<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>言霊</title>
	<atom:link href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com</link>
	<description>日本神話や昔話を紹介</description>
	<lastBuildDate>Tue, 21 Apr 2020 07:00:06 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=4.6.1</generator>
	<atom:link rel='hub' href='http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?pushpress=hub'/>
	<item>
		<title>大納言流罪「平家物語-作者：藤原行長(異説有)-」</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e5%a4%a7%e7%b4%8d%e8%a8%80%e6%b5%81%e7%bd%aa%e3%80%8c%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%80%8d/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e5%a4%a7%e7%b4%8d%e8%a8%80%e6%b5%81%e7%bd%aa%e3%80%8c%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%80%8d/#respond</comments>
		<pubDate>Sat, 06 May 2017 13:25:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[更新垢]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平家物語]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3206</guid>
		<description><![CDATA[同じ年の六月二日、新大納言成親卿を公卿の座にお出し申し上げて食べ物などを供したものの、成親卿は胸がせき塞がってお箸を手に取ることもできない。御車を寄せて、乗るようにと滔々と申しあげれば、心ならずも車へお乗りになった。その...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>同じ年の六月二日、新大納言成親卿を公卿の座にお出し申し上げて食べ物などを供したものの、成親卿は胸がせき塞がってお箸を手に取ることもできない。御車を寄せて、乗るようにと滔々と申しあげれば、心ならずも車へお乗りになった。その車を軍兵どもが前後左右にうち囲む。成親卿の味方の者はひとりもいない。<br />
「今一度、小松殿にお会いしたい」<br />
と、小松殿こと平重盛に会いたい旨を伝えるもののそれも叶わない。<br />
「たとえ重罪を被って遠国へ行く者であっても、供をひとりも連れぬ者など未だかつていたであろうか」<br />
このように車の中で言い募るので、守護の武士どもも皆鎧の裾を涙で濡らした。<br />
西の朱雀大路を南に行けば、大内裏も今は自分には関係のないものとご覧になる。長年見慣れた雑色や牛飼いにいたるまで、皆涙を流し、その涙で袖を絞らぬ者はなかった。ましてや、都に残る成親卿の北の方や幼い子供達の心情は察して余りある。<br />
鳥羽殿を通り過ぎるときにも、この御所へ後白河院が行幸なさる時は一度もそのお供をしないことはなかったのに、我が山荘州浜殿ともいうべき場所であったのに、としながらも今はもう無関係のものとしてその場所を過ぎた。<br />
南の門に出て、船の出航が遅いと急かされる。<br />
「これはどこへ行くのだ。どうせ殺されるのならば都に近いこの辺りであってほしい」<br />
と仰ったのが成親卿のせめてもの願いであった。<br />
付き従う武士に<br />
「誰ぞ」<br />
と問えば、武士は<br />
「難波次郎経遠」<br />
と申す。</p>
<p>「もし、この辺りに我が味方の者はおらぬか。船に乗る前に言い置くことがある。尋ねてまいれ」<br />
成親卿がこのように仰るので、その辺りを走り回って尋ねたが、我こそ大納言殿のお味方であると言う者はひとりもいない。<br />
「我が世なりし時は従う者が千人も二千人もいたものだ。今は遠くからであっても、この有様を見送る者のいないことの悲しさよ」<br />
そう言って泣かれるので、猛々しい武士どもも皆鎧の袖を濡らした。成親卿に付き従う者達もただ尽きせぬ涙を流すばかりである。<br />
熊野詣でや天王寺詣でのときなどは二つがはらの三棟造りの船に乗り、後ろに二、三十艘を付き従えていたのに、今はこのような粗末な屋形船に大きな幕を引き、見慣れぬ兵士どもに伴われて、今日を限りと都を出、波路をはるかに遠くへ赴かれる。その心の内はいかばかりであろうかと推し量るだに哀れである。<br />
その日は、摂津国大物の浦に到着された。</p>
<p>死刑になるはずであった新大納言が流罪に減刑されたのは、小松殿がよくよく申し上げたゆえのことであった。<br />
新大納言成親卿は、まだ中納言であった頃美濃国を知行しておられたのだが、嘉応元年の冬にその目代である右衛門尉正友という者のもとへ比叡山延暦寺の領地である平野庄の神人が葛を売りに来たことがあった。目代はそのとき酒に酔っていて、その葛に墨を付けた。神人が苦情を申し立てたところ、<br />
「そのようなことは言わせぬ」<br />
ということで散々に踏みにじった。それを受けて、神人どもは数百人で目代のもとへ乱入した。もくだいは法を盾にそれを防ぎ、神人達十人余りが殺された。<br />
この諍いがもとで同じ年の十一月三日、比叡山の者が大勢蜂起して美濃の国司成親卿を流罪に処し、目代右衛門尉正友を投獄せよとお上に奏聞した。<br />
そして成親卿は備中国に流されることになり、都の西の七条まで連れ出されたのであるが、そのとき後白河院は何を思われたのか、中五日をおいて成親卿を都へ召還された。<br />
比叡山の大衆は仰々しく成親卿を呪詛したということであったのだが、彼は嘉応二年の正月五日に右衛門督と兼任して検非違使の別当に任ぜられた。そのとき、成親卿は資賢卿、兼雅卿の官位を超えられた。資賢卿は古くからの老臣であり、兼雅卿は栄華の人であった。その二人を超えたことで遺恨が残った。この昇進は三条殿造進の功によるものである。<br />
嘉応三年四月十三日には正二位に叙せられ、そのときには中御門の中納言宗家卿を超えた。そして安元元年十月二十七日、前中納言より権大納言に上がった。<br />
世の人々は嘲って<br />
「比叡山の大衆に呪われているくせに」<br />
と言ったものであった。<br />
栄華を極めた成親卿は、けれども今、このような憂き目に遭っている。神の罰も人の呪詛も、早いことも遅いこともある。同じときにはやってこないものなのである。</p>
<p>さて、新大納言成親卿が都を出て摂津国へ着いた翌日三日、大物の浦に都より使いが来たということでざわついていた。<br />
新大納言は<br />
「とうとう殺されるのだ」<br />
と思われたが、そうではなくて、彼を備前の児島へ流すべしとの使いであった。<br />
小松殿からの文もあった。<br />
「何としてでも都に近い場所にてお過ごしいただきたいと手を尽くしましたが、それも叶わぬこととなり、私も世にある甲斐もございません。しかしながら、命だけはお助けいたしました」<br />
とあり、難波次郎経遠のところへも<br />
「心してお仕え申し上げ、その御心に違うことのないようにせよ」<br />
と仰せ遣わされ、旅の支度のことなどこまごまと書き送っていた。</p>
<p>新大納言は畏れ多くもかたじけなく思っていただいた後白河院とも離れ、束の間も離れがたく思っていた北の方や幼い子供達とも別れ、<br />
「これからどこへ行くのだろう。故郷へ帰って妻子と相見えることももう二度とないだろう。かつて比叡山の訴訟によって流されたのを、主上が惜しんでくださり西の七条より召還されたことがあった。となれば、この度のことは主上のお考えではあるまい。これはどうしたことだ」<br />
と天に仰ぎ、地に伏して泣き悲しんだがどうすることもできない。</p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/05/image-1.jpeg" alt="大納言流罪" width="950" height="535" class="alignnone size-full wp-image-3208" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/05/image-1.jpeg 950w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/05/image-1-300x169.jpeg 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/05/image-1-768x433.jpeg 768w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/05/image-1-320x180.jpeg 320w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></p>
<p>夜が明けると、すでに船を押し出して下っていかれるのだが、その道すがらも、ただ涙にむせんでもはや生きながらえようとも思われないが、露の命は消えやらず、船が立てる白波に隔てられて都は次第に遠ざかり、日数を重ねれば遠国は既に近づきつつある。備前の児島に船を漕ぎ寄せて、粗末な民家の柴の庵に成親卿をお入れする。島の常で、後ろは山、前は海である。磯の松風浪の音、いずれもあはれが尽きることはない。</p>
<p class="page_next_btn"><a class="left" href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3183">&lt;&lt;烽火之沙汰「平家物語」</a> || </p>
</p>
<ul itemprop="author" itemscope itemtype="http://schema.org/Person">
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#_shigurenana__">時雨七名</a></span></li>
<li><span itemprop="name">文章：<a itemprop="url" href="../../profile/#mizuki">水月</a></span></li>
</ul>
<div id="story_member">
<blockquote>
<h2>「大納言流罪」登場人物</h2>
<p>〈藤原成親〉<br />
後白河院の寵臣であったが平家との政争に敗れて備前へ流罪となる。<br />
〈難波次郎経遠〉<br />
平家の郎党。成親を護送する。<br />
〈平重盛〉<br />
清盛の嫡子。小松殿。</p>
