢を見たので書いておく。...</summary>
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      <name>Ken</name>
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      <![CDATA[<p>なぜこういう夢を見たのかわからないが、不気味な夢を見たので書いておく。</p>]]>
      <![CDATA[<p>どういうわけだか俺は、北海道のとある街に来ている。仕事というわけでもないらしい。老人がたくさん入っている大きな病院で見舞いをしているのだが、誰を見舞いに来ているのかがまずわからない。ちょっと出かけてくる。</p>

<p>街のあちこちに、おかしな動物が現れ始める。俺は人気のない使われなくなったビルで小型の熊のような動物の群れに襲われる。何十匹といるらしい。一匹一匹がすさまじく俊敏なので、息を殺して逃げ回る。うまく建物の死角に入れば、何とか逃げ切れる。</p>

<p>タクシーで病院へ戻ると、異変は一部の人間にも伝わっているがまだ平静を保っている。しかし突然、廊下を歩いていたら轟音が鳴り響き、病院の城壁に十個ほど巨大な穴が空いた。強力なライフル銃のようなものだろうか？　病院の外から誰かを狙って撃ったのだろう。数名の入院患者が死ぬ。俺は看護師に異変を伝えるが、誰も対処の仕様がわからない。看護師たちは警察の到着を待つ。</p>

<p>俺は病院を出て、飛行機に乗って東京へ戻ろうとする。街はまだ異変に気づかないらしい。……いや、と言うよりも、情報が遮断されているようである。おかしな動物たちや謎の銃撃によって、もう十人以上が亡くなっているというのに報道もされない。警察の動きも緩慢だ。何かの理由で、この街は見捨てられたように感じる。</p>

<p>俺は街の人々にこれまでに起きた異変を伝えるが、異変には気づいていたという人が何人もいる。しかし彼らは特に行動に出ない。報道されないのは、そんなことを報道すればこの街の観光客が激減するからだと言うものもいる。でたらめな理由だが、夢なので仕方がない。しかし俺は夢の中で、これが夢だと気づいていないから、夢特有の不条理に浮遊感にも似た不安定な気持ちを味わっている。</p>

<p>結局俺は東京へは帰らず、病院へ戻って防衛を手伝おうと決める。特に落ちも何もなく、夢は終わった。</p>]]>
    </content>
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    <title>昨年末の『劇作家協会はどこまで語るべきか？　の会』で考えたことなど</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002832.html" />
    <modified>2017-01-03T18:12:23Z</modified>
    <issued>2017-01-03T23:59:59+09:00</issued>
    <id>tag:www.playnote.net,2017://1.2832</id>
    <created>2017-01-03T14:59:59Z</created>
    <summary type="text/plain">2017飲み始めとして、俳優である（しかもいい俳優である）友人の働いているバーへ行き、ハイボールくいくい飲んできた。パチスロ台のプログラミングをしてるというベビ...</summary>
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      <![CDATA[<p>2017飲み始めとして、俳優である<span class="note">（しかもいい俳優である）</span>友人の働いているバーへ行き、ハイボールくいくい飲んできた。パチスロ台のプログラミングをしてるというベビーフェイスの初対面さんと仲良くなり、あと名前は出さないが新進気鋭の劇作家F嬢とも交流を温めてきた。バーとか高いからほとんど行かない、駅前の焼き鳥屋とさくら水産で十分な私ですが、たまには良いものですね。</p>

<p>そこでF嬢から昨年末の『劇作家協会はどこまで語るべきか？　意見交換会』<span class="note">（以下「語る会」とする）</span>について尋ねられた。特にブログやTwitterには具体的なことは書かずにいたが、いろいろ誤解もあるようなので少しだけ書いておく。</p>]]>
      <![CDATA[<p>正確にはF嬢には「去年、広田さんが劇作家協会と揉めてた件について」尋ねられた。おまけに「そういうゴタゴタがあるらしいので、何か入りづらい」とも言われた。あぁやっぱりそう見られちゃってるんだなぁと思うと残念だが、だからこそ同時にああして広田くん和解のきっかけを作れてよかったなぁとも思う。</p>

<p>事の経緯を簡単にまとめると、次のようになる。</p>

<blockquote>

<h4>【これまでの経緯と論点・かんたんに】</h4>

<p><a href="http://www.jpwa.org/main/statement/appeal20150605">2015年6月に劇作家協会が「国会に提出中の安保法制関連法案は、平和と人権・立憲主義への危機である」とした日弁連の宣言に賛成の意思を表明</a>。それに対し協会員の広田氏より「私の思想信条は違う」「これは言論表現の問題とは言えない」と異議が出る。「いや言える」とも反論も出る。</p>

<p><span class="note">（そんでその後、広田氏は「対話を拒絶された」として劇作家協会を離脱）</span></p>

</blockquote>

<p>約一年に及ぶ議論を134字にまとめたものなので不正確だが、詳細に踏み込むのは避けておく。私が『語る会』という名前で討論会を設けたのも、そういった今までの事実関係のいざこざについて蒸し返すのではなく「じゃあこれから劇作家協会はどう在るべきか」について議論したかったからだ。</p>

<p>なんて書くと俺だけがこの会を主導したように思われ勝ちだが、実際には鴻上尚史・現劇作家協会長やその他言論表現委員や関係各位の言葉が後押ししてくれたのも強い。俺が『語る会』の開催を訴えた際、劇作家協会のえらい人たちは「是非やろう」と言ってくれたし、鴻上会長に至っては「ぜひ広田くんも呼ぼう」「対立意見がなければ議論は深まらない」「（協会のこれからを考える会だから）協会員のみ参加可ということなら、俺が会費出すからもう一度広田くんに入会してもらおう」とまで言ってくれた。</p>

<p>心強い味方であったし、対立意見がなければ議論は深まらないというのはまさに俺の意見と合致する。本当にそのことが言いたいんだ。</p>

<h4>実はそんなにケンカしてないよ、劇作家協会</h4>

<p>F嬢にも誤解を解くために言っておいたが、別に劇作家協会はケンカばかりしているわけじゃない。むしろケンカしてるのは本当にわずかな瞬間だけである。そこは伝えたい。実際今回、こういう会をやったりしたが、大半の人にとっては全然関係のない話であったようだ。<span class="note">（それもそれで問題なのだが）</span></p>

<p>広田さんという発信力の強い個人がブログやTwitterという形で公開質問したことによって、世間に「何かもめてる」というイメージが広まったのは確かに事実だ。しかし普段は、みんなでお茶飲みながらイベント考えたり、劇作のことや契約のことについてアドバイスし合ったりしている、非常に温和な組織であります。</p>

<p>そして劇作家協会は劇作家の権利を守るという点で一致団結しており、実際俺も何度か、具体的にはギャラが低すぎる場合に動いてもらったりしておった。劇作家で食ってく意思のある人や、劇作家を生涯続けていく意思のある人には、俺は心からオススメしたい組織である。</p>

<p>『語る会』を通じて様々な意見が出たが、ほぼ100％「少数意見にこそ耳を傾けてるべき」「議論の透明化・オープン化を図っていこう」「今後の課題として対話のシステムづくりを進めていく」という声ばかりだった。中にはこんな意見もあって<span class="note">（某高名な劇作家さん）</span>、実に有意義な討論会であった。──「言論の自由のためには、ファシズム・全体主義とこそ戦っていかなければならない。もし劇作家協会内に少しでも、少数派が意見を言いづらい風潮があるのなら率先して改めていくべきだ」、と。言葉の切れ味にちょっとビビったぜ。</p>

<p>そこまで我々が話したのも、意見の異なる人がいていい、対話のやり方を洗練させて、より多くの人が参加できる／しやすい協会にしていこうと、未来を共有できたからだ。当日は20名以上の人が参加していたが、さすが劇作家ばかりの集まり、言葉が鋭く知見が深く、聞いていて俺の方こそ勉強になる会であった。</p>

<h4>僕が広田さんの意見が重要だと思ったわけ</h4>

<p>何度か書いている通り、僕は広田さんの意見には反対だ。やはり昨年の集団的自衛権関連議論における政府見解、すなわち憲法の解釈を捻じ曲げることでなぁなぁに集団的自衛権を認めてしまえというやり方は強く非難されるべきである。</p>

<p>あのやり方は、今でも俺は許せない。大半の憲法学者が「違憲です」と言っているような法案をゴリ押しで通したのは、言葉とか議論というものを全くもって軽視した態度である。ああいうやり方を「まぁ、難しいことよくわかんないし、実際問題中国怖いし、いいんじゃないの」とスルーしてしまうのは、言葉を扱う人間としてあまりにも無自覚である。だから劇作家協会が反対の意志を見せたことは、俺は支持したい。</p>

<p>しかし一方で、安倍政権の支持率が未だに過半数を割らないということも事実だ。ああいう言葉と議論への軽視をしているような内閣を、「まぁいいじゃん」と容認している人が未だに大多数いる。そこは厳粛に受け止めなければならない。</p>

<p><strong>そして我々劇作家が声明を出すときに一体誰に向かって喋っているのかと言えば、そういった「安倍政権でも、まぁいいじゃん」とか「むしろ大賛成」という人に向けて出しているのだと俺は思う。つまり今回のケースで言えば、広田さんのような人にこそ届く言葉、彼と同じような考え方の人にこそ「ううむ、一聴の価値がある」と唸らせるような言葉を紡ぎ出す必要があるはずだ。そしてまさに協会内にそういう意見の異なる人がいることは、願ってもないことではないか。</strong></p>

<p>広田さんは才能ある劇作家である。意見が違ったとしても、劇作家としての頭脳とセンスは認めないわけにはいかないだろう。そういう対話の相手が協会の中にいてくれるということは、やはり価値のあることなのだ。<br />
<span class="note">（※もちろん劇作家としても俺の方が面白いんだが！　負けねえぞ！）</span></p>

<p>『語る会』の中では一つの例として、「たとえば『戦争“賛成”』という劇を書く劇作家がいてもいい」という言葉も出た。その通り、それもまた言論の自由の一側面だ。「言っていい」「書いていい」という自由は、どこまでも守られなければならない。「戦争賛成」という劇を書かれても、言論の自由さえ守られていれば言葉や劇作で反論できるし、そこから議論も生まれる。だから議論と言葉だけは、どこまでも守られなければならない。</p>

<p><span class="note">（※もちろん広田さんは「戦争賛成」なんて言ってない。念のため。）</span></p>

<h4>これからに向けての雑感</h4>

<p>とまぁ『語る会』自体はめでたしめでたしに終わったのだが、今後の課題は多い。本当に正しく議論を進めていくのは、やっぱり難しいことだ。</p>

<p>よく「ネトウヨ」とか「パヨク」とかさ、出るじゃない、言葉として。これ、言った時点で対話の言葉じゃないんだよね。「あなたは何もわかってない」とか「何を言っても無駄だ」とか「もう少し勉強してから来い」とかも同罪だ。こういった決めつけやレッテル貼りは、相手がどんなにバカヤロウに思えたとしても、やった時点で議論は終了、そこからは揚げ足取りの罵倒合戦にしかならない。俺はそういうの、大嫌いだ。</p>