</blockquote>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e5%a4%a7%e7%b4%8d%e8%a8%80%e6%b5%81%e7%bd%aa%e3%80%8c%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%80%8d/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>内裏の松原にして、鬼、人の形と成りて女を嘲ふ語-今昔物語集-</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e5%86%85%e8%a3%8f%e3%81%ae%e6%9d%be%e5%8e%9f/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e5%86%85%e8%a3%8f%e3%81%ae%e6%9d%be%e5%8e%9f/#respond</comments>
		<pubDate>Sun, 16 Apr 2017 15:26:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[更新垢]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古代の物語]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3196</guid>
		<description><![CDATA[　その昔、小松天皇(光孝天皇)の時代のことだ。 　武徳殿の東の宴松原(えんのまつばら)を、若い女官三人が連れ立って、内裏のほうへ歩いていた。旧暦八月十七日の夜のことで、月は極めて明るかった。 　そのとき、松の木の下に一人...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>　その昔、小松天皇(光孝天皇)の時代のことだ。</p>
<p>　武徳殿の東の宴松原(えんのまつばら)を、若い女官三人が連れ立って、内裏のほうへ歩いていた。旧暦八月十七日の夜のことで、月は極めて明るかった。<br />
　そのとき、松の木の下に一人の男が現れて、通り過ぎる女たちのうちの一人を引き留め、女の手をとって、木陰で何やら話し始めた。<br />
　ほかの二人は『すぐに話し終えて戻るだろう』と待っていたが、いっこうに来る気配がない。話し声も聞こえなくなった。<br />
　どうしたのかと怪しんで、松の木陰に近寄ってみると、男も女もいなかった。『いったいどこへ行ったのか』と不審がりながら辺りをよく見ると、女の手と足がばらばらに転がっていた。</p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/dairi.jpg" alt="内裏の松原" width="950" height="535" class="alignnone size-full wp-image-3202" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/dairi.jpg 950w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/dairi-300x169.jpg 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/dairi-768x433.jpg 768w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/dairi-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></p>
<p>　二人は驚いて走り逃げ、衛門府の詰所に駆け込んで、事の次第を告げた。<br />
　詰所の役人たちも驚いて、現場へ行ってみた。そこには死骸らしきものはなく、ただ手足だけが残されていた。<br />
　やがて話を伝え聞いた人々が集まって、大騒ぎになった。人々は、<br />
「鬼が人に化けて現れ、女を食ったのにちがいない」<br />
と言い合った。</p>
<p>　こういうことがあるから、女は、人気のない場所で知らない男に声をかけられても、うっかり心を許してついて行ってはならない。よくよく気を付けるべきだと、この話を語り伝えたという。</p>
<hr>
<ul itemprop="author" itemscope itemtype="http://schema.org/Person">
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#natsuse_s">夏瀬</a></span></li>
<li><span itemprop="name">文章：<a itemprop="url" href="../../profile/#itsukihistory">森林樹</a></span></li>
</ul>
<div id="story_member">
<blockquote>
<h2>「内裏の松原にして、鬼、人の形と成りて女を嘲ふ語-今昔物語集-」登場人物</h2>
<p>〈男〉<br />
宴の松原は古来鬼が棲むと恐れられていた。男の正体が本当に鬼なのか、それとも実際は人なのかは、今となっては誰にも分からない。<br />
〈女官〉<br />
宮中に仕える女官。そのうちの一人が男に誘われ、その後無残な姿で発見される。</p></blockquote>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e5%86%85%e8%a3%8f%e3%81%ae%e6%9d%be%e5%8e%9f/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>烽火之沙汰「平家物語-作者：藤原行長(異説有)-」</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e7%83%bd%e7%81%ab%e4%b9%8b%e6%b2%99%e6%b1%b0_%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e7%83%bd%e7%81%ab%e4%b9%8b%e6%b2%99%e6%b1%b0_%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e/#respond</comments>
		<pubDate>Sat, 08 Apr 2017 13:45:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[更新垢]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平家物語]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3183</guid>
		<description><![CDATA[内大臣は涙を流しながらも言葉を続ける。 「これは、後白河法皇に道理が御座いますので、叶わぬまでも、院の御所であられる法性寺殿を守護し申し上げようと存じます。その故、重盛が叙爵せられてから、今、大臣で大将を兼任する地位に至...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>内大臣は涙を流しながらも言葉を続ける。</p>
<p>「これは、後白河法皇に道理が御座いますので、叶わぬまでも、院の御所であられる法性寺殿を守護し申し上げようと存じます。その故、重盛が叙爵せられてから、今、大臣で大将を兼任する地位に至るまで、一切、法皇の御恩ではないということが御座いません。その恩の重きことを思えば、千万無量の玉の重さも超え、その恩の深きことを案ずれば、一入再入の紅の色にも過ぎましょう。<br />
　それ故に、院の御所に参り立てこもるつもりです。そのようになれば、重盛の身に代わり、命に代わらんと誓っている侍どもが、少々おりましょう。これらを召し連れて、院の御所、法性寺殿を守護し申し上げることになりますので、さすがに、以ての外の一大事となるでしょう。<br />
　<br />
　悲しいかな、法皇の御ために奉公の忠義を致そうとすれば、迷慮八万の頂よりもさらに高い父上の恩を、たちまちの内に忘れることとなります。<br />
　痛ましいかな、不孝の罪を逃れようと思えば、法皇の御ために、もはや不忠の逆臣となってしまいます。<br />
　進退これ窮まりました。是非はどうにも判断がつきかねます。<br />
　<br />
　お願い申し上げるところ、結局は、ただ、重盛の首をお召くださいませ。<br />
　そうすれば、院の中を守護し申し上げることもできず、院のもとへ参るお供もできません。</p>
<p>　かの蕭何(しょうか)は、大功が同輩を超えていたことによって、官位は大相国に至り、剣を帯び、沓を履いたまま、殿上に昇ることを許されましたが、天子の御意向に背くことがあるので、高祖(劉邦)は重く罰し、深く断罪されました。<br />
　かような先例を思うにつけても、富貴(ふうき)といい栄華といい、朝恩といい重職といい、いずれも極められましたので、御運の尽きることもありえないとはいえません。<br />
　<br />
　『富貴の家には禄位が重畳する。年内に2度実がなる木は、その根が必ず傷む。』といわれております。<br />
　<br />
　心細いことと存じます。いつまで命を生きながらえて、乱れる世を見ることになるのでしょうか。<br />
　ただ末代に生を受けて、かかる憂き目にあっております。重盛の果報の程度が劣っておりますでしょう。<br />
　<br />
　ただ今、侍１人に仰せ付けて、御庭に引き出されて、重盛の首を刎ねられるのは、安い程のことで御座いましょう。<br />
　これを各々(おのおの)、聞いていただきたい」</p>
<p>といって、直衣の袖も絞るほどに涙を流し、何度も言葉をくり返されたので、一門の人々は、道理をわきまえた者も、わきまえぬ者も、みな鎧の袖を濡らされたのであった。</p>
<p>太政入道も頼り切っている内大臣がこのようにおっしゃる。入道は力なく、<br />
　<br />
「いやいや、それまで思いも及ばぬ。悪党どもの申すことをお受け入れになって、僻事(ひがごと)が出てこぬかと、思うだけのことだ」</p>
<p>と、おっしゃると、内大臣は、</p>
<p>「たとえ、いかなる僻事が出てこようとも、法皇を何とかしてお諫めなさるべきです」</p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/heike-houkanosata.jpg" alt="烽火之沙汰" width="950" height="535" class="alignnone size-full wp-image-3186" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/heike-houkanosata.jpg 950w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/heike-houkanosata-300x169.jpg 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/heike-houkanosata-768x433.jpg 768w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/04/heike-houkanosata-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></p>
<p>といって、つっと立ちあがると、中門に出て、侍どもに仰るに、</p>
<p>「ただ今、重盛が申しつけたことなどを、お前たちは聞かなかったか。今朝からここにおって、このようなことなどを申し鎮めようと存じたが、あまりに物騒に見えたので、帰ってしまったのだ。<br />
　院の御所に参上する入道殿のお供については、重盛の首が召されるのを見てから随行しろ。では、者どの参れ」</p>
<p>といって小松殿へ帰られた。</p>
<p>その後、主馬判官盛国を呼んで、</p>
<p>「重盛は、天下の一大事を格別に聞き出したぞ。我こそはと思う者どもは、みな武装して馳せ参じろと触れ回れ」</p>
<p>と仰ったので、盛国はこのことを触れ回った。少々のことではお騒ぎにならない方が、かような触れを出されたのは、何かしらの事情があってこそと思い、みな武装して我も我もと馳せ参じるのであった。<br />
淀(よど)、羽束師(はづかし)、宇治、岡の屋、日野、勧修寺(かじゅうじ)、醍醐、小黒栖(おぐるす)、梅津(うめづ)、桂、大原(おおはら)、静原(しずはら)、芹生(せりょう)の里に散り散りにいた兵ども、あるいは、鎧を着てまだ甲をつけない者もおり、あるいは矢を背負って弓を持たない者もいる。片鎧を踏むか踏まずで、慌て騒いで馳せ参じた。</p>
<p>小松殿に動きありと伝わると、西八条に数千騎いた兵どもは、入道には何の申し入れもせず、ざわめきたって、みな小松殿へ駆けていった。<br />
少しでも弓箭(きゅうせん)に携わるほどの者は、１人も残らない。<br />
その時、入道は大いに驚き、貞能を召して、</p>
<p>「内大臣は、何と思って、これらの者どもを呼んだのだろう。ここで言ったように、入道のもとへ討手(うって)などを向かわせるのだろうか」</p>
<p>と仰ると、貞能は、涙をはらはらと流して、</p>
<p>「人によることで御座います。どうしてそのような御事が御座いましょうか。今朝、ここで申されたことなども、みな御後悔なさっておられるでしょう」</p>
<p>と申したので、入道は、内大臣と仲たがいしては、まずいことになると思われたのであろう。<br />
法皇をお迎えしようとすることも、もはや思いとどまられ、腹巻を脱ぎ置き、素絹(そけん)の衣に袈裟(けさ)をかけて、全くといっていいほど心にもない念仏を唱えておられた。</p>
<p>小松殿では、盛国が重盛の命令を承って、召集に応じた武士の名を記す着到状をつけた。馳せ参じた軍勢は、一万余騎と記した。<br />
着到状を開いて見た後、大臣は、中門に出て、侍どもに仰ったことには、</p>
<p>「日頃の契約に違反せず参ったことは神妙である。<br />
　異国に、このような例がある。周の幽王は、褒姒(ほうじ)という最愛の后をもっておられた。天下一の美人である。<br />
　しかし、幽王の心に満足できないことは、褒姒笑いを持たぬといって、全くといっていい程、この后は、笑うことをなさらなかった。<br />
　異国の習慣として、天下に戦乱が起こるとき、諸所で火をあげ、太鼓を打って兵を召集する方法がある。<br />
　これを烽火と名付けた。<br />
　<br />
　ある時、天下に戦乱が起こって、烽火をあげたところ、后はこれを見られて、<br />
　『ああ不思議、火もあれほど多かったのだな』<br />
　といって、その時、初めてお笑いになった。<br />
　この后は、一度笑うと、百の色っぽさがあった。幽王は嬉しい事として、何事もなく、常に烽火をあげられた。<br />
　諸侯が来たが敵はいない。敵がいないなら、すぐに帰還する。このようなことが数度に及んだため、参る者もいなくなった。<br />
　ある時、隣国から凶賊が起こって幽王の都を攻めたが、烽火をあげても、例の后への烽火と思われて兵も集まらない。その時、都は陥落し、幽王はついに滅びてしまった。<br />
　さて、この后は、野干(やかん)となって走り失せたというから誠に恐ろしい。<br />
　<br />
　このような事がある時は、今後もこちらから召集するような場合には、このようにして参集せよ。<br />
　重盛は、意外なことを聞き出して、召集したのである。しかし、そのことを聞き直した。僻事だったのだ。早々に帰れ」</p>
<p>といって、みな帰された。</p>
<p>実際のところ、そのようなことも聞き出されることはなかったのだが、父を諫め申された言葉に従い、我が身に軍勢が付くか否かの程度をも知り、また、父子で戦をしようということではないが、こうして入道相国の謀反の心さえも、和らげなさるとの策である。</p>
<p>主君が主君としての適性を欠いていても、臣下が臣下としての忠義を尽くさぬことは、あってはならない。<br />
父が父としての責任を果たさなくても、子が子としての孝行を尽くさぬことは、あってはならない。<br />
君のためには忠があって、父のためには孝があると、文宣王が仰ったことに重盛も背かない。</p>
<p>法皇もこのことをお聞きになって、</p>
<p>「今に始まったことではないが、内大臣の心の内は立派である。怨に恩をもって報われたのだ」</p>
<p>と仰られた。</p>
<p>果報がめでたくて、大臣で大将という地位に至ったのであろう。<br />
武人としての容姿は、人に優れ、才智才学もまた世に勝っているではないか、と、時の人々は、感嘆しあった。</p>
<p>「国に諫める臣がいれば、その国は必ず安泰であり、家に諫める子がいれば、その家は必ず正常である」</p>
<p>と言われている。</p>
<p>上古にも末代にも誠に稀有な大臣である。</p>
<p class="page_next_btn"><a class="left" href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3164">&lt;&lt;教訓状（後）「平家物語」</a> ||</p>
<hr>
<ul itemprop="author" itemscope itemtype="http://schema.org/Person">
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#nepi">ねぴ</a></span></li>
</ul>
<li><span itemprop="name">文章：<a itemprop="url" href="../../profile/#_matsu__">松（まつ）</a></span></li>
<div id="story_member">
<blockquote>
<h2>「烽火之沙汰」登場人物</h2>
<p>＜平重盛＞<br />
平安時代末期の武将・公卿。平清盛の嫡男。父を助ける若き武将。苦労性。<br />
作中では内大臣・小松殿・小松の大臣など。<br />
＜入道＞<br />
平清盛。平家一門の棟梁。伊勢平氏の棟梁・平忠盛の子。 息子に弱いかも。<br />
＜後白河法皇＞<br />
第77代天皇。諱は雅仁(まさひと)。 危うい状況下にあられる。<br />
＜平盛国＞<br />
清盛の側近。執事のような人。作中では主馬判官盛国、盛国。<br />
＜平貞能＞<br />
さだよし。父は平家貞。清盛から信任を得ている。</p>
<p>＜用語集＞<br />
法性寺…ほっしょうじ<br />
叙爵…じょしゃく。<br />
　　　六位から貴族として下限の位階であった従五位下に叙せられること。<br />
一入再入…いちじゅうさいじゅう。<br />
　　　　　布を染料に何度もつけて染めること。また、染めた色の濃いこと。<br />
迷慮八万…めいろはちまん。迷慮とは、須弥山(しゅみせん)のこと。<br />
　　　　　古代インドにて世界の中心にあるとされた想像上の山。八万は須弥山の標高で、八万由旬(ゆじゅん：古代インドにおける長さの単位)と表す。<br />
禄位…ろくい。禄と官位のこと。禄は、官吏や封建武士の受ける給与の意。<br />
重畳…ちょうじょう。幾重にも重なること。<br />
僻事…ひがごと。間違いや誤り、過ちなどの意。道理に合わないこと。<br />
果報…仏語。前世での行為の結果として現世で受ける報いのこと。転じて、運に恵まれて幸福なことをいう。<br />
弓箭…きゅうせん。弓と矢の意。<br />
野干…中国において伝説上の悪獣。キツネに似て小さい。木登りを好み、夜に鳴く声が狼に似るという。
</p></blockquote>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e7%83%bd%e7%81%ab%e4%b9%8b%e6%b2%99%e6%b1%b0_%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>両面宿儺（りょうめんすくな）</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e4%b8%a1%e9%9d%a2%e5%ae%bf%e5%84%ba/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e4%b8%a1%e9%9d%a2%e5%ae%bf%e5%84%ba/#respond</comments>
		<pubDate>Sat, 18 Mar 2017 13:15:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[tonao]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古代の物語]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3172</guid>
		<description><![CDATA[仁徳天皇の御代、飛騨国・出羽ヶ平の山が轟音を立て崩れ、その岩壁に洞穴が顕になった。 その中から、身丈は3メートルはあるだろうか、一体両面にして四手両脚、甲冑を身にまとい、腰には杖を帯び、二手には斧、一方の二手で印を結んだ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>仁徳天皇の御代、飛騨国・出羽ヶ平の山が轟音を立て崩れ、その岩壁に洞穴が顕になった。<br />
その中から、身丈は3メートルはあるだろうか、一体両面にして四手両脚、甲冑を身にまとい、腰には杖を帯び、二手には斧、一方の二手で印を結んだ異人が現れたのだ。<br />
その者の名を、宿儺（すくな）という。<br />
宿儺はその四本の腕を巧みに使い、一度に二張りの弓を射ることができ、またその足駿足にして、駆けることは馬よりも速かった。<br />
<img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/ryoumen.jpg" alt="両面宿儺（りょうめんすくな）" width="950" height="535" class="alignleft size-full wp-image-3174" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/ryoumen.jpg 950w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/ryoumen-300x169.jpg 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/ryoumen-768x433.jpg 768w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/ryoumen-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></p>