<p>この辺には、イギリスの大学で学んだことが生きている。イギリスの大学では徹底的に「論文の書き方」を叩き込まれる。「～～と思われる」「～～と言われている」という書き方はすべてNGで、どんなに自明と思われることでも出典や引用元の明記を迫られる。学術的な議論の場では「何を根拠に言っているか」を必ず明確にする必要がある。これを「Referential（参照つきの）」とか「Critical（批判／批評的な）」とか言うんだけど、理系の論文だけじゃなくて、俺がやっていたような演劇学というド文系の学問でも必ず「Referential」で「Critical」であることが求められるんだ。一つ一つ事実を積み重ねた先に、真実が見えてくる。</p>

<p>そして反論する際にも、「Referential」かつ「Critical」な反論が求められる。相手の意見が間違っていると思った際には、具体的なデータや論文を引っ張ってきて反論しなければならないし、そもそも反論されないためにも論文を書く／発表する段階で「Referential」かつ「Critical」な論文を書き上げる必要がある。</p>

<p>上記の例に戻ると、「ネトウヨ」「パヨク」とか言わずに、「あなたの言っている～～という箇所は間違っている。何故なら～～であるから」と言えばいいんだ。「もう少し勉強してから来い」と言わずに、「それは違う。～～というデータがある、～～という論証がすでに成されている」と言えばいい。いや、そう言わ“なければいけない”んだ。本当の議論って、そういうことだろう。</p>

<p>俺はあくまで劇作家なので戯曲を書くときにはもちろんこんなことはしないけれど、誰かと「議論」をしているときにはこういうルールを遵守しなければならないと自戒している。それくらい「議論」って、骨の折れることなんだよな。</p>

<p>だけどその労力を惜しんではならないとも感じている。『語る会』でも戦時中のことをよく知っている先達からいろいろお話伺ったりもしたが、言論・表現の自由は本当に脆いものなので、ちょっと気を抜くとあっという間に骨抜きにされてしまう。そして今、正直、世界がきな臭い。それは日本だけでなく、ヨーロッパや中東、そしてアメリカを見ていれば明らかだ。世界全体が短絡的になっている。フラストレーションを溜め込んだ人々が、議論を積み重ねるよりアジテーションした方が手っ取り早いといい加減な言葉を世界中にばら撒いている。そしてそういう言葉が実際に人を動かして、政権や政局をあっという間にひっくり返している。</p>

<p>本来俺は政治的なことにはできるだけ触れたくないけれど、目を光らせていないとまずいなと思っているし、こういう時代に通用する言葉を考えなければならないとも思う。……まぁ、こんだけ長々書いた時点で、「こういう時代に通用する言葉」としては落第点なんだけどな。</p>

<p>言葉の切れ味を磨いていくためにも、そして劇作家協会が開かれた協会であるためにも、あの会はやはり必要なことだった。そしてその結果、劇作家協会は「いろんな人がいていい協会」として改めてコンセンサスがとれたので、今日お話したF嬢さん、ぜひご入会お待ちしております。</p>

<h4>おまけ</h4>

<p>ちょっと面白い文章を読んだので、最後にリンクを貼っておく。現代を「post-truth」の時代と定義している点なんか、とても面白い指摘だと思う。</p>

<ul>
<li><a href="http://wired.jp/2017/01/03/needs-dont-matter/">「ニーズ」に死を：トランプ・マケドニア・DeNAと2017年のメディアについて｜WIRED.jp</a></li>
</ul>

<p><span class="note">（2017-01-04 02:56:46）</span></p>]]>
    </content>
  </entry>
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    <title>欲望と規律</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002831.html" />
    <modified>2017-01-03T04:30:57Z</modified>
    <issued>2017-01-02T23:59:59+09:00</issued>
    <id>tag:www.playnote.net,2017://1.2831</id>
    <created>2017-01-02T14:59:59Z</created>
    <summary type="text/plain">正月二日目にしてだらしねえ一日を過ごしてしまったことを、自分は反省すればいいのか、喜べばいいのか、その間で悩んだ。くだらねえことで悩んでいるように見えるかもしれ...</summary>
    <author>
      <name>Ken</name>
      <url>http://www.playnote.net/</url>
      <email>k&#101;nic&#104;i&#46;&#116;&#97;ni&#64;g&#109;a&#105;&#108;&#46;c&#111;m</email>
    </author>
    
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<p>正月二日目にしてだらしねえ一日を過ごしてしまったことを、自分は反省すればいいのか、喜べばいいのか、その間で悩んだ。くだらねえことで悩んでいるように見えるかもしれないけれど、重大なことだ。</p>]]>
      <![CDATA[<p>何かを成さんと思えば、人生に規律は必要である。我が尊敬すべき作家であり、世間的にはグウタラ意志薄弱野郎の代表格と目されている太宰治でさえ、毎日コツコツ午前中は原稿用紙を埋め、夜はコツコツ酒を飲むという生活を続けていた。うん、後者はイメージ通りだからいいんだけど、前者はちょっと意外でしょう。</p>

<p>太宰治とは水と油、世間に対し堂々と彼のことをDisっていた三島由紀夫も、こんなことを書いている。</p>

<blockquote>

<p>今は昭和元禄などといわれているが、元禄の腰抜武士のことを大道寺友山の『武道初心集』はこんな風に書いている。すなわち「不勇者」は、何でもかんでも気随気ままが第一で、朝寝、昼寝を好んで、学問は大きらい。武芸──いまでいえばスポーツだろううが、スポーツをやっても何一つものにならず、ものにならないくせに芸自慢のりこうぶりばかりをして、女狂いやぜいたくな食事のためには幾らでも金を使い、大事な書類も質には入れるし、会社の金で交際費となれば平気で使い散らし、義理で出す金は一文も出さず、またその上からだはこわしがちで、大食い、大酒の上に色情にふけってばかりいるので、自分の寿命にやすりをかけるがごとくなって、すべて忍耐や苦労やつらいことができなくなるような肉体的条件になってしまうから、したがって、柔弱未練の心はますますつのる。これを不勇者──臆病武士と規定している。</p>

</blockquote>

<p>ぜんぶ俺に当てはまる。……と、書くことさえ恥ずかしいから、少しは改めなければならぬと思う。「何かを成すためには規律が必要だ」と先に書いたが、むしろ規律こそが何かを成すこととイコールなのだ。習慣と言ってもいい。ひたすら文章を読み書きする規律・習慣が文章家を育てるし、地道なリズム練習が音楽家を形作る。継続がプロの条件なのではなくて、継続することで芸事を生活に密着させ、生活そのものを芸事とすることこそが、プロの技芸を育む。生活の仕方がそのまま、その人間を形作るのである。</p>

<p>だったら毎日、時間割を書いてTo Doリストを上から順番にGTDし、予定されていないことは一切せず、四角四面に生きれば良いかというと、それもちょっと違うだろう。誘惑に負ける心もまた、自分のような職業には必要だ。予定やリストになかったオモシロが目の前に飛び出してきたとき、荷物を捨てて「あっ！」と言って飛びつく力が出会いや変化を与えてくれる。</p>

<p>……だからと言って、正月二日目のグウタラぶりのすべてを許容できるわけではないけれど、自己嫌悪に陥ることもない。三日目をどう律していくかだ。</p>

<p><span class="note">（2017/01/03 13時30分 追徴課税）</span></p>]]>
    </content>
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    <title>うちの親父を眺めながら考えた文化の話</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002830.html" />
    <modified>2017-01-01T18:48:56Z</modified>
    <issued>2017-01-01T23:59:59+09:00</issued>
    <id>tag:www.playnote.net,2017://1.2830</id>
    <created>2017-01-01T14:59:59Z</created>
    <summary type="text/plain">いつ以来のことだろう？　この正月は実家に帰省したのだが、68になった親父を眺めながら、文化について考えた。...</summary>
    <author>
      <name>Ken</name>
      <url>http://www.playnote.net/</url>
      <email>k&#101;nic&#104;i&#46;&#116;&#97;ni&#64;g&#109;a&#105;&#108;&#46;c&#111;m</email>
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    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<p>いつ以来のことだろう？　この正月は実家に帰省したのだが、68になった親父を眺めながら、文化について考えた。</p>]]>
      <![CDATA[<p>昭和23年生まれのうちの親父は、色んな意味で典型的な昭和の男、団塊の世代だ。ガキの頃は大変な貧乏をしたが、大学を出てサラリーマンになり、独り立ち・結婚・出産・出世という人生のスゴロクが日本の高度経済成長ときれいにリンクしている。30代の頃までは当時で言うところのモーレツ社員・企業戦士であり、午前様での帰宅はしょっちゅう、残業や休日出勤もお手の物で、休みを殺して金を稼いでいた。</p>

<p>「俺のことはいいから母さんを大事にしろ」というのが口癖で、酒と煙草とたまの麻雀以外はろくすっぽ趣味もない、仕事＝人生のような親父である。働いて稼ぐことが、そのまま社会への貢献であり、妻子への愛であり、生き甲斐であり、己の存在証明であったような親父である。若い頃は大層おっかないもんだったが、70の峠が見えた今、すっかりしぼんで心もとない。</p>

<p>と言うのも、やることがないのだ。日がな一日テレビを見ているだけで、趣味がない。これにはお袋も参った。本でも読んでみたらとか、一緒に映画に行こうかしらとか、将棋でも打ってみたらと勧めはするのだが、とんと興味を示さない。まぁ当たり前だろう。仕事しかしてこなかった親父なのだ。</p>

<p>かと言って友人も少ない。会社の頃の友人はだいたい遠方に住んでいて、せいぜい年に一度会えばいいとこ。家の周囲に友人はいない。柏という街は新宿から約1時間という距離で、「東京で働いて、家は寝るだけ」というベッドタウンの典型例だ。親父にとってここは寝る場所であり、働く場所でも遊ぶ場所でもなく、地縁・血縁もほとんどない。</p>

<p>おまけに今さら仕事もない。だってもう68だぜ？　だから一日テレビを見て、お袋にたまに当たり散らしたりしているらしい。ちょっと気難しくもなったし、ずいぶん肩を落としているように見える。「ずっとやってみたかったんだ」と言ってそば打ちでも山登りでも海釣りでも始めてくれりゃあ俺もお袋も安心なのだが、前述の通り趣味がない。演劇なんていうヘンテコな文化に入れ上げている俺のことが、親父の目には随分と奇妙に映るらしい。未だに言われる、「で、お前の仕事は、一体何なんだ？」「それで稼ぎになんのか？」って。</p>

<p>親父を攻める気持ちはないんだ。以前、故・中島らもさんが「教養とは自分一人で時間を潰す才能のことだ」と遊び人のプロである彼らしい言い方で言っていたが、逆に言うとその才能は一朝一夕に身につくもんでもない。この年になるまで働け・働けで来た男が、急に趣味人・風流人になるはずもなく、本人もなりたいはずもなく、なれるはずもない。昭和あるいは戦後行動経済成長期、団塊世代の人生モデルの一つの弊害が凝縮されている。実利実益をばかり追い求めた教育のしわ寄せでもあるだろう。</p>

<p>だからこそ、文化は大事だ。もちろん仕事も大事だよ。どちらも人生に生き甲斐を与えるという意味で大事なんだ。昨年末に福島を取材して、一番多くの人が苦しんでいたのが生き甲斐を失ったことだった。仕事を失い、家族・友人とも離れ離れになってしまった老人が、東電さんから補助金だけは出るけれど、そんなもので人生の喜びは取り戻せない。</p>

<p>これから孤独な老人が増えるだろう。そういうとき、文化は大事だ。仕事と家族を失ったとき、文化は人と人を繋ぐ役割も果たすし、それ自体が生き甲斐にもなる。だけどそれは、すぐに身につくものじゃない。少しずつ自分に馴染ませていくものだ。陶芸でも合唱でもスポーツでも、もちろん演劇でもいい。生活の中に文化があるということは、当然のことではなく、ちょっとした努力の必要なことなのだ。</p>]]>
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    <title>第1回福島取材旅行を振り返る</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002829.html" />
    <modified>2016-12-14T05:17:03Z</modified>
    <issued>2016-12-11T21:42:45+09:00</issued>
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    <summary type="text/plain">2016年12月4日～10日までの1週間、福島県内を取材してきた。新幹線に積んで運んだ愛車のクロスバイクを新白河駅で降ろして組み立て、故郷・石川町まで東進し一泊...</summary>
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      <name>Ken</name>
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    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<p>2016年12月4日～10日までの1週間、福島県内を取材してきた。新幹線に積んで運んだ愛車のクロスバイクを新白河駅で降ろして組み立て、故郷・石川町まで東進し一泊、円谷幸吉の故郷・須賀川市まで北上し一泊、祖父の墓と祖母の病院と親戚の家がある郡山市にてもう一泊、田村市に立ち寄り二本松市で一泊、その後、福島市および市内の飯坂温泉を拠点に二泊しつつ飯舘村を見て回った。計、六泊七日。立ち寄らなかった相馬市の方などの方々からも話を聞いた。</p>

<p>＊<a href="http://togetter.com/li/1055854">谷賢一・2年かけて描く「演劇・福島3部作」プロジェクト １２/４～１０福島現地取材 - Togetterまとめ</a> … 有志の方がまとめて下さいました。心から感謝、MIWAKOさん。</p>]]>
      <![CDATA[<h4>なるべくランダムに、風に吹かれて、旅</h4>

<p>「福島」を題材に、二年かけて三部作構想、書き切る。出立前の時点で2～30冊の書籍を読み、基幹となるプロットは既にあったが、東京にいて耳に入ってくる情報には偏りがある。書籍だって自分で選んだ以上、そんなつもりはなくてもある種のバイアスがかかっている。</p>

<p>だからこそ「なるべくランダムに、風に吹かれて」旅をしたかった。自転車をこぎながら、迷ったら畑にいる人に道を尋ね、メシを食った蕎麦屋や居酒屋・喫茶店で店主や店員さんと雑談し、「会ってもいいよ」と言ってくれた人には全員会い、紹介してくれた人・場所にはすべて行けた。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">自分で資料を漁ると、どうしても見たいもの・興味のあるものしか目に入ってこない。Amazonでばかり買い物してると知らない本と出会えないのと一緒だ。たまには本屋に行くべきである。なので現地でランダムウォークし、誰とでも会ってみるというのは是非したかった。</p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/804890927672147968">2016年12月3日</a></blockquote>
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<h4>リンゴ売りのおばちゃんに始まった、農業・漁業・畜産業の肉声</h4>

<p>印象深いのは色々あるけれど、やっぱり農業・漁業・畜産業に直接携わっている人たちの声だろうか。最初の遭遇は街道沿いで即売所をやっていたリンゴ売りのおばちゃんだ。喉カラカラで食ったリンゴは信じられないほど美味かった。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">石川町から玉川村を経由して須賀川市内へ。道中ノドが乾いたので直売所の林檎を一発頂いた。そのままおばちゃんとしばし歓談、彼女曰く「福島の林檎は青森より美味しい」「しかもウチの林檎が福島でも一番うまい」らしく、つまり俺は日本一うまい林檎を食ったことになる。確かにうまかったが！ <a href="https://t.co/NyUjVG3AL1">pic.twitter.com/NyUjVG3AL1</a></p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/805628017200332800">2016年12月5日</a></blockquote>
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<p>恐らく福島に取材に来たジャーナリストならここで放射線量や風評被害の実情について質問を並べていくのだろうし、あのおばちゃんも聞けば答えてくれただろうけど「絶対にそういうことはしないぞ」と出る前から決めていた。</p>

<p>初めて会った人に「放射能どうですか」と尋ねるのって、とても奇妙な感じがしないだろうか？　「あなたは放射線浴びてる人ですよね、そのリンゴは放射性物質を含むリンゴですよね？」という前提で話すというのは、失礼ではないだろうか？　勿論それも正しい報道のためには必要だろうが、そういう観点から書かれたルポや書籍はいくらでも買える。読み切れないくらい出てる。知りたければAmazonで買って読めばいい。現地に行く動機にはならない。</p>

<div class="imgbox-floatright"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/478161311X/playnote-22/ref=nosim"><img src="http://images.amazon.com/images/P/478161311X.01._PC_SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="はじめての福島学 | 開沼 博 |本 | 通販 | Amazon" width="119" height="170" /><br />はじめての福島学 | 開沼 博</a></div>

<p>福島の農産物が徹底的に線量検査されているということは事前にもちろん知っていた。「このリンゴ、大丈夫ですか」と尋ねるのはナンセンスだ。もし不安ならその質問を当てるべきは、農家のおばちゃんではなく行政や農協の担当部署である。風評被害で売れなくなっていることだって、誰しもが本やニュースで知っている。「大変ですね」とか話を振るよりは、リンゴ10キロ買って実家に送った。その方がよっぽどいい。農家のおばちゃんとは天気のことや収穫のこと、お互いの家族のことなどについて雑談した。そうすると自然と、息子が神奈川に避難していて帰ってこないとか、補償金の事情で引っ越しもできなくてとか、そういう話が飛び出してくる。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">畜産家のY氏は豪快に笑い、飯館牛ブランド再興を喜々として語り、聞いてる俺が元気になった。除染をし牧草は海外から取り寄せ、からし菜を植えて農地を再生、離農した仲間の田んぼを牛舎に変え大規模畜産を始める。線量検査も徹底。「何となく不安」なだけの消費者を納得させるために、ここまでやる。</p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/807137342896996352">2016年12月9日</a></blockquote>
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<p>線量検査についてはその後、飯舘村の職員さんと、地元で農地再生に携わる専門家から詳しい話が聞けた。検査し過ぎるほど検査しており科学的には安全だが、風評は収まらない。そこからどのように転作していくかという具体的なプランのことや、仮に売れなくても生き甲斐としてどう農家に仕事を再開させてやれるかという話に広がっていった。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">「再生の会」のK氏は緻密な理論家だ。震災から僅か3ヶ月の6月上旬にもう、東大や早慶・京大など名立たる大学の教授やOBを飯館に集め、物理学・化け学・医学など様々な角度からデータの集積・比較をスタートさせている。民間の、一個人がやる仕事ではない。データ、データと何度聞いたことか。</p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/807139380544434177">2016年12月9日</a></blockquote>
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<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">K氏は言う、データがなければ何も判断できない。政府は「安全です」と言うためだけのデータを集めたがる。しかし彼は様々なデータを集め、国内でも最先端の知見と技術を私人として集めて畑のことを考えた。自然は恵みだ、そして仕事は生き甲斐だということを力説する。奪われたのは家畑だけじゃない。</p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/807140680980041728">2016年12月9日</a></blockquote>
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<p>別の農業関係の方からはかなり生々しい話も聞かせてもらった。線量検査はクリアしたが、米が売れない。補償金で生活はできるが、仕事がないと人間は萎んでしまう。米作りを再開した。でも人は食べてくれないので、家畜用の飼料として売る。価格は1キロあたり9円だそうだ。9円！　1キロ9円。作り手として、悲しくなる。手塩にかけて作った米が、1キロ9円。しかし、それでも米を作る。差額は東電が補償してくれるから、生活はできる。しかし買う側も「どうせ安く買っても東電が補償してくれるんだろ」と声に出して侮ってきて、どんどん値段を下げられる。</p>

<p>これもまた別の方だが、田んぼの再開を諦めた人も多い。その田んぼには大量のフレコンバッグと呼ばれる、除染後の土を入れておく黒くてでっかいビニール袋が積まれている。それでいいのだと言う。そうして真っ黒い袋を大量に積んでおけば、政府が土地代を支払ってくれる。一時保管という名目だが、もちろん撤去の予定はない。しかしその隣の田んぼの所有者や、農業再開を目指す別の農家の方からすると、それもたまったもんではない。原発事故の象徴である黒いでっかいビニール袋が何十万トンと置かれているその隣で、農業を始めなければならない。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">1袋1トン！　これが飯舘村内だけで、220万個！ <a href="https://t.co/RnouKNJd9f">pic.twitter.com/RnouKNJd9f</a></p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/806728218912751616">2016年12月8日</a></blockquote>
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<h4>これからを考える</h4>

<p>こういう話は、もうやめよう。俺はこういう話を蒐集しに行ったのではない。こういう話は調べればいくらでも出てくる。そして俺は向こう1年以上は取材を続けるのだから、いくらでも読める。今回の三部作で伝えたいのも、そういうことではない。被害の甚大さを訴えるだけなら三部作もいらない。「なぜこうなってしまったのか」という部分を解き明かしたい。</p>

<p>あるジャーナリストの方の言葉が印象的であった。彼は講演などで「これから必要なのは、諦めること」とよく語るのだそうだ。諦める？　それは彼の言葉では、「明らかに」「見る」ということだ。現状をはっきりと見て、過去を振り返らず、これから何ができるか前向きに見つめていくという意味だろう。俺も以前とある本で、「諦める」という言葉がもともと仏教用語であり「明らかにする」という意味だと読んで感銘を受けたことがあったから、この言葉は腑に落ちた。俺が読んだその本のその著者はアスリートで、闇雲な精神論で自暴自棄に戦わず、自分の体格や筋肉など己の向き不向きを見極めた上で適切なトレーニングを継続することを書いていた。彼は短距離走者としての自分を「諦め」、オリンピックのハードル走でメダルをとった。皆さんご存知、為末大という人だ。</p>