<p>宿儺は武勇にすぐれ、高沢山（現・暁堂寺）の毒龍を平らげ、また飛騨の位山に七儺（しちな）という鬼神が里の人々を苦しめていたときには、天皇の命でこれを見事討ち取った。<br />
水無神社には、討ち取った七儺の頭髪が、神宝として伝わるという。</p>
<p>さらには、下之保の民を苦しめていた荒ぶる竜神を退治し、竜神が棲んでいた山に祠を立てて祀った。これが日龍峰寺のおこりという。<br />
また日龍峰寺の伝えでは、境内にある千本桧は宿儺が置いた杖が生い茂ったものだという。</p>
<p>宿儺は美濃・飛騨の民人のために尽くし、やがて飛騨国で権勢を振るうようになった。</p>
<p>しかし宿儺自身もまた、天皇の命によって討伐されることとなる。<br />
飛騨の国造（くにのみやつこ）が、宿儺討伐を朝廷に願い出て、天皇はこれを聞き入れた。<br />
そして和珥臣（わにのおみ）の祖・武振熊（たけふるくま）に、宿儺討伐の命をくだし、飛騨国へと軍を進めた。<br />
これを知った宿儺は戦禍を避け、村から発つと民に決意を告げたところ、別れが惜しんだ民は宴を催し、宿儺をもてなした。<br />
宴では鍋がふるまわれたが、宿儺は民に難が及ばぬよう気遣い、軒からはずれた石を膳にして、これを食べた。<br />
その石は石膳として、善久寺に伝わる。</p>
<p>そして宿儺は民と別れを告げ、村を飛び去った。<br />
その道中、金山で杖を休め、37日間大陀羅尼を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈願した後、高沢山へと向かった。</p>
<p>手下を率いて高沢山に陣をおいた宿儺は、皇軍とそれは見事な戦ぶりを見せた。<br />
しかし、さすがに戦上手の武振熊。陣の弱いところを見極め、一斉に攻めたてたので、宿儺の手下は散り散りになり、宿儺も撤退を余儀なくされた。宿儺は自らの根城としていた出羽ヶ平で再起を図ったのである。<br />
あとを追う皇軍であったが、山に不慣れな兵であったため、とうとう中津原のあたりで宿儺を見失った。<br />
この上は八幡神に頼むしかないと、武振熊はこの地に祠を立て、八幡神に祈願した。<br />
すると祠から一羽の鳩が舞い上がり、北の方、山のかさなる彼方へと飛び去っていった。<br />
「あれこそ八幡さまの御使に違いない。北へ進めと教えてくださったのだ。」<br />
武振熊は皆を励まし、北を目指した。<br />
このとき立てた祠が、今の下原八幡神社である。</p>
<p>峰をこえ、谷をこえ、皇軍は宿儺の根城である出羽ヶ平の麓についた。</p>
<p>立ちふさがる険しい岩山の中腹に、宿儺の岩屋があった。<br />
岩屋の前の広場には、宿儺の手下たちが岩や大木を寄せ集め、宿儺自身はその陣頭に立ち、四つの腕で弓を構え、四つの眼をギラギラ光らせ、皇軍を待ち構えていた。<br />
両軍はしばらく睨みあったまま、ぴたりとも動かなかった。<br />
しかし突然、「ワーッ」という掛け声とともに、皇軍が一斉に岩山を登り始めた。<br />
宿儺が合図すると、手下たちは岩や大木を次々と投げ、皇軍の兵たちは岩壁から転げ落ちていった。<br />
これでは危ないと、地に這いつくばったり、物陰に隠れる兵がいると、すかさず宿儺は矢継ぎ早にこれを撃ち落とした。<br />
さらには時折、雄叫びをあげて戦陣を駆け回り、手下たちを激励した。その様は、大地を轟かし、風を起こすばかりに凄まじかった。<br />
その様子を見つめていた武振熊は、戦局が悪いことを悟り、いよいよじっとしていられなくった。<br />
この上は自ら戦陣に立ち、宿儺と一騎打ちして、討ち取るほかはない。<br />
武振熊は身を隠しながら、素早く岩山を駆け上がり、岩屋の広場に躍り出ると、剣を振るい、まっすぐ宿儺に襲いかかった。<br />
すかさず宿儺も身をひるがえし、武振熊の剣を受け止めた。<br />
剣がぶつかる鋭い音が、広場一面に響きわたった。<br />
とっさの出来事に、宿儺の手下も、皇軍の兵たちも、ぴたりと手を止め、ただ呆然と見守るだけであった。<br />
両者の剣は激しく火花を散らし、なかなか勝負がつかなかった。<br />
しかし、そのうちに、どこにすきを見つけたのか、武振熊の剣が、宿儺の硬い胸を貫いた。<br />
さすがの宿儺も、どうと大地に崩れ落ち、やがて息絶えた。</p>
<p>こうして、宿儺はまつろわぬ者として、武振熊に討ち取られた。<br />
しかし、飛騨の開拓者としての伝承は今に伝わり、敬う人は後を絶たない。</p>
<p>丹生川村に、宿儺が開山したという千光寺がある。<br />
後世、円空という名の僧がこの寺に滞在し、宿儺の像を彫った。<br />
その像は今も当寺に伝わる。</p>
<hr>
<ul itemprop="author" itemscope itemtype="http://schema.org/Person">
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#kumoyane">雲ノ屋根</a></span></li>
<li><span itemprop="name">文章：<a itemprop="url" href="../../profile/#yasumi">大藤やすみ</a></span></li>
</ul>
<div id="story_member">
<blockquote>
<h2>「両面宿儺」登場人物</h2>
<p>＜両面宿儺＞<br />
飛騨・出羽ヶ平の岩屋に住む異人。<br />
一つの胴体に、二つの顔、四つの腕を持つ。<br />
飛騨の民を困らせていた悪鬼や竜神を平らげ、平和をもたらした飛騨の開拓者。<br />
仁徳天皇の命で、武振熊に討ち取られる。</p>
<p>＜仁徳天皇＞<br />
第16代天皇。民思いの政をし、古来より「聖帝」と呼ばれる。<br />
飛騨国造の願いを聞き入れ、宿儺征伐を命じる。</p>
<p>＜武振熊＞<br />
和珥臣（わにのおみ）の祖。朝廷の将軍。<br />
過去には神功皇后に仕え、忍熊王の反乱を鎮圧した経験を持つ。</p></blockquote>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e4%b8%a1%e9%9d%a2%e5%ae%bf%e5%84%ba/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>教訓状（後）「平家物語-作者：藤原行長(異説有)-」</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e6%95%99%e8%a8%93%e7%8a%b6%ef%bc%88%e5%be%8c%ef%bc%89%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e6%95%99%e8%a8%93%e7%8a%b6%ef%bc%88%e5%be%8c%ef%bc%89%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e/#respond</comments>
		<pubDate>Sun, 12 Mar 2017 07:19:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[更新垢]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平家物語]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3164</guid>
		<description><![CDATA[　門前で車から降り、門内へ入って見られると、入道が腹巻をつけておられるうえは、一門の公卿・殿上人が数十人、めいめいさまざまな直垂の上に思い思いの鎧を着て、中門の廊に二列に着席なさっている。そのほか諸国の受領、六衛府・諸役...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>　門前で車から降り、門内へ入って見られると、入道が腹巻をつけておられるうえは、一門の公卿・殿上人が数十人、めいめいさまざまな直垂の上に思い思いの鎧を着て、中門の廊に二列に着席なさっている。そのほか諸国の受領、六衛府・諸役所の官人などは、縁にすわりきれないほどで、庭にもびっしりと並んでいた。旗ざおなどを引き寄せ引き寄せ、馬の腹帯を堅く結び、甲をかぶり、ただ今出発しようとする様子なのに、小松殿は烏帽子・直衣に大紋の指貫のももだちをとって、ざわざわと衣ずれの音をさせながらおはいりになるので、意外のように見えられた。</p>
<p>　入道は伏し目になって、<br />
「ああ、例のとおり内大臣が世を軽んじるようにふるまうのだな。大いに叱ってやろう」<br />
　とは思われた事だろうが、やはりわが子ながらも、仏教方面では五戒を守り続けて慈悲を第一とし、儒教方面では五常を乱さず礼儀を正しく行なわれる人なので、あの重盛の平服の姿に、腹巻をつけて対面することは、おもはゆく恥ずかしく思われたのだろう。襖を少し閉めて、素絹の法衣を腹巻の上にあわてて着られたが、胸板の金物が少しはずれて見えたのを隠そうと、しきりに衣の胸を引き合わせ引き合わせなさった。<br />
　内大臣は弟の宗盛卿の上座に着かれる。入道も言い出される事もない。内大臣も申し出される事もない。しばらくたって入道が言われるには、<br />
「成親卿の謀反は、物の数でもない。全く法皇のご計画であったぞ。世をしずめる間、法皇を鳥羽の北殿へお移し申し上げるか、さもなければここへでも御幸なさるようにしようと思うが、どうだろう」<br />
　と言われると、内大臣は聞くやいなや、はらはらと泣かれた。入道は、<br />
「どうした、どうした」<br />
　とあきれておられる。</p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/kyoukunjyo2.jpg" alt="教訓状（後）" width="950" height="535" class="alignnone size-full wp-image-3165" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/kyoukunjyo2.jpg 950w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/kyoukunjyo2-300x169.jpg 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/kyoukunjyo2-768x433.jpg 768w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/kyoukunjyo2-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></p>
<p>　内大臣は涙をこらえて申されるには、<br />
「この仰せを承りますと、ご運はもはや末になったと思われます。人の運命が傾きかける時には、必ず悪事を思い立つものです。また父上のご様子、全く正気とも思われません。<br />
　なんといってもわが国は辺鄙なけし粒ほどの土地とはいうものの、天照大神の御子孫が国の主として統治し、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の御末の藤原氏が朝廷政治をつかさどられて以来、太政大臣の官職に上った人が、甲冑で武装する事は、礼儀に背くのではありませんか。とりわけあなたはご出家の御身です。いったい三世の諸仏が、解脱のしるしである法衣を脱ぎ捨てて、急に甲冑をつけ、弓矢を持たれる事は、仏教のほうではもはや戒を破って恥じないという罪をもたらすばかりでなく、儒教のほうではまた、仁義礼智信の法にも背きましょう。<br />