<p>しかし同時に県内のいろんな人と話していると、そういうポジティブな意味ではなしに、穏やかに諦めている人の空気もたくさん感じた。津波や地震、原発事故の被害に対して、そういう人たちはもう散々、泣き、叫び、怒鳴り散らして、声も枯れ涙も尽きた。先日東電の賠償費用の見積もりが当初の2倍以上である21兆円を超えたというニュースが流れた。「30年で事故収束を目指す」、そんな目標も、どうせなぁなぁに、伸び伸びになって、いずれ適当にうっちゃられるだろうことを皆うすうす諦めているのだろう。</p>

<p>皆が皆そうだとは言わないが、少なからずいたそういう人たちの声や表情は、憤怒や慟哭とはまた違う形で私の胸を締め付けた。</p>

<h4>東京都の温度差、ぼんやりしたイメージがもたらすハッキリとした風評被害</h4>

<p>あれだけ白熱していた復興議論も、もう東京ではほとんど報道されない。おそらく関東にも「もう原発の話はうんざり」「もっと明るい話がしたい」という人はたくさんいるだろう。それは人間の心理としては正常なことだが、徒歩もうなく身勝手な話だ。福島の人だって「もう原発の話はうんざり」で「もっと明るい話がしたい」だろうから、普通に生活はしているし、笑いもある、音楽も流れている、しかしニュースでは毎朝毎夕に今日の放射線量が流され、先日のように地震があったり福島原発で人為的ミスによる冷却水ストップの事故なんかがある度に、最悪の想像が頭をよぎる。「もううんざり」「もっと明るく」生きていきたい、しかし震災の記憶が生活のどこかに必ずへばりついている。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">人間誰しも心に地下室を持っていて、そこには普段自分でも触らないような古い荷物がいくつか置かれている。それは当たり前だ。しかしこの土地に住む全員の、全員の地下室に「あの日」にまつわる荷物が必ず置かれている。笑っている人も元気な人も眠そうな人も無表情な人も必ず。そのことに圧倒される。</p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/806841018658144257">2016年12月8日</a></blockquote>
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<p>どうしても文章にすると異常なこと、異質なことばかりが話題になってしまうが、7日間の旅の中で感じたのはむしろ「ぜんぜん普通」の連続だった。ぜんぜん普通に飯を食い買い物をして、話して笑い、酒を飲んで風呂に入って、ぜんぜん普通。俺も県内で生まれ育ったとは言え、小学校以降はほとんど関東だったから、知らなかった美味いもんやいい温泉、素敵なスポットをたくさん訪れた。悲劇をばかり強調するのも、福島にとって良くないことのように思われる。かと言って明るい面ばかりを語るのも実態とかけ離れてしまっているのだが。</p>

<p>つまりはこういう複雑な事象を「わかりやすく」「一言で」伝えてくれ、教えてくれと言うこと自体が、不可能なことというか、知ることへの怠慢なのだ。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">福島市内、飯坂温泉に宿泊中。ゆうべも湯浴みひ今朝も朝風呂サッと入った。なんかムチャクチャ湯が熱いので、3分も入っていれば体の芯まで温まる。鳴子温泉・秋保温泉と並んで奥州三名湯に選ばれてるらしいよ。福島駅から電車で20分で着くアクセスの良さも魅力だ。 <a href="https://t.co/lb10i0Izet">pic.twitter.com/lb10i0Izet</a></p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/807015637520236544">2016年12月9日</a></blockquote>
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<p>福島にはいいところ、素晴らしいところがいろいろあるが、正直言ってだいたい二番か三番なのが残念だ。果物がとてつもない量とれるのに、知名度じゃ山梨に競り負ける。温泉だってたくさんあるが、ナンバーワンには程遠い。蕎麦もうまいが蕎麦と言ったら信州・長野の代名詞、畜産も盛んだが「○○牛と言えば？」というクイズを出したら松坂・神戸や近江という答えが大半だろう。実は米どころでもあるんだ。全国4位だったらしいぜ。最近の調査では7位にまで転落しちゃってたけどな。何故転落したかって？　書かなくてもわかるだろう。</p>

<p>除染した田んぼがソーラーパネルの集積所になっている光景を何度も目にしたが、これも皮肉なことだ。福島県が率先して再生エネルギー開発に力を入れていこうという決意の現れだから、基本的には素晴らしい。しかし、福島以外の人間が「まぁやっぱり、再生エネルギーじゃ供給が不安定だし」とわかったような口をきいて興味を失いつつある中、当事者県である福島だけが本気になって開発に力を注いでいるというのは、あんまりではないか。発電量が足りない、供給が不安定だ、そりゃそうだよ、政府も政財界も原発再稼働にチラチラ秋波を送るばっかりで、まともに研究・開発・投資に力を入れてないんだから、そもそも数が足りない、成立しない。研究費の投入が少ないから技術革新も起きない。全国に原発を作りまくり電源交付金という形で金をバラまいたあの熱意と資金力があれば、今の何倍、いや何十倍、発電量や安定性が増すだろう。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">飯館村内の平地除染は完了した。しかし行き場のない220万袋、220万トンの汚染土が残された。線量はもう低い。農業も再開できる。しかし米や野菜は風評被害で売れないだろうと皆知ってる。だからある畑では花を育て、ある畑はソーラーパネルの集積所になる。何もかも福島の肩に乗せられたままだ。 <a href="https://t.co/Wug5YzVXkN">pic.twitter.com/Wug5YzVXkN</a></p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/807143051583885312">2016年12月9日</a></blockquote>
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<p>何より福島にやらせてんのが、気持ちが悪い。もちろん福島が再生エネルギーの先進地域となって脱原発のロールモデルを示しつつ、その技術やノウハウを売ることで復興の足がかりとしていこうと考える、その逞しさは立派なことだが、どうして我々はすっかり忘れて「やっぱり再稼働もやむなし」なんて思考停止していられるのか。関東で使う電力を福島で発電させておいて、金は払うが後始末は知らねぇ、「もう忘れたい」と言うのは、どう考えても酷い話だ。言葉が過激なのでTwitterに書くのをためらい、消したのだが、それは例えるならば人んちに便所を作って大爆発させ、ウンコを撒き散らしておいて、掃除もせず金だけ払い、しかし綺麗に掃除したその家の前を「福島んち、きたねー。くせー。エンガチョ！」と鼻をつまんで通り過ぎようとしている。何と言うかもう人としてどうしようもない所業である。</p>

<p>重ねて言うが、復興は進んでいるし安全検査も過敏なほど取り組んでいる。復興を妨げているものは「福島ってやっぱ……」とぼんやり思っている偏見だ。それを駆逐するために徹底的に科学的なスタンスに立っている人たちは、たくさんいる。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">「再生の会」のK氏は緻密な理論家だ。震災から僅か3ヶ月の6月上旬にもう、東大や早慶・京大など名立たる大学の教授やOBを飯館に集め、物理学・化け学・医学など様々な角度からデータの集積・比較をスタートさせている。民間の、一個人がやる仕事ではない。データ、データと何度聞いたことか。</p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/807139380544434177">2016年12月9日</a></blockquote>
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<h4>これからのことについて</h4>

<p>とても1作品・2時間では書き切れまいと覚悟してはいたけれど、本当に複雑なのだということがわかった。この旅の感想だって一言にまとめきれないくらいだ。</p>

<p>複雑な事象を前にしたときは、安易な結論に飛びつかず考え続けることしかない。お手軽に手に入る答えに大抵ろくなもんはない。絶対儲かる方法とか誰にでもできるダイエット法に、ろくなもんがないのと同じだ。</p>

<p>我が師・永井愛はこう言っておった。谷くん、考えがまとまらないときは、書きまくりなさい。自分の混乱を文字にしなさい。まとまらない、うまくいかない、このままじゃダメだ──、そういう声は、自分の中で最も賢い部分が発している声だ。だから「まぁ、こんなもんでいいや」とおざなりにせず、徹底的に考え抜きなさい。そして混乱を、文字にしなさい。わかった気になっていることすらも、文字にしてみると意外と書けない、整理できてないことがわかってくる。だから「なぜ書けないんだろう」ということを考え抜き、「どこがうまくいっていないのか」を書きまくりなさい、と。</p>

<p>まぁもともと最低2年はかかるだろうと踏んでいたので焦っていない。じっくり取材して、本を読みまくり、書き続ける中で進めていきます。</p>

<p>というわけで来年5月、今度は最低2週間は滞在したいなと思っています。引き続き頑張るぞ。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">お疲れさん、福島！　また来ます。来年5月中旬から2週間強の滞在を計画中。次回は沿岸部すなわち浜通りを重点的に取材しつつ、最終目標であるあの人に接近したい。すでに取材予約が2件。帰村の叶った飯舘村にもまた来たい。あと、もしかしたら割とすぐまた来るかも。 <a href="https://t.co/D94fXhEx4i">pic.twitter.com/D94fXhEx4i</a></p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/807471651470254080">2016年12月10日</a></blockquote>
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<p>今回の旅を応援してくれた皆様、本当にどうもありがとうございました。</p>

<h4>助成：公益財団法人セゾン文化財団</h4>

<p>この一連の取材・研究は、セゾン文化財団からの支援を受けています。</p>]]>
    </content>
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    <title>2年かけて描く「演劇・福島3部作」プロジェクト、はじめます</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002828.html" />
    <modified>2016-12-14T05:16:43Z</modified>
    <issued>2016-12-02T12:03:52+09:00</issued>
    <id>tag:www.playnote.net,2016://1.2828</id>
    <created>2016-12-02T03:03:52Z</created>
    <summary type="text/plain">あの日以来ずっと福島のことをきちんと、腰を据えて書きたいと考えてきました。私が劇作家である以上、避けて通れない話題です。私の母は福島・浪江町の出身で、父は原発に...</summary>
    <author>
      <name>Ken</name>
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      <email>k&#101;nic&#104;i&#46;&#116;&#97;ni&#64;g&#109;a&#105;&#108;&#46;c&#111;m</email>
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    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<p>あの日以来ずっと福島のことをきちんと、腰を据えて書きたいと考えてきました。私が劇作家である以上、避けて通れない話題です。私の母は福島・浪江町の出身で、父は原発に出入りする技術者でした。自分のルーツと深く関わることであり、だからこそじっくり時間をかけて取り組みたい。──なぜ福島はFukushimaになってしまったのか？</p>

<p>2016年の夏頃から本格的に構想をスタートし、書籍を読み漁る中で、大枠の構想が固まってきました。約2年の準備期間を設け、時間にして半世紀・3世代の家族の物語として、3部作構想で取り組みます。諸事情から完全に手弁当企画ですが、2018年に1万人規模での動員を目指します。</p>

<p>手始めに12/4(日)～10(土)までの1週間、福島県内をぶらり一人旅、現地取材してきます。福島に住む人・住んでいた人の視点はもちろん、東電や政府・原発関係者の視点も交錯させて描くこの作品は、日本の社会と政治経済そのものを振り返るものになるはずです。</p>]]>
      <![CDATA[<h4>第一次現地取材、旅程（今のところ）</h4>

<p>今日ちょうど脚本を担当したホリプロ『わたしは真悟』の初日があけて、しかし年末にはもう次回演出担当作品・新国立劇場『白蟻の巣』の打ち合わせとお稽古が始まってしまう。今しかないから行ってきます。</p>

<p>12/04(日) 石川町<span class="note">（俺の幼少期の家があった）</span><br />
12/05(月) 須賀川市<span class="note">（ばあちゃんが入院してた）</span><br />
12/06(火) 郡山市<span class="note">（俺が生まれた街。親戚が今も住んでる）</span><br />
12/07(水) 未定<br />
12/08(木) 福島市<span class="note">（現地ジャーナリストの方と取材アポあり）</span><br />
12/09(金) 未定<br />
12/10(土) 未定</p>

<p>お袋の生家である浪江町や、劇団員・大原くんの実家のある南相馬とかも行けたらいいんだけど、まだ未定。また来年まとまって取材に行く予定なので今回はその下調べ。あまり予定を詰め込みすぎずに福島の風に吹かれて来る。</p>

<p>現地での様子は<a href="https://twitter.com/playnote?lang=ja">自分のTwitterアカウント</a>なんかにつぶやくと思いますので、ご興味あればフォローしておいて下さい。</p>

<h4>取材・その他協力者、募集</h4>

<p>こんな方、大募集！</p>

<ul>
<li>話を聞かせてくれる人</li>
<li>現地で会ってくれる人</li>
<li>人を紹介してくれる人</li>
</ul>

<p>ご連絡は<a href="http://form1.fc2.com/form/?id=819650">当ウェブサイトのメールフォーム</a>からお待ちしております！　そんな大層な話じゃなくていいのです。データや歴史は本を漁ればいくらでも出てくるのでむしろ、「わたし今、こんなこと思ってる」「こういう風に暮らしてる」、「あのときはこうだった」とか、そういう何でもない話が聞きたいのです。お茶でもしましょう。</p>

<h4>何で三部作なのか？</h4>

<p>ごめん、一本じゃ無理だ。事の経緯をきちんと追おうとすれば一本には収まり切らない。そして何となく最初の頃から、三世代・三家族の話にしたいなぁと直感があった。何故なら福島の人々が原発を受け入れた背景には、実は家族愛とか郷土愛という思いがどーんと横たわっている。「これで冬場、出稼ぎに行かなくて済む」とか、そういうね。</p>

<p>それぞれ独立して観れる作品にはするつもりです。『グリークス』三部作から古代ギリシャが立ち上がってきたり、チェーホフの四大喜劇から19世紀末ロシアの人々の生活が見えてくるとか、そういう感じ。そして数十年後、いや数百年後に上演しても理解できる形で作品にしたい。そうすればこの三部作が、おそらく数百年後の人々からは理解しがたい原発事故の読める記録にもなるだろう。</p>

<h4>最終的な目標</h4>

<p>いろんな人の生活や声・思いを丁寧に描くこと、そして演劇作品として面白い、質の高い作品にすることが一番の目標だろうか。お説教にもプロパガンダにもしたくない。俺は原発には反対だが、過度に政治的になって声高に反原発を叫ぶような作品にもしたくない。あの町に原発を誘致した人も、そこで働いていた人たちも、何も鬼や悪魔じゃない。普通の人間だったはずだ。そう、俺の親父みたいにね。</p>

<p>ちょうど先日うちのブログにも書いたが、今年公開の映画『この世界の片隅に』が実に素晴らしかった。いろんな事情で大手メディアじゃあまり大々的には取り上げられないけれど今や世間でも大評判ですね。広島県呉市に住んでいた普通の人間の生活を丁寧に描くことで、むしろ戦争の悲劇をよりシビアに伝えている。ああいう感じだ。映画としてのクオリティも素晴らしく高かったし、この福島プロジェクトでイメージしていたことと実に近い。</p>

<p>2018年の僕は、2月と3月、11月に仕事のオファーが内定しているので、その間を縫って夏頃に3部作連続上演を目指しています。劇団でやるのか、どこかとタッグを組んでやるのか、はたまたどこかのプロデューサーが手を挙げてくれるのか、劇場がついてくれるのか、一切わかりませんが、まぁいざとなったら手弁当でもやれるさ。こないだのDULL-COLORED POP『演劇』は劇団だけで3,000人動員できた<span class="note">（おまけにあの公演はチラシさえ刷っていない）</span>。なら1万人くらいは目指せるはずだし、それくらいの人に見せる価値のあるクオリティの高い演劇作品にしたい。そうすることが一番、福島の思いを伝えることになる。</p>

<p>というわけで、日曜日から行ってきます。応援よろしくお願い致します。</p>

<h4>追記 その後の関連記事</h4>

<ul>
<li><a href="http://www.playnote.net/archives/002829.html">第1回福島取材旅行を振り返る - PLAYNOTE</a></li>
<li><a href="http://togetter.com/li/1055854">谷賢一・2年かけて描く「演劇・福島3部作」プロジェクト １２/４～１０福島現地取材 - Togetterまとめ</a></li>
<li><a href="http://dcpopradio.seesaa.net/article/444602676.html">ダルカラPodcast#72『福島取材旅行について』: ダルカラードポッドキャスト</a></li>
<li><a href="http://dcpopradio.seesaa.net/article/444806585.html">ダルカラPodcast#73『福島取材旅行を振り返る その1』: ダルカラードポッドキャスト</a></li>
<li><a href="http://dcpopradio.seesaa.net/article/444806630.html">ダルカラPodcast#74『福島取材旅行を振り返る その2』: ダルカラードポッドキャスト</a></li>
</ul>

<h4>助成：公益財団法人セゾン文化財団</h4>

<p>この一連の取材・研究は、セゾン文化財団からの支援を受けています。</p>]]>
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>阿佐ヶ谷スパイダース『はたらくおとこ』再演雑感</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002827.html" />
    <modified>2016-11-16T14:04:28Z</modified>
    <issued>2016-11-16T22:32:55+09:00</issued>
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    <created>2016-11-16T13:32:55Z</created>
    <summary type="text/plain">長塚圭史と会うとビールが飲みたくなる。しかし「圭史さん、飲みに行きましょう」と言う気にはならなかった。考えたいことがたくさんあった。自分の頭で。だから缶ビール買...</summary>
    <author>
      <name>Ken</name>
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    </author>
    
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<p>長塚圭史と会うとビールが飲みたくなる。しかし「圭史さん、飲みに行きましょう」と言う気にはならなかった。考えたいことがたくさんあった。自分の頭で。だから缶ビール買って家に帰った。</p>

<p><span class="note">（だから、ここから先は演劇の感想ではない。劇評の類を期待しないで欲しい）</span></p>

<p>作品<span class="note">（ホン）</span>はほとんど変えなかったらしい。だからこそだろう、「変わったなぁ」と思った。変わったなぁ、俺も、演劇も、長塚圭史も。</p>]]>
      <![CDATA[<p>あちこちで公言しているけれど、圭史さんは高校生〜大学までの俺にとってのスーパースターだ。それは70年代ならつかこうへいが、80年代なら野田秀樹が、90年代なら松尾さんやケラさんがスーパースターだったように、何かと比較して面白いとかいうレベルではなく「あなたこそ演劇」のような存在だったという意味だ。たとえばポップソングの歴史において、ポール・マッカートニーとフレディ・マーキュリーのどちらがすごかったか比較しても意味がないように、長塚圭史は私にとって唯一無二の存在だったんだ。</p>

<p>だから確か初めて『ライヒ』だったかな、劇場中継で観た時に雷に打たれたようになって、駅前劇場で『日本の女』を観て「こんなに面白いものを俺だけが知っている、イヤッホー」と喜んで帰って、それからずっと観ている。『はたらくおとこ』は前期阿佐ヶ谷スパイダース、長塚圭史の一つの頂点、記念碑的作品だった。人気も絶頂だったし、内容もどんどん濃密にバイオレンスにグロテスクになっていった。</p>

<p>だからそのあと、圭史さんがイギリスへ留学することになる前後から作風が一変して、当然俺は世間の人以上に驚いた。当たり前だ。年季が違う。</p>

<p>＊　＊　＊</p>

<p>そんで今回『はたらくおとこ』の再演は、冒頭から「あぁ、懐かしい、この感じ」「今観ても面白い」「こういうのもいいなぁ」とノスタルジーに浸りつつ観ていて、カーテンコールの大きな拍手に違和感さえ感じて<span class="note">（最近の長塚作品は拍手しづらいものも多くあるので）</span>、そこで気づいた。</p>

<p>あぁ、12年経ったんだなぁ。そしてみんな変わってしまったし、演劇も変わった。『はたらくおとこ』は確かに面白かったけれど、これは昔の演劇なんだな、と。</p>

<p>正直、圭史さんがイギリスへ行った前後で、最初はしばらく置いてけぼりであった。しかし長塚圭史がやる以上は何か意味があるに違いないと必死で理解しようとして、演劇の見方が変わったり、新たな興味や発見と出辺りしたものだ。その頃圭史さんは「自分の頭の中で作り出されるものを面白いと思わなくなった」、「俳優やスタッフ、観客が、自分の作品を通じて何を想像するか、感じるか、そっちの方が楽しい」と、そんなようなことを語っていた。それこそ『はたらくおとこ』に代表されるようなそれまでの長塚節<span class="note">（長塚ノワールとかいう呼び方もあったね）</span>、ああいうものとは一線を画して、抽象絵画や不条理劇、現代詩にも近いような世界観を作り出していた。それを理解したいと思った俺や観客は、必死にああでもないこうでもないと考えたものだった。</p>

<p>＊　＊　＊</p>

<p>カーテンコールでみんなが喜んで拍手している様子を見て、あぁ圭史さんはもしかして、こういうのはもういいやと思ったのかもしれないな、とぼんやり考えた。それは俺のただの空想で、本当の長塚圭史とは異なるだろう。しかし俺はそうやって物事を観るくせがついてしまった。つけられてしまったと言ってもいいだろう。誰に？　長塚圭史にだよ。</p>

<p>一時期演劇は、夢や幻想を共有する芸術であった。舞台という一夜の夢をみんなで共有する。それは80年代くらいまで、そうじゃなかったかと思う。あの頃のお芝居は夢や幻想、ファンタジーの色合いのある作品が多くって、しかしそれは字義通りのお花畑の夢ではなく、あまりにも皮相的で浅薄な現実に対置される形で濃厚な夢としての舞台芸術があり、その夢の中で観客は現実よりも鋭い現実と出会った。あるいはその舞台の夢を鏡として現実を観た。ように思う。90年代に松尾さんやケラさんが見せた作品群は、もう少しドライで現実に立脚していて、残酷だし絶望していたように思うが、それでもまだグロテスクな夢だとしても夢には違いなかったように思う。初期阿佐ヶ谷スパイダースもその系譜としてとらえると自分にはとても、とてもしっくりくる正統進化系の新世代だったのだが、長塚圭史という人は、その漸進的な進化を断ち切り、一足飛びにポンと違う場所に飛び移ってしまったのではないか。演劇でみんなが何かを共有する、ということに飽きてしまい、それぞれが違う夢や妄想を抱くような、そんな作品を作り始めたのではないだろうか。</p>