　どちらにしても恐縮な申し分ですが、心の奥に思う事を言い残すべきでありません。</p>
<p>　まず世に四恩があります。天地の恩、国王の恩、父母の恩、衆生の恩がこれです。その中で最も重いのは朝恩です。広大な大空の下、天皇の領地でないという所はありません。ですから長官にしようといわれて穎川(えいせん)の水で耳を洗った許由、周の武王を諌めて入られず首陽山に隠れ蕨を食べていた伯夷・叔斉という賢人も、勅命に背くことはできぬという礼儀を心得ていたと聞いています。<br />
　ましてや、父上は先祖にもまだ聞かなかった太政大臣という最高の官職になられますし、周知のとおりの私のような無才愚闇の身で、大臣の位にまで上りました。それだけではなく、日本全国の半分以上の国郡は一門の領地となり、荘園はすべて一家の思うままです。これは世にもまれな朝恩ではありませんか。<br />
　今これらの莫大なご恩をお忘れになって、無法に法皇のご滅亡をはかられる事は、天照大神・正八幡宮の御心にも背く事になりましょう。<br />
　<br />
　日本は神国です。神は非礼をお受けになりません。<br />
　ですから法皇の思い立たれた事は、半分ぐらい道理がないわけではありません。<br />
　特に平氏一門は、代々の朝敵を平らげて、天下の反乱をしずめたのは、またとない忠義ですが、その褒美を受け自慢する事は傍若無人とも申すべきです。<br />
　聖徳太子十七か条のご憲法に、<br />
『人にはみな心がある。心にはそれぞれ固執するところがある。彼を是とすれば我は非であり、我を是とすれば彼は非である。是非の道理を、誰がよく定められようか。相互に賢であり愚であって、一つの輪のようにつながっていて端がない。それゆえたとえ人が怒っても、かえって自分に過失がないか反省し慎め』<br />
　と見えています。<br />
　そうですが、まだご運が尽きないために、法皇のご謀反の計画はすでに明らかになりました。そのうえご相談相手の成親卿をお召し置きになったうえは、たとえ法皇がどんなとんでもない事を思い立たれても、なんの恐れがありましょう。それ相当の処罰を行なわれたうえは、退いて事情をお述べになり、法皇の御ためにはいよいよ奉公の忠勤を励み、民のためにますます哀れみいつくしむようになさったなら、神の加護を受け、仏の思召しに背くはずはありません。神仏がこれに感じ答えてくださったなら、法皇も思い直される事がどうしてないでしょう。君と臣と並べた際、親しい疎いという区別をすべきではなく、君に従うべきです。道理とまちがった事とを並べた際には、どうして道理につかない事がありましょう」</p>
<p class="page_next_btn"><a class="left" href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3112">&lt;&lt;教訓状（前）「平家物語」</a> || <a class="right" href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3183">烽火之沙汰「平家物語」&gt;&gt;</a> </p>
</p>
<ul itemprop="author" itemscope itemtype="http://schema.org/Person">
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#geji2_n">黒嵜資子(くろさきもとこ)</a></span></li>
<li><span itemprop="name">文章：<a itemprop="url" href="../../profile/#nepi">ねぴ</a></span></li>
</ul>
<div id="story_member">
<blockquote>
<h2>「教訓状（後）」登場人物</h2>
<p>入道…平氏の棟梁・平清盛。<br />
内大臣…平重盛。平清盛の嫡男。<br />
法皇…後白河法皇。比叡山を攻めようと画策していた。<br />
成親…藤原成親。後白河法皇の側近。</p></blockquote>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e6%95%99%e8%a8%93%e7%8a%b6%ef%bc%88%e5%be%8c%ef%bc%89%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>桐壷(蓬生の宿 後編)「源氏物語-作者：紫式部」</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e6%a1%90%e5%a3%b7-%e8%93%ac%e7%94%9f%e3%81%ae%e5%ae%bf-%e5%be%8c%e7%b7%a8/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e6%a1%90%e5%a3%b7-%e8%93%ac%e7%94%9f%e3%81%ae%e5%ae%bf-%e5%be%8c%e7%b7%a8/#respond</comments>
		<pubDate>Mon, 06 Mar 2017 13:51:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[更新垢]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古代の物語]]></category>
		<category><![CDATA[源氏物語]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3150</guid>
		<description><![CDATA[(命婦から桐壺帝の文を受け取った更衣の母君は） 　「涙で目が見えませぬがこのような畏れ多いお言葉を賜りましたので」 と文に目を通された。 　『時がたてば少しは気持ちの紛れることもあろうかと、心待ちに過す月日が経つにつれて...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>(命婦から桐壺帝の文を受け取った更衣の母君は）<br />
　「涙で目が見えませぬがこのような畏れ多いお言葉を賜りましたので」</p>
<p>と文に目を通された。</p>
<p>　『時がたてば少しは気持ちの紛れることもあろうかと、心待ちに過す月日が経つにつれて、たいそう抑えきれなくなるのはどうにもならないことである。幼い人（若宮）を、どうしているかと案じながら、（帝自身が）一緒にお育てしていないのが気がかりなことである。やはり（帝を）故人（更衣）の形見と思って参内なされよ』</p>
<p>など、こまごまに書かれていた。</p>
<p>『宮城野※2の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ<br />
（宮中の萩に野分が吹いて露を結ばせたり散らそうとする風の音を聞くにつけ、幼子の身が思いやられる）』</p>
<p>と歌も書いてあるが、最後までお読みになれない。</p>
<p>　「（夫の大納言と娘の更衣が先立ち）長生きがとても辛いことだと存じられますうえに、高砂の松※1がどう思うかさえも、恥ずかしく存じられますので、内裏にお出入りいたしますことは、さらにとても遠慮いたしたい気持ちでいっぱいです。畏れ多い仰せ言をたびたび承りながらも、わたし自身はとても思い立つことができません。<br />
若宮は、どのようにお考えなさっているのか、参内なさることばかり（帝は）お急ぎになるようなので、ごもっともだと悲しく拝見しておりますなどと、ひそかに存じております由をご奏上なさってください。<br />
（夫と娘を亡くした）不吉な身でございますので、こうして若宮がおいでになるのも、忌まわしくもあり畏れ多いことでございます」</p>
<p>と更衣の母君はおっしゃる。そのうち、若宮はお寝みになられていた。</p>
<p>　「（若宮を）拝見して、詳しくご様子も奏上いたしたいのですが、帝がお待ちあそばされていることでしょうし、夜も更けてしまいましょう」と（命婦は）言って急ごうとした。</p>
<p>　「子を思う親心の悲しみの堪えがたいその一部だけでも、晴らすほどに申し上げとうございますので、個人的にでもゆっくりとお出くださいませ。数年来、おめでたく晴れがましい時にお立ち寄りくださいましたのに、このようなお悔やみのお使いとしてお目にかかるとは、返す返すも情けない運命でございますこと。<br />
生まれた時から心中に期待するところのあった人で、亡き夫大納言が臨終の際となるまで、</p>
<p>『ともかく、わが娘の宮仕えの宿願を、きっと実現させ申しなさい。わたしが亡くなったからといって、落胆して挫けてはならぬ』</p>
<p>と、繰り返し戒め遺かれましたので、これといった後見人のない（更衣の）宮仕え生活は、かえってしないほうがましだと存じながらも、ただあの遺言に背くまいとばかりに、出仕させましたところ、身に余るほどのお情けが、いろいろともったいないので、人にあるまじき恥を隠し隠ししては、宮仕え生活をしていられたようでしたが、人の嫉みが深く積もり重なり、心痛むことが多く身に添わってまいりましたところ、横死のようなありさまで、とうとうこのようなことになってしまいましたので、かえって辛いことだと、その畏れ多いお情けを存じております。このような愚痴も理屈では割りきれない親心の迷いです」</p>
<p>と、母君は最後まで言えず、涙で咽んでしまっているうちに夜も更けてしまった。</p>
<p>　（命婦も）「主上様もご同様でございまして。『御自分のお心ながら、強引に周囲の人が目を見張るほど御寵愛なさったのも、長くは続きそうにない運命だったからなのだなあと、今となってはかえって辛い宿縁であった。<br />
　決して少しも人の心を傷つけたようなことはあるまいと思うのに、ただこの人との縁が原因で、たくさんの恨みを負うはずのない人の恨みをもかったあげくには、このように先立たれて、心静めるすべもないところに、ますます体裁悪く愚か者になってしまったのも、前世がどんなであったのかと知りたい』と何度も仰せられては、いつもお涙がちばかりでいらっしゃいます」</p>
<p>と話しても尽きない。</p>
<p>　泣く泣く、<br />
「夜がたいそう更けてしまったので、今夜のうちに、ご報告を奏上しよう」</p>
<p>と急いで帰参しようとする。<br />
　月は入り方で、夜空は清く澄みわたり、風がとても涼しくなって、草むらの虫の声ごえが涙を誘うようなのも、まことに立ち去りがたい庭の風情である。</p>
<p>「鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな<br />
（鈴虫の鳴く声に誘われて声の限りに泣いても、長い秋の夜を尽きることなく流れる涙でございますこと）」</p>
<p>（と歌を詠み命婦は）お車に乗りかねている。</p>
<p>「いとどしく虫の音しげき浅茅生に露置き添ふる雲の上人<br />
（ただでさえ虫の音のように泣き暮らしておりました荒れ宿に、内裏からのお使い人のあるごとに、さらに涙がこぼれます）<br />
恨み言もつい申し上げてしまいそうで」</p>
<p>と（母君は）取り次ぎの女房に言わせなさる。<br />
　趣のあるような御贈物などあらねばならない時でもないので、ただ亡き更衣のお形見にと、このような入用もあろうかとお残しになった御衣装一揃いに、御髪上げの調度のような物をお添えになる。</p>