<p>思い起こせば『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』にしても『荒野に立つ』にしても、観終わった後で隣の人と「よかったねぇ」「面白かったねぇ」「あそこってああいう意味だったよねぇ」とうなずき合えるような作品では、全く無かった。「よかった……と、私は思うんだけど、どうかな？」「う、うん……。私は、正直言うと……」とか、「あそこって……こういう意味だと私は思ったんだけど」「えっ？　あそこ？　あそこは……、ごめん、あんまり印象に残ってない」「えっ？　マジで？　私あそこが一番印象に残ったんだけど」「私は……」みたいな。おっかなびっくり、自分の観た幻想の正体を語り、考え、それが案外、いや当然のように人と違うのだということを感じるような手触りの作品が多かった。と思う。</p>

<p>それが今回の『はたらくおとこ』では、当然なのだが、終わったあと知り合いにあったら「面白かったね」と言える、「俺はあそこが好きだな」と言える作品だった。なんだかもう、長塚圭史を十五年見てきてよく知ってるはずなのに、ぜんぜん違うものを観ているような錯覚に陥った。そして自分も今さら「面白かったね」「うん、そうだよね」というコミュニケーションのために演劇を観ていない。</p>

<p>もう少し物語や演出に寄り添った形での感想もあるけれど、それを他人に言うことにとりたてて意味を感じないので、それは書かない。俺が感じたことは俺が感じたことで、それ以上でもそれ以下でもない。ブログに垂れ流しても意味が無い。そのうち何か、作品に書けばいい。</p>

<p>そういったもろもろを含んだ意味で、「変わったなぁ」と思った。変わったなぁ、俺も、演劇も、長塚圭史も。</p>]]>
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>映画『この世界の片隅に』</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002826.html" />
    <modified>2016-11-14T14:15:05Z</modified>
    <issued>2016-11-14T22:34:23+09:00</issued>
    <id>tag:www.playnote.net,2016://1.2826</id>
    <created>2016-11-14T13:34:23Z</created>
    <summary type="text/plain"> 観終わってすぐ、Twitterにはこう書いた。 公開を楽しみにしてた映画『この世界の片隅に』を観た。映画で泣くことは1年に一度くらいはあるけれど、3年分、いや...</summary>
    <author>
      <name>Ken</name>
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    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<div class="imgbox-floatright">
<img src="http://www.playnote.net/archives/img/konosekainokatasumini.jpg" alt="konosekainokatasumini.jpg" width="300" height="169" />
</div>

<p>観終わってすぐ、Twitterにはこう書いた。</p>

<blockquote class="twitter-tweet" data-lang="ja"><p lang="ja" dir="ltr">公開を楽しみにしてた映画『この世界の片隅に』を観た。映画で泣くことは1年に一度くらいはあるけれど、3年分、いや10年分くらい泣いた。ほわほわした絵柄で緻密に考証された日常を描く前半と、後半のコントラストの凄まじさ。恐ろしい出来だ。映画演劇小説含めて今年ナンバーワンであった。</p>&mdash; 谷賢一 (@playnote) <a href="https://twitter.com/playnote/status/798064032565469185">2016年11月14日</a></blockquote>
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<p>今年ナンバーワンどころか、今まで観たあらゆる「戦争モノ」の中でナンバーワンだった気さえする。それはこの映画が、いわゆる「戦争モノ」ではなかったからだ。</p>]]>
      <![CDATA[<p>「いわゆる戦争モノ」と言うのは、大別すると2つある。</p>

<ul>
<li>罪のない一般市民が戦争に巻き込まれ、「もう戦争なんて嫌だ！」と泣いたり怒ったりする、反戦のための反戦映画</li>
<li>特攻隊をはじめ日本軍の兵士や将校を過度に美化して感動的なストーリーに仕立て上げる、愛国心映画</li>
</ul>

<p>自分は戦争には絶対反対だし、今回この映画『この世界の片隅に』を観てさらに反対になったし、アメリカの原爆投下はとんでもない戦争犯罪だと思うし、昭和天皇の戦争責任もきちんと追求されるべきだと思うし、一言で言えば「左翼」にくくられる類の人種だろうが、上に挙げた「反戦のための反戦映画」や演劇・小説・漫画その他は大嫌いだ。そういうのはもう見飽きるほど観たし、リアルじゃないと感じる。普通の人が普通に戦争に加担したり肯定したり、それどころか狂信的に様変わりしていくことこそが恐ろしいと思うし、戦時中に突然「やっぱり戦争なんて、間違ってる！」とか言い出すヒロインは、やっぱりどうしても戦後の視点から作られた戦争モノに見えてしまうんだ。</p>

<p>この映画『この世界の片隅に』は、上述のような突然ヒロインが「戦争なんてやめよう！」とか言い出す類の映画じゃない。ただただ一生懸命、精いっぱい、普通に頑張って暮らしているヒロインの生活を描いており、日常モノと言っても過言じゃない。たまたまそれが戦争中で、たまたまたそれが日本最大の軍港のあった呉が舞台で、たまたま彼女が広島出身だったというだけで、これは徹底的に「日常」を描いた日常映画だ。</p>

<p>だからこそ恐ろしい。今こうして書いていても、また背筋がゾゾゾとして、目頭が熱くなってくる。……ここから若干ネタバレするが、たとえば彼女が不器用なりに炊事や縫い物に挑んでいて、夫や家族とのちょっとした軋轢にまごついたりもして、少しずつ食べ物も手に入らなくなる中それでもなんとかおいしいごはんを作ろうと奮闘して、そういう日常の光景を見ていると、もう、泣けてきてしまうのだ。きっとそれは私の想像力が、私の涙腺を攻撃するんだ。だってここは呉だし、彼女の実家は広島だし、昭和20年の8月に、彼女は里帰りを考えている。こんなに普通に日常を生きている彼女の未来を、俺はちょっと、いやかなり、知っているんだ。</p>

<p>制作者陣はとにかく描写の緻密さ、小道具や衣裳・町並みのリアルさにこだわったという。そしてそれはパーフェクトな効果を映画にもたらしていた。戦前の呉の風景なんて、俺は知らない。知らないはずなのに、まるで一緒にこたつを囲んで、街を歩いているような、家族のような気さえしてくる。ノスタルジーすら感じた程だ。それも「昔は良かったなぁ」なんていうノスタルジーじゃない、「この家、俺のばあちゃんちにそっくりだ」とか、「小さい頃、こういう風景見たなぁ」とかいう、もはや錯覚に近い移入だった。はっきりとこの映画は、俺のふるさとに似ていたんだ。どういうことだろう？</p>

<p>アニメ映画だが、芝居もいい。主演の「のん」がまずハマり役もいいところで、最初の台詞を聞いた時点で主人公のことが好きになっていた。のんびり屋さんで、ぼーっとしていて、抜けているけど一生懸命で。そんな女の子に萌え萌えアニメ声の声優が声をあてたら「狙い過ぎ」で興ざめもいいところだが、「のん」の朴訥とした演技は「かわいい」というより「田舎臭い」とか「どんくさい」印象が先立って（笑）、素晴らしい効果を発揮していた。またキャラクターの表情がよく動くし、微妙な葛藤を感じさせてくれる。説明臭い動きや表情が少ない分、人物の内心を実写映画やいい舞台作品を観るように、想像して観れた。</p>

<p>べた褒めじゃないか、と思われそうだが、<strong>べた褒めなんだ</strong>。泣けたからいい映画と言っているわけじゃない。これは本当に恐ろしい、ある意味ではひどく悪趣味な映画だとさえ言える。だって本当に普通の、何でもないただの人が、戦争の犠牲になっていくんだ。戦争に反対したわけでもないし、共産主義にかぶれていたわけでもない。本当にただの人、むしろ何の個性もないと言っていいくらい平凡な人たち。それが傷ついたり死んだりする。悪趣味な映画だろう？　しかし戦争とはそういう、悪趣味なものなんだ。</p>

<p>そんな普通の塊のようなキャラクターたちに、何故こんなにも感情移入ができたのか？　やはりディテールの細かさと芝居の巧みさだ。本当にいる家族のように思えたのは、本当の街を描こうとして、本当に当時の街の地図や店の名前、住んでいた人たちのことまで調べ尽くした制作陣の努力の賜物というほかない。観客としても手放しで絶賛だったが、同じクリエイターの端くれとしても手放し絶賛、頭が下がる、爪の垢を煎じて飲ませて欲しい、素晴らしい作品であった。</p>

<p>もう一度映画館に行こうかなとさえ思うが、そんなことは初めてかもしれない。演劇が良すぎて二度三度観たことは何度かあるが、映画では初めてだ。しかしこれは是非DVDじゃなくて映画館で観たい。淡々と平凡に描かれた日常に突如、空襲の爆音が鳴り響くあの瞬間の驚きと恐怖は、映画館でなければ味わえまい。兵器描写まで緻密なんだ。それに前半一時間はとにかく、とにかく静かな日常なので、あの爆撃の音と言ったら……。</p>

<p>不尽。是非もう一度観たいし、観て欲しい。ある程度歳を重ねた大人の方が楽しめると思います。お見事でした。</p>]]>
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>FFAC創作コンペ審査雑感</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002825.html" />
    <modified>2016-11-13T15:25:05Z</modified>
    <issued>2016-11-13T23:52:47+09:00</issued>
    <id>tag:www.playnote.net,2016://1.2825</id>
    <created>2016-11-13T14:52:47Z</created>
    <summary type="text/plain">創作コンペティション「一つの戯曲からの創作をとおして語ろう」vol.6 というのに今年、審査員として参加している。この週末プレゼン審査があったので、全部で5人／...</summary>
    <author>
      <name>Ken</name>
      <url>http://www.playnote.net/</url>
      <email>k&#101;nic&#104;i&#46;&#116;&#97;ni&#64;g&#109;a&#105;&#108;&#46;c&#111;m</email>
    </author>
    
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<p><a href="http://www.ffac.or.jp/news/detail123.html">創作コンペティション「一つの戯曲からの創作をとおして語ろう」vol.6</a></p>

<p>というのに今年、審査員として参加している。この週末プレゼン審査があったので、全部で5人／5作品の演出プランについて審査・講評してきた。</p>]]>
      <![CDATA[<p>きちんと自分なりに正義を持って方針を立てて審査に望めたので悔いはないのだが、何と言うか、難しい体験であった。それは一言で言えば、「お前らみんな演出家なんだから、審査員の言うことなんか聞くなよ」という思いが根底にあったからだ。審査員として審査っぽいことをしつつ、言いつつ、「だがしかし俺の言葉は無視せよ」と思い続けるという、ねじれた気持ちでいた。</p>

<p>演出に正解というのはない。何なら今、偉大な演出家扱いされてる人たちはみんな、「それはやっちゃいけない」「そんなのが面白いはずがない」ということをやってきた人たちだ。もし正解があるとしたら、自分のイメージ／妄想にどれだけ肉薄できたかということであって、どんな賞をとったとか、どれくらいの観客に支持されたとか、そういうことは<span class="note">（大事でないとは言わないが）</span>二の次三の次だろう。</p>

<p>しかし俺も演劇でメシを食わせてもらってもう10年にもなるプロの演劇屋を自負しているので、正義もあるし一家言もある。自分の正義と感性に照らして「これはねーな」という点については全力で批判してきた。言い切った後でいちいち「……という俺の講評は、無視して頑張れ」と心の中でつぶやきつつ。</p>

<p>＊　＊　＊</p>

<p>先生にマルをもらうような演出プランに意味がない、価値がないとは言わない。演出家は技術職でもあるし、演出力は引き出しの多さや知識の多さとも直結しているから、王道を踏まえた確かな演出というのは確実に存在する。すごいアヴァンギャルドな創作料理を創る料理人だって最初はやっぱり料理のサシスセソからお勉強したであろうのとおんなじで、やっぱり基礎やセオリーというものはあるんだ、確かに。しかし先生がマルをつけられるのはそういうところだけである。</p>

<p>次は来年3月に上演審査があって、それも真剣にやるつもりだし、プレゼン審査を突破した人々にも頑張って欲しいとは思っているが、本当はそんなこんなすべてどうでもいいことなのだ、と、心の何処かで思ってもいる。この賞を取ったからって、一体何になるのか。ちょっとハクがつくくらいだろう。いや別にこの賞が小さい賞だと言いたいのではない。彼らの目指すべきものは自身の芸術の完成であって、我々審査員に気に入られることでも賞をとることでもないということだ。</p>

<p>ただまぁ、俺はやれる、私は本物だと思ってるのなら、審査員程度は圧倒して見せてくれよとは思うけどね。</p>

<p>＊　＊　＊</p>

<p>しかし、</p>

<p>「何でこのコンペ参加してんの？」</p>

<p>という俺の問いに対して、</p>

<p>「勝ち進んだら、大きなホールで、ただで上演できるから」</p>

<p>と答えた大馬鹿野郎が一人いたんだが、ああいうのはもう演出家としてどうこういう以前に人として下賤である。恥ずかしいとは思わねぇのか。今調べたらさすが地方都市、あのホール一日借りても12,800円しかしねぇでやんの。爆安だ。バイトしろバイト。12,800円で夢が買えるのなら安いもんだし、12,800円も用意できねぇヤツが演劇なんて大それたことやるでない。</p>

<p>演出家なんてさ、演出家なんて、確かに夢のいくつかは叶うけど、その代わり日々傷つくばっかり。体じゃなくて心がどんどん疲弊していく、哀しい職業だぜ。俳優の声に傷つき、スタッフの反応に傷つき、観客の心ない声に傷ついて、そんでもたまに自分の夢を舞台上に描けるから元気が出ちゃって、続けている。あんまり人に進めたい職業ではないかな。</p>

<p>しかし俺にはもっと大きな野心もあるので、粛々と続けていきます。</p>]]>
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>通勤用クロスバイク・Markrosa Horizontal M77DT6</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002824.html" />
    <modified>2016-10-24T17:01:38Z</modified>
    <issued>2016-10-25T01:47:56+09:00</issued>
    <id>tag:www.playnote.net,2016://1.2824</id>
    <created>2016-10-24T16:47:56Z</created>
    <summary type="text/plain"> Markrosa Horizontal M77DT6 禁煙・筋トレ・ランニングを初めて10日くらい。運動という新しい趣味にクラクラと楽しみを覚えている。もっと...</summary>
    <author>
      <name>Ken</name>
      <url>http://www.playnote.net/</url>
      <email>k&#101;nic&#104;i&#46;&#116;&#97;ni&#64;g&#109;a&#105;&#108;&#46;c&#111;m</email>
    </author>
    
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<div class="imgbox-floatright">
<img src="http://www.playnote.net/archives/img/machinoring_m77dt6_2.jpg" alt="machinoring_m77dt6_2.jpg" width="490" height="373" /><br />
Markrosa Horizontal M77DT6</div>

<p>禁煙・筋トレ・ランニングを初めて10日くらい。運動という新しい趣味にクラクラと楽しみを覚えている。もっと運動していたいなぁ、もっと早くトレーニングの成果を出したいなぁと思い、通勤もなるべく自転車にすることにした。そこで購入、ブリヂストンが出している街乗りにちょうどいいクロスバイク、Markrosa Horizontal M77DT6。</p>]]>
      <![CDATA[<p>機種的にはちょうどクロスバイクとシティサイクル<span class="note">（要はママチャリ）</span>の中間くらいのもののようだが、十分過ぎる性能である。購入後、嬉しくなってすぐに隣町まで走って往復してみたが、たしかにこのスピード感はママチャリでは味わえないし、移動が移動じゃない感じがする。移動するために移動しているのではなく、移動自体が楽しい、乗っていること自体が楽しい感じがすると言うか。</p>

<p>ギリギリまでもう少し本格的なクロスバイクとの間で悩んでいたが、このMarkrosa Horizontalにはこんなものがついている。</p>

<ul>
<li>ライトついてる</li>
<li>カギもついてる<span class="note">（しかもディンプルキー）</span></li>
<li>泥除けがついてる＝雨上がりの日でも背中まっくろにならない</li>
<li>オプションで前カゴもつけられる</li>
<li>スタンドもついてる</li>
</ul>

<p>うん、正直どれも、スピードを追求する上では邪魔なものだからクロスバイクやロードバイクには搭載されていない。そんなことはわかってるんだ。<strong>だけど俺はスピードを追求していない。</strong>追求しているのは乗り心地と便利さ、楽しさだ。特に仕事の通勤で使うんだから、カゴはダサくてもやっぱり欲しかった。</p>

<p>ネットで色々調べていて、最初のクロスバイク選びのポイントとしてこんなことが書いてあった。</p>

<p>「高ければ高いほど、性能は上がる。裏を返せば同価格帯なら性能はトントン。<br />
　<strong>だから予算内で一番カッコいいと思うやつを買え。</strong><br />
　パーツは後で交換できるがフレームは変えられない」</p>

<p>すげぇそのとおりだなぁと思った。何よりまず、自転車くんを気に入って、続けられるということが大事だ。このMarkrosa Horizontalくんは、まず名前がカッコいいしフレームもシルバーでクール。赤や黄色も悪くないけど、今の自分の持ってる服を考えるとクールなシルバーがいいと判断したんだ。自転車に合わせて服買い換えるのも何だしね。</p>

<p>これからしばらく、西新宿とか初台とか、そんなに家から遠くないけど電車で行くと乗り換えがあって面倒という稽古場が続く。このMarkrosaくんと一緒に移動すれば、運動にもなって電車賃もかからない。満員電車にも乗らなくて済む。そうなんだ、俺は満員電車が大嫌いで、でも青空の下なら東京もそんなに嫌いじゃない。風を切って走る東京のアスファルトは、別に悪いものではなかった。</p>]]>
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>田原総一朗『ドキュメント東京電力―福島原発誕生の内幕』</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002823.html" />
    <modified>2016-10-16T15:25:38Z</modified>
    <issued>2016-10-17T00:24:57+09:00</issued>
    <id>tag:www.playnote.net,2016://1.2823</id>
    <created>2016-10-16T15:24:57Z</created>
    <summary type="text/plain">ドキュメント東京電力―福島原発誕生の内幕 (文春文庫) | 田原 総一朗 「ドキュメント東京電力」と銘打たれてはいるが、日本の電力の歴史を総ざらいするような壮大...</summary>
    <author>
      <name>Ken</name>
      <url>http://www.playnote.net/</url>
      <email>k&#101;nic&#104;i&#46;&#116;&#97;ni&#64;g&#109;a&#105;&#108;&#46;c&#111;m</email>
    </author>
    
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.playnote.net/">
      <![CDATA[<div class="imgbox-floatright"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167356155/playnote-22/ref=nosim"><img src="http://images.amazon.com/images/P/4167356155.01._PC_SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="ドキュメント東京電力―福島原発誕生の内幕 (文春文庫) | 田原 総一朗 |本 | 通販 | Amazon" width="117" height="170" /><br />ドキュメント東京電力―福島原発誕生の内幕 (文春文庫) | 田原 総一朗</a></div>

<p>「ドキュメント東京電力」と銘打たれてはいるが、日本の電力の歴史を総ざらいするような壮大な本であった。内容も一言ではまとめきれないが……、強いて言うなら、東電VS日本政府の飽くなき主導権争いの歴史であり、それは同時に自由主義ないし市場原理VS統制経済の戦いであるとも言える。</p>]]>
      <![CDATA[<p>話は戦前から始まる。電力戦国時代とでも言おうか、電力会社が大量に存在し、それぞれに営業していた時代がまずある。そして戦争が激化し、国家総動員法と時期を同じくして「電力国家統制法案」と呼ばれる３つの保安が可決される。これ以降電力は、国が効率的に計画・管理し、必要に応じて配分していく方式となる。しかしこれがうまくいかない。そして忸怩たる思いで法案成立を見送った電力業界の男たちは、この雪辱を忘れなかった。その思いが戦後、電力９社という形で民営化される中で「絶対に政府には主導権を渡さない」というもはや復讐にも似た強い覚悟に繋がっていく。</p>

<p>つまりこれは、自由主義と計画経済の戦いなのだ。……途中まで「ドキュメント」として、社の沿革を読むようなつもりで読んでいたんだが、途中で「あ、これはやばい」ということに気がついた。東電と政府の主導権争いと言ってもそれは、単純な利益の争奪戦ではない。プライドや信念をかけて、それぞれの立場から日本の将来を案じて行っている戦いであり、男同士の言ってみれば縄張り争い、覇権争いでもある。その実質的な主人公と言える木川田の暗躍の仕方は、下手な戦記モノを読むよりよほど面白いんじゃないかな。</p>

<p>そしてなぜ日本は原子力発電を必要としたのか？　という点にも、思いもよらなかった視点を見せてくれた。原発計画がはじまったのは1950年代。まだ公害問題も大きくは表面化していないし、後のオイルショックを代表とする資源問題にも直面していない。だったら何故、厄介な原発に日本は手を染めたのか？　前述の木川田社長は「原発は悪魔の産物」と呼んで反対していたくらい。実はその背景には<span class="note">（著者でさえ最暗部には触れられなかったようだが）</span>日米関係そして冷戦状況という国際政治情勢が絡んでいる。</p>