<p>　若い女房たちは、悲しいことは言うまでもないとして、内裏の生活を朝な夕なと馴れ親しんでいるので、たいそう物足りなく、主上のご様子などをお思い出し申し上げると、早く参内なさるようにとお勧め申し上げるが、</p>
<p>「このように忌まわしい身が付き随って参内申すようなのも、まことに世間の聞こえが悪いであろうし、また、しばしもお顔を見申さずにいることも気がかりだ」<br />
とお思い申し上げなさって、思い切って若宮を参内させなさることがおできになれないのであった。</p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/genji8.png" alt="genji8" width="950" height="535" class="alignnone size-full wp-image-3155" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/genji8.png 950w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/genji8-300x169.png 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/genji8-768x433.png 768w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/03/genji8-320x180.png 320w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></p>
<p>※1：高松…当時の播磨国、現在の兵庫県の地名。松の名所として知られる。松は長寿の象徴。この高砂の松の元の和歌がどこから持ってこられたかは、いくつか説がある。</p>
<p class="page_next_btn"><a href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=2901" class="left"><<桐壷（蓬生の宿）</a>|| <a class="right"> >></a></p>
<hr>
<ul itemprop="author" itemscope itemtype="http://schema.org/Person">
<li><span itemprop="name">文章：<a itemprop="url" href="../../profile/#kouya">香夜(こうや)</a></span></li>
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#blueeyes_cat">東 春行</a></span></li>
</ul>
<div id="story_member">
<blockquote>
<h2>「物語のタイトル」登場人物</h2>
<p>＜更衣の母君＞<br />
桐壺更衣の母。亡き大納言の遺言に従い娘を宮仕えさせ、帝の寵愛が一因で亡くしたことを悔やんでいる。<br />
＜靱負の命婦＞<br />
桐壺帝が更衣の実家へ遣わせた使者。更衣の母君の気持ちを理解しているが、帝の使者である板挟みとなっている。<br />
＜若宮＞<br />
桐壺帝と更衣の間に生まれた皇子、後の光源氏。この文章中では子どもゆえかすでに床についている。<br />
＜桐壺帝＞<br />
時の帝。この文章中では手紙の中でのみ登場。若君を引き取って育てたいので、更衣の母君にも参内するよう求めている。</p></blockquote>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e6%a1%90%e5%a3%b7-%e8%93%ac%e7%94%9f%e3%81%ae%e5%ae%bf-%e5%be%8c%e7%b7%a8/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>髪長比売・国栖の歌「古事記 -712年献上 作者：太安万侶 -」</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e9%ab%aa%e9%95%b7%e6%af%94%e5%a3%b2%e3%83%bb%e5%9b%bd%e6%a0%96%e3%81%ae%e6%ad%8c%e3%80%8c%e5%8f%a4%e4%ba%8b%e8%a8%98-712%e5%b9%b4%e7%8c%ae%e4%b8%8a-%e4%bd%9c%e8%80%85%ef%bc%9a%e5%a4%aa%e5%ae%89/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e9%ab%aa%e9%95%b7%e6%af%94%e5%a3%b2%e3%83%bb%e5%9b%bd%e6%a0%96%e3%81%ae%e6%ad%8c%e3%80%8c%e5%8f%a4%e4%ba%8b%e8%a8%98-712%e5%b9%b4%e7%8c%ae%e4%b8%8a-%e4%bd%9c%e8%80%85%ef%bc%9a%e5%a4%aa%e5%ae%89/#respond</comments>
		<pubDate>Mon, 27 Feb 2017 12:21:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[更新垢]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[古事記]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3144</guid>
		<description><![CDATA[大雀命（おおさざきのみこと）が、皇子であった頃のことである。 日向国の諸県君（もろあがたのきみ）が娘、髪長比売（かみながひめ）は、世にも稀なる美しさだという。 その噂は天皇のお耳にまで届き、ぜひともお側で使おうと髪長比売...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>大雀命（おおさざきのみこと）が、皇子であった頃のことである。</p>
<p>日向国の諸県君（もろあがたのきみ）が娘、髪長比売（かみながひめ）は、世にも稀なる美しさだという。<br />
その噂は天皇のお耳にまで届き、ぜひともお側で使おうと髪長比売を召し上げられた。</p>
<p>おとめを乗せた船が難波津に停泊していた時のこと。<br />
大雀命はその麗しいお姿をご覧になって、たちまちに心を奪われ、すぐさま建内宿禰大臣（たけうちのすくねのおおきみ）に頼んだのだった。</p>
<p>「この、日向より召し上げた髪長比売を、天皇へお願い申し上げて、わたしに下さるように取り計らってくれ」</p>
<p>建内宿禰大臣が天皇のお言葉を請うと、天皇はすぐに髪長比売をその皇子にお与えになった。<br />
そして天皇は酒宴を催され、髪長比売に御酒（みき）を盛った柏葉を持たせて皇子にお与えになり、朗々とお詠い遊ばされた。</p>
<p>さあお前たちよ　野蒜摘みに　蒜摘みに<br />
我が行くみちの　かぐわしい　花橘（はなたちばな）は<br />
上の枝は　鳥ついばみ　下の枝は　人取り枯らし　それならば<br />
中つ枝の　紅顔のおとめを　誘えば　よろしな</p>
<p>さらに天皇は続いてお詠い遊ばれる。</p>
<p>水溜まる　依網池（よさみのいけ）の<br />
しるしの杭が　刺されていたのを知らないで<br />
蓴菜（じゅんさい）取りが　手を延ばしていたのを知らないで<br />
我が心の　なんと愚かなことよ</p>
<p>そうして詠い終わると、天皇は皇子に髪長比売をお与えになったのである。<br />
次に、皇子が髪長比売を見つめてお詠い遊ばされた。</p>
<p>道の果て　古波陀（こはだ）のおとめ　髪長比売<br />
その麗しさ　雷のよう　とどろき聞こえ<br />
いま　手枕交わし　頬寄せる</p>
<p>道の果て　 古波陀（こはだ）のおとめ　髪長比売<br />
いとおしき　我が手拒まぬ　真玉手よ<br />
<img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kaminagahime.png" alt="kaminagahime" width="950" height="535" class="alignnone size-full wp-image-3145" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kaminagahime.png 950w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kaminagahime-300x169.png 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kaminagahime-768x433.png 768w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kaminagahime-320x180.png 320w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></p>
<p>またあるとき、大和国吉野の国栖（くず）らが、大雀命の腰に揺れる立派な太刀を見て、こう詠い讃えたことがあった。</p>
<p>誉田（ほむた）の日の御子　大雀（おおさざき）<br />
大雀　佩かせる太刀<br />
腰に吊られ　鞘がゆらゆら<br />
冬木の幹の　下木（したき）さやさや</p>
<p>吉野の樫林のあたりで横の広い臼で御酒を醸し、その御酒を献上したときには、こう詠った。</p>
<p>国栖たちは、ちっちっと口鼓を打ちながら、踊り跳ねる。</p>
<p>樫の林に　横臼（よすく）作り<br />
横臼に　醸みし大御酒（おおみき）<br />
美味らに　飲み食いなされませ　われらの親父さま</p>
<p>この歌は、国栖たちが天皇に大贄を奉る時々に、今に至るまで詠い継がれている歌である。</p>
<hr>
<ul itemprop="author" itemscope itemtype="http://schema.org/Person">
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#blueeyes_cat">東 春行</a></span></li>
<li><span itemprop="name">文章：<a itemprop="url" href="../../profile/#show">松(show)</a></span></li>
</ul>
<div id="story_member">
<blockquote>
<h2>「長髪比売・国栖の歌」登場人物</h2>
<p>＜大雀命＞<br />
後の仁徳天皇。応神天皇から政の補佐を任されている。<br />
＜髪長比売＞<br />
日向国の諸県君（もろあがたのきみ）を父とする美しい娘。<br />
＜天皇＞<br />
応神天皇。子の大雀命に髪長比売を譲る。<br />
＜建内宿禰大臣＞<br />
応神天皇に仕える大臣。その母の神功皇后にも仕えていた。<br />
＜吉野の国栖＞<br />