<p>うまくまとめきれない。それくらい密度のある本であった。読み返そう、いずれ。</p>

<p>田原総一朗ってこんないい本書いてたんだ……。テレビコのメンテーターなんてくだらない仕事、辞めちゃえばいいのになぁ。</p>]]>
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    <title>第二の人生</title>
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    <modified>2016-10-13T15:53:58Z</modified>
    <issued>2016-10-14T00:08:52+09:00</issued>
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    <created>2016-10-13T15:08:52Z</created>
    <summary type="text/plain">人生の、大きな変化が続いている。...</summary>
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      <name>Ken</name>
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      <![CDATA[<p>人生の、大きな変化が続いている。</p>]]>
      <![CDATA[<h4>禁煙</h4>

<p>もう3週間禁煙している。信じられない。直前まで2箱/day吸っていたが、禁煙外来が処方したチャンピックスという薬の効能が凄まじくって、吸わずに全く元気にエイエイ暮らせている。</p>

<p>おかげで飯がうまくて困惑している。今日は口の中で白米がみずみずしくダンスしていたし、ブリが舌の上で生命を取り戻し大海原を泳いでいた。白米が、ただ白米がうまいというこの事実！　あと、酒の味の違いが若干だかわかるようになった。今まで私は「どうせ味なんてわからねぇから」とウイスキーでも焼酎でもワインでも一番安いものを買って飲むようにしていた。本当にわからねぇから。ところが先日、コンビニでいつもどおりの安酒を買ってみたら、味の違いに気づいてしまった。買ったのは安いワインだったが、何と言うか味が、酸っぱいというか尖っているというか、余裕がない感じがする。切迫しているな、このワイン、という具合であった。そしてその後ウイスキーを飲んだが、これも違った。ブラックニッカの小瓶を買って路上でクイッと飲んだのだが、何かこう、辛いというか、薬臭い感じがする。柔らかさがない。</p>

<p>もし私の舌が味の違いに気づいてしまったのだとしたら、これは大変なことだ。これから金がかかる。そんなのは嫌だ。いつまでもブラックニッカで笑っていたい。駅そばに舌鼓を打っていたい。</p>

<p>禁煙を始めた理由は簡単で、「面倒くさくなったから」というのが一番正解に近い。もう、吸うだけで一苦労だ。路上ではうかつに吸えないし、探しても探しても喫煙所は見当たらない。おまけに数がどんどん減ってる。お店に入るときも「この店は吸えるところかな」なんていちいちチェックしなくちゃいけない。食べログでお店探すときも地方でホテル探すときも「喫煙可」で探さなきゃいけないから選択肢がすごい減る。歯磨きも念入りにしないといけないし、自分の匂いを気にし続けなければならない。もう、とにかく面倒くさいのだ。</p>

<p>しかし仕事柄、執筆中はどうしても吸いたくなってしまうので、今まで禁煙を避けていた。今、スケジュール的にオリジナル新作を書くのは随分先になったので、ちょろっと禁煙やってみた、というところなのだ。このまま来年の春まで続けば、さすがにそのまま禁煙できると思うのだが、どうだろう？</p>

<h4>トレーニングを始めた</h4>

<p>これは禁煙と大きく関係がある。</p>

<p>執筆がない→禁煙できる→身体がどんどん元気になる＆体重が増える</p>

<p>ということで、何か力がみなぎってきた。ついでに何か新しい趣味を持ちたいと思っていたところだったので、筋トレなど始めてみた。</p>

<p>これがなかなかに楽しい。まだせいぜい、リビングでテレビをみながらエイエイ腕立て腹筋やったりするのと、家の周りをラジオ英会話聞きながらわいわい走り回っているくらいだが、一週間くらい続けただけで随分と身体がイキイキしてきた。</p>

<p>動いて楽しい。という経験は、自分の人生になかった楽しさだ。もうそろそろ人生も折り返し地点を迎える。だって35になっちゃうんだ、来年には。そうしたらあと、どう見ても半分しかない。おまけに俺は今までさんざん不摂生してきたから、70まで生きれるはずもない。何か新しいことをはじめなければ。そうずっと思っていたが、あまりにも忙しすぎて、常に〆切と稽古が目の前に横たわっていて、休日すらろくになく、何も始められなかった。今！　はじめる。</p>

<p>自分の場合、何か新しいことに挑戦していないと人生が楽しくないらしい。一つ目標ができたが、それについてはもう少ししてから書こうと思う。とりあえず三日坊主は超えたから、三週間坊主にならないよう頑張って続けよう。</p>

<p>正直今、とても人生が充実している。おかしなことだ！　仕事であれだけ忙しくしてきたこれまでの数年間、充実していたはずなのに。しかし自分のための時間なんてものは、本当にどこにもなかった。屍のまま演劇をやっていた。死んだまま演劇に生きていた。今、もう一度、自分の人生を取り戻そうとしているのかもしれない。私は。</p>]]>
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    <title>新国立劇場・演劇研修所でシーンスタディ講師をやる</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.playnote.net/archives/002821.html" />
    <modified>2016-10-11T10:17:24Z</modified>
    <issued>2016-10-11T19:05:08+09:00</issued>
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    <created>2016-10-11T10:05:08Z</created>
    <summary type="text/plain">えー本日からしばらく新国立劇場・演劇研修所にてシーンスタディの先生やらしてもらいます。ハタチそこそこのガキだらけだそうで、きちんと会話劇やりたいそうだから、テキ...</summary>
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      <![CDATA[<p>えー本日からしばらく新国立劇場・演劇研修所にてシーンスタディの先生やらしてもらいます。ハタチそこそこのガキだらけだそうで、きちんと会話劇やりたいそうだから、テキストには因縁の『プルーフ/証明』を選びました。愛と才能に関する話だからぴったりじゃねぇか。</p>]]>
      <![CDATA[<p>新国の演劇研修所は税金で動いてる国内唯一の演劇教育機関であるので、必然的に日本最高の演劇学校であらねばならぬ。教育は文化と国の礎だ。おろそかにできん。</p>

<p>そして何より新国立劇場・演劇研修所には、頑張ってもらわねばならんのだ。ここから一人でも二人でも日本の演劇界にとって欠くべからざる人材が育ってくれれば、誰しもが「やっぱり教育投資は必要なんだ」と認めてくれる。そうすればもっともっと、演劇教育へ公金が投入される。国も国民も、演劇教育の必要性を理解してくれる。</p>

<p>というようなことを初回授業では喋ってきた。一人でいいのだ。つうか教育なんて、そんなもんだ。音大出<br />
たやつが全員ミュージシャンになるとは限らないし、美大出て別の仕事してるやつなんてのもぞろぞろいるわけで、全員がプロになれるわけじゃない。しかし全員プロにするつもりで育てなければ、一人の本物も出てこないだろう。そして一人の「本物」が生まれて、演劇でも映像でも活躍してくれれば、時代は変わる。大きく物事が動いていく。</p>

<p>というわけで実はとても意気込んでいる仕事です。頑張ります。</p>]]>
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    <title>東村アキコ『東京タラレバ娘』</title>
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    <modified>2016-10-10T15:05:26Z</modified>
    <issued>2016-10-10T23:42:40+09:00</issued>
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      <![CDATA[<div class="imgbox-floatright"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406340935X/playnote-22/ref=nosim"><img src="http://images.amazon.com/images/P/406340935X.01._PC_SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="東京タラレバ娘(1) (KC KISS) | 東村 アキコ | 本 | Amazon.co.jp" width="113" height="170" /><br />東京タラレバ娘(1) (KC KISS) | 東村 アキコ</a></div>

<p>この夏ご一緒したOn7連中と渋谷でサムギョプサルなんかモリモリ食べてたら薦められた。アラサー女の集団であるOn7連中が「アラサーあるあるが読んでいて苦しい」「悶絶する」「しかし読んでしまう」と太鼓判であったので何か異常な興味が湧き、手に取ったが正直言って傑作であった。</p>

<p>恋愛したいが恋愛だけがしたいわけじゃない、仕事もしたい。でも一人で生きていくのはもうこりごりだ。そういうアラサー女が三人、あん肝とかレバテキとかもつ煮が売りのおっさん向け大衆酒場に顔寄せ合って延々愚痴ってる話……みたいに聞いた気がするんだが、なかなかどうしてきちんとしたストーリーものだった。</p>]]>
      <![CDATA[<p>最初は1話完結の日常系漫画かなーなんて思っていたくらいだが、キャラが立っているので「次、どうなるんだろう」と読ませる力が半端ない。3巻まで読むつもりだったが最新刊まで一気に読んでしまった。<br />
<span class="note">（漫画はこれがあるから怖いよね。一気読みできてしまう）</span></p>

<p>主人公の設定が脚本家というのも何だか泣かせる。アラサー彼氏いない歴10年くらいの主人公・倫子が書く脚本は、現実の自分の反映、自分の人生の切り売り……と言えば聞こえはいいが、むしろ自分の実人生のルサンチマンをぶちまけたような内容だ。仕事ばかりで「いつかいい人が」と言ってるうちにアラサー女の前に白馬の王子が現れる、的な、夢にしてももう少しマシな夢見ろと言いたくなるよな妄想ストーリー。正直、脚本としてはすごください。でもそこにちょっとリアリティを感じてしまう。だってそういう人、今多いはずだもの。</p>

<p>人生の正解なんてどこにもない、わけじゃなく、時代ごとに変わるんだ。昔は女は早く嫁に行くのが正解だったし、バブル前後は恋も仕事も自分だけの人生を謳歌することが正解だったし、そして今の時代、正解がなくなっちまった。結婚して専業主婦？　そんな稼ぎのある旦那は珍しいくらいになっちまった。だったら自分も働く？　その末路が本作の主人公たち3名である。恋も仕事も両立？　それができたら苦労はしない。一人で生きていく？　そう思ってたんだよなぁ、この『タラレバ娘』の主人公たちも。それが急に30迫って「やっぱり……」となっていく様子は、実にリアルだ。</p>

<p>そして。ふだんあまり漫画を読まないので東村アキコさんという方の作品初めて呼んだが、とても文学的なセンスのある方だなぁと感銘した。出て来る言葉の切れ味がユーモラスなのに鋭いし、お話の筋の運び方がとてもうまい。女性向けの漫画でよくある、四角い吹き出しみたいなのに主人公の独白みたいなの書いてある奴、よく見るでしょう。ああいうの読む度にクサすぎてウゲーだぜとなっていたんだが、どれも素晴らしかった。おまけに伏線の焦らし方や回収の仕方もうまい。おかげで一気に読んでしまった。</p>

<p>あとは……。女子会って、こういう会なんだなぁと、感心しました。へぇ、なるほどね……。とてもおもしろかった。来年ドラマ化されるようだが納得であった。この毒と切れ味、残酷さと、それらがもたらすユーモアが、映像化によって鈍りませんよう。</p>]]>
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