神武天皇の御代に帰順した、大和国吉野のあたりに住んでいる部族。</p></blockquote>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e9%ab%aa%e9%95%b7%e6%af%94%e5%a3%b2%e3%83%bb%e5%9b%bd%e6%a0%96%e3%81%ae%e6%ad%8c%e3%80%8c%e5%8f%a4%e4%ba%8b%e8%a8%98-712%e5%b9%b4%e7%8c%ae%e4%b8%8a-%e4%bd%9c%e8%80%85%ef%bc%9a%e5%a4%aa%e5%ae%89/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>節分万燈籠と紀元祭</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e7%af%80%e5%88%86%e4%b8%87%e7%87%88%e7%b1%a0%e3%81%a8%e7%b4%80%e5%85%83%e7%a5%ad/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e7%af%80%e5%88%86%e4%b8%87%e7%87%88%e7%b1%a0%e3%81%a8%e7%b4%80%e5%85%83%e7%a5%ad/#respond</comments>
		<pubDate>Sun, 26 Feb 2017 07:11:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[更新垢]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[ブログ]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3138</guid>
		<description><![CDATA[こんにちは 挿絵、文担当のやっちです ブログの方では初めましてですね 二月も奈良では様々な祭がありました ということで、私が今月行った二か所、ご紹介いたします！ 春日大社といえば沢山燈籠が並んでいる姿が有名ですよね 境内...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>こんにちは<br />
挿絵、文担当のやっちです<br />
ブログの方では初めましてですね</p>
<p>二月も奈良では様々な祭がありました<br />
ということで、私が今月行った二か所、ご紹介いたします！</p>
<p>春日大社といえば沢山燈籠が並んでいる姿が有名ですよね<br />
境内には石灯籠が2000基、釣燈籠が1000基あり、これらは人々から寄進されたものです<br />
新しいものも、某有名企業のものもあるのでじっくり探してみるのもまた面白いかもしれませんね</p>
<p>さて、合計3000基もある燈籠ですが、年に二回、これらの燈籠に火が灯された風景を見ることができるのです！<br />
そのうちの一回が節分、二月三日です<br />
私は夜七時半ごろに行ったんですが、想像以上に空いていました</p>
<p>石燈籠のある通りはもちろん無料なのですが、釣燈籠が密集して写真ポイントのエリアは有料(500円)です<br />
か、金をとるのか・・・っ！！<br />
とおもいつつもやはり写真撮りたいので課金コースへ</p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/ksg.jpg" alt="ksg" width="776" height="583" class="alignnone size-full wp-image-3139" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/ksg.jpg 776w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/ksg-300x225.jpg 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/ksg-768x577.jpg 768w" sizes="(max-width: 776px) 100vw, 776px" /></p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/ksg2.jpg" alt="ksg2" width="650" height="488" class="alignnone size-full wp-image-3140" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/ksg2.jpg 650w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/ksg2-300x225.jpg 300w" sizes="(max-width: 650px) 100vw, 650px" /></p>
<p>これは課金した甲斐がありました（笑）<br />
八時半くらいからだったか、徐々に灯りが消されていくので、行かれる方はお早めに<br />
燈籠の少ないエリアはやはりかなり暗いので、懐中電灯を持っていかれた方がいいかもしれませんね</p>
<p>そして二つ目<br />
建国記念の日、紀元節2月11日です<br />
奈良中の様々な神社で紀元際が行われますが、私は友人を巻き込んで橿原神宮へ<br />
初代神武天皇が御祭神とされています<br />
橿原神宮前駅から5分ちょっと歩きます。</p>
<p>勅使の方も来られます。11時頃からだったかな<br />
事前に手続きをすると中にいれてもらえ、参列することができます。<br />
今回私は急だったので外から見るだけでしたが…</p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kgnsi.jpg" alt="kgnsi" width="677" height="508" class="alignnone size-full wp-image-3141" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kgnsi.jpg 677w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kgnsi-300x225.jpg 300w" sizes="(max-width: 677px) 100vw, 677px" /></p>
<p>一応モザイクを…</p>
<p>やはり様々な人が来られてましたね<br />
街宣車も沢山(;^ω^)<br />
とても寒かったので我々は早々に退散しましたが、銃剣道なども見ることができ、かなり賑わっていました</p>
<p>三月も奈良では様々な祭がございます<br />
東大寺二月堂の修二会等々…<br />
寒いですが皆さま是非足を運んでみてくださいね</p>
<p>以上、二月ブログ担当やっちでした～</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e7%af%80%e5%88%86%e4%b8%87%e7%87%88%e7%b1%a0%e3%81%a8%e7%b4%80%e5%85%83%e7%a5%ad/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>教訓状（前）「平家物語-作者：藤原行長(異説有)-」</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e6%95%99%e8%a8%93%e7%8a%b6%e5%89%8d_%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e6%95%99%e8%a8%93%e7%8a%b6%e5%89%8d_%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e/#respond</comments>
		<pubDate>Sat, 11 Feb 2017 09:53:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[更新垢]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平家物語]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3112</guid>
		<description><![CDATA[　太政大臣平清盛は、このように多くの人々を拘留してもなお満足と思わなかったようである。 　赤地の錦の直垂に、黒糸縅の腹巻に銀の金物を打ち付けた胸板を身につけ、かつて安芸守をつとめていたときに厳島神社を参拝した折、霊夢によ...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>　太政大臣平清盛は、このように多くの人々を拘留してもなお満足と思わなかったようである。<br />
　赤地の錦の直垂に、黒糸縅の腹巻に銀の金物を打ち付けた胸板を身につけ、かつて安芸守をつとめていたときに厳島神社を参拝した折、霊夢によって厳島の祭神より下賜された銀の蛭巻の装飾を施した小長刀で、常日頃から枕辺に立てかけておいたものを脇に挟み、中門の廊へおいでになった。その様子は非常に恐ろしいものに見えた。<br />
　清盛は自分の腹心の部下である平貞能を召した。<br />
　筑後守貞能は木蘭地の直垂に緋縅の鎧を着て、清盛の御前に畏まった様子で参上した。</p>
<p>　ややあって、入道清盛はこのように仰った。</p>
<p>「貞能よ、おまえはこのことをどう思う。保元の戦の折、平右馬助こと我が叔父平忠正をはじめとして、我が平家一門の半数以上が新院（崇徳上皇）にお味方した。新院の一宮である重仁親王は亡き父上がお守りお育てした方であったので、この方をお見限りするのは大変心苦しかったが、私は鳥羽院のご遺戒に従ってあのお方のもとへ馳せ参じたのだ。これが第一の奉公である。</p>
<p>　次に平治元年十二月、藤原信頼や源義朝が院と帝を拘束して内裏に立てこもり、天下が暗闇となったとき私はこの身を捨てて凶徒を追い落とし、藤原経宗、惟方を召し捕るに至るまでに、あのお方のために命を落としそうになること数回に及んだ。</p>
<p>　たとえ世の人々が何と言おうとも、これより後七代まではこの一門をお捨てになるべきではない、そうではないのか。<br />
　それにもかかわらず、藤原成親という無用の役立たず、西光という下賤の無礼者めが申すことを間に受けて我が一門を滅ぼそうとするあのお方、後白河法皇のご計画はまことに遺憾である。</p>
<p>　この後も法皇に讒言する者があれば、当家追討の院宣が下されることになるのだぞ。朝敵となってはどんなに悔いたところで何の益もない。<br />
　世の中が鎮まるまで、法皇を鳥羽の北殿にお移し申し上げるか、しからずんばここへ行幸させ申し上げるのはどうか。<br />
　そのような事態になれば法皇を守る北面の武士が矢の一本も射てこよう。侍どもに迎え撃つ準備をさせておけ。</p>
<p>　この入道、法皇への奉公はもはや思い切った。<br />
　馬に鞍を置かせよ。大鎧を取り出せ」</p>
<p>　このことを聞いた主馬判官平盛国は急ぎ小松殿へ馳せ参じて、<br />
「世間はすでにこの有様でございます」<br />
　と申し上げた。<br />
　大臣平重盛はその言葉を最後まで聞く前から、<br />
「ああ、もはや成親卿の首が刎ねられたのだな」<br />
　と仰った。</p>
<p>「そうではございませんが、入道殿は大鎧をお召しになっておられます。侍どもも皆奮起して、今にも法皇のおわす法住寺殿へ攻め入らんとしております。<br />
　法皇を鳥羽殿へ押し込め申すとのことでございますが、内々では鎮西（九州）のほうへお流ししようとしているとのことでございます」<br />
　盛国がそう申し上げると、大臣は、どうしてそのようなことがあるだろうかとは思えども、今朝の清盛の様子ではこのような馬鹿げたことでもやらかしかねないということで、車を飛ばして西八条へとおいでになった。</p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kyokunjou.jpg" alt="教訓状（前）" width="950" height="535" class="alignnone size-full wp-image-3114" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kyokunjou.jpg 950w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kyokunjou-300x169.jpg 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kyokunjou-768x433.jpg 768w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/02/kyokunjou-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></p>
<p class="page_next_btn"><a class="left" href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3099">&lt;&lt;少将乞請（後）「平家物語」</a> || <a class="right" href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3164">教訓状(後)「平家物語」&gt;&gt;</a> </p>
<hr>
<ul itemprop="author" itemscope itemtype="http://schema.org/Person">
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#_shigurenana__">時雨七名</a></span></li>
<li><span itemprop="name">文章：<a itemprop="url" href="../../profile/#mizuki">水月</a></span></li>
</ul>
<div id="story_member">
<blockquote>
<h2>「教訓状（前）」登場人物</h2>
<p>＜平清盛＞<br />
平家一門の当主。太政大臣、入道と呼ばれる。<br />
＜平貞能＞<br />
清盛の部下。筑後守。<br />
＜平盛国＞<br />
清盛の部下。主馬判官。<br />
＜平重盛＞<br />
清盛の嫡子。小松殿。</p></blockquote>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e6%95%99%e8%a8%93%e7%8a%b6%e5%89%8d_%e5%b9%b3%e5%ae%b6%e7%89%a9%e8%aa%9e/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>少将乞請(後)「平家物語-作者：藤原行長(異説有)-」</title>
		<link>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e5%b0%91%e5%b0%86%e4%b9%9e%e8%ab%8b%e5%be%8c/</link>
		<comments>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e5%b0%91%e5%b0%86%e4%b9%9e%e8%ab%8b%e5%be%8c/#respond</comments>
		<pubDate>Fri, 27 Jan 2017 15:45:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[更新垢]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平家物語]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3099</guid>
		<description><![CDATA[しばらくたって入道が言うには、「新大納言成親が、この平気一門を滅ぼして天下を乱そうと企てていた。この少将はまぎれもなく大納言の嫡子である。お前との仲が近かろうが遠かろうが、とりなしなどできないぞ。もしこの謀反が実行されて...]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>しばらくたって入道が言うには、「新大納言成親が、この平気一門を滅ぼして天下を乱そうと企てていた。この少将はまぎれもなく大納言の嫡子である。お前との仲が近かろうが遠かろうが、とりなしなどできないぞ。もしこの謀反が実行されていたら、そなたも無事ではなかったであろう、と言ってこい」と言った。</p>
<p>季貞は帰り参ってこの事を宰相に申したところ、宰相はまことに残念そうな様子で、重ねて申されるには、「保元の乱・平治の乱以来、たびたびの合戦にも、命をかけて参じてきました。今後も、吹き荒れる荒い風は、まず私がお防ぎするつもりですが、そういう際にたとえ教盛は歳をとりましても、若い子供が大勢おりますので、ご守備の役にはたたないことがありますでしょうか。それなのに成経をしばらく預かろうと申しますのを、お許しがないのは、教盛を二心ある者とひたすらお思いなのですね。これほど心許ない者だと兄から思われましては、俗世に生きていても仕方ありません。今はただお暇をいただいて出家入道し、辺鄙な山里に籠もって、一筋に後世の往生のための修行をしましょう。つまらない現世の生活だ。俗世間に生きているから望みもあるのだ。望みが叶わないから恨みも生ずるのだ。この世を厭い、真の仏の道にはいるのにこした事はない」と言われた。</p>
<p>季貞は入道のところに行って、「宰相殿はもう出家の覚悟をきめておられます。とにかく良いようにおはからいください」と申したので、入道は大変驚いて、「だからといって、出家入道まで考えているとは、あまりにひどすぎる。それならば、少将はしばらくそなたに預けると言え」と言って出て行かれた。</p>
<p>少将は宰相を待ち受けて、「いかがでしたか」と申されたので、「入道はあまりに腹を立てて、教盛にはついに対面もなさらぬ。助命はとても駄目だとしきりに言われたけれども、私が出家入道するとまで申したからであろう、しばらく教盛の家にお置き申せと言われたが、結局うまくゆこうとも思えない」</p>
<p>少将は、「それでは成経はお恵みで、しばらくの間命も延びるのですね。それにつきましては、大納言のことはどうお聞きになりました」と言う。「大納言の助命までは思いもよらぬことだ」と宰相が言われると、少将は涙をはらはらと流して、「まことにご恩を受けて、しばらくでも命が延びますことはありがたいことですが、命が惜しゅうございましたのも、父をもう一度見たいと思うがためです。父が斬られるというのであれば、成経も生きがいのない命を生きても何になりましょう。ただ父と同じ場所で死ねるように申してくださいませんか」と申されたので、宰相はいかにも心苦しそうで、「さあどうかね、そなたの事を、なにかと嘆願したのだ。だが大納言殿の助命まで思いもよらぬが、大納言殿の御事は、今朝内大臣がいろいろとりなされたので、それもしばらくは安心のように伺っている」と言われると、少将は泣く泣く手を合わせて喜ばれた。</p>
<p><img itemprop="image" src="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/01/f8a5c84342708154a2a074940457a296.jpg" alt="少将乞請(後)「平家物語」" width="950" height="535" class="alignnone size-full wp-image-3101" srcset="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/01/f8a5c84342708154a2a074940457a296.jpg 950w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/01/f8a5c84342708154a2a074940457a296-300x169.jpg 300w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/01/f8a5c84342708154a2a074940457a296-768x433.jpg 768w, http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/wp-content/uploads/2017/01/f8a5c84342708154a2a074940457a296-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 950px) 100vw, 950px" /></p>
<p>「子でなければ、誰がただ今、自分の身の上をさしおいて、これほどまで喜ぶ事があるだろう。真の縁・契りは親子の仲にこそあったのだ。人の持つべきものは子だな」と、すぐさま思い返された。そして今朝のように教盛、成経は同じ車に乗って帰られた。</p>
<p>家では女房達が死んだ人が生き返った心地がして、寄り集まって、皆、喜び泣きなどをなさった。</p>
<p class="page_next_btn"><a class="left" href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3070">&lt;&lt;少将乞請(前)「平家物語」</a> || <a class="right" href="http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/?p=3112">教訓状(前)「平家物語」&gt;&gt;</a> </p>
<hr>
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#tinnhaookimi">三菱</a></span></li>
<li><span itemprop="name">挿絵：<a itemprop="url" href="../../profile/#geji2_n">黒嵜資子(くろさきもとこ)</a></span></li>
<blockquote>
<h2>「少将乞請(前)」登場人物</h2>
<p>＜入道＞<br />
平清盛<br />
＜宰相＞<br />
平教盛。清盛の弟であり、成経の舅。<br />
＜少将＞<br />
藤原成経。藤原成親の子。<br />
＜大納言＞<br />
藤原成親
</p></blockquote>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%e5%b0%91%e5%b0%86%e4%b9%9e%e8%ab%8b%e5%be%8c/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
